2016年1月18日月曜日

いっそ欲張って

午後から所用で舞鶴へ。小浜線に乗って、添削しながらのんびりと。

どんより冬空だが晴れ間も覗き、時々冷たい雨が降るものの雪にはならない。本当に暖冬だなあ。
小浜もぜーんぜん雪がなく、気温もそんなに低くない。

今日、4月の予定がほぼ詰まった。1日に旅に出て、25日に帰宅予定である。今年も祭りの稽古にはぜんんぜん出られそうもない。
それどころか3月の予定も最初の土日を除いて週末はほぼ埋まった。雪室プロジェクト的にはかなり困った。
5月もGW明けを除いて週末は詰まっているし、6月も最終週以外は小浜にいないことが確定だ。
うーん…やっぱり人間、二足のわらじというか、あれもこれもは難しいんだなあ。
でもどうせならいっそ欲張っていきたい。

2016年1月17日日曜日

明治15歳

2日続けて上根来へ。いろんなことが絡み合いながら着実に進んでいるのですよ。

すっかり木の葉も落ちて冬の装いの上根来だが、雪がないことだけがいつもの冬と違っている。

ゲストハウスの軒下を見ると、正月に降ったらしい雪が溶け残っていた。例年なら4月の風景だ。

さて今日は、道路沿いにあるこのお宅をお借りして休憩所にできないかということで現地視察。太い木を使った立派なお宅で、ありがたいことに家主さんは快く了解いただいた。あとは予算さえ確保できれば。

下駄箱に「明治15歳」とあるが、これって明治15年という意味だよね。
囲炉裏もあるし、いい空間だ。メンテナンスの心配はあるものの、とにかく前に進もうという気持ちを百里会の皆さんが強く持ってくれているのが何より嬉しい。
午後、2時間以上ヒルネしてしまった。先週はいろいろ重なってあまり寝てなかったから溜まっている感じだ。
今日は添削がいくつかあるものの、その他にはもう何もないので、少しゆっくりしようと思う。そして力をつけて、合格答案実例集やセミナーテキストなどに手をつけていこう。

2016年1月16日土曜日

雪のない上根来

原稿を書き終え、Skype面談もやって、ついでに明日が口頭試験本番だというギリギリのスリルを楽しむ男(^o^;)の模擬面接もやって、ちょっと身軽になった気分で上根来へ。今年初めてだ。というか、まさか1月中旬になって雪の心配なく行けるとは思っていなかった。

遠敷峠のあたりはもう白くなっているが、まだ畜産団地跡のところまでは降りてきていない。

壁の断熱も終わり、雪をかけていくばかりになった雪室貯蔵庫。3月には京都市内で雪室食材試食等も予定している中、あとはもう雪乞いのみである。
夜、日本遺産がらみでの休憩施設作りなど上根来プロジェクトが大きく進みそうな会議。上根来の取り組みを初めて今年が5年目だが、徐々に前には進んでいるなと実感する。しかしここでも最後は「雪が降らないとねえ」になる。

帰宅して今日の分の添削を終えて、ゆっくり風呂に入り、風呂上がりの青酎。どうやら今日は少しまとまった睡眠が取れそうだ。

2016年1月15日金曜日

細切れ睡眠の日々

原稿が待ったなしなので、がんばっているのだが、昨日16時~18時睡眠→18時~21時夕食と原稿→21時~22時風呂→22時~0時ソファで睡眠→0時~5時原稿→5時~5:30風呂→6時~9時睡眠→9時~13時ブランチと原稿→13時~15時ボランティアセンター片付け→15時~19時原稿と夕食、細切れ睡眠の中での原稿書きという「効率の悪いことしてるよなあ」と自分でもわかる時間の過ごし方をしている。
だから疲れはたまるのだが、自分でも感心するほど寝付きはいい。というか、あれは寝ているのではなく落ちているのだと思う。

ボラセン片付けの帰り道、寒いけれどいい天気だ。上根来はちょっとは雪が降っているかなあ。下界は雪がなくて上根来だけちょうどいいくらいに雪が積もっているのが理想なのだが。

19時~22時は内外海公民館でカキまつりの会議。私はこういう地域の人たちと一緒に少しずつイベントを作り込んでいく過程が大好きだ。
終了後帰宅して原稿書きの続き。全7章のうち6章まで終わった。あと少しだ。
ここでさすがにちょっと休みたいのでマンガを読みながらゆっくり入浴。

さすがに眠いので、どすんと一気に眠れるよう、ラガーマンさんからいただいた青酎を飲む。クセのあるこの味が好みだねえ。
明日、原稿の仕上げと上根来関係の作業、それに新年度受講生のSkype面談をがんばって、夜は一仕事終えた状態でゆっくり風呂に入って青酎、というのが目下の小さな小さな夢である。

2016年1月14日木曜日

ふんわりつるり

たけしが主宰する「若狭Agri21」が市内の保育園で餅つきをするのだが人手が足りないというので、手伝いに行ってきた。
しかし昨夜は添削をしてから本の原稿書きをしていたら結局4時前になって、4時間睡眠になってしまったので眠くていけない。

幸いにもAgriのメンバー2人と地域おこし協力隊アイザワちゃんが来てくれていて、どうやら私は間に合っているようなので安心して、ちょっとした手伝いだけしていた。しかし眠い。
結局昼食を園児達と一緒に食べたりして1時前までお邪魔していた。

その足で近くにある旧・阿納尻小学校へ。2月28日の「カキまつり」の会場下見である。昔懐かしい木造校舎だ。

何ともいえず懐かしい木造校舎の廊下。私が通っていた小学校もこんな廊下だった。ゾーキンがけでだーっと駆け抜けた(駆けてないか。あれは何と言うのだ)ものだ。

教室の黒板。チョーク入れも木製。こういった光景ひとつでいろんなことが思い出される。

そして三角コーナーの掃除用具入れ。悪ふさげで同級生を閉じ込めてケガをさせたりしたなあ。

帰宅して、保育園でいただいたものを見たら、子どもたちが作ってくれたかわいらしいメッセージと雪だるまが。
睡眠不足で少々がさついていた気持ちが、懐かしい木造校舎と子どもたちの贈り物でふんわりつるりとなった。ありがとうね。

2016年1月13日水曜日

旅の計画は楽し

ぐっと寒くなった者の、晴れたり曇ったりの意外にいい天気。午後から清滝・生守区のふれあいサロンのお手伝い、夜は女房のアンサンブルの練習。「高校三年生」のドラムなんてわけわからんのよ。
その合間に添削や本の執筆。やばい、時間がない。本の方は最初の脱稿予定はとうに過ぎていて、どうやら10日程度遅れそうだ。ごめんなさい。

そんな中、今年のセミナーツアーの予定が詰まりつつある。昨年の11月ごろから予定を徐々に入れてきたのだが、4月は結局またもや長旅になりそうである。3月や5月も週末はほぼ埋まってきた。SUKIYAKI塾をはじめ、全国の皆さんにまた会えるのは楽しみなのだが、合間に「気まま旅」をできるだけ入れたいなあと思っている。
1年のうちかなりの日数を(おそらく100日以上を)旅の空の下で過ごすが、意外と印象深いのは無目的な旅であったりする。
最近では滋賀県の能登川というところに泊まったときがそれで、宮崎に講演に行った帰りに、伊丹空港から小浜直通のバスが出ているのに、わざわざ電車を乗り継いで琵琶湖を大きく迂回して訪れた。
また東京でNPOの補助金報告会があり、その4日後に福井市で講演があったという時に、中3日をかけて東京→群馬→長野→福井と、北陸新幹線に乗れば半日旅を少しずつ寄り道温泉旅をした。
「無目的」と書いたが、実際は「まだ泊まったことがない県に泊まる」という目的があった。その程度のどーでもいい目的を「無目的」というのかもしれないが。^^;
まあともあれ、去年まではそういう一応の目的があったのだが、去年全県制覇したので今年はいよいよもって目的はなくなる。

セミナーの谷間のオフ日・移動日にちょっと寄り道旅ができるといいな。
「何かを見に行く」でもいいし、「温泉に入る」でもいい。「何かを食べに行く」でもいいけど、行列が嫌いだかなあ。あ、誰かにちょっと会いに行く(飲む)というのもいいな。

移動経路や宿選びには、いつもびっくりするくらい時間がかかる。「ああ、また睡眠時間が減っちゃう」と思いつつも、あれこれ悩んで時間が過ぎる。
この経路選び・宿選びを楽しんでいるのだろうな。それでも宿は本当に取りにくくなったのだけどね。
まあとにかく全国の皆さん、またお邪魔しますがよろしくお願いします。

2016年1月12日火曜日

寒くなるぞぉ

ぐっと寒くなってきた。午前中は晴れていたが、午後はどんよりした雲に覆われ、時々冷たい雨がぱらついて、「もうすぐ雪に変りまっせ。ほれほれ」と冬空が笑っているようでげんなりする。

これが向こう一週間の天気予報である。ますますげんなりするのだが、雪室プロジェクトはこれで一安心かなと思うとほっともする。でも思いっきり降ると、そもそも雪室の現場に行けなくなる。何とも複雑な近年の冬なのだ。

ちなみにこれが東京の向こう一週間の天気予報。ざけんじゃねーよという気分になる。
その東京から面白いものが送られてきた。今度は囲碁将棋も始めようかという動きもあるようで、まったくマラソンだったり将棋だったり、そして出張のたびに交流して飲み語らい、全国大会やひこそう大会では集結しておおいに楽しんだり、まったく素晴らしい仲間達である。

2016年1月11日月曜日

次への準備

相変わらず雪のない1月で、街では「今年は楽だねえ」という言葉が行き交うのだが、雪室プロジェクトをやっている者としてはかなりヤバイ感がしてきている。

そんな中、雪室の準備は進んでいる。私がSUKIYAKI塾・智楽の会の皆さんと市内を動いていた10日午前、断熱のために壁に古畳をたててブルーシートを張り、貯蔵庫もブルーシートで覆って、あとは雪を待つばかりとなった。降ってくれよ…

今日、最後の口頭試験模擬面接を終えた。もちろんSkypeだ。
筆記合格発表直後から準備を始め、2ヶ月以上コツコツと積み上げてきた人もいれば、ギリギリになってからバタバタする人もいる。まあ口頭試験に限らず出願などでも同じで、期限間際になって「書類を見てくれ、すぐ見てくれ、今日見てくれ」とばかりにラッシュをかけてくる人もいる。多少は対応するけど、基本的には直前だからといって超特急で対応したりはしない。夏休みの終わり間際になって親兄弟に手伝ってもらってあわてて宿題をしている子どもじゃあるまいし、いい大人なんだから。

試験が終わった人からのメールも悲喜こもごもだ。
総監は例年と同じく試験官による差が顕著で、表面的にさらっとなでただけみたいな淡泊で危なげない試験もあれば、消える魔球並みの変化球を投げてくる試験官もいる。試験官の当たり外れがある試験はよくないと思うのだけれど。
それでも、模擬面接と全く同じ質問がずらりと並んでいる試験などをみると嬉しくなってくる。

そしてそれらと平行して、28年度試験対策も始まっている。出願書類の添削もやっているのだが、今まさに最後の口頭試験をやっているのと平行して次年度出願書類添削をするというのは妙な気分だ。
まあともかく、「次への準備」が進む正月明けということだな。

2016年1月10日日曜日

またまたオモチャで

楽しい酒宴から一夜明け、午前中小浜市内へ。おさかなセンター→食文化館で橋研ぎ体験や館内展示説明byみつこ→道の駅にてお買い物→もりけんで必殺辛味そばでアヒアヒ→明通寺で国宝見学と回って解散。
小浜に初めてお越しいただいた村リンさん・智越さん・やえもんさんは楽しんでいただけただろうか。ぜひまた来てくださいね。

帰宅後、送れている本の執筆や添削にいそしみ、合間の気分転換に掃除をしたり、先日の京都行きで買ったタブレットのアプリ導入をしたりして静かに休日を過ごした。

5日に京都のイオンモールで買ったのは、実はWindowsタブレットなのでありました。
8インチ画面の小さなタブレットだが、OSはWindows10で、ストレージはこのサイズでは破格の64GB。メモリは2GBと非力だが、動画もゲームもやらない私の使い方なら問題あるまい。
ちなみに写真に写っているキーボードは別に買ったBluetoothキーボードです。
これにWiFiリータがわりのAndroid(7インチのアクオスパッド)を加えて小さめのボディバッグに入るので、ひょいと持って車や自転車でメシ食いに行くのにちょうどいい感じなのだ。これだけで泊まりがけの旅に出るのはちょっと怖いけどね。
でもこのタブレット、2万円もしなかったんだよ。

2016年1月9日土曜日

ひこそう全国大会2016

何回目になるのかよくわからない「ひこそう全国大会」、今回は17名(私たち夫婦とみつこ含む)の参加である。

正午、第1陣のBeやん&名古屋チーム到着。さっそくがじゅまろで女子丼を食べて女子力をアップ。

我が家へ突入し、真っ昼間から酒盛り。DD-65を叩いて喜ぶクレヨン。

さらに突発的skype模擬面接。おらさん、急にごめんね。
やがて第2陣のじんじん&やえもん到着、そして夕方には第3陣のべっこ王子・カチナノリ・村リン・智越の4名が到着し、濱の湯で第4陣の北陸組(Um・かつ・山・たむ)が合流して、それぞれひこそうに終結。

ずらり並んだふぐづくし。てっさは大皿が2人分。さらに刺身、焼き魚、茶碗蒸し、牡蠣、ふぐ唐揚げ、てっちりとふぐ雑炊。いつもながらもう食べられません。

集合写真。暴れ出す者もなく(^o^;)、楽しい酒宴となりました。これからも楽しくやっていきましょう。

実は同日、沖縄でもDolceさんを囲んで新年会が開催されておりました。ピオーネさん情報によれば、沖縄も暖かいお正月で、半袖の人もいるとか。
帰宅して、昼間の酒盛りの後を片付けてみると、なぜか酒が増えていましたとさ。^o^

何やらツーショット。

2016年1月8日金曜日

女子丼!

福井県は去年から「福丼県」を打ち出している。「井」の字が県名に含まれるのは福井県だけということで、この字の真ん中に点を打って「丼」にして、ドンブリで売りだそうというのだ。まあ、全国で知名度の低さ一二を争う県としてあの手この手でがんばっているのだと好意的に受け取っていただければと思う。^^;

で、小浜市からも多くの店がいろんなドンブリをエントリーしていて「福丼県認定証」なるものをもらっているのだが、当然ながら多くは海鮮丼である。
そんななか、私がよく行く「がじゅまろ」の「女子丼」がエントリーされている。

ロコモコ丼のハンバーグを小さめにしてライスも少なめにし、かわりにサザン+シーザードレッシングをかけたたっぷりのい野菜を添えたヘルシー丼で、たっぷり野菜のおかげで食欲も満たされるし、オススメですよ。
マスターいわく、私が名付け親らしい。そういえば飲み会をここでやったときにそんなことをほざいたような気もするが、マスター、真に受けたんだ。^o^;

夜、2月28日実施の「象の駅カキまつり」の打合せ。
地域でやってきた地域おこし行事に外部からの闖入者としてしゃしゃりでた私のような者を好意的に受け入れてくれる内外海地区の皆さんに感謝感謝である。

2016年1月7日木曜日

飯盒

私は「ご飯食い」である。おかずの量に比してご飯をたくさん食べる。
たとえばお皿に目玉焼きとソーセージ3本、刻みキャベツが乗った、まあ普通は朝食で食べる程度のおかずがあるとする。
若いころはこれでご飯は2杯、中学生のころなら3杯は食べた。今はそもそも食べる量が減っているから1杯で十分だが、それでも味が濃いなあと感じる。ご飯茶碗1杯なら、おかずは目玉焼きと刻みキャベツだけで十分だ。いや、漬け物と味噌汁だけでもいい。
ずっとそう育ってきた(つまり父もご飯食いだった)から、我が家の炊飯量は多かった。私が中高生のころは、6人家族(男は私と父だけ)で毎日1升2合炊いていたはずだ。私は中学生のころは夕食で4合か5合くらいは食っていたと思う。
そんな食生活をしていたので、食堂で普通の定食なんかを頼むと、おかずが多すぎて困る。若いころはご飯をお代わりしたが、今はもういらないから、いつも困る。
じゃあおかずを残せばいいじゃないかと思うかもしれないが、それはできない。そういう世代なのだ。結果、味が濃いなあと思いつつも全部平らげる。だから温泉旅館での朝食などは大騒ぎだ。
野沢温泉の朝食。美味かったが量的にはなかなかキツかった。
なお、私はパンをあまり食べない。自宅では朝食はまずもってご飯だし、ホテルなどで朝食がパンだったときはお腹が頼りなくて困る。食った気がしないというか。
夕食になるとさらにそうで、パンの夕食などは全く考えられない。ご飯、最低でも麺類がないとダメである。

ところでこの「ご飯食い」、日本人の食生活の本来の(というか、かつての)姿であるらしい。
米が主食であることは今も変らないのだが、基本的に米だけからエネルギーを取っていたようである。
おかずは文字通り「おかず」であり、主役ではない。薄味のご飯を飽きずに食べるための味付けみたいなもので、だからご飯と味噌汁のほかは濃いめの味付けの少量のおかず、漬け物や「ご飯の友」系のもので十分だったようだ。
戦前の軍隊では1人あたり1食2合、1日6合だったという。
2合っていったら茶碗4杯分ですよ。すげえなあ。今でもそれくらい食ってるのかな。閉鎖社会だからけっこう残っていたりして。
外で食べるときは1合おにぎり(でかいなあ)を2個で、それに香の物がちょっと付いているだけだったらしい。まあおにぎりも塩むすびだったらしいから、それだけでもよかったのかもしれない。
米は炭水化物だからすぐにエネルギーに変るので、その場その場の力を出すにはまったく問題ない食材だ。白米はビタミンが不足して脚気のもとになるから、かつて玄米で補っていたビタミンを味噌汁などの大豆で補うようになったとも聞いたが、まあエネルギー源としては十分だ。
で、1食2合だからその2人分の4合を炊けるために作られたのが飯盒で、2人1組で炊爨し、1人の飯盒で飯を炊き、もう1人の飯盒で汁を作ったらしい。で、外蓋に飯、内蓋に汁やおかずを入れて食ったということで、あの形も背嚢にくくりつけやすい形だそうだし、非常に機能的な調理道具だったようだ。

…てなことを、車庫の中を少し整理してときに出てきた飯盒を見て考えたのである。この飯盒は4合炊きではなく2合か3合炊きだと思ったけれど。
最近使ってないなあ、またどこかで使おうかなと思った。炊きたての飯盒飯はうまいんだよね。うまく炊くとちょうどいいオコゲもできるし。

2016年1月6日水曜日

気合いを入れていこう

やはり自宅のベッドでないと目覚めが早い。私、けっこうナイーブなの。
朝風呂に入り、旅館ならではの盛りだくさんな朝食を食べて、ホテル近くの仁和寺に足を運んだ。京都は世界遺産が20近くあるのだが、仁和寺もその一つである。
京都に来るとよく思うのだが、フツーの市街地だと思っていると思わずお寺が広々と横たわっていて異空間を成している。このへん、小浜(特に旧小浜市街地)も同じなので嬉しくなるのだ。

昨夜2時前までだらしなく酒を飲んでいたような男に眺める資格があるのだろうかと思うような、清浄な空気に満ちた庭園。こういう空間に時々足を運ぶべきなのかもしれないなあ。

ひときわ目立つ五重塔。仁和寺の一番の遺産は国宝である金堂なのだけれど、やはりこういった高い建築物は目を引く。
小一時間ほどウロウロして帰路についた。往路は京都縦貫道で、まあつまり西回りで時計の10時の方向から来たので、帰路は朽木街道から、つまり1時の方向へ抜けていくことにする。
寄り道しながら1時過ぎに帰宅。
ちょっとヒルネのつもりが夕方まで寝てしまった。^o^;

こんなゆるゆるの1日だったのだけれど、昨日開講したAPEC-semiには気合いの入った人たちがどんどん応募してくれている。よし、今年もしっかり応援するぞ!という気合いが満ちてくる。
夜Skype模擬面接。もうこの時点になると総監ばかりだが、正月明けから気合いの入った様子を見て、またまたこちらも気合いが入る。
さあ、また1年がんばろう。

2016年1月5日火曜日

なぜか京都

何やら株主優待方面のお得な割引券があるので京都に泊りに行こうということになった。
なんだか動機がよくわからないのだが、桐谷さん状態になった女房の仰せのままに京都へ。
京都駅近くのイオンモールまで京都縦貫道を通って2時間ほどで着いた。
女房は靴を買うというので私はソフマップをウロウロしていたら、やめりゃあいいのについフラフラと、また買ってしまった。何を買ったかはヒミツである。別にヒミツにする必要もないのだが、値段的にちゃんと動くかどうか不安があるので、今はナイショにしておこう。
さらに服やらワインやらコーヒーやら、まあ品目としてはいつも買っているものだけど、ちょっと都会に来たから買える的な銘柄のものを買ったりして、結局年末以上に散在したような気分になりながら仁和寺の近くのホテルへ。8畳和室+ベッドルーム+洗い場付きの部屋風呂&大浴場で夕食・朝食付きというなかなかの待遇で、お得な割引券という魔法を使って格安だった。

食事の時に生ビールと日本酒を飲み、さらに部屋で残った日本酒と買ってきたワインを飲みつつ、お互いパソコンを出して、私はAPEC-semi事務処理、女房は何やら楽譜をいじっていたが、まもなく爆沈してベッドへ。後には現場旅館に泊まっているおっさん達が酒のイキオイで仕事をしたあとのような光景が残っていた。^o^;

2016年1月4日月曜日

高校時代に戻ってしまった

午後、娘が大阪に帰り、また我々夫婦と両親の静かな日々に戻った。

相変わらずキモチワルイほど暖かい日々が続いている。浜に出てみると、今年は冬の荒波がほとんど来ていないことがわかる。なぜって、砂浜と背後の草の生えた平坦な部分の境界、バンカーでいうアゴのところがあまり切り立っていないもの。海が荒れるとここがてきめんに浸食されるのだ。

夜ごとの宴会もなくなったので、落ち着いて本の執筆を本格的に進め…のだが、こういう「期限があってやらなければならないこと」」があるときは、部屋の掃除とか、いつもはやらないこと、何も今やらなくてもいいことをやりたくなってしまうものだ。…これはオレだけか?いや、きっとそんなことはないはずだ。

で、よりにもよって何を始めたかというと、昔のカセットテープの録音をMP3データに変換するという面倒くさい作業を始めてしまった。
いつかやろうと思って数年前に買った、カセットテープを再生してUSBから出力するプレイヤーを引っ張りだし、部屋の隅で寝ていたWinsowsXpパソコンを持ち出してソフトをインストールし、MP3変換しながら本の執筆をしようという作戦に出た。

いったい何をMP3変換するかというと、実は自分の自作自演の曲である。
私は高校1年でギターを始め、大学3年くらいまでバンドをやっていた。そんな中で100曲以上のオリジナル曲を作り、それをカセットテープに録音していた。それが当時は破格の贅沢だったアルミダイキャストフレームのメタルカセットテープに保存してあるのだ。
最初の曲は高校2年の時のものだが、軽音部みたいなものがあるわけでなし、カセットデッキやらいいかげんなマイクやらを集めてきて録音し、さらに多くの曲は自分自身でドラム・ベース・ピアノ・ギターを演奏して最後にボーカルをかぶせるという、かなりの多重録音を、それもアナログカセットのダビングでやっているものだから、音質は極めて悪い。テープも伸びているものがあって、音程がふわふわする。油ぎれみたいなキーキー音すら入るものもある。歌の下手さ、ギターの下手さに呆れる。

でも、まごう事なき自分の声、自分の歌詞、自分の曲である。
たちまち高校時代の自分がよみがえってくる。失恋もした。悩みもした。いろんなことを考えていた。自分の器いっぱいになるくらいに。
でも時の流れというのはオソロシイもので、大部分を忘れてしまっていた。単なる現象として、どんなことがあったかは覚えているけれど、当時の自分のメンタリティのようなものはとっくに忘れてしまっていた。
ところが歌というのは、それも自分自身が作った歌詞や曲というのは、そこに埋め込まれた様々な思いや感覚をそっくり蘇らせてしまう。それも35年以上前の自分の声が歌っているのだ。

こりゃあマズイものに手を付けちまったなあと思うのだけれど、始めたからには最後までやらないと。
50曲まで行ったところで、さすがにダウンした。続きはまた明日だな。

2016年1月3日日曜日

ホテル事情

親戚も午後には帰り、家族4人+娘の5人で、残り物とおせちを始末して夕食を食べた。
今日からはもう社会復帰をしなければならないのだけれど、毎年同じようにだらだらとしてしまうのは困ったものだ。

そんな中だが、次年度試験に向けたセミナーの予定に合わせて、そろそろ移動経路やホテルを決めておこうと思ってスケジュールを組みつつホテルの予約を始めたのだが、何なんでしょうかこのホテルの値上がり具合は。いや、値上がりくらいならまだいいのだが、そもそも空いているホテルがすごく少なくなっている。
1月3日に4月下旬の予約をしているのに「あれ、あのホテルは満室なのかな」というのもざらにあるし、空いていても「残り2部屋です」みたいになっている。
特に三大都市圏でひどく、中でも大阪はもう市内宿泊は無理かなあと思うくらいで、3ヶ月前でもまともに取れない。そういえば12月の最後の模擬面接セミナーでは、名古屋→大阪と移動したのだが、名古屋にも大阪にもまともにホテルが取れなくて、中間の米原に泊まった。

三大都市圏に限らず、全国的にホテルがとりにくく、また高くなっている。札幌、仙台、金沢、広島あたりでもそう感じる。好きだったドーミーインももうほとんど泊まれなくなってしまった。
小さなことだけれど、これも時代の流れだと思う。
確かにホテルは泊まりにくくなったし、騒がしくもなった。地方の電車に乗ってさえ日本語以外の会話が耳に入るようになった。家電は国産品が品質の証ではなくなりつつあるし、たとえ国産品だと思って使っていても実はODMだったりもする。
変にガチガチに頑なにならず、しなやかに時代の中を泳いでみたいものだ。

そういえば、昨日はルイの結婚式だったらしい。16歳で日本語もしゃべれないくせに1年間のホームステイにやってきた少女が結婚だものなあ。やはり時代は流れているのだ。

2016年1月2日土曜日

肉まつり

息子が朝早くから帰るので、7時前に起床して敦賀まで車で送り、9時までに戻ってきた。たとえ対面通行とはいえ、自動車道ができると便利になるものだ。
帰宅後に朝風呂に入り、昼食後は2時間ほどヒルネ。平和な日々である。

夜は親戚ともども肉祭り。左から仙台牛タン、知床もみじ味噌漬け、松尾ジンギスカン、黒毛和牛。これに毛ガニ(焼きガニ)、ウニの塩漬けも加わり、かつてないゼータクな晩餐となった。
最後にウニで日本酒をくらったのが効いて、昨夜に引き続き早々に寝てしまったけどね。^^;

2016年1月1日金曜日

ぐーたら元旦

謹賀新年。家族全員で正月を迎えられるのはありがたいことだ。
9時過ぎにのんびり起き出して、あまり儀式的なことは面倒だからやめて、丸餅を味噌で煮ただけで具は何も入れない雑煮で朝食。おせち料理も今年は思い切り少なくしてシンプルに。

年賀状はもう数年前からやめているのだが、どうしてもゼロにはならない。親戚や友人からだけでなく、いろんな会社やお店なんかからも来ていて、80枚ほどあった。げんなり。
会社などからの賀状に返信することはないし、友人など個人的に来る賀状にはできるだけメール賀状で勘弁してもらっているけれど、それでも15通ほどは年賀状を印刷して出さざるを得なかった。明後日もまた年賀状配達があるから、トータルで20通くらいは出さざるをえないだろう。それでもずいぶん減った。
これをなんとか10通以下にするのが目標なので、「よおし、この人にはメアドを聞いておいて、来年からはメールで」と思うものの、そんなこと覚えていられずに結局正月が来るたびに年賀状を出すことになっている。
どうかワタシには年賀状を出さないでください。お願いします。

雑煮を食ってから朝風呂に入り、元旦早々風呂読書を楽しむ。
風呂上がりにビールをぐい。いやあ極楽極楽。

午後、年賀状を出しに行くついてに買い物をしたり本屋に寄ったり。
いい天気の元旦はありがたいのだが、雪室プロジェクト的には非常に心配である。

夜は親戚とともにフグや寿司でわいわいと。ひれ酒をちょっと飲み過ぎて早々に寝てしまった。
元旦はこうしてぐーたら過ごすのが一番だ。

2015年12月31日木曜日

2015年雑感その2

いよいよ大晦日である。今年の振り返り後編。
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【7月】
月初めに金沢でSUKIYAKI塾北陸のセミナーをやって、セミナーツアーは終了。北陸新幹線開通で、ラガーマンさんは9時まで飲んでいられたそうだ。

セミナーツアーが終われば、かわってまちづくり活動のシーズンがやってくる。
12日、今富小学校で流しそうめん。2クラスの児童と保護者がいっせいに竹でお椀と箸を作って流しそうめんを食べるのだから、まあとにかく大騒ぎであった。

26日、町屋deフェスタ。3回目かな。従来は真っ昼間にやっていたが、今回からは夕方開始にした。いよいよ縁日ぽくなって、いいイベントとして定着してきたように思う。

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【8月】
1日、みやざき技術士の会にお招きいただき、まちづくりと技術士のコラボ的な(いや、コラボというよりごった煮だな)漫談をしゃべりに行ってきた。数年ぶりの宮崎、楽しかった。
帰りには、まったくその必要はないにも関わらず滋賀県に泊まったことがあるかどうか確証がないからというだけの理由で滋賀県内に宿泊。あほや。

6日、嶺北で化石教室、8日には嶺南でも3年ぶりの化石教室。この前日には準備中にキイロスズメバチに刺されてしまった。本当の本当に痛かった。まだ痛みが引かぬうちに9日には道の駅で流しそうめん。10日に医者に行ったら呆れられてしまった。

8月の木曜会はたまちゃんお帰りなさい会。その後もゆっくりと、しかし着実に回復していて、本当によかった。

30日、防災訓練。一昨年の実体験が活きていて、実にスムーズな進行。頼もしい限りだ。

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【9月】
4日から9日にかけてちょっと面白い旅をした。まずは補助金の報告会に東京へ。その次の予定は福井での講演だからいったん小浜に帰ればよさそうなものを、わざわざ群馬(磯部温泉)→長野(野沢温泉)→福井(あわら温泉)と温泉三昧。群馬県と長野県に泊まったのは、これらの県に泊まったことがないというだけの理由である。^o^
初めて北陸新幹線に乗った。

18日からは沖縄へ。9月の沖縄は初めてだが、ぜんぜん夏だった。女房も合流して島内観光。
セミナー一色ではない旅を楽しめた9月だったなあ。

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【10月】
技術士全国大会の応用理学部会で講演依頼をいただき富山へ。takeさんに案内してもらった立山カルデラの自然スケールに圧倒された。やはり技術者は見聞を広めるべきであること、そしてそれを技術者がガイドしてくれることの大事さを再認識した。いい旅だった。

11日、まちなか夢通り。今年は元阪神タイガースの川藤幸三さんが来てくれた。

13日、福井放送「い~ざぁえぇDay」の上根来ロケで日野陽仁さんと。ありがとうございました。

19日、腰がバラバラになりそうになりながらも加斗小学校のしがら組み完成。ハードだった。

29日、若狭東高校の実習で上根来にてしがら組みとアブラギリの実収集。今年はしっかり実が成った。よかったよかった。

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【11月】
1日、日本遺産行事・上根来ワークショップ。晩秋の鯖街道散策&集落ツアーをしつつ、市民に意見を聞いた。大人気で定員の倍以上のお断りをしなければならなかったとか。

2日からセミナーツアーに出発。まずは仙台。しっかりメンバーも増え、活動が広がりつつある。

4日からは北海道。知床さんの総監特訓の予定がなくなり、半ばヤケ気味に温泉三昧ツアー。今年は温泉にやたらと入っている気がする。

7日、札幌にてSUKIYAKI塾北海道セミナー。ここもどんどん人が増えているなあ。

翌日、東京セミナーinフォーラム8。こうして北海道→東京都移動すると人の多さに驚く。

しばらく東京で模擬面接をしたあと2日だけ帰宅し、再びツアーへ。今度は名古屋から。ここもこの2年ほどで本当にメンバーが増えた。

さらに大阪へ。こちらもメンバーが増えている。このあと2日ほど模擬面接のあと、再び2日だけ帰宅。

第3弾は松山から。SUKIYAKI塾四国も着実に広がりつつあり、来年は念願の四国4県からの参加がありそうだ。

バタバタと移動して沖縄へ。フツーにみなさん半袖やTシャツ。玉川多摩ちゃんがSUKIYAKI塾全支部を制覇した。

福岡へ移動して模擬面接のあと、大分へ。智楽の会模擬面接。みんなでAKB48風に「オー」。
翌日福岡に戻り、模擬面接のあとわざわざ下関で一泊。これで全国宿泊経験のない県がなくなった。
さらに名古屋で模擬面接のあと宿泊なしで金沢へ。
28日の金沢セミナーでSUKIYAKI塾セミナー終了。ここでまだ帰宅せず、北陸新幹線に乗って東京へ。

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【12月】
東京で模擬面接を4日。これだけしょっちゅう東京に行っているおかげで、もりそばは何の抵抗もなく食べられるようになった。そのあと小浜に帰って3泊したあと、大阪→名古屋と模擬面接。

13日、里山体験教室。これまでのアブラギリシンポジウム、里山シンポジウムを子ども体験教室に衣替えしたイベントだが、素晴らしい内容だったと思う。高校生、すごいぞ。

16日から20日まで最後の模擬面接ツアー。東京では去年までもっぱら巣鴨だったが、今年は神田にシフト。毎晩のようにこんな光景をみていたが、馴染むんだよね。
20日の終電で小浜に戻り、その後はSkype模擬面接。徐々に予定のつまり具合が減っていき、年末は家のことに専念できるようになった。
すでに独り立ちした子どもたちも帰省してきて、平和に年末を迎えることができた。感謝。