秋も深まり、空気も澄んで天気がいいと外へ行かないともったいないと思うような季節である。
もう涼しいのを通り越して寒くなってきつつあるが、上根来は一段と秋が深い。
畜産団地から宗山を望む。草原はススキも枯れて黄色い世界になってきた。
アブラギリ収集ネットには実がどさりとたまっている。来月高校生と集めるのが楽しみだ。
少し周りに落ちている実を集めていると、もう芽が出ている実がある。台風のころに落ちたものだろうか。去年生えたと思われる高さ30cmあるかなきかのアブラギリもあった。まだ草としかいいようがない背丈だけれど、それでも一丁前に葉をつけている。たくましいなあ。
10月は鹿の発情期に入るらしく、とにかくあちかこちらからひときわ高く声が響いてくる。
こういう中で黙々と実を拾い、1時間ほどで米袋がいっぱいになった。まあ汗をかくくらいかなり馬力を出して働いたのだが、マイペースで動いたとしても、一日黙々と作業すれば大した量になるだろう。それを集落総出で一週間もやったらものすごい量が集まるのだろう。かつては米と同じくらいの生産高であったという記録が残っているけれど、さもありなんという感じだ。
アブラギリの実のようなものは典型的な低密度分散型資源だ。そんな言葉があるのかどうかは知らないが、とにかく「集める」ことに手間がかかる。手間がかかるということはコストがかかるから、なかなか商売としてはむずかしい。木の実とかきのこなども同じだ。ハウスみたいなところでまとめて作るから採算が取れるのだろう。山の幸は植林と同じで、それを採り集めることにコストがかかりすぎるのだ。
原価がいくらかかったからいくらで売るということではなく、いろんな山の資源で売れる値段で売って稼いだ金と、米そのほか取れた食べ物、その「見入り」の額・量に生活のほうをあわせて集落住民が暮らしていくという経済システムだったから、低密度分散型資源が相手でも成り立っていたんだという見方もあるだろうけれどね。
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