2012年7月8日日曜日

まえがきプチドラマ

予定より一週間遅れて、「二次試験合格法口頭試験編2012年度版」ようやく脱稿。
今回は20ページ以上にわたるゆめたくさんオンステージになった。こりゃあ、稿料払わんといかんなぁ。^o^;
夕食後、脱稿前の「いつもの儀式」のために家を出る。年度版まえがきのページは、自宅ではなくどこかで書くことにしている。
そしてまえがきの最後に
「○○年○月 △△で」と書くことにしているのだ。

そういえばいろんなことを書いたなあと思い、これまでに出した本の原稿から抜き出してみた。


娘が自分の進む道に向かって具体的な行動をはじめた夜に(2007年7月)

イマジンさんと一緒に初めて書いた本だ。イマジンさんが主筆だったと思う。たしか口頭試験対策の本だった。
いま大学3年生になる娘が、デザイン方面に進みたいと言って、そのために女房がいろいろ手を尽くしていたころだ。私は横で見ているだけだったけれど、その後娘は彼女なりに努力して、希望の大学に進んだ。これからがいっそう大変だろうけれど、がんばってくれると思っている。

生活と夢をかけた出張先のホテルにて(2008年2月)


これは「二次試験合格法出願・筆記試験編」の初版で、東京の八王子で書いた。一次校正段階で、ゲラをホテルの近くのカフェレストランへ持っていき、一人で静かに食事をとりつつ校正したのを思い出す。
たしかこの仕事の出張のときにバイアさんと八王子で飲んだんだった。


市民の夢と行動が小さな形になった「若狭の語り部」拠点にて(2008年5月)

「一次試験合格法」を出した時だ。
今はもうなくなってしまった「つばき回廊商業棟」の一角に「若狭の語り部」拠点を作ったんだった。イマジンさんと一緒に作った本の著作権料やアフェリエイトなどの中から賃貸料を工面したんだった。
あれから語り部拠点は3回移転し、今は「道の駅」の中に安定した拠点をもち、賃貸料支援もいらなくなった。たった4年前なんだなあと思うと隔世の感がある。


日帰り出張の昼休み、喫茶店にて(2008年6月)

「RCCM合格法」初版の時だ。
たしか福井駅にある「コロラド」だと思う。お気に入りの喫茶店だ。何の出張だったかはもう覚えていないけれど。

お盆休みの昼下がり、誰もいない自宅で子供達の成長を再認識しつつ(2008年8月)

「二次試験合格法出願・口頭試験編」の初版だ。
息子は大学2年、娘は高校2年の夏休み。息子は大学のサークルか何かで帰ってこず、娘はデザイン系の学部に進むため大阪で女房の妹宅にお世話になりながらゼミに通っていた。
静かになった家に一人ぽつんと原稿を書いていたものだった。

「歴史文化を活かしたまちづくり」を熱く語った「文化財ふれあいフォーラム」の高揚感が残る夜に(2009年2月)

「合格答案実例集」の時だ。この稿料は翌年からはじまるSUKIYAKI塾講師派遣事業の原資になった。
1月末日に食文化館で文化財総合把握モデル事業のフォーラムがあり、私はNPOの視点からまちづくりを語った。あれから歴史文化方面にどんどん深入りしていくのだが、でも高揚感が翌日まで残った。

SUKIYAKI塾や地域づくりのさまざまな新年度プランに心躍らせつつ(2009年2月)

「二次試験合格法出願・筆記試験編2009年度版」。
SUKIYAKI塾が拡大しつつあり、前年からはセミナーも始めていた。そしてこの年から本格的にセミナーツアーを始め、北海道や沖縄にも足を延ばしていく。地域づくりも歴史文化をコアにして、いろいろなことに関わっていく、その予感をひしひしと感じる日々だった。

子供たちが巣立っていきつつあることを実感したお盆の終わりに(2009年8月)

「二次試験合格法出願・口頭試験編2009年度版」。
息子は大学3年、娘は高校3年。いよいよ来年は誰もいなくなるなあと気がついた。
この年、5月からセミナーツアーを開始し、7月には北海道と沖縄に行った。爆発的に輪が広がっていく中だった。

全国行脚セミナーの中で、今年も多くの出会いがあることを願いつつ(2010年1月)

「二次試験合格法出願・筆記試験編2010年度版」。
7月の北海道・沖縄行きの衝撃は大きく、2010年は講師派遣事業をやろうと決めていた。
今年はもっといろんなところへ行こう、いろんな人に会おうとワクワクしていた。

子供たちが巣立った後の静かな休日に(2010年7月)

「二次試験合格法出願・口頭試験編2010年度版」
娘も無事希望の大学へ進み、女房も学校勤務が忙しく、休日は静かな家に一人でいることが多くなっていた。セミナーツアーも一段落し、ほっとする時期だ。
ちょっとさみしかったんだろうね。

真夏のまぶしい光をながめつつ、川沿いの喫茶店にて(2010年7月)

「RCCM合格法改訂版」の時。
ともしの店で書いた。たぶんこの時から「まえがき」は外で書くようになっている。

ワンマン電車の窓から雪景色を眺めつつ(2011年1月)

「二次試験合格法出願・筆記試験編2011年度版」。
小浜線に乗って。これは何をしに行ったのかなというと、たぶんNPOの話をしに福井のほうへ行った時だ。

古いまちなみの中にあるお洒落な喫茶店で(2011年7月)

「二次試験合格法出願・筆記試験編2010年度版」。
小浜西組の「三丁町」にあった「きさき食堂」で。残念ながらもうやめてしまったが、知床さんが小浜に来たときに一緒にうどんを食べた。
このころから自転車でうろうろするのが好きになっていた。

滅多にない冬の日本海側の晴れ間の下で(2012年1月)

「二次試験合格法出願・筆記試験編2012年度版」。
これは海岸通りで書いた。バイオを持って行って、「つばさのテラス」のベンチで書いたと思う。

いつものファミレスのいつもの席で(2012年7月)

今日、よく行くココスの、お気に入りの席で。

こうやって見ると、やはり子供のことが多いなあ。

4 件のコメント:

  1. べっこ王子2012年7月9日 5:33

    「APEC HISTRY」ですね。
    お子様の成長と共に歩んできた5年間でしたね。
    しかし、なぜか「rain」が無いのが不思議ですね。

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  2. そういわれて過去の記録を引っ張り出してみました。
    08/02/13(水)です。
    「共感」「信頼」「実績」と記録にありました。
    なんかもっと時間が経っているように思ったのですが、まだ4年前だったんですね。
    私も眼の焦点範囲は狭まりましたが、おかげさまでだいぶ視野が広がりました(笑)。

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  3. 私もその時間の一部を共有できて幸せです。
    ほんの数年前まではAPECさんやバイアさんとは全くのあかの他人ですもんね。
    おかげさまで「ゆめたくオンステージ」の運びとなりました(笑)

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  4. べっこさん、雨は当たり前なので書くべきネタにはならないのですよ。って、ほっといてんか。^^;

    バイアさん、思い出しますねえ。最初の出会いからあなたは日本酒をぐびぐびやっていた。^o^

    ゆめたくさん、また原稿送りますが、おかげさまでいい事例になりました。オチを入れようかなとも思いましたが、やめました。何って?2回とも模擬面接をやったけど1回目は…

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