区の老人会の依頼で、ミニ映画会みたいなものをやった。
開会前の場つなぎに植木等主演「日本一のホラ吹き男」を少し流したのだが、1964年のこの映画、いやあ「あの時代」の空気が全編に流れていた。ちょっとしたシーンに「時代」を感じるのである。
アキレス健を切って病院でふてくされる植木等は当たり前のように寝たばこをする。コーチも咎めはしない。
故郷に戻った植木等が道路わきに寝転んでいるとに郵便配達員が自転車で手紙を持ってくる。オリンピック出場ができなくなったという知らせだ。これを見てやる気が失せた植木等は「家まで乗っけってってくれ」と言う。郵便局員は自転車の荷台に植木等を乗せて二人乗りで走り去る。
先日、野良犬を見た。正確には首輪をしていない犬を見た。それも市街地の真ん中で、信号待ちをしていた。
信号待ちはともかく、野良犬なんて久しぶりに見た。賢そうな顔をしていた。
野良猫はそこかしこにいて、小ずるくたくましく生きているが、野良犬はめったに見ない。でかいから野良の状態での存在を許されないのかもしれない。
私が小さいころ(1960年代)にはそこいらじゅうに野良犬がいた。からかった挙句に逆襲されて泣きながら家に帰ったこともある。
私が小学生低学年のころ、いわゆるひとつの「頭の弱い浮浪者」がいた。小判のおもちゃをくれるというので何の気なしに受け取ったら、しばらく誰も遊んでくれなくなった。^o^;
子どもたちは彼をはやし立て、やーいやーいとからかった。彼は怒ったような気もするし悲しそうにしていたきもする。
これは前にも書いたと思うが、高校教師であった私の父はスーパーカブの荷台に籠を乗せ、そこに私を放り込んで走っていた。
野蛮だと思うだろうか。行儀が悪い奴らだと思うだろうか。
40年~45年ほど前の話である。「そんなに昔」と思うかもしれないが、当時成人していた人が現在60~65歳。何世代も過ぎたわけではない。その時代の日本はそういう社会だった。
地方の田舎の話だから都会はもっと…と思うかもしれないが、その東京で作られた映画が寝たばこと二人乗りが当たり前の世界を描いている。
だから何だ、と思うかもしれないが、半世紀に満たない程度の以前にはそういう社会に住んでいた我々が、同じ道を少しあとから歩んできているアジアの人たちを馬鹿にしたり蔑んだりするのは、思い上がりも甚だしいというか、どの口が言うんだという気になるという話である。
どうも近年、日本人は異質なものを理解しようとしない「偏狭の毒」が回り始めているような気がしてならない。無論これは外国に対してだけではない。他人に対して全般にである。
多少偏っていてもそれなりに論理的であればまだいいのだが…
しかし植木等、この映画では大学生の役を演じていた。…ちょっと無理があるだろう…
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