朝起きたら背筋方面と肩の筋肉方面がゴリゴリビシビシであった。翌日すぐに筋肉痛になるのは若いんだ!などと喜んでいる場合ではない。いやもうホントに痛いっす。
がしかし、そんなこと言っている場合でもない。昨夜からの新雪は5cmあまりで済んだが、昨夜の除雪は応急的なものだったので、もう少しきちんとしとかないと。自宅前庭で悪戦苦闘30分。
ようやく一段落して遅い朝食をとり、義父のクスリをもらいに病院へ。小浜市街地も歩道除雪にはぜんぜん手が回っていない。
国道沿いの「一番町」地区は商店が軒を連ねるが、みんな店先を中心に除雪するから、歩道が歩ける状態になっている。店先だけでなく駐車場のところや一般家庭のところもきっとみんなで除雪しているのだと思う。まとまりのいい地区だからね。
やや駅の方へ進むと「大手通り」になるが、ここでは空き店舗前などは除雪がされておらず、通行人は車道を歩いている。病院に近いあたりはお年寄りも多いから危ないなあと思っていたら、Aタイヤ店社長が手押しの除雪機で歩道除雪をしている。あの人のことだからボランティアでやっているんだろう。
そういえばさとるの父ちゃんも除雪機をフル回転させていると聞いたことがある。
こういう人たちが除雪活動の一部を支えていてくれて、それを前提に行政の除雪計画が策定されているといいんだろうなあ。もちろんそういう人たちに労務提供以上の負担を甘えるべきではないけれど。
小浜は昭和59年の「59豪雪」以来の28年ぶりの大雪だという。
私は新潟にいて修士論文のため冬は帰省しなかった(思えば人生ただ一度の一人の正月だった)からその記憶はないのだが、まあその程度の頻度ということで、30年確率の災害みたいなもんなんだから、行政の手が回らないのは仕方がない。除雪の機材も担い手も確実に当時よりは減っているだろうし。
でもきっと市役所には苦情がばんばん入っているだろう。
「公共サービスはお前らの仕事やろが。何のために税金払っとんねん」
というわけだ。やれやれである。
そういえばPTAをやっていたころ、そういった雪かきをみんなでやろうという話し合いになったことがある。でも雪がほとんど降らなかったので具体化しなかった。
あのときには「受益者負担」の考えもあったのだ。歩道除雪を必要とする人たちの代表は通学する子どもたちなので、まずその保護者が除雪すべきだろうという話ですね。それはそのとおりなのだけれど、そうすると今度は「じゃあ仕事を休んで除雪するのか」という話が出てくる。確かに就学児童生徒の親は働き盛りだし。すると、
①みんなむちゃくちゃ早起きして除雪する
②保護者のさらに親など時間のある人にお願いする
③誰か委託する
という選択肢がでてくる。
で、②は年寄りに無理だしかわいそうだし、①はイヤだし、そんなことなら③(お金で解決する)が一番楽だという発想になってくる。これって「その分お金を払うから休日をつぶして資源回収に出るのをカンベンしてくれ」というのと同じ面があるよね。
ところがそこで「保護者がお金を出し合って通学路の歩道除雪をする」という話には決してならない。なぜかというと、
「歩道の通行機能確保は道路管理者の責任」
「義務教育のための通学路の確保は行政の責任」
という話になるからだ。
それは間違ってはいないけれど、でもそれって、
「大雨でも被災しない治水機能の確保は河川管理者の責任」
「濡れずに安全に避難できる経路の確保は行政の責任」
というのと変わりないように思うんだけど。なんで100%行政かね。
「公共サービスは行政がやるもんであって、それの一部を市民がやるなんて行政の怠慢だ」というのは貧しい考えだなあと思う。
そりゃあ市民が橋を架けたりはできないけれど、歩道の除雪くらいはできるんだから、やれる範囲でやりゃあいいんだよね。それを公共サービスであれば箸を動かすのも行政がやらんといかん!みたいな貧しい考えが、いったいいつごろから広がってしまったのだろうか。
まあ、みんなの生活が各自各様になったから一斉に動きにくくなったし、除雪ってのは雪をどこかに捨てないと成り立たないから、そのあたりも含めてある程度以上の大雪になるともう市民だけでは無理になる。その一方で市民との間に大雪対策の段取りを組んでおくことも、これくらいの頻度の大雪に備えるのは難しいだろうから、混乱は仕方ないと思う。
だったらもう少し受容してもいいんじゃないかと思うわけですね。まあ大半の市民は受容していると思うけれど、中に貧しい心の人がいるんだろうね。
自分の家の前でも店先でもないところを無償で除雪なんかしていると、自己満足だとか売名だとか偽善だとか下心があるとか、とにかく何か貧しい理由をつけようとする人がいる。そうでないと理解できないのだろう。なぜならその人の心には自己満足でも売名でも偽善でも下心があるわけでもなく他人のために何かをするという心がないからね。私はそれが一番貧しいと思うけれど。
…そんなことを考えながら病院から出てきたら(時間かかるよねー)、もうA社長は除雪を終えていて、車道を歩く人はいなくなっていた。
午後からようやく出社し、夜、女房の実家の雪かきの続きに行った。
3ケタ国道とは思えないほど路面が荒れていて、ノロノロ運転でやたらと時間がかかってしまった。
帰り道、何やらこうこうと明かりが見えるので何かと思ったら除雪車だった。国交省も県も市も、そして除雪受託している業者も、交代でこれから夜っぴて除雪なんだろう。フル回転しているんだろうが、そもそもリソースが絶対的に不足しているのだ。
「だから何だ。結果がすべてだろう。結果が不十分だったら甘んじて批判は受けるべきだろう」
その通りなんですけどね。そういう面があるのは確かだし、やっている本人はそういう気持ちでやっていてほしいと思うんだけど、そういうことをバーンと叩きつけるのはやっぱり貧しい心、貧しい社会だと思うのですよ。
除雪作業お疲れさまです(^_^;)
返信削除道路管理者で除雪を担当したことのある私からすると、除雪の苦情が一番人間性が出ます。また、役所の担当者は5年もやっていると、人格自体が曲がってきます。本当に人間不信に陥ります。ボランティアで歩道を除雪されている方々も中にはいますが、ごく少数です。ほとんどの方は、道路の除雪は行政の仕事だから玄関口に雪を置いていくな、道路の雪はきれいに取って行けと主張してきます。まあ、どちらにしても、あと1か月の間の辛抱なんですが・・・息抜きの方法を確立しておかないと、心が病んでしまいます(-_-)
ホント、行政の方はごくろうさんだと思います。北海道はなお厳しいでしょうし。自然がもたらす災厄は行政だ市民だと言わずに立ち向かうべきなのですけどねえ。
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