2011年3月20日日曜日

またテレビを見なくなった

昨日あたりから、NHK以外のテレビ局はほぼ通常番組に戻ったようだ。私はテレビをあまり(かなり、「あまり」)見ない人なので、またテレビを見ない生活に戻った。
原発の情報のみ気になるので時々グーグルリーダーを見ているが、テレビからは離れてしまった。
帰宅すると情報確認のためにテレビをつけるが、ジャグって情報がなければすぐに消している。
原発から、食物からの放射性物質検出にニュースの主眼点が移った感もあるが、やっぱりマスコミは危機感を煽るよなネタが好きなのだなあと痛感する。「真実を伝える」という役割を担っていると思っていたこちらが馬鹿だったのかもしれない。

雑事でなんとなく落ち着かない1日だった。「祭りのポスターとチラシのデザイン」なんて、この時期にこんなことをやっていると若干の後ろめたさを感じなくもないのだが、大事な地域行事であることは変わりない。
本当に平穏無事な日常が過ぎていくことが申し訳ないと思うほど貴重に思える。

2011年3月19日土曜日

みんながんばれ

帰省している娘の携帯に、娘が行っているつくば大学の新年度授業の開始が遅れるかもしれないというメールが友人から入ってきたらしい。
それを聞いて私が
「そりゃそうやろ。生活できへんもんな」
と言うと娘が
「できるよ」
「だってガソリンも食べ物も買えんのやろ」
「それ東京やん」
「つくばは物資あるんか?」
「買い占めないもん」
そうなのか?被災地に近いほど物資不足がひどくなっていくもんだと思っていたが、東京のあの状況は買い占めの影響も大きいのか?

今日ははまかぜプラザで「小浜落語まつり」。飲んだ勢いでういままから5,000円分の回数券みたいなものを買ってしまったので、行かなきゃ損だと思って自転車でえっちらおっちら行ってみた。これから雨でも降らない限り、できるだけ自転車で動きたいものだ。

久々の生高座、やっぱりいいものだ。噺家さんのちょっとした呼吸が伝わってくるので、「面白い空気」が感じられるのはいいねえ。

娘は連休明けから名古屋に行って物資の仕分けのボランティア活動をするらしい。名古屋港でそういうことをしているらしい。学生たちのネットワークもなかなかあなどれないが、自由度が高いことを活かしてぜひがんばってほしい。

とにかく今は、「みんな、がんばれ」だ。防災にせよ危機管理にせよ、いろんな反省点や改善点は明らかになっていくのだろうけれど、とにかく今は口ではなく手を動かすときだ。

2011年3月18日金曜日

スパゲッティしかなかったらしい

千葉にいる息子がマーケットに行ったらコメも何もなくて、スパゲッティを一袋だけ買ってきて、何か工夫して夕食を食べているらしい。
それはそれでいい経験だとも思うのだが、さすがに母(つまり息子のおばあちゃんですね)はそのような話を聞いたら居ても立ってもいられなくなったらしく、我が家の近所のマーケットで(小浜ではいわゆる品薄現象はまったくない)コメやらいろんなものを買ってきて宅急便で送ったらしい。

モノ余りとさえ言われる日本だけれど、意外と物流基盤に厚みがないのか、今回の地震がそれだけ未曾有だったということなのか、それはわからない。とにかく大変な物不足に見舞われているようだ。
電気を節約しても直接的にそれを回すことはできないようだけれど、ガソリンを節約して余裕分を回すことはできそうだ。それはもう明白だと思うのだけれど、西日本の首長のみなさんからそういう声は上がったのだろうか?

「今できること」が募金と物資提供以外に思い浮かばないのだが、できるだけ歩いたり自転車に乗ったりして、ガソリンを使わないようにするくらいのことはできそうだ。自己満足かもしれないけれど、「何かしている」という実感も持ちたいしね。

2011年3月17日木曜日

季節はずれ


お水送りが終わると春が来る・・・・はずなのだが、こんな時期にこんな天気は記憶にない。
この雪が福島第一原発に降ればいいのに・・・・と思うのだが、冬型のときに太平洋側で雨や雪が降るはずもないか。
福島は本当に大変だと思うけれど、どうかがんばってください。

テレビでは少しずつニュース以外の番組が流れ始めている。
コマーシャルでは圧倒的にACのものが多くて、同じCMを1日に何度見ることだろうか。
「子どもにあなたの手当てを」のCM、高校生くらいの男の子が迷いながら歩道橋を上るおばあさんの手を取るCM。何度も見ているのに、ちょっと気を許すと涙が出てしまう。どんなに甘いといわれようとも、弱い人に手を差し伸べない世の中はダメだ。それが原点なんだろうな。

2011年3月16日水曜日

市民力

福島第一原発の状況は相変わらず極めて厳しい。現場で命をすり減らしながらがんばっている技術者の皆さんを思うと胸が締め付けられる。戦い終わってほっとしたときが心配だ。
オンライン販売している「筆記試験答案実例集」、SUKIYAKI塾講師の派遣事業を来年度さらに拡大するための原資に考えていたが、今年と同程度の規模にとどめ、それ以上の収益分を義援金に回すようにしたいと思っている。こんなことしかできないのが悔しいけれど、「できるときに、できる人が、できることを」だ。
今、被災地に必要なのは、救助等のプロと物資・お金だ。もう少し先になるとマンパワーが必要になるだろうけれど、今はこれくらいしかできない。

福井市の街角にあったもの。バス停の近くにスコップがひとつ。バスを待つちょっとの時間に、このスコップで雪をひとかきしてくださいという呼びかけだ。
おそらく心無い(というか考えの古い?)市民から「そんなんはバス会社の仕事やろが」という言いがかりもあったことだろうが、そういうことに萎縮せず、市民に協力を求めたことに拍手を送りたい。

路面電車で鯖江へ移動。平日の午前中でガラガラだが、市民の足として貴重なインフラだ。
鯖江で「新しい公共」に関するNPO関連のミーティング。
震災後の社会は(その程度はわからないが)これまでとは異なってくるだろう。そしてその社会は、もっと市民力を必要とする社会になるのではないかと私は思う。だから私はそっちの方向、自分がこ「こっちだ」と思う方向に向かって力を注ぎたい。
がんばれ、市民。

2011年3月15日火曜日

平穏なまちに

今日は福井市で防犯協会の理事会・総会である。
小浜駅まで車で行って通学列車の1本後に乗ったら実にもうガラガラで、ホームで電車を待っているのは5人ほど、電車の中では4人席を1人で独占。

敦賀駅はいつもと変わらぬ静かな雰囲気。ここから特急サンダーバードに乗り換えて福井へ。そういえば「雷鳥」はもう退役したのだなあ。

福井駅に着き、歩いて会場へ。予想以上に早く会議は終わったので歩いてホテルへ。
ホテルの10階から見渡す福井の町は、生暖かい空気の中でほわんと広がっていた。でも、写真左側に写っている足羽川が平成16年に氾濫して福井豪雨災害となったのだ。そんなことを考えていたら、防犯協会の会長さんの挨拶が思い出された。
「福井空襲があって、焼夷弾が降り注ぎ、焼け野原になった」
「それから数年して、福井地震があった」
「それから数年して、今度は伊勢湾台風がやってきた」
このほわんとして見えるまちは、本当に数多くの災厄を、人々の限りない力で乗り越え、今日に至っているのだ。そのことを思うとまた涙が出てきた。

夕方から、福井県内から合格したSUKIYAKI塾受講生のお祝い。18時に始めたのに終わったら0時を過ぎていた。
なんというか、今度の震災を目の当たりにして、体の中にたぎる思いがある。これをどんな形でもいいから、そのまままっすぐ、技術者の思いが世の中に直結するようにして伝えることができたらどんなにいいだろう。

2011年3月14日月曜日

Wake Me Up

月曜日になると、もう少し地震関連の動きがあるのかなと思っていたのだが、私の周囲にはあまり動きはなかった。考えてみればそれはそうで、体系的に多くの人が動いてもかまわなくなるまでは少し時間がかかるのだろう。
食料や毛布、子ども・大人用おむつ、ペットボトル水といったものの寄付受付の案内だけがきた。もどかしいのだけれど、今できることといったら義援金と寄付だけという状態だ。
娘は11時過ぎに帰ってきた。福井県出身の学生同士で車に乗り合わせて帰ってきたのだという。
地震からこっち、おそらくあまり寝ていなかったのか、帰宅してから夕方までずっと寝ていた。

世界中から支援と励まし。被災地の人たちが「こういう時だから笑っていようと言っている」と話していた。
計画停電初日でもあったが、停電しなくても何とかなる程度にみんなが節電したらしく夕方まで停電が回避された。間引き運転の中での駅のものすごいラッシュの中での節度もすごいと思うが、小さな節電の積み重ねで大きな停電を回避したというのは、小さな人の力の積み上げが持つ力は、この大きな社会の中でも小さなものではないのだということを教えてくれた。

本当に想定をはるかに上回る地震動だったが、それ自体による被害は甚大といえるものではない。耐震技術・耐震基準はすごいことが確認されたと思う。
いっぽう津波の被害はやはり甚大で、「防災の町」の10m防潮堤すら越えたというのだから、もう明らかにハード対策の限界をずっと超えている。
これでダメだったのだから、では15mや20mの防潮堤で海岸の町を囲むのか?それは現実的とは思えない。津波に対しても、「減災」をもっと重要視していかなければならないということなのではないだろうか。
海岸にあるまちならば津波のリスクを考え、防災と利便性と市民サービスを一体化したようなまちづくりをしていくべきではないだろうか。
緊急時避難とともに医療や高齢者・子育てサービスやマーケットのような小売サービスや行政や市民活動なんかを放り込んだ3Fか4F以上のRC造複合施設をPFIで作るとか、できないだろうか。思い付きだけれど。
そしてライフスタイルを自転車に。自転車で20分逃げればかなり走れるから、複合施設を含む、なんらかの施設に逃げ込めるのでは。

福島第一原発は、今回のカタストロフィをクリアしても、もう使えないだろう。たとえ将来いつか復活したとしても、それはずっと先のことになるだろう。第二原発もすぐには動けない。
ということは、電力不足はずっと続くことになる。福島第一全部で470万kW、第二が440万kW、合計910万kWなのだ。
まさか計画停電をずっと続けるわけにはいかないのだろうから、なんらかの方法で社会経済活動を維持する方向に進むのだろう。
防災というものに対する考え方や社会の重み付けはもちろん、社会システムやライフスタイルが大きく変わっていくかもしれない。
計画停電の中、自転車が売れに売れているらしい。やはり自転車か。


原発の問題はいまだ「今そこにある危機」として次々と現れてくる。2号機が空焚きになったかもしれないというニュースが流れたときは、今までで一番ぞっとした。まだ災厄は去っていないのだ。さすがにこれはもう願うのみだが、一人ひとりの力の限界が突きつけられたときこそ「社会」が助けてくれること、そしてその「社会」は一人ひとりの努力の積み重ねが無力なものではないことも学んだ。

被災した人たちがあんなにがんばっているんだから、我々ががんばらなくてどうする。
がんばろう。

2011年3月13日日曜日

地震から2日たった

地震の被災者数が「やはり・・・・」と思う数字になってきた。あの津波を見れば・・・・
地震規模、震源位置、そしてその結果としての津波の規模、どれもが想定外。特に津波規模が。
あのような規模の津波が来ることを前提に防災インフラを整備するなど不可能なことだから、やはり減災しかないのかもしれない。「じゃああの災厄を最小化できるような減災はあるのか」と言われると、それも不可能だろうけれど・・・・

昨日から「道の駅」のオープニングイベントをやっている。昨日はどうしても足を運ぶ気になれなかったが、顔を出さないのはあまりに申し訳なく、女房と行ってきた。
ステージイベントは全部中止して、売り上げは全部義援金に、さらに義援金の寄付箱も設けてあった。
明るい日差しの中で、控えめに、しかし一所懸命、まちづくりのためにみんなが力を合わせていた。
ぼんやり見ていると、津波に流されてしまった三陸のまちも同じように、それぞれがまちづくりに取り組んでいただろうにという思いがこみ上げてくる。またいても立ってもいられない気分になってくる。

娘は今日、福井県出身の学生たちで車に乗り合わせて帰省するらしい。
19日に車をつくばに持っていく話もキャンセルだ。
21日のセミナーはもうかなり多くの人が受講料も払ってもらっているので中止はできないから、結局私一人が東京まで行くことになった。

何かしなければ、と思ってはいるが、とにかく少し落ち着いてからだ。
明日は月曜日、福井県・小浜市などいろんな枠で動き出すだろうから、その中でできることを考えていこうと思っている。

2011年3月12日土曜日

慄然とする

昨日から今日にかけて、日ごろあまりテレビを見ない私が、かつてないほどテレビを見ていた。速さ・信憑性の点において、やはりネットとは雲泥の差だ。
昼間のうちに被害規模が明らかになってくるかと思ったが、今日はとにかく目の前の被災者救助で精一杯だったようで、それだけ甚大な災害だったということなのだろう。
夜になって、被害規模が桁違いだということを示す数字が少しずつ上がってきたようだが、明日から明後日にかけて、慄然とする数字がテレビに映されるようになるのだろう。

このようなものすごい災厄の中で、「自分」というこのちっぽけな人間には何ができるのだろうか。
今はまだ考えがまとまらないが、とにかくぼんやりテレビを見ている場合ではないことは確信する。

2011年3月11日金曜日

地震

大変な地震だ。被害の大きさは想像をはるかに超えるだろう。津波がいかに何もかも破壊してしまうかを見せ付けた奥尻島での悲劇が、はるかに広い範囲で、はるかに数多くの人たちに起こったのだから。
小浜は震度2。揺れを感じた瞬間にプレート地震だとわかった。とすればまずもって三陸沖なので、いの一番に娘に電話をかけた。ぐずぐずしていると不通になるからだ。
ものすごく揺れたとのこと。ネットによればつくば付近は震度6弱だったらしい。火の元を確認させ、壁や天井の状況、アパートの他の部屋や隣家等からの出火がないことを確認させ、緊急避難に備えた準備をさせ、ここでいったん電話を切ったらその後のつながりにくいことつながりにくいこと。
息子は千葉だったので揺れは少し軽かったようで、息子いわく震度4とのこと。
ともかく家族が無事だったのでよかったが、これから次第に明らかになっていくだろう被害の大きさを考えると背筋が寒くなった。阪神淡路のときよりずっと。

2011年3月10日木曜日

Here comes the SUKIYAKI塾

今年はいつもそうなのだが、ブログで「いい天気だ」とか「温かくなった」とか書くと、その翌日はえらく荒れた天気になる。どうも敵に見張られているようだ。^^;

朝からどっかーんと雪。でっかいボタン雪がぼとぼと落ちてくる。
しかし春への歩みを押しとどめることはできず、降らせる雪が尽きると同時に青空が戻ってきて、日差しが雪をどんどん融かす。

風は冷たいが空気はクリアでコントラストのはっきりした明るい世界だ。

夜、SUKIYAKI塾出願支援講座の募集開始。
以前は「早い者勝ち」だったので、最初の1分で100人応募!なんてこともあって、「ひえええ」と言いながら真夜中まで一心不乱に処理に追われていたものだったが、一定期間受付の後に受け入れ枠をオーバーした部門・科目に限り抽選というシステムにしたため、あの狂想曲は今は昔、今回は最初の5分で10人程度と極めて静かなスタートになった。
ともあれ講師の皆さん、今年もよろしくお願いいたします。

2011年3月9日水曜日

Here comes the sun

春になったなあと思う。風は肌寒いし、気温も低いけれど、なんというか陽光が明るい。すみずみまで日の光が届けられていて眠っているものたちを揺り起こしているようにみえる。

女房の親父さんが、もう乗らないからと車を娘にくれたので、19日につくばまで運転していくのだが(軽自動車を、ですよ。もう大変。ToT)、今日は夏タイヤを取りに女房の実家に行った。
帰りにふと思いついて、夏に子供達が泳ぎ場にしている所にある「しょんべん橋」を通った。普通車がギリギリ通れる幅しかない小さな橋で、「しょんべんのような流れでも流されてしまう」という意味のあだ名らしいのだが、ここからみる泳ぎ場は、雪解け水の豊かな流れが河原をおおって、それが明るい光に透き通っていた。

夕方、ボランティアセンターで次年度の打ち合わせ。帰宅して明日から起動するSUKIYAKI塾2011の募集準備。
いろんなものが新しく動き出している。

2011年3月8日火曜日

前向きに

APEC-semi開講にあわせて、これまでのセミナービデオとかテキスト、合格答案実例集などをダウンロードできるようにしているのだが、どうもこのところサーバーからのZipファイルのダウンロードがうまくいかない傾向があって困っている。
そこでオンラインストレージからのダウンロードなどを急ぎ段取りしているのだが、こういったものは広告費運営によるフリーモデルが最近は本当に多い。そしてそういうものは海外、特に香港・台湾あたりが強い。エレクトロニクスに関しては日本が韓国や中国に一歩先んじていると言っていたのはほんの2~3年前だが、すでにそういう点でもキャッチアップどころか遠く抜き去られている分野の多いこと多いこと。
で、ファイル配布用のオンラインストレージに選んだのはMEGAUPLOADなのだが、これは香港だったと思う。
もうこの画面の色調やアジアのかけらもないデザインやモデル、そしてあられもないPRが、ワールドワイドな感じなんですよねえ。

しかし、3月10日にもならないこの時期から、経歴票や代表的業務骨子をがんがん作りこんでくる受験生の人たちには頭が下がる。このがむしゃらさ・ハングリーさで、あれこれ「動かない」理由をつけてウジウジしているあたりにもう100万光年の差をつけてるよなあ・・・・という感じがする。
結局行動あるのみなんだろうなあ。

2011年3月7日月曜日

土曜日の恐怖

土曜日、またまた斜面崩壊が発生、現場に急行した。
幸いムズカシイ状況ではなかったのだが、それにしてもよく崩れるなあ。
この冬はたくさん雪がふったから、2月以降の雪解け水も例年になく多いのだろうなと思う。川の水も2月からずっと増えたままになっていて、広くなった川幅を勢いよく流れている。「融雪を集めて速し」である。
そのせいだろうか、とにかく最近斜面崩壊騒ぎばっかり。

2月19日(土)に隣町であるおおい町名田庄で斜面崩壊、一時通行止め。
2月26日(土)に小浜市某所で工事中に斜面崩壊の古傷らしき亀裂発見。これは工事の中で対応。
3月5日(土)におおい町川上で斜面崩壊、全面通行止めで現在普及に向け作業中。

ぜーんぶ土曜日。そのため、週末や月曜日にバタバタと対応することになる。いつも自宅にいるときに電話がかかってくるので、自分の車に長靴やらハンマーやらクリノメーターやらを突っ込んで飛び出すことになる。
次の土曜日はどうなることか・・・・

2011年3月6日日曜日

自転車に乗って

いろいろとデスクワークがたまっているので朝からずっと家の中にいたが、どうにも息が詰まってきたので2時過ぎに外へ出た。どうも最近落ち着いて机に長い間座っていられなくなってきた。^o^;

 自転車に乗って浜まで行った。雪はもうほとんど消えて、突堤の先では誰かがのんびり釣り糸をたれている。寒々しいけれど好きな光景。
砂浜を見ると、波が打ち寄せてえぐり取られた小さな崖があって、その前にはヨシの茎などたくさんのゴミが漂着している。この中を探すと・・・・
あった。クルミである。秋に山の中で落ちたクルミが沢から川を経て海に流れくだり、冬の波で浜に打ち上げられるのだ。中身はちゃんとしていて、これを焼くと美味しく食べられる。

そのまま自転車で市街地に出てウロウロした。
メルカードで文庫本をリーダーで読みながらカプチーノを飲んで小休止。
若狭の語り部の案内所をのぞいて旧市街西組のほうへ。

区画整理で広くなった道路の両側には古い町並みを演出した家が並び、観光客もちらほら散策している。私にはどうもこの道路は広すぎるように思うのだけれどね。
海岸通りから常高寺のほうを臨む。狭い道路の突き当たりに山門、その先の小高くなった上にお寺が見える風景。電柱やコンクリートの建物、電柱広告などを中心に集中的に修景すればいい風景になると思うのだが。

・・・・などとあれこれ気楽に考えながら、ゆったりと自転車をこぎ、5時過ぎに帰宅。コタツに入って横になり、リーダーの続きを読んでいるうちに眠くなって寝てしまった。平和な男であります。^o^;

2011年3月5日土曜日

結局Xperia

今日は用事があってドコモショップに行ったのだが、Xperia arcとMEDIASのホットモックが置いてあったのであれこれ触っていた。

今のXperiaがたいていもっさりしてきているので、とにかく機種変更はする!と決めていたのだが、どちらにするか迷っていた。
Xperia arcはやっぱり慣れ親しんだXperiaであること、カメラの性能が実にいいこと、Androidが2.3であること(あとでアップデートするとやっぱり無理が出ることをXperiaで学んだ。最初からOSに最適化したハードを積んでいるほうがいい)などが魅力。
MEDIASはとにかく薄くて軽いこと、全部入り(おサイフ、ワンセグ、赤外線)であることが魅力。
甲乙つけがたく迷っていて、「今のところMEDIASがちょっといいかな?」みたいに思っていたのだが、実際にホットモックをいろいろといじってみて、
「Xperia arc予約します!」
即決。迷いなし。
手の上に乗せていじくるときの安定感がぜんぜん違うのである。

私はもっぱら左手でスマホもケータイも操作する。固定電話時代に、右手でメモしたりするために電話は左手で持つ癖がついたのかもしれない。
で、片手で全部操作しようとする。つまり手のひらにスマホをのせつつ、親指でタッチ操作をするのである。そのためスマホをホールドしない。手のひらにのせているだけである。
こういう使い方だと、MEDIASは手のひらに接する箇所が少なく、さらに軽いので不安定な感じがする。何かおおきな振動でもあると落としてしまうような気がする。
大してXperia arcは全体が手のひらに接して、非常になじみがいい。安定感ばつぐんだ。中央部がへこんでいるのも少なからずプラスになっているようだ。
また、アンドロイドの一般的なボタン配列は、左からメニュー・ホーム・バックで、以前のXperiaもこれに習っていたのだが、arcは配列が逆になっている。つまり左側にバックボタンがある。
「せっかく慣れたのに、なんでこんな配列に?」
と思っていたのだが、実はこれが私の使い方にジャストフィットなのである。一番よく使うのはバックボタンなのだが、これが左側にあると左手親指で押しやすいのだ。

ちなみに、おサイフとワンセグは魅力的ではあるものの、現に私はぜんぜん使っていないので、「ないと困る」ものではない。
電子マネーは積極的に使っており、これが使えない店以外は全部キャッシュレスで通しているが、EddyとWaonのカードを持っていて、これをサイフから出して使うのとスマホをかざすのと、ほとんど違いを感じない。というか、EddyはANA、WaonはJALのマイルがたまるカードなので、それ以外は使いたくないのだ。
ワンセグは、そもそもテレビを見ない。昨年あれだけセミナーツアーをしてホテルを泊まり歩いて、ホテルの部屋でテレビを見たことが1回あるかないかなのだ。
赤外線はケータイ時代から使ったことがない。


また、液晶がやはりXperia arcはきれい。Galaxyといい勝負だ。これを見たあとでMEDIASの液晶を見るとぼんやりして見えてしまう。
ということで、Xperia arcは「使いやすい」ことがわかり、MEDIASのポテンシャルは私にとってはあまり意味がないことがわかったので、迷わず予約したというわけだ。

「よーしよーし、いいぞぉ」
とご機嫌で、なおもXperia arcのホットモックをさわっていたら、電話がかかってきたのでポケットから現行Xperiaを出したら、
「太っ!」
とびっくりした。アニメのキャッツアイを見たあとで森三中のキャッツアイを見たようなもんだな。^o^;

2011年3月4日金曜日

祝いの夜

合格発表を確認してから就寝、寝不足の中で朝ベッドでもぞもぞやっていると、女房が「雪が積もってるから早く起きないと」と起こしに来た。
「へ?雪?」と寝ぼけながら見ると。

おいおい、3月だよ。お水送りも終わったんだよ。寒波さん、いつまで未練がましく居座ってんの。

せっかく土が見えていた田んぼも畑もまた真っ白。まあ明日中には消えるだろうけれど、冬のなごりの寒の戻りだった。

今日は次々と入ってくるメールに嬉しい悲鳴。毎年この日はとにかくハッピーだ。
夜、会社の合格者をお祝いの夕飯に連れ出す。気持ちよく酔った。
途中、沖縄からTEL。みんなワイワイと楽しくやっている。うーん、どこでもドア欲しいなあ。そしたら泡盛も島らっきょうもフーチャンプルーも沖縄そばもいつでも食べられるのに。
とにかく今日は気持ちいい酔いの中で寝よう。

嬉しくもあり

ブログのアップは1日1つ、それも1日の終わりと決めているけれど、今日はちょっと号外。

おかげさまで建設部門・建設環境に合格していました。
・・・・って、本当だろうな。0911C0185って合格リストにあるよね。どうも筆記試験合格発表のとき以来自分が信用できない。^^;

口頭試験のときにも書いたけれど、私のようなことをしていると、口頭試験で落ちるというのは洒落にならないので、それなりにプレッシャーなのです。だからやっぱ合格者番号リストを開くときは心臓の音が聞こえるくらいドキドキしたし、番号を見つけたときは体がちょっとしぼんだんじゃないかと思うほどほっとした。

その直後、ちょっとさびしくなった。今の私にはもう受験する部門・科目がない。ネタ切れだ。
「次」に向けての夢はある。
願書・経歴にNPO所属と書いて、今とりくんでいるまちづくりをネタに都市計画地方計画で技術士を取ること。
だけど、それは一朝一夕にはいかないし、50歳を越えてアタマは衰えていくし、ある意味自分を鼓舞するための夢なんだけれど、それでも目標は目標だ。
でも、すぐに手が届くわけではないことは自分でもわかっている。
つまり、8月の「祭り」がなくなってしまうわけで、それはやはりさびしい。
頭が焦げ臭くなるような気がするほど脳みそフル回転させて、自分の引き出しをガンガン開けて、自分の表現力をフルスロットルで開いて、手首のしびれを感じながらも書いて書きまくる数時間が、もうしばらく味わえないのやっぱりさびしいものだ。

まあそれも人生、今年は「応援」に全力だな。何か他のことに助平心を出さない限り、試験はちょっとお休みだ。
また「受験生」に復帰したときに脳みそが溶けてたということがないよう、お酒だけは過ぎないようにしよう。(嘘)

2011年3月3日木曜日

3歩進んで2歩下がる

お水送りは終わったが寒波が居座り、久々に雪がうっすらと積もった朝。昨夜の打ち上げの酒が少しだけ残っているなあと思いつつ出勤。

多田ヶ岳も雪雲にかすみ、土手にも雪が積もっている。

午前11時ごろ、わーっと降ってきた。一面の雪景色に向かってまっしぐらだ。

しかし午後からは雪は小休止。あっという間に雪がとけて、再び土が見えた。おお、このまま春になるか?

と思ったら、夕方近くに再び雪。冬がまだ帰りたくないと駄々をこねている。しかしじわじわと南のほうから確実に春が進軍しつつある。あと一週間もすれば、昨日と今日の寒さがウソのようにふわんとした空気に包まれるのだろう。
暖かい季節になったら、私ももぞもぞと動き出し、まだぞろどこかの地に出かけていく。

2011年3月2日水曜日

お水送り

久々に静かな日。実は月曜日から「斜面崩壊の懸念」対応でバタバタしていた。先月の19日も崩壊した斜面の対応で朝からバタバタしていた。いつまでたってもこういうときは緊急対応で駆り出されるなあ。
昨年、知床世界遺産さんが我が家に来たときも日曜日の朝から斜面崩壊対応で飛び出したし、先月が土曜日、今回が月曜日(異常発見は土曜日)で、とにかく週末から週始めは油断がならない。
それが昨日で一段落して、今朝は一応現場を見て、あとは落ち着いてすごせている。

今日は「お水送り」。
奈良東大寺の二月堂で「お水取り」という行事があるのだが、これとセットになっている。
神様が奈良に集まったときに小浜の神様だけ釣りに夢中になって会議をすっぽかしてしまった。で、お詫びの印に小浜から奈良に水を送った(琵琶湖の下をくぐって)という伝説が元になっているらしい。

舞台は神宮寺。本堂にご本尊とご神体が飾られ、山門に注連縄がかけられているという、神仏習合を象徴する寺である。
お水取りと同じように達陀の儀式があり、ついで山伏が取り囲む呪文とほら貝の音の中で神事。その後護摩が焚かれる。
あいにくの雨模様(私のせいではない!)の中、葉っぱが湿っているからなおさらだろうが、もうもうと煙が立ち上り、やがて炎が巻き上がる。
私はこの護摩の炎を順次たいまつ(長さ3m程度)に点火して運び手に渡していく係。
火の粉がぼろぼろ落ちてくるのでなかなかハードな役割ではある。護摩壇の炎はなかなかに熱く、冬の現場用の下着とキルティングを着ているので汗ばんでしまった。


その後、自分達のたいまつを担いで2km弱離れた「鵜の瀬」へ。特大の「大たいまつ」1本と我々の担ぐ「中たいまつ」が10本程度、そして一般参加者の持つ「小たいまつ」が約1,300本。この行列はなかなかに壮観だ。(たいまつを担いでいたので写真がないToT)
最後に「鵜の瀬」で神事。「お香水」を遠敷川に注ぐ(これが奈良に届くころ、「お水取り」が行われる)のだが、遠敷川のほとりは人で溢れて神事など見えない。
風雨の中を神宮寺に戻り、後片付けをして打ち上げ。いつもに比べて疲れの見える静かな飲み会でした。^^;

例年になく寒いお水送りだった。2月が暖かい年はお水送りのときに強い「寒の戻り」があると相場が決まっているので、さもあらん。
とにかく、このお水送りが終わると若狭の地に春が来る。

2011年3月1日火曜日

ドリップコーヒーラブ。

小浜にあるコンビニは、ファミリーマート、ミニストップが数軒ずつ、ローソンが1軒だけある。(関西圏なのでゼブンイレブンはない。もちろんセイコーマートやポプラはない^^;)
このうちミニストップが最近、ホットコーヒーを始めた。これがなかなか美味くてちょこっとマイブームになっている。
150円で缶コーヒーより高いが、比較にならない美味さ。私はブラックなので缶コーヒーは飲めたものではないから、きちんとしたコーヒーが飲めるのは嬉しい。
で、飲み口のシールを4枚集めると1杯タダになる。つまり150-150/4=112.5円となるので、いよいよ缶コーヒーとは比較にならないのだ。
ライバルがあるとすればマクドナルドのプレミアムローストコーヒー(S)かな。まあコンビニとマックでは行く目的も違うし比較にならないが。
ミニストップは会社から歩いてすぐのところにもあるので、出勤途中に立ち寄ることもできるから嬉しい。

我が家では昨年、女房がコーヒーメーカーを買ってきた。
以前はフィルターを出して粉を入れてドリップを待って・・・・というのが面倒だったのだが、最近はその面倒さを面倒だと思わなくなってきた。だって美味いもんねえ。
ところが先日、ガラスポットを割ってしまった。
すぐに購入した家電量販店に行ったが取り寄せだという。すぐさま別の安売り量販店へ行き、2,980円の安いコーヒーメーカーを買った。新しいガラスポットが来ればコーヒーメーカーが2つになってしまうという不都合よりも、「明日の朝ドリップコーヒーがほしい」という目の前の欲望が夫婦を動かしていたようだ。
紙パック方式のドリップコーヒーを買ってポットが来るまでの間をつなげばいいという知恵は、2人ともわかなかった。爆。

2011年2月28日月曜日

技術士チャンネルへ

久々の現地踏査を含めて机に座る時間のない、バタバタの1日を過ごした。
NPOとしての活動にしても、歴史文化に関する活動にしても、それはそれで自分の内側からウキウキ感とともにやる気が湧き上がってくるのだけれど、しかしそれでも技術者としてプロの仕事を求められ、自分の観察眼を頼りに現場やデータと向き合うときの、張り詰めた静かなパッションは、やはり別格だなあと再認識した。やはり私は技術者なんだなあと思う。

今日で2月は終わり。明日はRCCMの合格発表だ。そして4日は技術士の合格発表。1年間の総決算であるのと同時に、次年度が始まる時でもある。
APEC-semiマンツーマン講座と出願・筆記試験セミナーも受付開始。またたくさんの人たちとのお付き合いが始まる。それが楽しみでもある時期だ。

自分の中の技術者・技術士のチャンネルが活性化してくるのを感じる日だった。

2011年2月27日日曜日

カタい話をしますが

私のPCは全部トップページがiGoogleなのだが、ふと見るとGoogleNewsガジェットのニュースが全部海外ニュースだった。
ニュージーランド地震以外は全部人間社会の争いごと。
アフガン爆発と北朝鮮が米韓演習に反発したという記事以外は直接的に(前二者も間接的には関係するが)、ジャスミン革命に始まる様々な変革の波。

私は意識して政治・歴史(現代史)には触れないようにしているのだが(だって、すぐに客観的・論理的な議論が望めなくなっちゃうからね)、まるで飽和溶液が一気に結晶するような変化の早さに驚くばかりだ。
科学技術の進歩もそうだけど、何かヒントになるものとかちょっとしたきっかけで、一気に、またいっせいにぐわーっと前に進むときというのがあるように思う。
もちろんそのためにはそれまでの積み重ね、政治なら不満の鬱積とか意識の高まりとかコミュニケーション手段の確保とか、科学技術なら検証ツール・メソッドの充実とかデータの蓄積とか、あるいはアイデアを提案する人の中での勉強や考察、情報などの蓄積とかいったものが必要で、それがあってこそ機が熟するとちょっとしたきっかけで過飽和溶液から結晶が晶出するように一気にうわーっと広がって全体の押しとどめられない流れになるのだと思うけれど。

世の中は本当に変わりつつある。
日本はいい方向には変わっていっていないように見えるが、どちらにしろ急激には変わっていない。政権交代はマイナスもすごく多いけれど、政権交代しなければ実現しなかっただろう変化も数多くあった。しかしそれでも変化は緩やかだ。
これからも緩やかな変化なのか、何かが蓄積されていてどこかで飽和するのか、それはわからないけれど、少なくとも世界は急激に変化しているし、しばらくは大きな変化がまだまだ起こるだろう。

そういう中で、個人としては変化を味方につけられる力を身に着けないといけないなあと思う。
それって何?というと、いろんな情報を「知っている」知識と、それらが字面だけの死んだ知識ではなく、活性化した情報であること、つまりそこから全体がイメージできたり、自分の地域や自分の組織と結びついたり、動いていく(そして自分の進んでいくべき)先が予測できたりするような形で、アクティブな形で情報を溜め込めることではないかなと思う。
自分自身も、自分の組織も、自分のまちも、世界も、「明日も今日と何ら変わらず同じ」だと決め付けちゃあいけないということですな。

・・・・なんか久々に(本当に久々に)カタい話をしちゃったなあ。^^;
明日からはまた浮世離れしよっと。

2011年2月26日土曜日

読書してないぞ

帰宅してから夜の会議に出るまでに少しだけ時間があったので、読みかけの本を読もうと思ってリーダーを取り出してみると、電源オフになっていた。
リーダーは、電源スイッチをスライドするとオフになるのではなくスリープになって、画面には待ち受け画像が表示されたままになる。電子インクなので画像を表示したままでも電気を食わないからそれでいいのだが、それでも数日程度触らないと電源が本当にオフになる。
つまり、数日間リーダーを触っていなかったのだ。これはちょっとだけショックだった。

それで気がついたのだが、SUKIYAKI塾・APEC-semi的にはオフシーズンのはずなのだが、なぜか読書時間がセミナーツアーの時より少ない。
セミナーツアーに出ると、確かにセミナーなり模擬面接の時間はハードなのだが、ホテルや電車では「何もしなくてもいい時間」がそれなりに取れる。しかし小浜にいると、NPOのことをはじめ、どうもこの「何もしなくてもいい」隙間時間が埋まっているようなのだ。
これはよくないなあと思うのだ。
頭がフル回転している時間と、頭がぽかんとしている時間、これがそれなりに入れ替わり立ち代りやってくるからこそ、長旅も元気に過ごせているのではないかなあと思う。

明日は日曜日でもあるから、久しぶりにまちウォッチをしてこよう。

2011年2月25日金曜日

気になる存在

世の中にはいろんな製品が溢れているけれど、誰にも「気になる存在」があるものだ。
それは車だったり、カバンだったり、万年筆だったり、ともかく新製品が出たとか本屋で特集号があるとかいうと気になって仕方がないもので、経済的な制限さえなければどんどん買ってしまうだろうというものだ。
「買いたい」のスイッチは「情動」が押す。「欲しい!」という強い情動があれば、理性的(経済的)判断は押しのけられてしまうこともしばしばだから、「なんでこんなに買っちゃったんだろう」と思うほどコレクション並みに集まってしまうこともある。

困ったことに、私にも「気になる存在」がいくつかある。ひとつだけではないのも困ったことだが、さらに結構安物買いをしたりするので、経済的ハードルも低くなってついつい買ってしまって増えていくばかり、「一生モノ」がなかなか持てないタイプの人間でもあるのはさらに困ったことだ。

5年前の写真。奥からキーボード、ドコモバ、
カシオペア、HP200LX。そしてムーバの携帯。
ずっと「気になる存在」だったのはモバイルPCである。
最初にハマったのは、1995年に香港で買ったHP200LX。これは伝説の名機で、単3電池2本で駆動する。OSはMS-DOSなのだが、本当にいろんなことができた。現場に持っていって、Lotus1-2-3で原位置試験のグラフをその場で書いたりしたものだ。今ならノートPCで当たり前のようにやるんだろうけど、当時は画期的だった。
その次にハマったのはWindowsCEマシンで、NECのモバイルギアをDocomoがパソコン通信対応にした通称「ドコモバ」はキーボードも打ちやすく、テキスト入力にはもってこいだった。
カシオペアやシグマリオンといったマシンも買った。シグマリオンにいたっては、シグマリオン、シグマリオンⅡ、シグマリオンⅢとシリーズ全部買ってしまった。これらWindowsCEマシンは全部ヤフオクだったので、トータルで10万円も使っていないと思う。
レッツノートR8と以前使っていたFOMAカード。
その後、レットノートを買うようになる。ビジネスマンぽくてカッコいいのと、本を出すようになったので、Wordで長い文章がきちんと打てるモバイルマシンが必要になったのだ。
レッツノートはR2、R4、R8と3台買った。今ではR2は娘が、R4は女房が持っており、私はR8を使っている。R2とR4はヤフオクで購入したのだが、R8は新品。女房が研修で2週間イギリスに行くときにモバイルPCが必要だというので、R4を持たせて自分は堂々とR8を買ったのだ。^o^
このR8は現在のメインマシンで、B5サイズのバッグに入れて毎日持ち歩き、喫茶店その他でのノマドを実践している。写真ではFOMAカードでネット接続しているが、今はWiFiルータを使っている。
最新のJ9もジャケットがカッコよくていいなあと思うのだが、少しだけ大きいこととWindows7なのがハードルになって、またR8が不満なく使えているので、何とか「買ってしまう」のを逃れている。^^;

右からレッツノートR8、LooxU、PM。

ところが2001LXやシグマリオンを使ってきたせいか、レッツノートをメインマシンとしつつも、もっと携帯性に優れる、セカンドバッグやウェストポーチにひょいと入れて持ち歩けるようなサブマシンも欲しくなってきた。
そのタイミングで出たんですねえ、パームトップサイズのモバイルノート。シャープのネットウォーカーと同時期に出た工人舎のPMシリーズをフラフラと購入。これは最初に北海道や沖縄に行ったときに携行していたし、一度はセミナーツアー中にホテルでskype面接に使ったりもした。
このマシン、悪くはないんだけどやはり非力で、また無線LANがすぐ切れたりして実用性はいまいちだった。
そういうときに出たのが富士通のLooxU。これは大き目のウェストバッグなら楽に入る大きさなので、自転車で町に出るときにいつも携える。
LooxU。喫茶店あたりでいろんなことをちょこ
ちょこっとするのにちょうどいい大きさなのだ。
少々パワー不足で、skypeでも時々コマ落ちするのが辛いところなのだが、普通にネットをやっている分には問題ないし、キーボードも普通にタイピングできなくはないので、去年はこれでずいぶん添削をした。
受講生から送られてきた答案をDocuworksファイルにしてZumoDrive上に保存し、これを閲覧してEvernoteでコメントを書き、終わるとGmail本文中にコピペしてそのまま送るという形だが、喫茶店でも公園のベンチでも、ちょっとした空き時間に作業ができるので気持ちがよかった。
自転車での移動が辛い真夏や真冬は自動車移動なのでB5サイズのバッグに入れたレッツノートを持ち歩くが、また季節がよくなったら自転車で出歩くだろうからLooxUの出番だ。
問題は老眼かな。買ったころはまったくな何の不都合も感じなかったが、最近はちょっと辛くなってきた。細かい画面を2時間も見ていると、その後世界がぼんやりしてしまうのだ。年だなあ。^^;

左:Xperia、右:XperiaArc。
モバイルPCに負けず劣らず「気になる存在」なのがスマートフォンとタブレット。
スマホは去年の4月に買ったXperiaを使っているが、もう手放せず、普通のケータイには100%戻れない。
Gmail、Evernote、DropBox、ZumoDriveといった私の主要ツールが全部入っているので、メールやスケジュールチェックも含めてかなりのことができる。
さらに通常のネットやニュースの閲覧(新聞がほぼ不要)、移動中のナビ、写真・動画・音声記録、電車確認等、かなり万能ツール状態になっている。
ただ、バージョンアップを繰り返してXperiaの動作がかなりもっさりしてきた。さくさく動くマシンに替えたいのだが、とりあえず1年は使わないと違約金が高くつくので4月までガマン・・・・と思っている。
XperiaArcを買う気になっていたのだけれど、NECカシオから出たMEDIASも薄くていいなあ。正直ちょっと迷っている。
aPad。Andoroid2.1、静電方式タッチパネル。
タブレットはずっと模様眺めである。
試しに中華パッドを買ったけれど、メール、簡単なブラウズ、PDFファイルビューはまあOKなものの、それ以上のことはムリ。フロントカメラがついているのでskypeができるじゃん!と思ったのだけれど、インストールで何度もコケ、なんとかインストールできたものの、今度はサインインから先に進まない(すぐマシン自体がリセットする)ので、まあ使えない。DropBoxもファイルがまともに表示されず、Evernoteも不安定。
まあ実用レベルを期待して買っていないし、去年の模擬面接でさんざんPDFビュアーとして使ったから、次のタブレットを買ったら即ヤフオク行きだろう。
Smartiaには心動くが、タッチパネルが抵抗膜なのが気に入らない。それにAndroid2.1だし。
Life Touch Note。2番機に期待かな。
やっぱりWiFiのみ、7インチのAndroid2.3か3.0のタブレットが出るのを待とう・・・・と思っていたところへ、モバイルギアの流れを汲むスマートブック「LifeTouch NOTE」が発表された。これにはぐらぐらっときましたね。
ソニーのバイオPに近いサイズらしいが、私にとっては「ネオ・モバイルギア」という感じだ。
もうこうなったらノートPCとどこが違うの?という感じなのだけれど、現実問題、タブレットって手で持って使うことってどれだけあるんだろうと考えてしまった。徒歩と電車が常の移動手段であれば、立ったまま操作してメールを見たりブラウズしたりするだろうけれど、地方在住の私は、タブレットを手で持って使うのは電子書籍を読むときくらいではなかろうか?という気もする。
ということで、この「スマートノート」は気になる存在だ。これでskypeもできたら買うかも。
こうしてみると、タブレットが一番心騒ぐ、心穏やかならぬ「気になる存在」なのだろうなと思う。

Readerポケットエディション。気軽に読書できる。
電子モノとしてはブックリーダーも「気になる存在」である。
ソニーのReaderは実にごきげんだ。今は読書場所がベッドやコタツの中に限定されている(喫茶店ではもっぱらレッツノートの出番になっている。つまり喫茶店タイムを雑事を片付けたりするのに使っているのだ)が、ツアーに出たら手放せないものになるだろう。
雑誌の扱いが今の「どんどん購入、パラ読みしてどんどんストック、時々裁断スキャンして廃棄」である限り、Readerだけでも特に問題はないのだが、雑誌がほとんど電子出版されるようになってくると、それ用のリーダーも必要になってくるかもしれない。ただ、雑誌は電子書籍リーダー向きなのかなあという気もするけど。
ということで、電子書籍リーダーについては目下のところReaderが「トドメの存在」なので、心穏やかにすごせている。

尾道で買った帆布のビジネスバッグ。
春からのセミナーツアーに携行します。
カバンもずっと「気になる存在」だったのだが、尾道帆布のビジネスバッグを買ったので、ちょっと「燃え尽き」感がある。やっぱりある程度値の張るものを買うと、それが「トドメの存在」になって、以後はブレーキがかかるね。
でもA3サイズ超のバッグが2つ、B4くらいのものが5つ、もっと小さなのが3つくらいあるから、まあたくさん買ったものだ。それも安物ばかり。^^;
今はB5サイズのバッグがお気に入りで、これにレッツノートその他を入れて動いているのだが、ツアーに出るとなると着替えも入れないといけないから、帆布バッグの出番となる。
これにレッツノートと最小限の着替えを入れて、LooxUや小物を入れたウェストバッグと併せ持ってツアーを敢行しようと思っている。

こうしてみるとほとんどがデジタルガジェットだが、私は「服」「家具」「車」「バイク」「オーディオビデオ」などにはあまり興味がないようで、値の張るものといえばパソコンくらいという、非常にエコな存在になっている。服はともかく、車やバイクなんぞに懲りだすとそのために働くような人生を送ってしまいかねないのからね。
オーディオビデオも行くところに行くとすごいし。私の「気になる存在」で行くところに行くとすごいのはカバンくらいのものでしょう。
果てしないのには「骨董」「絵画」なんてのもあるな。果てしない上に家庭的にも大変リスクの高いジャンルだ。
実は「自転車」にも若干の興味があるのだが、のめりこむ年ではないので、あまり心配はしていない。むしろ年齢・体力的な理由で電動アシスト自転車に手を出すくらいだろう。^o^;
民族楽器各種。
あ、「楽器」というのもあった。
ギターを何本も持っているけどマーチンなんてものはなく、一番高くでも数万円。
変り種としては民族楽器のコレクションがある。中国、東南アジア、中東、アフリカ、南アメリカなどの楽器がごろごろしているのだが、これらは全部ヤフオクで買い集めたもので、高いものでも2万円程度。実は2尺2寸(直径66cm)の大太鼓なんてのもあるのだが、これとて4万円ちょっと。この金額を高いと思うか安いと思うかは価値観次第だけれど、おそらくコレクション全部で20万円もかけていないだろうと思うから、かなり安物買いなのだ。
これを集めていたのはもう7~8年も前ではないかと思う。今はすっかり熱も冷めてしまった。凝り性な上、すぐに熱が冷めては次の対象に興味が移ってしまうのも困ったところで、結果として家の中がガラクタだらけになってくるのだ。^^;
楽器はもう腹いっぱい、モバイルPCもレッツノートでそこそこ満腹感、カバンも尾道帆布で一段落、ということで、次はきっとタブレットPCを買ってしまって、嬉々としてセミナーツアーなんかに持ち歩くようになると思うよ。

2011年2月24日木曜日

ソーダサイフォン、デビュー^^

2月の木曜会。今日はオープンして1ヶ月もたっていないハンバーグの店で。
相変わらずワイワイと気の置けない連中と楽しい夜を過ごしたのだけれど、今回は泣く子も黙る必殺必死のソーダサイフォンを持っていきました。写真の真ん中に写っております。
今日の中身は水ではなくワイン。これに炭酸ガスをぶちこめばスパークリングワインになるんじゃないかという実験をやってみたのです。
うーん、微妙にスパークリング。栓を抜いて冷蔵庫で2晩おいたあとのスパークリングっぽい。
でも、飲み会のネタ、パーティーグッズとしては申し分なし。それがわかっただけで非常にハッピーな私でありました。

今日は昨日からの続きでグランドデザイン関係でちょっと根をつめた1日だったこともあって、頭のリフレッシュが欲しかったところだったので、本当に頭を揉み解してもらっている感じで、ありがたかった。
酒でブドウ糖も補充できたし(できるかっ!)、明日からまたやったろかい的パワーをもらいました。

2011年2月23日水曜日

ブドウ糖をくれ

NPO関係で1日バタバタと過ごした。午前中、近くの小学校でイベントに関して打ち合わせ。

終わってから土手を走っていると、本当にぽかぽかと暖かく、コートを脱ぎ、さらに窓を少し開けて走ってちょうどいいほどだ。見渡す田んぼから山にかけても雪が消え、春の陽気だ。
しかしこういう2月が暖かい年は3月初旬に「寒の戻り」が来る。それも3月2日の「お水送り」に絡むと相場が決まっているから始末が悪い。でもそれが終わったら春だ。

あわただしく昼食をとり、自宅に戻って書類整理をしていたらもう時間がない。市役所でボランティアセンター引越しのちょっとした段取りをして、観光局へ。それから午後10時までず~~~~っと観光局。
グランドデザインについてあれこれ考え、KJをやり、それをまとめていたのだが、「長時間頭を動かしすぎてブドウ糖が欠乏気味」という状態をセミナー以外で味わったのは久しぶりだ。
だけどここががんばりどころ。市役所職員もNPOも民間も関係なく一緒に一生懸命考え、意見をぶつけ合う密度の濃い時間が過ごせたのは、疲れがいがあるというものだ。
終わってから居酒屋へ。ってもう午後10時過ぎなんだけど。50歳のおっさんの食生活としてはありえないんだけど。
なーんて言いながら、今日もうまい魚を日本酒で楽しんだ幸せな私でありました。^^

2011年2月22日火曜日

ソーダサイフォンだそーだ

へへへ、ちょっといいものを買っちゃったよ~ん。(「よ~ん」って、50すぎたオッサンが使うか?と自分でも少しあきれる)

ソーダサイフォンである。容量1リットルである。ふふふ、何をするものかわかるかな?

 まず冷水を注ぐ。水は冷えていたほうがよい。4度程度が一番よいらしい。1リットルたっぷり注ぐ。

 次に炭酸バルブをホルダーにセットする。ホルダーを本体にねじ込むと、「ぶしゅっ」と音がして、圧縮された炭酸ガスがタンクの中に充満する。そしてタンクを数回振る。

こうしてノズルのレバーを押すと、炭酸水が出てくるのですよ。これでハイボールが作れるわけですね。えへへ、嬉しいなあ。(って、ただのうわばみおやじか?)
炭酸バルブは1個100円以下、私が買ったのは1個75円ほど。これでソーダ水1リットルが作れるわけなので、これはおトク。
ちょっと弱めの炭酸だけれど、それだけで美味くなるものですねえ。嬉しさのあまり、1/3ほど残っていた角瓶を空けてしまったCEPAでした。ひっく。(#^o^)ゞ

2011年2月21日月曜日

SUKIYAKI民族大移動

5月に予定している沖縄セミナーと北海道セミナーの、SUKIYAKI塾派遣講師の陣容と往路帰路行程を一気に詰めた。
沖縄へは、北海道から3名(うち1名自費)、東京から2名(うち1名自費)、高知から2名(うち1名自費)、そして私の合計8名が「押し寄せる」。でいごの会のみんな、大勢ですまん。
北海道へは、沖縄から2名、東京から1名、高知から1名、そして私の5名。全員女満別空港に集結。知床さん、よろしくお願いね。

いやあ、大人数ですなあ。民族大移動って感じだ。・・・・ちょっと誰?知床世界遺産さんの「ひとり民族大移動」って言ってるのは?
ともかく講師の皆さんには密度の濃い分野別セミナーをやってほしいと思うし、講師の皆さん自身もぜひ「違う土地」を大いに見聞して大いに感じていただきたい。

私は、今回の沖縄では1日余裕を取った。ゆめたくさんの配慮で、これまでよりもう少し深く文化に触れてみたいと思ったのだ。
北海道のほうは、小浜シカ牧場軍団を連れて行きたいと思っている。1年半前には「知床行ってこんなん見てきた」という「話の種」程度に思われていたのが、あと一歩で実現というところにきている。ここが大事だ。
実は北海道セミナーのあと、電車で青函トンネルを通り、津軽・下北を見て「はやぶさ」で仙台へ、みたいな企みも持っていたのだが、警察ボランティアの絡みで北海道のあと四国に飛ぶことにしたので、その楽しみは来年に回すことにした。

ともかく久々に飛行機の予約をいっぱいしたら疲れた。
ホテルもいっぱい予約した。
ふと見ると、楽天トラベルの私の予約件数は39件だった。この中には派遣講師一人一人の分も入っているのだけれど、それにしてもアホや。^^;

今日の夕食は再びふきのとうの天ぷら。我が家の裏庭に生えていたのを母が積んできて天ぷらにしてくれた。美味い。

2011年2月20日日曜日

遥かなる技術

小浜城のパンフレット編集をしている時に、近所に住む郵便関連を中心に骨董品のコレクションをしている人と知り合いになったので、小浜市の文化遺産担当者達と一緒に、コレクションを見せてもらいに行った。
個人コレクションなので写真を掲載したりはできないが、とにかく圧巻であった。
特に、郵便事業のはじまりに関する話を聞き、欧米列強に囲まれた中で国の体制を変え、貧しい中で急速なインフラ整備を整えた明治の官僚の仕事にも大いに感じ入るところがあった。「省益」なんぞを最優先にする現代官僚(もちろんそんな輩は一部にすぎないだろうが)との圧倒的な違いは何なのだろう。
また人力車の松葉ばねや鉄の輪をはめこんだ車輪などの職人技術、現代工学にもできない高度な技術・スキルにまた驚く。
「人の力」は現代において低下してしまっているのだろうか、あるいは能力が発揮される分野が変化しただけなのだろうか。プロとしての「研ぎ澄まされた感性」などというものは、今のエンジニアには不要なものなのだろうか。だとするとちょっと寂しいけれど。


夕食はフキノトウの天ぷら、カレイの煮つけと高野豆腐、ネギと豆腐の味噌汁、ご飯。
天ぷらに塩をつけてサクッと食べると春の息吹が鼻腔いっぱいに広がってもう最高。カレイの煮付けも最高。味噌汁もネギと豆腐の味噌汁が一番好きだ。

2011年2月19日土曜日

海に近い村

午後、阿納という集落の民宿で警察協助員会の研修会。

若狭地方の(おそらく若狭地方だけでないと思うが)漁村は、集落内からいくつかの道が海に向かって伸び、それぞれが浜に出て終わる、櫛の歯のような道路配置になっている。
ところが漁村というのは海沿いの狭い平野にひしめきあって立地しているため、近代的な道路を通そうと思っても土地がない。
結果、集落と海の間に海岸道路みたいなものを通すことになって、それは漁港の物流にもプラスになるし、海水浴客も便利がよくなるので、いいことずくめ・・・・のはずなのだが、結果として人々の生活圏と海が分断されることにもなったりする。
そんな中でこの阿納集落は、その両隣に他の集落があるのではなく、行き止まりの場所にあることなどの立地条件から、海岸道路が作られずに集落からそのまま浜に出られる残り少ない集落である。
さらにこの集落はほとんどの家が民宿を営んでいてサラリーマンが少ないので、みんなの生活リズムが同じだ。だから神社祭礼を平日でも行うことができる、残り少ない集落でもある。

民宿が海沿いに立ち並び、その軒先はすぐに浜、そして海。
こういうところで美味いふぐなど食べながらゆったりと酒を酌み交わす。道路がないから音がしない。聞こえるのは打ち寄せる波の音だけ。
このゼイタクを知っているのは、SUKIYAKI塾では勘介さん、バイアさん、ラガーマンさんご夫婦、知床世界遺産さん。同じところで今度はすごろくさんに味わってもらいます。

今日は研修会の後で懇親会。
不覚にも写真を撮るのを忘れたが、コリコリした刺身が絶妙。他の土地に行くと、本当に美味しいものがいっぱいあるのだけれど、腹いっぱいになってもまだ美味しいと思いながら食べ続けられるのは、やはり私が食べて育った地元の食だからだろう。
9時前にお開きとなったので、少し酔い覚ましに浜を散歩しようか・・・・と思ったけど、さすがに寒いのでやめた。
3月くらいになると気持ちよく散歩できるだろうな。楽しみだ。

2011年2月18日金曜日

小浜湾の風景

16日はすごくいい天気だったので、午前中いろんな用事を片付ける合間に、ちょっと海のほうへ行ってみた。
海に直接落ち込む急斜面にへばりつくように道路が走っていて、市街地の西の端からこの道路を少し行くと通称「高成寺裏」(「浦」かな?)という小さな浜が岩磯の間にあるところに出る。高成寺という大きなお寺があって、その裏山を越えたところの海岸だ。

この浜を見下ろせ、小浜湾が一望できる高台は展望台みたいになっていて、車で直接やって来れて数台程度止められる駐車スペースもあるので、ここで気持ちよく昼寝している人もいる。
岩磯の間に小さな浜が3つある。中学生のころ、夏休みには毎日のように泳ぎに来ていた浜だ。
手前から一の浜、二の浜、三の浜と呼んでいた。
一の浜は粗い砂~砂利。道路から降りてすぐの浜なので人が多く、浜茶屋が出ていたこともあった。コーラが1本200円のバカ高値だったが、喉の渇きに負けて買い、敗北感の中で飲んだものだ。写真真ん中の右下に小さな岩が2つ海から顔を出しているが、ここが飛び込み台になっていた。
二の浜は一番狭く、砂利浜。写真では岩の出っ張りの陰に隠れて見えない。なぜかここは波が荒く、水も冷たかった。
奥のほうに見えているのが三の浜。一番砂が細かく、一番広いのだが当時は遊歩道もなくてここまで来る人はあまりおらず、浜を独占している気分になれて一番好きな浜だった。
浜を見下ろしていると、当時のいろんな風景、友達の顔、波に揺られる感覚や潜っているときのカンカンと頭に直接響いているような水の中の音がよみがえってくる。
またこの浜には、真冬になると激しい波が打ち寄せる。それを眺めているのも好きで、よく一人で来てずっと眺めていた。
そういえば、荒れ狂う海を一人で眺めていると、一度ならず「馬鹿なことはやめなさい」と言われた。そんな悲壮感が漂っていたのだろうか。

この高台にはお地蔵様があるのだが、市街地から毎日歩いてきて掃除し花を供えて帰る人(人たち?)がいる。冬には写真のように菰を巻いてお地蔵様が寒くないようにしている。
小浜の人たちはお地蔵様を大事にしていて、まちなかにもたくさんお地蔵様があるが、当番を決めたりしてきちんとお世話をしている。こういう素敵さはもっといろんな人に伝えたいなあと思うのだ。
実はこのお地蔵様のすぐ横から、かつて北朝鮮に拉致された地村さん達が海まで引きずりおろされている。人の善意だけが感じられるような平和そのものの風景と、とんでもない邪悪な人の行いを、同じ場所に重ね合わせてイメージすることは本当にむずかしい。

視点を上げて見渡せば、小浜市街から小浜湾が一望できる。
市街地のほうをみると、海のすぐ後ろに山が控える。海から山まで1kmもない、狭く横に伸びた平地に集まって暮らしている。
ちなみに古い市街地は海岸砂州の上に成立しており、砂州と山の間がラグーンみたいな入り江になって、ここに港を擁して若狭国がずっと栄えてきた。
古くは中国・朝鮮半島から日本の朝廷に向かう人々が入港し、近世では千石船がやってきた。
川が流入するため水深が浅い小浜湾は、明治以降の船舶大型化の中で港湾価値を減じ、やがて歴史の中心から外れていく。しかしそれが古いまちなみと素朴な人々の暮らしを守ってきたともいえる。

市街地から左へぐるっと見渡すと小浜湾を一望できる。
小浜湾は、東から内外海半島、西から大島半島という、いずれも長さ10kmに満たない小さな2つの半島がハの字を描くように張り出して、包み込むようにして小浜湾を囲んでいる。
このため小浜湾は入り口が狭く奥に広がる袋状の波静かな湾になっている。日本海から津波がやってきても安心なのだ。
内外海半島の主峰・久須夜岳は標高620mほど。これでも若狭地方では高いほうだ。この裏側に名勝・蘇洞門がある。市街地にいると、この山がだいたい北の方角の目印になる。また冬には雪が降る前にまずこの山に雪雲がかかる。「久須夜が見えないから雪が降る」というわけだ。

その左側、小浜湾の入り口。
幅は2kmほどしかなく、ここからしか外海は見えない。ぱっと見ると湖のような小浜湾の光景なのだ。ちなみに小浜湾の奥のほうでは幅10km以上になる。
小浜湾の外側には若狭湾があって、その先に日本海が広がる。つまり小浜は二重の湾の奥にいるわけだ。
若狭湾は本州のまんなかあたりにあるので、寒流の魚も暖流の魚もやってくる。いろんな魚が獲れる豊かな海だが、同時に四季を通じて食を提供してもくれる。小浜が「御食国」(みけつくに)として朝廷・都に食材を提供し続けてこれた所以だ。そしてそれは、飢饉になったことがない気前のよい自然のもとで、おだやかな住民気質を育ててきたともいえるし、文化を守ってきたともいえるのではないだろうか。

さらに左には大島半島。この先端(写真では右端)に関西電力大飯原子力発電所がある。
かつては船でしか渡れない陸の孤島だったが、この原発建設に伴って橋と道路が作られ、住民はすごく豊かになった。大飯町は全国有数の豊かな(補助金などへの財政依存の少ない)自治体になり、独居老人も含めた全世帯にCATVとともにブロードバンドが無料で敷設された。
地質学的にも面白い半島で、大部分が超塩基性岩からなり、オフィオライト、つまり地球の地殻がめくれ上がって地表に飛び出したものだと言われている(と思う。最近地質学に疎いので・・・・^^;)。この大島半島には、「ニソの森」も多く残されている。常緑樹の森の中に小さな祠がひっそりと祀られ、禁足の地が保たれていたのだが、近年激減しているという。

いつも見慣れた光景だけれど、ほんの数分の時間をとって時間の動きを緩やかにし、心をなだらかにしてゆったり見渡してみると、様々なことが思い浮かんでくる。
きっとどんな土地にもこういう光景と物語があるのだろう。旅に出るとそういうものの片鱗に出会うのが楽しみでもある。