2018年3月18日日曜日

東京パーティー

SUKIYAKI塾東京の出願セミナー&合格者祝賀会。
会場が茅場町だということで、ホテルから1kmほどなので歩いて会場へ。

午前中は例によって出願講義。例年に比べるとやや受講生が少ないか。

昼食は必殺必死の「よもだそば」。なぜかここのかけそば(たぬきそば)だけは食える。今度勇気を振り絞って富士そばのかけそばを食ってみようかな。
午後は場所を変えて総監講義。茅場町のほうはグループワークをしていたようだ。

そして合格者祝賀会。会場貸し切り、パワポを使って進行。いやあすげえなあ。

出席者は合格者・SUKIYAKI塾講師合わせて40人~50人ほどか。模擬面接を何度もやっているので、こんなに集まってくれるのかもしれないな。本当に楽しくも素晴らしい空間だと思う。

全員そろってないけど集合写真。女性が多いのも東京の特徴だ。小さい子供もいたりして、いいねえ。

二次会会場で、なにやらドヤ顔で写真を見せるロボコンさん。何の写真だったか忘れたし、公共のネット空間にアップしていいかどうか危ぶまれるが、あまりに得意そうだったので上げてみることにする。

終了後、歩いてホテルへ。昨日と同様、眠くて眠くてどうにもならないので、また仮眠を取ってから風呂に入って少し眠気を払い、事務処理&添削。なんだかずっと寝不足感があるなあ。

2018年3月17日土曜日

なにやら奥地へ

土曜日だが、東京滞在&オフ日。のんびりすごそう…などできるはずもなく、添削を抱えて右往左往である。

それでもせっかくの東京オフ日、秋葉原に挨拶に行かないわけにはいかんだろうと足を向け、ちょうどご実家帰省中のくじらさんと昼食をとりながらSUKIYAKI塾博多のこれからについてあれこれ。ぜひがんばってほしい。SUKIYAKI塾のみんな、応援してあげてね。
くじらさんと別れて少し電気街を歩くも、抱えている添削が気になっていかんので、結局秋葉原のルノアールで少し添削して、奥多摩じゃなかった、そのちょっと手前の日野市に移動。都営新宿線で調布まで、そこから京王線でバイアさん宅近くの駅へ。
バイアさんとおちあって、4~5年ぶりにバイア宅にお邪魔してギターやピアノで楽しく過ごし、近くの駅前の食堂でカツカレーをツマミに酒を飲むという学生時代を彷彿とさせる時間を過ごして帰路についた。バイアさん、ありがとね。

バイアさん宅近くの駅は、まだ9時過ぎだというのにこの閑散具合である。さすが奥多摩。あ、違うか。まあ似たようなものか。
まだ添削は残っているので睡魔と戦いながらタブレット添削していたが、途中で2回ほど落ちてしまい、さらにはあやうく乗り過ごしかけた。
ホテルに戻ってちょっと仮眠(いや、本気の睡眠)をとって、夜中前に起きて事務処理と添削の続きをやって、風呂に入ってどたりと倒れ込んで寝た。

2018年3月16日金曜日

ちょっと贅沢に

今日から3泊4日の東京である。10時前に小浜を出発、14時に品川着。
企業セミナーを夕方までやってから品川で会社の皆さんと食事。久々にホッピー飲んでけっこう酔って品川駅から新日本橋まで横須賀線に乗ろうと思ってホームに行くと、ぎゅうぎゅう詰めのオソロシイ車両が入ってきた。
ひえええとドン引きしていると、隣の車両はガラガラだ。見るとグリーン車。講義と個人面談で疲れている上に酔っ払っているので、ええいとグリーン車のほうに乗り込んで椅子に座っていると車掌がやってきた。
グリーン料金を聞くと、新日本橋までで1000円ちょっとだという。「今から一般車のほうに行っていただくこともできますよ」と車掌が言う。
高い。高いが、あのぎゅうぎゅう詰めの中に入っていくのはもっと嫌だ。
酔いもあったのか、少しばかりの贅沢だとグリーン料金を払い、ほんの短い時間のグリーン車で思いっきりゆったりして、いっそ千葉まで行ってやろうかとも少しだけ思いつつ新日本橋で下車、ホテルにチェックインした。

ホテルは最近よく泊まる東急ステイで、何といっても部屋に洗濯乾燥機がある。
早速全部放り込んで洗濯スタートしつつ風呂に入った。
今回は全泊ここなので、着替えをいっさい持ってこないという荒技を敢行した。なので身軽も身軽、さらに少々寒いかなと思いつつ、ジャケットの上に羽織るものはユニクロの極薄パーカーだけという無茶もやった。おかげで駅からホテルまでずいぶん寒かった(^^;)けれど、まあ風呂にすぐ入ったから生き返った。
やはり部屋に洗濯機があると超便利だ。もちろんその分高いのだけれど、アヤシゲな格好でコインランドリーと部屋を往復したり、時にはランドリーが一杯なのでイライラしながら待ったりすることから解放される。乾燥機は朝まで放っておいても服がシワにならないもので、放り込んだままで寝られるし、このラクチンさを手に入れるためには、少々の出費も惜しくはない。
短時間グリーン車といい、洗濯機付きの部屋といい、最近は快適さのための「支払意思額」が高くなってきたように思う。このあたりがやっぱりトシなのかな。^^;

2018年3月15日木曜日

イサザ漁

明日から4日ほど不在なのだが、その前にやっておかいないいけないことがたくさんあって、昨日からバタバタしている。

そんな余裕のない気持ちで土手道を走っていると、南川の川向こうにイサザ漁の足場が。
水が温み、イサザが遡上してくるのを、大きなタモで取るのだが、昔は100人からの漁師さんがいて、足場もずらりと並んでいて、それでもイサザは十分取れたものだ。
私が小学生の頃、母校は南川のすぐ横にあって、校歌でも「春は輝く南川 イサザは上るはつらつと」と歌われていた。少年野球の合間に土手を越えて川辺に行き、昆虫採集の網で簡単にイサザが取れた。空き缶がいっぱいになったものである。

今は足場も4つか5つしかなく、猟師さんも数人になってしまったけれど、それでもイサザ漁は春の風物詩だ。
お水送りが終わると暖かくなってくる。
そしてイサザ漁が始まると本格的に春だ。
土手にはコゴミが生え、4月になると菜の花で黄色く染まり、その後大根の花で白く染まる。山に行けばタケノコが生え、タラの芽が芽吹く。
そんな生き生きとした季節、小浜にずっと私はいない。そんな生活を送るようになってもう4年か5年になろうか。
全国を飛び回るのも生き甲斐を感じる楽しい時間だけれど、地元にいて、日々季節が動いていくのを実感する生活もまた価値のあるものなのだなあと、今さらながらに思う。

2018年3月14日水曜日

陽光の中で

二次試験の合格発表から5日、次の出願期限まで40日あまりとなったが、この週明けからみなさんいっせいにエンジンがかかってきたように思える。
今日はそれも含めてバタバタだった。ちょっと、いや普通に寝不足状態である。
こういうときは心に余裕がなくなってきて、「人には人の事情がある」ことを考えていられなくなりやすいので、気をつけないと。

風夢さんのイベント用のパワポに使おうと、春の国富平野の風景を撮りに行った。
ここは野生のコウノトリ最後の繁殖地で、豊岡市での飼育繁殖後放鳥された個体が長期滞在したりもしているので、コウノトリにとって住みやすいところなのだろう。人為的にコウノトリを連れてきて飼育しているところが注目されるが、自然にコウノトリが選んで滞在する土地というものはもっと研究されていいのだろうと思う。
雲一つないいい天気で、気温も20度にもなっている。車の中は日差しで暑く、窓を開け放して走った。冬が寒かった分、暖かさがまとめてやってきた感じだ。

こういう心地よい天気のときに、よく外で添削をしたものだ。タブレットとメモ帳を使って、目が少し疲れると風景をしばらく眺めて、目と心を休めてからまた添削に戻る。
旅先でも、よくぶらぶらと散歩しながら添削した。時にはホテルで自転車を借りて少し遠くまで行くこともあった。地方都市ではよくやったものだ。公園のベンチや川辺の護岸の上なんかに腰を下ろしては1人分と決めて集中して添削し、終わるとまたどこかに移動する。
風景を眺めるのなら眺める、散歩するなら散歩するだけすればいいのに、そんな時にも添削だなんてせわしい人だなあと思うかもしれないが、それすら今から思えばずっとずっとスローな生活だった。このアウトドア添削はもうずいぶんしていない。やはり机の上で、PCでやったほうが効率が高いからだ。そうしないとこなせないだけの添削量を持つようになった、ともいえる。だから旅先ではホテルの部屋にこもるのだが、これはさすがにストレスになる。ぼく、ナイーブなの。
だから近所の喫茶店に行ったりしてノマドをやる。今日のような天気だと屋内は外よりずっと寒い。暗くて、寒い。外には陽光があふれている。だけど時間がない。これもストレスだ。
結果、デスクワークを集中してがーっとやり、その後に思いっきり弛緩するようになった。まあメリハリなのだが、これがすごく大事だよねと思うこの頃だ。

2018年3月13日火曜日

SUKIYAKI塾博多設立

SUKIYAKI塾博多が立ち上がった。
唯一の空白地区であった九州での立ち上げ、何だか五大大陸制覇みたいな感じだ。

もともと、自分自身が技術士資格を取るときに田舎に住んでいることの不利さ、悲哀を痛感したので、これを跳ね返してやりたいという気持ちでHPを立ち上げ、そのうち一方的な情報提供からメールでの添削指導へ、さらにはFace to Faceでの指導へと発展してくる中で、私自身は試験対策支援に時間をもっと使うためにAPEC-semiを始め、ネットの向こうにいたみんなはそれぞれの地域でSUKIYAKI塾を立ち上げ始めた。
第1号のSUKIYAKI塾北海道は今年で10年になる。来年は10周年だな。
SUKIYAKI塾沖縄でいごの会も確か北海道と同じ年に立ち上がったのではないかと思うので、もしかすると来年は全国大会&10周年か?
それから数年して一斉に7つのSUKIYAKI塾(東北・東京・北陸・名古屋・大阪・広島・四国)が立ち上がり、全国大会が始まった。蛇足ながら、地域のSUKIYAKI塾の設立も、全国大会の開催も、発案は私ではない。というか、基本的に全国各地のSUKIYAKI塾の運営には私は口出ししていない。せっかく仕事でも家庭・個人でもない「第三極」のつながり、人と人とのつながりに魅力を感じて参加してくれたんだもの。できる限り自由にやってほしいじゃないですか。

10年前に私が自分自身で身をもって感じたこと、技術者たる者、自分の住んでいる地域・携わっている仕事の狭い社会の中に埋もれることなかれ。日本にはこれほどに様々な自然と社会があり、それに沿った技術者の姿がある。自分にとって想像を超える規格外ともいえる世界を見聞してふるさとに帰れば、見えていなかった宝物が見えてくる。
これはえらいことだ、この異国見聞のような体験、自分の住んでいるところと異なった地域を、そこに住んでいる技術者が案内してくれることのすごさ、これをみんなにも体験してもらわなくてなんとすると思い、講師派遣を考え、そのための原資確保手段として合格答案実例集のオンライン販売を考えた。
最近は全国大会の時期に限定されつつあるきらいはあるものの、それにどれだけの技術者がSUKIYAKI塾という「人と人とのつながり」の中で、「仕事でも家庭・個人でもないつながり」の中で交流しただろう。
今や、全国各地のSUKIYAKI塾セミナーに行くと、「知らない人」がいっぱいいる。できれば一人一人と話したいと思うものの、記憶力は衰え、何よりも呑むこと大好き人間なので、あっという間にただの酔っ払いおじさんと化してしまうので、失礼をしている方々は多いと思う。申し訳ない。

話を戻そう。
そんな経過の中で、ついに九州にもSUKIYAKI塾博多が立ち上がった。
九州はかなり好きな地だ。
小倉駅のかしわうどんは機会さえあれば食べることにしているし、福岡市のあちこちに大好きな空間がある(一番好きなのはやっぱり屋台だ)し、佐賀のどんどんどんの森やわけのしんのすは大好きだし、熊本城のあのとてつもなく広い空間や、アーケード街の裏手のコーヒーショップ、そして辛子蓮根に一文字ぐるぐるに球磨焼酎、大分のだんご汁に魅惑の温泉、宮崎の心が弛緩するような南国感、鹿児島の天文館あたりの雰囲気などたまらない。あ、長崎は島原しか行ったことがないのでご勘弁願いたい。

まあとにかく、九州にSUKIYAKI塾が立ち上がった。これはともかくこの上なく嬉しいことだ。
今月末、31日に佐賀のほうへ移動する予定がちょうどあり、土曜日でもあったので、会議というか飲み会というか設立総会みたいなものを企画していただいた。
久々にわくわくする楽しさがある。

2018年3月12日月曜日

駅前風景

小浜駅まで切符を買いに行って、駅を出たときにはっとした。

駅前の風景がすっきり(あるいはがらんと)している。目の前にあった「はません」ビルがなくなっているのだ。取り壊しているのは知っていたが、向こうを見通せるアングルで見たのは初めてだった。
高度経済成長の中、デパートなるものがとうとう小浜にもお目見えしたのは1970年にまだなっていないころだったと思う。3階建ての建物で、2階ではプラモデルを売っていて、3階は食堂だった。それ以外は覚えていない。私が高校生のころはまだ営業していて屋上はビアガーデンになっていた。
そして大学を卒業して小浜に帰ってきたころはもう営業していなかったのではなかろうか。確か地下室だけがカラオケなどをやっていたように記憶する。
その後、ずーーーっと空きビルだった。様々な事情があったようだ。
観光のまちでありながら、駅を出れば右手に葬祭場、真ん前に空きビルという、なんともはやな駅前風景だったのだが、これからよくなっていくのだろうか。

2018年3月11日日曜日

なんだか眠れなくて

セミナー動画処理が遅い(データ処理は速いのだが、これを動画ファイルとして出力するのに1時間以上かかった)ので、待ちくたびれて寝てしまったのだが、これがまたよくしたもので、2時間ほどで目覚め、続きのYouTubeへのアップを行った。7GBほどもあるので、これもまたアップに時間がかかるだろう…と思っていたらものの20分で全処理終了。
これで一般部門の処理が終わったので次に総監部門のデータ処理を行い、また延々と動画ファイル出力が始まったので、もうこのまま朝まで寝てやろうとベッドに潜り込んだ。
…のだが、どうにも寝付けない。目はしょぼしょぼしていて「眠い目」なのに睡眠に入れない。うーむ、ナイーブなボクちゃんだ。

しばらくもぞもぞしていたのだが、こりゃあどうもダメだと思って、えいっと起きて真夜中のフロに入った。
結果、当然ながらお目々ぱっちりになって、しかたないので動画処理と平行して添削などやって、ようやく動画ファイルができたのでYouTubeにアップ。
全部終わって今度こそ寝てやろうと思ったのはもう午前4時ごろだった。
8時半に再び起床。朝風呂に入って身支度をして、チェックアウト10時ギリギリにホテルを出た。
ルーチン通り大街道の吉野屋でハムエッグ牛小鉢を食って、さあて時間はたっぷりあるなあと思ったので、そこから太陽市まで歩いた。といってもたぶん2kmくらいだ。
昨日に比べたら暖かいので気分よく散歩気分で歩き、太陽市でみかん各種を購入して発送し、再び歩いて松山駅へ。さらにバスで松山空港へ。
カードラウンジで2時間仕事をして、ゆっくり昼食を食べて4時前の飛行機に搭乗。

青空に夕方が混じり始めた松山空港。昨日からずっと快晴であった。だって晴れ男の私がいたのだから。わはは。

オレンジに染まり始める松山市を眼下に離陸。松山~伊丹間は1時間もかからない。

まだ雪を頂く山が見えた。その向こうにはすぐ海が見えるから、真ん中に見えるのが石鎚山、右の方が伊予富士のあたりかなと思う。
5時前に伊丹空港に到着。今度は伊丹空港のカードラウンジで2時間弱ほど仕事をしたあと、高速バスで小浜へ。
どうせガラガラだからシートを思いっきり倒してぐーぐー寝ていけばいいや…と思っていたらなんてことだ満席近いじゃないか。シートが狭く後ろの座席にも客がいるのでほとんどリクライニングできず、窮屈な思いをしながらも、それでもウトウトしつつ帰ってきた。
今日こそ早く寝よう。

2018年3月10日土曜日

出願セミナー第1回講義

合格発表から一夜明けた。ちょっと寝不足だなあと思いつつ、いつものように大街道まで歩いて吉野屋で「ハムエッグ牛小鉢朝食」を食べる。完全にルーチンである。

時間があるので、のんびり歩いて市民会館へ。雲一つないいい天気である。
午前中一般部門の講義。昼食は「瓢太」で松山ラーメン。午後は総監の講義と土質基礎の出願書類指導。久々の1日講義でけっこう疲れた。

終了後、いつもの「艶吉」で懇親会。今日は受験生も大勢参加してくれて、にぎやかだった。さらに〆をインドカレーで。これも何だかおかしな癖みたいになってきた。
再びホテルまで歩いて帰ったが、寒い寒い。動画処理をしながらフロに入って暖まり、さあ処理は終わったかなと思ったらサイズがかなり大きいせいか、延々と処理中。待ちくたびれて寝てしまった。^^;

2018年3月9日金曜日

合格発表なんやかや

今日は技術士第二次試験の最終合否発表である。朝から嬉しいメールがどっさり。
しかし中には残念無念のメールも。こいつにだけは合格してほしい!と思っていた人が涙を呑んだり。毎年のことだが悲喜こもごも。
特に知り合いだったり、模擬面接をしたりした人は、知っているだけに合否が我が子とのように思えてしまう。模擬面接しただけでもその人の背負っているものが見えたりするからねえ。

そんな中、今日は松山へ移動である。どんどん届くメールに返信しながら高速バスで伊丹空港へ。カードラウンジで2時間以上ねばってから松山行きの便に搭乗。

いつものように日本列島池を見下ろしつつ、しかし今日は北へは向かわず西へ。

大阪は雨模様だったので、しばらく上昇すると眼下は一面の雲になった。

西進するにつれ高気圧に近づくので天気はよくなり、松山に着くころにはごらんの通り。

松山はよく晴れていた。いつものニューグランドホテルにチェックインし、とにもかくにもメール処理・明日の講義の準備・添削などを滅多斬りという状態でこなす。

ずっとPC画面を見続けて目もたいがいかすんできたので、一休みをかねて近くの居酒屋へ。ちょっと今日は贅沢をしてフグの白子をいただく。
9時からマンツーマン講座の募集再開。
今年は予想をはるかに超える勢いで応募があったため、このままだと2月前半くらいで締め切らざるを得ないと判断し、1月中にいったん募集中断していたものだ。
定員30名で募集再開したのだが、20分ほどでもういっぱいになって募集終了。申し訳ないとは思うのだが、私のキャパシティにも限界があるので、心を鬼にして終了。

いやあ、今日は疲れた。

2018年3月8日木曜日

地震の話

2日続きで夜の会議。あ、昨日は会議じゃなく研修会だな。
災害ボランティア協議会の研修会で、お隣の滋賀県高島市の「たかしま災害支援ボランティアネットワーク なまず」さんが講師。実に面白く、また勉強にもなった。

新聞紙で作るスリッパ。面白い。
高島市と小浜市・若狭地方は地震という点でつながっている。
高島市の旧朽木村というところを朽木街道という京都市に抜ける道がある。南南西方向にまっすぐ伸びる谷を通っているのだが、この谷は花折断層という活断層の谷(断層谷)である。京都市内を南下し、京大のあたりに至る。
そしてこの花折断層の北端は、小浜市から熊川を通り、近江今津に抜けるルート(つまり国道27号から303号を通って161号に抜けるルート)を通る熊川断層に行き当たって終わる。つまりT字になっているわけですね。Tの縦棒が花折断層、横棒が熊川断層。そして実は花折断層は熊川断層に行き当たっていったん「合流」して西進し、若狭町新道のあたりで再び分岐して北に延び、若狭町倉見からまっすぐ国道27号のちょっと東を北進して三方五湖の東を通り、おそらく美浜町グラウンドのあたりを通って海に出る。この部分が三方断層である。ちなみにこの花折断層→熊川断層→三方断層のセットを「花折・三方断層帯」という。

そして寛文2年5月1日、この花折・三方断層帯が動いた。寛文近江・若狭地震である。
三方・小浜から京都に至る断層帯上で震度6程度の揺れで、京都市内でも大きな被害が出たが、朽木では大規模崩壊で500人以上が死亡し(村が埋まったという話もある)、三方断層の活動により三方五湖が南西に傾き、それまで東側から排水していた三方・水月・菅湖が排水できなくなって水位上昇、これを排水するために浦見運河が開削された。
小浜市に残る最大の地震災害である。言い換えると、小浜市は「何百年に1回、震度6位に遭遇する可能性がある」という、地震が少ない地域なのだけどね。

ちなみに図を見ればわかるように、熊川断層は熊川あたりから国道27号沿いに北西に延び、小浜市街地の地下から小浜湾に出ているのだが、どうもこれが大飯原発直近の断層群につながって、そのまま若狭湾のほうに伸びているようだ。断層が動いて地震を起こすときのマグニチュードの大きさは断層の長さに比例するから、これが全部つながっていたらそこそこ大きい揺れになりそうだ。
小浜市街は、特に旧小浜地区が建築基準法改定以前の筋交いのない古い木造住宅が密集する典型的な木造家屋密集地なので、大きな揺れが来ると怖い。ちなみに西津~雲浜~小浜の市街地は比較的緩い砂層の上に立地しているので、液状化も起こる。我が家もだけど。
いやあぁぁ。

2018年3月7日水曜日

巣立ちの季節

3月は巣立ちの季節である。ノマドしようとココスに行くと、大人と子供の境界あたりの、女性と女の子の境界あたりの子が次々と入ってくる。なんだこりゃと思ってすぐに「ああ、高校を卒業したての子どもたちだ」と気がついた。
小浜市は高校を卒業すると半分以上が外に出る。そしてそのうち帰ってくるのは2割にも満たないらしい。我が子2人はまさにその口であるが、帰ってこようにも働き口がないので仕方がない。かくして小浜市の人口は日本の人口と同様に徐々に減っていくのであるが、まあそれも仕方がないといえば仕方がない。私も含めていろんな人がその流れにあらがおうとしているのだが、なかなかに難しい。

とまれ、3月にはいろいろな別れもあるし、ステップアップもある。
知床世界遺産さんの次男のケイ君も卒業した。2009年に初めて出会った、絵に描いたような次男坊キャラのケイ君も、当時親元を離れたばかりできっと寂しさを胸に秘めていたであろう長男のカズ君も、娘と一緒に滑り台を滑っていたサエちゃんも、みんな成長する。
我が家に至っては、子供2人とも結婚して新しい家庭を持ち、父は鬼籍に入った。
そんな変化の中で、オレは変わらずにいいんだろうかと不安を抱きつつ、まもなく今年のセミナーツアーが始まる。

2018年3月6日火曜日

突然の終わり

意味深なタイトルだが、実は昨日の続きである。
ダウンロードした過去ログをひたすら整理していくしかないのか…と思いつつ、ダメ元で1日復活した旧掲示板のデータ移行サービスに申し込んでおいたら、「データ移行しましたよ」というメールがぽんと来た。
つまり、もう消えることのない(まあ相手の会社のあることだから永久ではないが)新しい掲示板に、データがまるごと引っ越したのである。
なーんだ、だったら慌てて新掲示板に移行したりせず、単なる引っ越しにすればよかったと思わなくもないが、もう過去ログ整理がいらなくなった喜びのほうが大きい。
とにかく一件落着である。データ移行先の掲示板は閲覧専用として過去ログ参照用にして、新掲示板と並列させた。

同時に技術士のほうの掲示板は、こっそり引っ越した。
URLは変わったのだが、旧掲示板(旧URL)には自動で新掲示板に飛ぶようにタグを貼り付けたので、気づかずに新掲示板に入るようになっている。
まあ月末には旧掲示板が消滅するから、そこで慌てる人も出てくるだろうけど。

いやあ、まったく今回は焦った。ネットの世界はまったく恐ろしいもので、こんなものはまだ生やさしい。
ウィルスは当然としても、ある日突然Googleアカウントが停止されてしまったとか、これまで自分が作って、また依存もしてきたシステムが突然消滅するのだから、これはもう大変なことである。
ユーチューバーがユーチューブのアカウントを停止されてしまったらもう生活の糧がある日突然なくなったみたいなことになるものね。

私も以前、まじで焦ったことがある。クラウド上のドライブの消滅である。当時はまだクラウドという言葉が一般的ではなかったころだが、「Zumo drive」というのがあった。ローカルにファイルを置かずにオンライン上だけで使えるものは当時はこれくらいしかなかったので、これに全部入れていたら、突然「もうすぐ終了します」と言われて、あわてて全部ダウンロードしてDropBoxに移したものだった。
今はさらに引っ越ししてOneDriveに移しているのだが、クラウドやネットはやはり大手に限ると今は思っている。「なくならないこと」が最重要だからね。
今、無くなられると一番痛いのはEvernoteかな。マイクロソフトのOneNoteとかあるけれど、いま私がEvernoteでやっていることと同じようなことはたぶんできないからなあ。

クラウドにせよネットにせよ、とにかく便利で移動を身軽にしてくれる。
私は今、1ヶ月のツアーでも小ぶりのワンショルダーひとつで旅しているが、これなどネットやクラウドを使いまくっているからこそ可能になっているのだ。(ひたすら洗濯事情を優先してホテルを選んでいるのもあるが^^;)
しかしそのシステムが崩れたときは怖い。
今回の騒動で、そのことを再認識した。

2018年3月5日月曜日

終わりなき過去ログ

打ち切りを見逃していて消えてしまったRCCM掲示板だが、何とか1日だけ復活させてもらって全ログをダウンロードできた。
できたのはいいのだが、それを過去ログとして閲覧できるようにしなければならない。せっかくだからインデックスをつけてトピックごとに閲覧できるようにしようと思ったのだが、これが大変な手間である。
一番古いログは2006年だった。ひえええ。10年以上前じゃないか。
トピック数は782あるという。うーむ、多すぎて実感がわかない。
これを過去ログに整理するって、いったいいつ終わるんだろう。ToT

今日も気温が高く、20度近くまで上がったようだ。
ちょうど1か月前、マイナス20度の旭川とマイナス10度の札幌にいたのがウソのようだ。ちょうどその時、福井は大雪に埋もれていたのだ。
あと1か月もすると桜が咲く。
まったく日本という国は季節の変化がめまぐるしい。
それでも冬用のもこもこパジャマをもうしまおうかと思っていた矢先、明日からはまた冬に逆戻りしたかのような寒さになりそうだという予報。うーむ、またダウンを引っ張り出さねば。

2018年3月4日日曜日

レッツノートの遍歴

あれは10年以上前のこと、あるダムの環境アセスの仕事でつくばに行った。同業者はおわかりであろうが、国総研でアセス内容の指導を受けるためである。それはそれで苦労して、お百度踏んで、確かあのころつくばに住んでたともともさんと飲んだりしたものだが、その話ではない。
小浜から敦賀・米原と乗り換えてようやく東京に着き、秋葉原まで山手線に乗って、そこから「ツクエク」なるものに乗ってつくばに行く。これがまためっぽう速い。車内表示も電光掲示板ではなく液晶画面で、なにやら近未来なニオイすらした電車であった。
その中でよく目にしたのがレッツノートである。なにやらいろんな人が銀色の、見るからに質実剛健な小さなノートパソコンを開いてぱちぱちやっている。私はといえばノートパソコンなど持っておらず、ただただ「いいなあ、アレ」と指をくわえていた。
そのせいだろうか、とにかくレッツノートがほしくなって、ヤフオクで探して探してようやく小遣いはたいて買ったのがR2、つまり2代目のレッツノートであったように思う。ちなみにこれはその後、縁あって母の実家に下宿した大学生にあげた。

それから1年か2年のうちにさらなる上位機種がほしくなった。なぜかというと、R2は見た目がレッツノートっぽくなかったからである。デザインの細々は省略するが、ツクエクで指をくわえながら見ていたレッツノートはもっと銀色と白色だけだった。

で、買った2台目のレッツノートがR4である。2つほど進化したわけだ。
やがて私の活動は広がり、個人事業であるAPEC-semiを開始するにあたって、「仕事で使うんだから、しっかりしたスペックのパソコンを買うべきだ」と悪魔が耳元でささやくようになり、意志薄弱な私はふらふらとさらなる高スペックのレッツノートに誘われていった。

3台目はR8である。「ジェットブラック」という、何がジェットなのかよくわからないが、黒色が好きな私はあっという間に買ってしまっていた。
ああ、思えば長期のセミナーツアーを始めた2009年、私はこの黒いレッツノートを携え、北は知床から南は沖縄まで飛び回り、出会いを重ねたのだった。
右がR4、左がR8。いずれもまだ我が家にあり、
オフライン計算処理など、ごくたまに出番がある。

その後、レッツノートはなんだかよくわからない「J」というシリーズになった。なにやら革ジャケットを身にまとい、弁当箱のような分厚い体裁になったのである。
私は怪しみ、初代のJ9には手を出さなかったのであるが、あろうことか東日本大震災を受けて最初に実施した仙台でのボランティアセミナーで、駆けつけてくれたクレヨンさんと知床さんがJ9を持っているではないか。こいつらホモ達かと疑ったものの、「いいなー、あれ」と再び思った私なのでありました。
ということで、4台目はJ10を買った。J9より新しいぞと密かに自慢した私であったが、これは何せ分厚い。それに革ジャケットの意味がよくわからん。
そのあたりが不評だったのか、Jシリーズは2代で終わりを告げた。
J10。最初はジャケットをつけて使っていたのだが、
どうにも分厚すぎるので後半はジャケットを外していた。
今は息子が持っている。使っているのかどうかは知らない。

次に出たのがAXなるウルトラブックで、その薄さに「おおっ」と思ったのだが、画面サイズが11インチになっていて、小さいのが好きな私はぐぐっと思いとどまった。
この機種はベッコ王子さんが持っていて、口頭試験セミナーツアーに同行されたときにチラチラと見ていたのであるが、やっぱり今ひとつ食指が動かなかった。

そんな中登場したのがRXである。やはりレッツノートは10インチを欠いてはいけないということだったのだろう。AXシリーズは2代で打ち切りとなり、10インチのRZシリーズに引き継がれた。RZ4(なぜ4なのかはよくわからんが)の登場である。
買いましたね。もう即買いました。メモリが16GBほしいのにマックス8GBだということと、好きなブラックじゃなくシルバーしかないというのは実に惜しかったのだけれど、それでも「薄い10インチのレッツノート」はなんとしてもほしく、買っちゃいました。これで5台目である。
RZ4。J10よりも画面がタテに大きいが、なんといっても
薄いので、楽にバッグに入る。ウルトラブックである。
今は娘が持っていて、持ち歩いているようである。

けっこう気に入って使っていたので、RZ5が登場したときも、待望のジェットブラック、それもメモリ16GBというスペックであったにもかかわらず、思いとどまった。
それが一昨年だったか、何かの不具合が起こったことで気持ちが一気に動き、今使っているRZ6を買った。これまでで一番高価なパソコンだったが、「仕事で使うんだから、しっかりしたスペックのパソコンを買うべきだ」という悪魔のささやきはもはや私自身の言葉ともなり、とうとうジェットブラックのウルトラノートを手にしたのである。
現行のRZ6。サイズはRZ4と同じだがかなりパワーアップしている。
8.9インチのWindowsタブレットをセカンドモニタ代わりに使っている。

その後、なぜかパナソニックもRZ6以降のパソコンを出さず、ゆえにさらなる新機種を買う理由もないまま時を経て、たまたまというかアホな理由によりバイオを買って今に至る。
最新のバイオ君。伊丹空港のカードラウンジにて今まさに
セットアップ中。ビジネスに特化した非常に強力なマシン。

こいつがまたかなりのやり手で、キーボードのフカフカと静かなこと、指紋認証、そして何よりパワーとバランスが素晴らしい。かつてあれほど忌避した11インチであるが、老眼進んだかすみ目男にはむしろありがたい。というか、RZ4からRZ6に買い換えたときの最大の不満は、「字が細かい」ことであった。そこで表示ドット数を減らしても、もともとの画素数が多いものだから自が細くて見にくいのである。ちょっと目が疲れてくるともう読めない。そこでフォントを替えたりして工夫していたのだが、バイオ君はそういう余計な工夫は必要なく、骨太なフォントをくっきりと見せてくれる。
ということで、レッツノート命だった私は今、ひそかにバイオ君に浮気しそうになっているのである。

2018年3月3日土曜日

それでも春は来る

朝、昨夜の酒がまだちょっと残っているか?と思いつつのそのそと起きて、煙くさい服を一式洗濯機に放り込み、朝風呂にゆっくり入ってさっぱりし、朝飯を食ったらけっこうしゃんとした。
11時前に福井へ向けて出発。一週間前から母が福井市の妹のところに行っていたのだが、今日迎えに行くのである。
舞鶴若狭道から北陸道へと快適に車を走らせ、正午過ぎ、福井ICを降りて福井市内に入った。

初春のけだるい道路風景に見えるけれど、道路脇には薄汚れた雪のカタマリが続き、56豪雪以来の豪雪の痕跡が残っている。つぶれたビニールハウスもあった。

妹の家は福井市街地の真ん中にあるのだが、この雪である。これでもずいぶん融けたのだそうで、一時は屋根とつながっていたのだそうだ。あなおそろしや。
母はこの一週間、孫やひ孫たちと楽しく過ごしたようだ。

小浜に戻り、母が片付けものをしている間に用事を済ませに市内へ出て、帰り道にふと見ると夕焼けだった。小浜中学校近くの浜に行ってしばらく海を眺めていた。この場所からみるとちょうど内外海半島と大島半島が重なって小浜湾の入り口が隠れ、まるで湖のように見える。穏やかな海だ。

視線を移すと久須夜ヶ岳。雪はもうすっかりなくなったようにも見える。
今年は雪が積もったのが1回か2回だけで、楽な冬だった。上根来では雪室作りには十分な雪で、自宅では雪除けを数日しかしなくてすんだという、ありがたい冬だった。
福井の人は大変な苦労だったと思うが、小浜も去年はそうだった。まあこればかりは人知の及ばざるところだ。
ともあれ、お水送りが終わると春が来ると言われるが、振り返ってみると今年はお水送りよりずっと前に春が来ていたんだなあと思う。

2018年3月2日金曜日

よく晴れたお水送り

RCCM合格おめでとう!などと暢気なことを言っていたら、その掲示板が突然シャットダウンした。有料掲示板の期限切れを忘れていたのだ。やれやれ追加入金か…と思ってみると、なんと旧様式の掲示板は3月末で閉鎖、追加入金は最低3ヶ月分ということで、入金もできない。つまり掲示板の中身が吹っ飛んでしまったということだ。なんてことだ。
慌てて新規掲示板を立ち上げたものの、盛り上がっている真っ最中に掲示板が消滅という事態、また書き込んでくれるようになるか…ToT

それはそれとして、今日は「お水送り」である。奈良・東大寺の二月堂で行われる「お水取り」とセットになっている伝統行事で、752年に東大寺二月堂が建立された際、全国の神々が招かれた「修二会(しゅにえ)」に、若狭の遠敷明神だけが漁に夢中になって遅刻し、おわびに清水を送ると約束したとの故事にちなむ。
下根来での山八神事に始まり、神宮司での一連の神事のあと、たいまつ行列で鵜の瀬に向かい、お香水を流す。
今年はふくい技術士の会の皆さんと参加し、本堂前に上がらせていただいて、はるか昔から続く神事を堪能させていただいた。

5時半ごろ、神宮司境内。まだ明るく、ちらほら人が集まり始めた。この寺は714年創建の古刹で、遠敷彦姫神社を迎え、神仏混淆の寺として栄えた。今も本堂にはご本尊とご神体があって、山門や本堂にはしめ縄が飾られる。

大護摩にお松明から点火されで燃え上がる。それを修験者が取り囲み般若心経を唱える。夜の闇の中に燃え上がる炎、響く般若心経、肌を刺す冷気、他では味わえない非日常の最たる光景である。

松明を大護摩に点火するところから、煙が上がり始め、やがて炎が立ち上るまでをところどころカットしてつないだダイジェスト動画です。

やがて大護摩から大松明・中松明・手松明へと点火して、1.8km先の鵜の瀬まで松明行列が続く。これがまた圧巻である。特に今年は滅多にない良い天気で、さらに行列の先に満月に近い月が山の上に出て、カメラ愛好家にはたまらないシチュエーションだったようだ。

終了後、「秀」で冷えた体を熱燗で温めた。最初からがんがん日本酒を飲んでいたので、かなり酔ってしまい、帰宅後は風呂にも入らず寝てしまった。

2018年3月1日木曜日

Congratulations!

今日はRCCMの合格発表だった。
毎年建コン協会HPが重たくなってなかなか合否結果を知ることができずイライラする人が多いのだが、今年もそうだったようで、9時過ぎからパラパラと合格報告メールをいただくようになった。

皆さん、おめでとうございます。

思えばRCCMの合格発表の時は時刻が時刻なので全部会社で建コンHPを見て合格を知ったのだが、技術士の筆記発表は外で合否を知ることがけっこうあった。
一度など、よりにもよってRCCMの登録更新講習会の場で知ったときがあった。まだガラケーの時代で、iモードで技術士会HPにアクセスしたように思う。
3月の最終発表の朝にちょうど出張のため電車に乗っている最中で、山あいを通るためネットにつながらずにイライラしていたら、官報を見たらしいくりろうさんが「おめでとー」と電話してきてずっこけたこともあった。
もちろん不合格を知って脱力気味にその日を過ごした思い出もある。
ともかく悲喜こもごもである。

ちょうど新年度試験対策に向けて私も、SUKIYAKI塾のみんなも動き出している。
今年はついにSUKIYAKI塾博多が立ち上がる。10番目のSUKIYAKI塾で、これで空白地区がなくなるわけだが、最初は人数も少なく勝手もわからないから五里霧中、暗中模索である。とにかくサポートしていこうと思う。
受験生に対しても、SUKIYAKI塾の仲間に対しても、
「あなたが喜んでくれて、私はうれしい」
というボランティアの基本の気持ちを忘れずに。

2018年2月28日水曜日

シンクロする山

小浜湾ではちょっと面白い光景が見られる。

小浜湾に面したホテルの4階から撮った写真。右手に内外海半島がみえるのだが、手前の小半島と奥の内外海半島本体が重なっている。その稜線の形がすごく似ていると思いませんか?
初めて気づいたのは高校生の時だが、「ああ自分は乱視だからこんなふうに二重に見えるんだな」と思っていたら、本当に似たようなシルエットが2つ重なっていることを知って、なんでこんなに似てるんだ?とすっごくフシギに思ったものだった。

今日はこの光景が見えるホテルの部屋で、理事を務めるNPOの職員面接があって、そのあと会食をした。毎日外食して飲んでいる。^^;
そんな中、昨日からのバタバタが一段落し、とにかく一歩踏み出せそうな感じになってきた。皆さんに心からのお礼を。マイナスじゃなく、プラスの力を結集していきましょう。

2018年2月27日火曜日

怒哀より喜楽を

今日は落ち込んだり喜んだりのアップダウンの激しい1日だった。
人間は喜怒哀楽の存在だから、怒ったり悲しんだりすると生産力は落ちてしまう。というか品質がだだ下がりになる。だからできるだけ互いが互いを気遣って、少々の失敗にも寛容でいて、みんなの喜楽の総和を上げていくことが世の中の生産力アップにつながると思うし、それは便利な機械があるとかいうものを凌駕するとも思うのだけれど、やはりなかなか難しいものだね。
ひとつだけ言えることは、我より人。商売だって、まずはお客さんに喜んでもらえなければ自分には決して帰ってこない。他人をだまして儲けるようなことをするときっと罰が当たる。自分が喜んでほしいと思う人は誰なのか。まずはその人のために。自分のメンツとかプライドとかはその次に。
…と、自分に言い聞かせてみても唇が寒くなるばかりだったりするのだが。^^;

2018年2月26日月曜日

春近し

昨日はちょっと飲み過ぎたかなあと思いつつ、バスに乗って内外海公民館まで車を取りに行った。

暖かさすら感じるいい天気の中、甲ヶ崎の海はとろりと凪いでいた。といっても若狭湾の奥の小浜湾のさらに奥の甲ヶ崎の内湾はいつも静かなのだけれど。だからカキの養殖が盛んなのだけれど。

公民館側の山は日陰になるせいか、雪がかなり残っていた。それでも山にはもう雪は見当たらない。そうそう、この風景のように常緑樹が多いので、真冬でも山の稜線が露わになることはない山が多いのです。

大きなイベントも終わったし、雪室作りも(全然参加せずToT)終わったし、次のセミナー旅は3月10日の松山セミナーだから、しばらく落ち着いて生活できそうだ。
なーんてね。そのほうがかえってちょこまか動き回ることになるんだろうけどね。

2018年2月25日日曜日

カキまつり2018

今日はカキまつり。どんよりと曇ってはいるが、雨は降らなさそうである。
開場とともにカキを買った人が焼き場にどんどんやってきて、あっという間に3台のコンロと3台のテーブルは埋まってしまった。

こんな感じですね。ボウル1つにカキが4つか5つ入っています。

焼き上がり。焼きガキと違って身が縮むこともなくプリプリで美味い。味付けは不要。海のミルクという言葉を実感できる。

買ってきた半缶のまま、中に酒をぶちこんで炭火の上に置いて蒸し焼きにするのもまた美味い。

今年も大勢の人が来てくれたのだが、屋外にカキの売り場と焼き場があるものだから、屋内のフードコートはやや人が少なめ。それでもカキとメニューかぶりしているもの以外は完売だったそうだ。
2時終了、一気に片付けて4時から打ち上げ。去年もそうだったが、少々飲み過ぎ。^^;

そんな一方で、上根来は雪室作業が終了したとの連絡をいただいた。今年は一度も作業に行けなかった。本当に申し訳ない。

2018年2月24日土曜日

カキまつり準備

カキまつりの準備でバタバタと過ごした。試行錯誤を重ねたカキ焼き場は、大ぶりのBBQコンロ(Amazon調達)の上に、よしまさに作ってもらった6mm鉄板、その上にカキを置いて酒をぶっかけ、直径20cm程度のボウルに鍋のつまみをつけたものをかぶせて蒸し焼きにすることにした。
鉄板は最初によく焼いて皮膜を落とさないといけないが、これがなかなかに大変な作業。
ひととおり落ちたので蒸し焼き試作。大変うまくいった。
嬉しくなってきたのでボウルのフタをどんどん作る。買ってきた鍋つまみがなくなったので、アブラギリの細い幹を輪切りにしたのをつまみ代わりにつけた。
これで明日は一安心かな?
3時過ぎ、ひとまず帰宅して遅い昼食をかきこんで買い物へ。あれこれ買い出さないといけないのですよ。
いやー、疲れたけど、明日うまくいくといいな。

2018年2月23日金曜日

雪室貯蔵開始

久々に上根来へ。年末30日にいって以来だから、2ヶ月近くのご無沙汰だ。

あれっと思うくらい雪がない。去年は雪に押しつぶされていたしがら組みが元気いっぱいである。

もう1ブロック上のしがら組みは雪がかなり被っていたが、これにしても去年とは比べものにならない。

ゲストハウスは軒まで雪が届いているが、屋根には雪がない。一気に融けたんだなあ。

畜産団地跡も屋根雪がなくなっている。うーむ、今年はやっぱり少雪だ。

雪室はまだ構築半ばで、かなり融けたらしい。週末に追加作業をするが、今年は春も暖かいらしいので、ちょっと短い間しか持たないかもしれないな。

そんな中、今日はとば屋酢店の酢を40ケース、600本貯蔵。もう実績4年。今年で5年目だが、これから3ヶ月ほど、雪室でじっくり貯蔵すると、かなりまろやかになる。

雪はこれだけあるので、とりあえず週末は雪山はしっかり作れると思う。
しかし今年はセミナーとカキまつりで3階の作業全部出られずに終わってしまう。本当に申し訳ない。