午前中、「そともめぐり」と食文化館での「箸研ぎ体験」。
「そとも」は花崗閃緑岩の波食崖が作る奇岩が天然記念物に指定されていて、これをめぐる遊覧船である。こういうものは地元の人はほとんど乗らないのだが、私は年に1回、西安の子どもたちを引率するときだけ行っている。たぶん市民の中では多く行っているほうだろう。^^;
「箸研ぎ体験」は、塗り箸の全国シェア8割である小浜市ならではの体験で、アワビの殻や卵の殻をちりばめて漆を何層にも塗った箸の側面をサンドペーパーで研ぐことで、複雑な漆と殻の模様が出てくるという「研ぎ出し」の体験である。
真剣に箸研ぎ中。 |
けっこうフランクに歓談中。 |
食文化館のキッチンスタジオで調理中。 |
伴奏をしていると、歌と息が合うとノッてきて楽しいものだが、今回がまさにそうだった。何度か練習したあとのように息ピッタリでした。
さらに何曲か歌い、和気あいあいと終了。私は早々にお暇して市役所へ。10月の「食の祭り」実行委員会に出席。
さすがにちょっと疲れていて、終わってから「飲みに行く?」と誘われて一度は「いやぁ、今日はへとへとなんで」と断ったのだが、「ええやん少しぐらい」と言われて「じゃあ1時間だけ」といいつつ、結局2時間以上べったり飲んでしまった。ToT
今年の留学生をみて例年以上に感心したのは、物怖じしない積極性と素直な明るさだ。日本の若い子たちに見られなくなってきているものを彼らは自然に持っている。「伸びしろ」がいっぱいあるのが眼に見えるようだった。
日本の子どもたちが躊躇してしまうことが多い「未知なるものへ足を踏み出す」ハードルを、彼らはひょいと超えてしまうように感じた。この伸びていく若々しさのようなものは、きっと「今日より明日のほうがよくなる」と信じられる空気が西安にあるからなのだろう。
それでも引率の張先生は、古い文化や人の息遣いがなくなっていくことに懸念を感じていた。我が家にステイしたルイもそうだったが、バランスのとれた考えをしているのだ。かなり偏った教育をうけているだろうに、偏狭なナショナリズムに至ってしまわないのは、やはり教養なのではないかと思う。どこの国でも、もちろん日本でも、偏狭なナショナリズムに陥っている人は、知識とか何とかはあっても人間としての教養や度量のようなものが感じられない。素直な精神に豊かな教養があれば、どんな国の人でも相互理解ができる人間的下地ができるのではないかなあと考えた1日だった。
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