2026年8月20日木曜日

地質屋と環境屋の珍道中

今日は一日喜界島で過ごすのだが、午前中はガイドツアーを申し込んだ。奄美大島でガイドツアーの良さを痛感したので、以後はずっとガイドツアーを申し込んでいる。
ただ今回は環境屋さんがいるので、ディープな環境ツアーもやりたかろうと思って、午前中だけをガイドツアーにした。

まずは喜界島では数少ないビーチ(スギラビーチ)へ。ここでまず感じた違和感は、ビーチを取り囲むリーフが妙に「高い」ことであった。どこのビーチでも、周りのリーフは満潮時には海面下になるのではないかというくらいに低いのだが、ここでは妙に高い。
ガイドさんの説明を受けて理解したのだが、これこそが喜界島がジオパーク認定された隆起なのだ。実に面白い。でも環境屋さんはすんとしていた。

続いて巨大ガジュマルへ。大きさだけならもっと大きなものはあちこちにあるが、これは形が良くて、どちらかの方向に偏って伸びているということがなくてブロッコリーみたいに均等な形をしているのだ。環境屋、テンション上がる。

そして地下ダムへ。なんとここでは地下ダムのグラウトの真横まで降りていけるのだ。バルブを回すと水が出てくるところさえあった。見学目的だけで伊達や酔狂でこんなもの作らないから、管理用?とも思うのだが、ちょっとそこは謎だった。
ということで、地質屋(私のことだが)はテンション上がるのだが、環境屋はすんとしていた。

オオゴマダラ。環境屋、ここで一気にテンション上がる。地質屋、すんとする。

サンゴの石垣。テーブルサンゴなどを主に使うと平積みしてせん断面が通ってしまったりするのだが、ここは間知積みであることに感心した。ここで環境屋は再びすんとなる。

ガイドさんお勧めのポイントへ。喜界島は全体が海岸段丘なのだが、足元が高位、向こうに見える台地が中位、海岸近くの平地が低位段丘みたいな関係になっている。(地形的に。時代的には違う)

振り返れば、「高位段丘」は水が供給されなかったりして(ここにかんがいできる水圧を持ったファームポンドが作れない)、そのため畑ではなく牧草地になっているのだが、その向こうには最高地点(約200m)がある。
なるほどな。年間2mm×10万年=20万mm=200mということで、「年間2mm隆起」というのは平均値なのだな。隆起が活発になる時期(段丘面ができる時期)とそうでない時期(波蝕により段丘崖ができる時期)が3回ほど繰り返されてきて段々地形になったというわけだ。
それはおそらくプレート沈み込み箇所で琉球弧側が引きずり込まれることによる歪が溜まりに溜まってググッと戻る、いわゆるプレート地震の頻発時期(活動期)に急速に隆起したのだろう。
島の東シナ海側は段々地形だけれど、太平洋側は一番高いところから低いところまで一気に斜面で降りていて段々が形成されていないのも、そのあたりのメカニズムとセットで考えるといいのだろうな。
…などと知的興奮に酔いしれる地質屋のよこで、環境屋はいっそうすんとなっていた。

さらに島尻層群の大露頭。「喜界島は隆起サンゴ礁」「地下ダム」という言葉から、基盤岩はたとえ地上に出ているとしてもちょこっとしか出ていないのだろうなと思っていたら、なんなのだこの露頭は。そこで少しググってみたら、かなりの割合で基盤岩が地表面に分布しているではないか。これは面白いなあ。
地質屋、ますますコーフン。環境屋、もはやしゃべらなくなる。
ここで昼となったのでガイドツアーは終了。ありがとうございました。
ちょっと(実はけっこう)苦労して昼メシを食い、午後は3人でフリー行動。

まずは2頭しかいない喜界馬を見に行った。与那国馬のイメージがあったが、黒々とした美しい馬であった。与那国馬の赤毛もきれいだが、これもきれいだ。
何やら近くの畑にサギがいるとかいって、環境屋、やたらと元気になる。
その後も鍾乳洞やらハワイビーチやら行って、充実した一日を終えて帰宅。
また近くの居酒屋で美味いものを食ってホテルに戻り、部屋のみをして解散。

飲み物を買おうとホテルの老化を歩いていたら、非常ベルの下に何か見える。

やーるーであった。そういえば鳴いてたな。

2026年8月19日水曜日

K島へ

10時過ぎの飛行機で奄美大島へ。私は一体どこに行くのでしょう。

伊丹空港を離陸。いつもの日本列島池を目印に飛行機は大きく旋回する。

大阪湾に出る時、関西万博会場の大屋根リングの跡が見えた。きっと上から見ないとわからないような更地になっているのだろう。

1時間半のフライトの後、奄美大島の美しい珊瑚礁が眼下に広がる。
ここでトランジットしつつ、今回の旅の道連れとなるジャイアン&ゆんたの環境屋さんコンビと合流。私にはヨクワカラナイ生き物の話で盛り上がる2人を見て、今回の旅のイニシアチブを誰が取るのかを痛感して覚悟を決めた。

ここからはJACで行く。いつも思うのだけれど琉球エアーコミューターがRACで「ラック」と呼ぶのに、JACは「ジャック」じゃなく「ジェーエーシー」なんだよね。まあ日本トランスオーシャンがJTAで「ジェーティーエー」だからな。
…などと意味のないことを考えつつ、JACならではの後部から塔乗した。だから「一番奥」は座席番号1番なのだ。

目的地に到着。平屋の小さなターミナルは、喜界島空港である。
沖縄県の飛行機で行ける離島は大東島以外コンプリートしたので鹿児島県の旧琉球王国の島をコンプリートしようとして、奄美大島・徳之島・沖永良部島は宿泊を伴いしっかりと行ったので、残るは与論島と喜界島だけになって、与論島はトランジットだけれどとにかく行ったので、やはりここは喜界島だろうとやってきたのだ。ここはジオパークとして非常にユニークなところなのだけれど、同行者2人にはどうでもいいようだ。^o^;

とりあえずレンタカーを借りて、ちょっとミーハー的だけれど観光名所へ。

そして蝶ロードである林道へ。ここは本当に蝶が多いらしいのだが、この看板は脱力した。後で聞いたら町役場が真剣に立てたらしい、

島一番の高台に行って海を見渡す。

ここで横を向くとこの光景である。海岸に近い平地の後ろに1段高くなっているのは山地ではなく台地なのがお分かりいただけるだろうか。
ここ喜界島は、琉球海溝のすぐ西にある。琉球海溝にはフィリピン海プレートが沈み込んでおり、さらにこのプレートが奄美海台という海底の台地を載せたまま沈み込んでいる関係もあって、海溝の西側をぐいぐいと持ち上げていて、それが喜界島なのである。
そのため喜界島は世界でも珍しいほどの速度でどんどん隆起していて、その速度は平均して年間2mm、これが10万年続いた結果、2mm×10万年=20万mm=200mとなり、隆起珊瑚礁でありながら一番高いところが 200m あるという、同じ隆起珊瑚礁の宮古島の2倍の標高となっているのである。
そして私が非常に興味深いと思うのは、この隆起が一定速度で続いているのではなく、断続的に続いている結果、階段状の地形を作り上げている(つまり海岸段丘)ことである。そのため喜界島は4段の階段状地形からなっていて、それぞれの階段の下(つまり法尻)に基盤岩が露出していて、地質構成が非常に分かりやすいのである。
さらにこの基盤岩は島尻層群で、これは沖縄本島南部以南にしか分布していないはずの第三紀層である。沖縄本島北部のやんばるから沖永良部島、徳之島、奄美大島といった島々は基盤岩が白亜紀系~古第三紀系(まあつまり四万十層群相当)なのに、これを飛び越えて喜界島だけポツンと島尻層群があるのはすごく謎だ。まあ調べればわかるのだろうけれど、これは素直な驚きだった。
よく考えてみると、白亜紀系が基盤岩であるところは間氷期にも縄文海進期にも水没せず、そのためハブが生息して、大陸からやってきて取り残されたヤンバルクイナやアマミノクロウサギといった固有種が生息している一方で、新第三系(島尻層群)が基盤岩であるところは隆起珊瑚礁で、沖縄本島南部のように白亜紀系が基盤があるエリアと地続きであるところを除いてハブがおらず、その反面大陸と繋がっていないので地域固有種も乏しくなっている。
…などと、環境屋さん2人には何の興味もないだろうなと思う思いを胸にホテルにチェックイン。

今日の夕食は、おそらく島で一番のおすすめ店であろう天晴。席が空いていたのはラッキーであった。

刺身を頼むと夜光貝が出てきた。螺鈿の材料として京の都に「輸出」して財を築き、奄美群島の今で言う「県庁所在地」的な位置を占めていたと言われる喜界島の特産である。

ヤギの刺身。よくわからないがこれも喜界島ならではのものらしく、美味しかった。

喜界島ならではの〆は「油そうめん」。これってソーミンチャンプルーと違うの?
ともかく楽しい初日であった。

2026年8月18日火曜日

まずは大阪へ

久方ぶりのセミナー旅に出る。と言っても行き先は沖縄だけだ。
だけど(当然ながら)沖縄までセミナーだけのために行くなんて悲しすぎるから、いろんなお楽しみを入れて、1週間以上の旅になる。

先に断っておくが、麺類大好き人間としては、おそらく毎日のように麺類はとにかく入ってくると思われる。
で、初日は当然ながらこれである。新大阪駅の皇蘭。しかも半チャーハン付きの炭水化物攻撃。
今日はとにかく大阪に泊まる。明日の飛行機が午前中なので、小浜から当日行こうと思うと朝6時前の始発に乗るしかなくて、それはさすがに嫌なのだ。

2026年8月17日月曜日

カツ丼Love

今日も与左衛門の片付けと草刈りで汗をかいた。

ここはちょっと力をつけなければいけないと思って、やまと庵でカツ丼。小浜の中では間違いなくここが一番カツ丼がうまいと思う。とにかく私はカツ丼好きなのだ。

そしてそのことをよく知っていてくれるSUKIYAKI塾北海道のnaoさんからトンデモナイ写真が先週送られてきていた。上士幌町のカツ丼のお店の写真だ。いや~ん。こんなの見たら行きたくなっちゃうじゃないか。
SUKIYAKI塾の同志諸君。ぜひ美味いカツ丼情報をお寄せいただけないだろうか。

2026年8月16日日曜日

ダンドボロギク

家の中は静かになったが、やるべきことは山積しており、そういう意味では行き着く暇もない。

早速上根来に行き、どうにも気になっていたダンドボロギク密集地の仕上げに行った。
ダンドボロギクは刈払機で刈り取るよりも、茎を引っ張って根っこから引き抜いた方が間違いなく駆除効果がある。
30分ほど「一汗」ではすまないほど汗をかきながら引き抜いて、ようやく一段落。
去年から取り組んでいる駆除の経験から、いくら綿毛を飛ばすと言っても、そこは煙突からのNOx/SOxと同じで、排出源を中心に卓越風向方向に少し伸びた楕円形に最大着地濃度のコンターが広がるようにして若芽が発芽するのだということが分かった。
まあ平たく言えば、今生えているところの周りが次の年に密集地になっていくわけで、だから密集地を的確に伐採なり引き抜きなりすれば次の年はガクッと減るのだ。
綿毛を飛ばし始めるよりも前の時期、おそらく 4月か5月ぐらいに駆除すると非常に効果があるのではないかと思うのだけれど、悲しいかなその時期はセミナーツアーなんだよな^o^;


2026年8月15日土曜日

帰って嬉しい?

 午後、子どもたち家族が帰路につき、静寂が戻った。
「来て嬉しい、帰って嬉しい」って本当だよなと痛感。

夕方、女房と2人で仏様を送りに浜へ。これをして、帰宅して仏壇を片付けると、お盆が終わったなと気が抜ける。仏様が帰ってきたからではなく、子どもたちが帰ってきたからだ。
子どもたちや親戚一同が帰ってきて賑やかな日々を過ごすことがいつまでできるのかはわからないが、これはこれでシアワセなのだろうなと思う。

2026年8月14日金曜日

ちょっとお疲れ

上根来に片付けに行ったついでに、ちょっと涼しいので草刈り。

与左衛門の周りはひととおり刈ってあるので、防火水槽の隣のダンドボロギクが密生していている部分を刈ることにした。去年からダンドボロギクを親の敵のように刈っている。

なんとか終了。ちょうどバッテリー切れにもなって、私もバッテリー切れ状態なので下山。涼しいと思っていたがなんのなんの、汗だくフラフラである。

午後は子どもたちが孫たちを川遊びに連れて行ってくれたので、ちょっとだけヒルネ。
…と思ったら3時間近くぐっすり寝てしまっていた。ふらふらと起きたら、鈴もキャットタワーでまどろんでいた。

2026年8月13日木曜日

迎え日はぱーてー

今日からお盆だ。例年13日の迎え日に親戚一同が集合して昼食と夕食を賑やかに過ごすのだが、今日も18人が集合。

夕方、お迎えに浜へ。わが家から300mほどで西向きの浜に出るので、そこでお迎えする。
そのまま帰宅して正信偈を唱えて食事。

花火なんかもして、楽器部屋で演奏を楽しんだりもして、9時すぎにお開き。
とりあえずテーブル類を片付けて前期高齢者夫婦は力尽きたのでありました。

2026年8月12日水曜日

なかなか時間がない

昨夜は小浜公園の駐車場に車を置いてタクシーで帰宅したので、最近運動不足気味なのもあるので、小浜公園に歩いて車を取りに行った。

台風の影響でちょっと小雨がぱらつく朝、人魚浜海岸は誰もおらず。雲が厚く垂れ込めていた。
歩いてくる間に添削2件。添削時間の確保が精一杯で、お盆までにと思っていたRCCMの補足動画がぜんぜん撮れていない。うーむ。

2026年8月11日火曜日

賑やかな日々

義母の満中陰。娘を敦賀まで迎えに行き、女房の妹一家も来て、夕方から自宅でお念仏。その後割烹で精進落とし。

まあとにかく一日中賑やかだったのだが、ふとニャンズはどうしているだろうと二階に上がったら、鈴がいつもこの上で寝ている涼感マットの下に潜り込んでいた。すまんなあ。あとちょっと我慢してくれよ。

2026年8月10日月曜日

ほぼじいじ作

孫2人のためにじいじはちょっとがんばった。

数年ぶりのペットボトルギター。油性ペンで色を塗り、浜で拾ってきた貝殻を貼り付けた。
そんなこんなの合間をぬって添削やら上根来の対応やらで、けっこう忙しいのだ。

2026年8月9日日曜日

海に行く日

孫たちを海に連れて行った。中高生のころは本当にしょっちゅう海に行っていたものだが、おとなになり小浜に帰ってきてからはほとんど行かなくなった。それでも子どもが小さい頃は時々行っていたが、ここ20年ほどは全く行っていなかった。
するとどうだ、泳ぎを覚えて入るのだけれど、俺ってこんなに下手だったか?というくらいになっている。体が浮かないし進まない。
ギターやピアノも下手になっているし、まったくもって日々の鍛錬がないと何でもダメになるんだなあと痛感した。

帰宅してやれやれ疲れたと思っていたら、夕方に浜に貝殻を拾いに行くといって、またじいじは連れ出された。曇り空でずいぶん暑さもやわらいで、昔の夏の気温くらいになっている。
さすがに疲れて、夜はことんと寝ましたとさ。

2026年8月8日土曜日

一気に賑やかに

遅くにゆっくり起きて旅の後始末をして、孫と遊んで、夕方から息子一家が帰ってくるのを迎えに敦賀へ。

こどもの国で遊んだりして時間をつぶし、息子一家を迎えて帰宅。
我々夫婦と孫の3人だったところに息子一家4人が加わり、一気に賑やかになった。
さあ今日からお盆の送り日の15日までは、どうやって自分の時間を作るかが大変になってくるのだ。

2026年8月7日金曜日

グダグダで帰宅

早朝徘徊するほどでもない時間に目覚め、ホテル朝食を食べて身支度。

昨日と同じ風景が、今日は抜けるような青空。今日も暑いんだろうな。
ありがたいことにホテルまで迎えに来ていただき、午前中が一次試験、午後がRCCMの講義。
16時に終了してすぐに倉吉駅へ。16時20分すぎ出発の「スーパーはくと」に乗車。

例によって例のごとく、飲み物とつまみを買って乗車し、出発するまでのわずかな時間のうちにビールは飲み干してしまった。
つまみだけを頼りにハイボールを飲みつつ大阪まで。大阪駅構内でうどんとお稲荷さんの夕食を食って、もはやぐったりしつつサンダーバードに乗った。これでもう終着・敦賀まで寝ていればよい。そして敦賀で小浜線の終電に乗り換えたら、これでもう終着・小浜まで寝ていればよい。
小浜着23時前。ぐったりして帰宅した私でした。

2026年8月6日木曜日

松江から倉吉へ

松江でRCCMセミナー。セミナーは午後なので、ギリギリまでホテルでデスクワーク。

昼食は割子そば定食。出雲そばは私が日本で一番好きなそばだ。とにかくそばの香りがぷんぷんして、それがツユと具にマッチして、とにかく美味い。ちなみに二番目に好きなのは越前そばと出石そばが甲乙つけがたい。

少しでも松江を歩きたいと思って駅からくにびき大橋を渡り始めたところですでに後悔。暑すぎるだろう。
セミナーを終えて松江駅から「スーパーおき」で倉吉へ。

これまではパープルタウンのホテルに泊まっていたが、駅前にルートインができたことを知って、迷わずホテルを変更。とにかく洗濯事情が全ての私にとって、浴衣でホテルの中を歩けてランドリーがしっかりしていることがわかっているホテルが文句なしに優先なのである。
部屋はちょうど北向きで、JR線路の向こうに、海につながる北側の市街地エリアが広がる。ここって、早朝散歩で1~2回行ったっきりだよね。
夕食をどうしようか迷ったが、結局駅のコンビニで酒と弁当を買ってお得意の部屋飲み。せっかくの大浴場も行かずに部屋風呂。でもこれはこれで気持ちいいのですよ。

2026年8月5日水曜日

シアワセな一日

疲れていたのか、8時のアラームまでぐっすり眠こけていた。
今日はオフ日である。松江でのセミナーが明日で、高知セミナーとの間に1日空くのだが、そこでいったん帰宅するのは不可能で、かといって高知と松江の間のどこに行く理由もなかったので、我が第二の故郷・松江であちこち行ってみようと思い立ったのである。
で、レンタカーを借りた。思い出せば、松江で自分で車に乗ってどこかに行くって、いったいいつ以来だろうか。

ノープランで走り出し、結局真っ先に行ったのは須々海海岸であった。大学1年生で最初の野外活動の場所。クリノメータを使って作図した場所。私の(おそらく多くの同級生の)地質屋としての原点。やはりここは見とれてしまう。

大根島を経て「ベタ踏み坂」へ。正面から見ると急勾配だけれど、別にベタ踏みしなくても登れるんだけどね。

境港市の「水木しげるロード」。写真にはあまり写っていないが、平日の暑いさなかにしてはかなりの人手。いろいろと手本になる。

境水道大橋を渡り、七類へ。ここから何度も隠岐に渡った。ずいぶんときれいなターミナルができていたが、ここもまた思い出の地なので、しばし佇む。

帰り道、隠岐が見えた。写真を拡大してよ~~~く見ないとわからないだろうけど。
またしばし佇んでしまう。

そして島根大学へ。我が理学部棟。真夜中に好きなように出入りして、若気の至りを繰り返していた大学は、令和の世になりものすごく行儀の良い空間に生まれ変わっていて、昭和の前期高齢者はちょっと身の置きどころがなかった。

そんな前期高齢者が4人集まって食事会。思い出話に花が咲く。そう、昔のことはよく覚えているのだ。生きているうちにもう一度同窓会をやるだわねと盛り上がりつつも、いったい何人覚えていることやら。
ともあれ、今日はシアワセな一日だった。