2020年4月10日金曜日

タバコと手紙と汽車とマッチ

ここのところ天気がいいので、毎日徘徊しており、非常に体調がいい。

できるだけ人気のない土手なんかを選んで歩いている。コロナが怖いから?いや、小浜のまちの中を歩いていたって、「密」なんかどこにもないからそうではない。口述添削をしているので、近くに人が居ると驚かれるからだ。東京だと周りに人がいても平気でしゃべりまくるのだが、小浜ではそうはいかない。
そういえば、夏場に沖縄で買ったかりゆしを着て歩いていると、東京ではぜんぜん目立たないけれど小浜では視線が痛いほどで、何人かは明らかに距離を置こうと遠ざかる。

で、まあ人がいない道なので、音楽を聴きながら口述添削をしつつ歩いて、スマホ画面を見るのに飽きたら風景を眺めつつ、時にはちょっとハミングなどしつつ歩いたりする。
今日は(今日も)昼間はチューリップを聴きながら歩いていたのだが、70年代の歌の歌詞というものに感動した。


「恋人への手紙」という歌なのだが、タバコて。手紙て。汽車て。マッチて。
もう道具立てが歴史の彼方なのである。
70年代のそれも前半だから、ネットはおろかパソコンもない。それどころか電卓すら珍しい。私は60年生まれなので、70年代はまさに青春てやつだ。40~50年前にいったいどんな暮らしがあったのかと考えると、電話がダイヤル黒電話以外のものを見るようになりつつも電話のない家というものもあった。テレビも白黒が普通にあったし、確かにタバコもマッチも生活の中に普通にあった。高校生の頃、片手だけでマッチ箱からマッチを取り出して火を付けてタバコに点ける練習を一生懸命していた。
そんなはるかな時代だったけれど、音楽は今でも古くなっていないのは驚きだ。ギターの弦の数が増えたりはしていないし、弾き方だってそんなに変わってはいない。いや、クラシックなんて何百年も前から変わっていない楽器で何百年も前の曲を演奏しているのだ。
だけどたとえば土木設計の仕事の仕方は激変した。0.3mmのシャーペンの先っぽをとんがらして図面を書くなどもう誰もしていないだろうし、プラニメーターも雲形定規も字消し板も青焼き機もきっともう使っている人などいないだろう。
この、どんどん変わっていくものと、びくともせずに変わらないものの違いは何なのだろう。
そして、ずっと変わらないものとどんどん変わっていくものの間で、べつだんオロオロするわけでもなく日々順応しつつ生きている、この人間というしぶとい生き物は何なのだろうねまったく。

2 件のコメント:

  1. まさにダーウィンの『最も強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き延びるのでもない。唯一生き残ることが出来るのは、変化できる者である。』ということですかね。
    ものすごい変化がある1か月です・・・。

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  2. 本当にそうですね。
    この災厄のあとに「また元の暮らしが戻ってくる」と思うのか、「新しい暮らしが始まる」と思うのか、そのあたりで今の行動ひとつひとつが変わってくるように思います。

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