2012年2月18日土曜日

寄付の文化

今日は福井で「新しい公共」のファンドレイジング(寄付)の講座。しかしなんで福井に行くたびに(あるいは週末のたびに)冬型になるかなあ。

それはともかく、NPO(広義のNPO。NPO法人だけではないので念のため)の収入源は
①会費
②補助金
③事業収入
④寄付
の4つがバランスよく組み合わせられているのが理想的だ。
NPOが発足してすぐは収入源がないので①が主体だったりする。
やがて実績を積んだり申請が上手になってきたりすると②がモノを言うようになる。この段階だと、②が取れるかどうかが活動の浮沈を握っている状態になる。
③はそもそもNPOに対する事業委託がないといけない。徐々に増えてはきたが、自治体規模が小さいほど(あるいは考え方が旧態依然としているほど)遅々として進まない。
現状では、何かの公共施設の指定管理というのが関の山かなあ。例外は社会福祉系の子供一時預かりや高齢者デイサービスなんかのNPOで、これらはしっかりと安定した事業収入を得て、コミュニティビジネスを成立させているものが多い。

で、④なのだがこれは日本の文化の特色ともいえるものがあって、とにかく進まない。
日本全体の募金額は1,000億円程度だが、アメリカは2,000億ドルほどらしい。
2,000億ドルって、日本の全消費税収のほぼ2倍。単純に計算して日本は一人あたり830円ほど、アメリカは5,000円強。
多ければいいってもんじゃないけど、これだけ違うと経済情勢とかそういったものじゃなくて、そもそもの考え方・文化が違うとしか言いようがない。
まあおそらく個人の寄付額以上に法人の寄付額がぜんぜん違うのだろう。でも法人の寄付だって人間が決めているのだから個々人の考え方の積み上げの結果だ。

日本人って妙にシャイというか、寄付行為を恥ずかしがって隠したり言い訳したりするよね。そういう恥ずかしいみたいな気持ちがブレーキになって、ちょっとした街角募金でも避ける人は少なくない。なんでだろう。

寄付を「余ったカネをあてがうもの」みたいに考える人もいる。生活が楽になった場合にその「余剰金」を寄付すればいい、つまり支出優先度はずっと低い。だから寄付行為は金に余裕があることをひけらかすことになるし、法人がそれをやれば「もっと優先度の高いことがあるだろう」と出資者から突き上げられる。
寄付を「ものもらい」だという人もいる。人の金をあてにするなと。だから寄付行為はそれに加担する「よくない行い」だというわけだ。
そもそも寄付行為は偽善とか自己満足にすぎないと言う人もいる。私に言わせれば、それはそれ以外の理由付けで理解ができないというだけのことで、つまりそう言っている本人が偽善や自己満足以外の理由では利他的行為ができない人だということを示しているにすぎないと思うのだけれどね。

まあともかくいろんな考え方が寄付行為を押しとどめている。
でもそれって世界中に普遍的な考え方だと思いますか?

寄付といえば先日、厚労省の文書偽造事件で無罪が確定した村木元局長が、国からの損害賠償金の大部分を、犯罪を起こした障害者らを支援する社会福祉法人に寄付するというニュースを目にした。寄付金の額は約3,000万円。
これについてもあれこれ言う輩はきっといるだろう。本当に日本は寄付というものについては賛否両論というか様々な考え方があるのだ。
でも、自分の常識感覚や文化尺度で他人や他国の文化を一方的に評価することは偏狭だ。常識感覚も文化尺度も理屈より少し深いところの感覚だから、生理的に反応してしまいがちだけれど、それにストレートに従ってしまって「異質なものへの理解と寛容」を持たないという姿勢には危うさ・愚かさを感じずにはいられない。

NPO法が改定され、寄付を受けやすくなっている。認定NPO法人へのハードルが低くなったのだ。
これによってNPOに寄付をしたときの税制優遇が受けやすくなったのだけれど、そもそも寄付文化がない中では絵に描いた餅というか意味なし芳一というか…
この国にもいつか寄付文化が育つのか、あるいはそもそもそういう文化構造ではないのか、どうなんだろうね。

でもまあひとつだけ確信していることは、個人の寄付行為は個人の価値観に基づいた行為なのだから、他人があれこれいう性質のものではないということだ。寄付をする側が「オレいい人」みたいな気持ちになりたいから寄付するとしても、それで誰かが喜んだり助かったりするのならそれでいいじゃないかということですね。
ただし、対価としてではないお金の付与が、受け取った側の堕落を誘うのではないかという論については、たとえばアメリカインディアンやアボリジニなどのネイティブに対する補助の抱える問題などを思うと、耳を傾け一考する余地があるのではないかと思う。
でも、そういうことがあったとしてもそれは寄付というものの本質的な問題点ではないと思うし、ましてそういう理由ではなくただ気分的に好かないというだけの理由で(かつそれを正当化できそうな言葉に置き換えて)批判する輩に対しては一顧だにする必要はないと思っている。

NPOに話を戻すと、事業収入を中心に事業を案敵的に継続し、時に補助金でステップアップという形がとれるNPOが増えるといいなあと思っている。
会費は個人寄付の積み上げみたいなものだから寄付と同様に考え、さらにその中で法人寄付が増えるといいと思うが、まあこれは根深いハードルがあるから焦らずに(というかあてにせずに)。

2 件のコメント:

  1. 先日、個人的に複数の団体に小額ながら募金をしました。
    なぜ募金したのか・したくなったのかを自分なりに考えると、活動に共鳴できるためや、その活動に「ありがたいなぁ」と感じること、また持続的に頑張って欲しいと思うからでした。
    NPOが経済的にも自立できる社会に早くなれば思います。

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  2. そうですね。寄付や支援をするときって、「自分に代わって活動してくれている」みたいなことがよくありますね。「それは大事だと思うけれど自分にはできない(時間的・物理的・能力的な理由などで)から、それを現に実行してくれているところに寄付する」という感じですね。
    NPOの経済的自立は簡単ではないけれど、少しずつ進んでいて、またその先駆者たちがいろいろとヒントをくれるのでありがたいです。

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