2011年3月25日金曜日

沼島行

津名の明るい朝、若干寝不足気味ながら、とにかく添削を続けないといけないので、朝から脇目もふらず添削。
やっていて思ったのだけれど、これくらい広い部屋だと息が詰まりにくくて効率が上がる。ビジネスホテルのシングルルームだと、少しデスクワークをするとすぐに息が詰まってしまうのだ。
かといって分不相応に豪華な部屋も落ち着かないので、私にはこういった国民宿舎的な宿があっているような気がした。今度書籍執筆が苦しくなってきたらこういう宿にこもろうかな。

アクアスキームさんの車に載せてもらって、土生(はぶ)の港に到着。ここから連絡船で沼島(ぬしま)に渡る。
沼島は意外なほど近くに見える、沖合4.6kmに浮かぶ周囲10kmほど、人口600人弱の小島で、古事記にある「オノコロ島」(イザナギとイザナミが鉾で海をぐるぐるかき回したら、その先から滴り落ちた塩水が固まってできた島で、2人はそこに降りて柱を左右から回って「おお、なんと麗しき姫君」「まあ、なんて凛々しい殿方」という、現代的にはええかげんにせえよ的なことをして夫婦の契りを結んだという、日本のはじまり神話の島だといわれるところである。

で、まあそれなりの意気込みをもって渡ったわけであるが、この連絡船というのがほぼ漁船と変わらない大きさでばんばん波を蹴立てて突っ走る。

ものの10分で沼島に到着。海岸通り以外には車が走れるような幅の道があまりない、静かな漁村であった。

まずは腹ごしらえ、鱧料理で有名らしい「木村屋旅館」で蛸天うどん定食をいただく。蛸の天ぷらは絶品、うどんも美味く、鯛の刺身はコリコリ。腹一杯で大満足。

まずは「おのころ神社」に行かないと沼島に来た意味がない。海岸沿いに少し行くと、倉庫の横に倒れそうな「おのこ神社」の小さな看板。うーむ、このコンクリート製の狭い階段を登っていくのか?




高齢者は絶対無理!という感じの山道を登って行くと、急な階段の上におのころ神社はひっそりとあった。なんだかでかい神社ではなくて逆にほっとした。


山を降り、沼島小中学校の横を通って上立神岩へ。岩も絶景だが、黒色片岩がごろごろした荒々しい岩磯も素晴らしく、できるならば1時間程度ここで海を眺めていたい光景だった。
集落へ戻り、街の中をうろうろ歩く。いろんなものが目に新しく、楽しい時間だった。
八幡宮では盛大な祭りが行われ、だんじりが出る。

八幡宮。階段を登る気力すでになし。^^;

沼島にも神宮寺があったのだ!

神宮寺。

瓦、屋根の形、どれもが珍しい。

がったりがある。

がったり。
再びカッ飛び連絡船で淡路島に戻り、アクアスキームさんと徳島へ。
もはや気安い間柄になった(と私が勝手に思っている)徳島県技術士会の皆さんと楽しく会食。
添削がちょっと滞り気味だなあと思いつつも、気持よく酔ってホテルに戻った。

2011年3月24日木曜日

淡路へ

今日から淡路→徳島→高知と移動する。セミナーも開催するが、いろんな人と会い、合格祝いをしたりするのも目的だ。震災の後だけに多少気後れするところもあるが、我々西日本の人間が元気に活動しなければ!という思いも胸に出発。

いつものように小浜駅まで自転車で行き、小浜線に乗る。敦賀駅で乗り換えてサンダーバードで大阪へ。
敦賀駅で「試運転」と書いた見慣れぬ列車を発見。誰かわかる人いますか?

大阪からバスに乗り、淡路市へ。小浜駅で電車に乗ってからずっとひたすら経歴票添削していたので、さすがに目が疲れて一眠り。
淡路市でアクアスキームさんと会い、ご一家と一緒に食事。御食国・あわじの旬の食材を堪能。メバルをワカメと炊いたものの美味いこと。
なんとアクアスキームさん、GalaxyTabを購入し、WiFiで使っているとのこと。え?WiFiだけで買えるのか?こりゃあいいことを聞いた。小浜に帰ったらすぐ・・・・と思ったのだが、Android3.0を載せたタブレットのほうがいいかなあ・・・・なんて考えたり。
宿泊は津名ハイツ。ちょっと(かなり?)古い施設だが、とにかく安い。
この部屋で5,000円弱ですよ。LANはないけどWiFiルーターがあるから何ら問題なく、季節外れで大浴場も独り占め。大満足のツアー1泊目でありました。

2011年3月23日水曜日

Just Begin

今日はボランティアセンターの引越し。午前中かかっていろんなものを新しいセンター(といっても中央公民館の一室だけだが)に運び込んだ。


新しい空間、ここから何が生まれるだろう。
というより、ここから何を生み出せるだろう。
最初にボランティアセンターができたのは平成16年。あのころも厳しい情勢だとか言われていたけれど、今になって思えば、昨今の比ではない。
ある中学校の卒業式で、卒業生が「未来が見えません。しかし先生方、両親に受けた恩、温かい心だけは信じていきたい」と言ったらしいが、本当にそういう時代だ。

そういう中で「ボランティアなんて遊びにうつつを抜かして」と言われる。
それに反発し、どこまでも市民の立場で世の中づくりに挑戦したい、「ここまでできる」と言ってやりたいと思って今に至る。
人間50年というけれど、確かに残りは多くないと実感している。

そういう中で、自分という人間が世の中にどのように働きかけたりできるのだろうか、自分には何ができるのだろうかと、特にこういう大災害が起こった後では考えざるをえない。
それは結局、自分にとって大切に思うもの、譲れないものは何なのだろうかという問いでもあるかもしれない。


いい年をして「熱い思い」でもないもんだけど、何か気持ちが高ぶってこの場所を離れることができずに、午後の時間をずっとここで過ごした。


2011年3月22日火曜日

つくしんぼ

今日もバタバタで過ごしたが、明後日から淡路~四国と回るために目処をつけておかねばならない、目の前のいろんなことはひととおりできた。
福井新聞を見ると福井県出身のつくば大学生が福井大学生と共同で福井市内で募金活動を始めたとのことで、明日から娘も泊り込みで福井市にいくらしい。つくばから娘を乗せて帰ってきてくれた彼らには感謝感謝だ。

明後日からの行程を考えると、一番ピンチなのは経歴票添削なので、今日もあちこち動きまわる途中で食事時間や待ち時間を利用してノマドワークでちょこちょこ進めた。
マクドナルドが思いのほか作業効率が上がることを発見。こんなことはちょっとした相性なので、いろいろやってみることが大事だ。

夕方帰宅したら、我が家の裏でつくし発見。知らぬ間にもうずいぶん伸びていた。
ちゃんと春はやってきていて、いろんなところで芽吹きがどんどん進んでいる。今年は幸い母が家の裏でふきのとう(えらく育ったでっかいの^^;)を採ってきてくれたので少し味わうことができたが、本格的な山菜になるともうずいぶんご無沙汰だ。
山の中や原っぱをうろうろして春の芽を探し、これを摘んできて食べるということがすごく贅沢に思えてくる近年だ。

2011年3月21日月曜日

コメント入力ツール

いろんなことの年末処理が重なり、またAPEC-semiの出願書類作成講座が早くもピーク気味で、SUKIYAKI塾のコーディネートが遅れていて申し訳ない限りだ。

毎年、APEC-semiとSUKIYAKI塾で200人近い受験生と1年間付き合う。
提出された経歴票や筆記答案、体験論文を添削するわけだが、この添削記録をどうやって作るかは長年の課題で試行錯誤の繰り返しだ。

当初はWordでコメントを書き、メールに添付していた。添削での指摘内容は、よくあるパターンというのがあるから、テンプレート集みたいなWord文書を作っておき、これからそのつどコピペして加筆修正して作ると効率的だった。
そのうち添付という作業が面倒になってきた。メールのサイズも大きくなるので、1年分のやりとりを全部保存するとたいした量になってしまうのも気になるところだ。

そこで2009年度(APEC-semi開始1年目)は、3月に購入したポメラを使ってコメント入力を始めた。ウェストポーチに楽々入るコンパクトボディを開くと打ちやすいキーボードが出てきて、起動も2秒。ずっと「テキスト入力さえできればいいモバイル機器」を追い求めていた私にはまさにピッタリだった。
欠点は、一度に開けるファイルが1つだけでテンプレートからのコピペができない点。しかたないのでテンプレートを開いて加筆修正する形でコメントを作り、これをリネーム保存していた。そしてUSB経由でPCに送り、メール本文に貼り付けて送るようにした。
でもこの方法だと過去のコメント履歴が読めないので、結局PCも開いて参照しながら入力したりして、それなりの不便さはあった。またポメラ自身はネットにつなげないので、クラウドを使っている今はもう活躍の機会はなくなっている。

2010年度はLooxUが活躍。ポメラほど打ちやすくはないが、タッチタイピングはできるし、レッツノートより小さいので大きめのウェストポーチなら入る。なんといっても無線LANつきWindowsマシンなのでポメラの欠点は全部カバーできる。
同時にGメールを使い始めたので、メモ帳でコメント入力して、これをGメール本文に貼り付けて送信。
そしてその記録や送られてきた経歴票や答案・論文、これまでのコメント履歴(Gメール本文)は、全部Docuworksに「印刷」してバインドし、クラウド(Zumodrive)にまとめて置くというパターンになった。
これでレッツノートとLooxUでファイルを共有してどちらでも同じ仕事ができるようになった。
自宅やホテル、電車の中ではもっぱらレッツノート、ちょっとした外出とか飛行機の中、隙間時間などはウェストポーチからLooxUを取り出して、Docuworksにしてバインドした提出物や既存コメントを見ながら、メモ帳でコメントを入力というスタイルだ。
そして2010年度後半はEvernoteを導入。HTML形式でのテキスト入力ができるので、アウトライン化したコメントを入力し、これをGメールにコピペしてHTML形式メールとして送信という、さらに効率的なスタイルになった。
喫茶店や電車でひょいとLooxUを開き、隙間時間に1人分だけ、といったようなコメント入力をしていたものだ。

そして2011年度、すでにAPEC-semi出願講座の添削はどんどん進んでいるのだが、DocuworksではなくEvernoteに全部放り込むようになっている。
受講生から送られてきたメールに添付されているExcelやWordといったファイルをそのままEvernoteに「送る」として放り込み、メール本文もコピペすれば受信内容がそのまま記録できる。そしてコメントはEvernote上でHTMLテキストとしてテンプレートをベースに作成し、書けたらGメール本文にコピペして送信。
Evernote上ではこれらのノートを、マージ機能を使ってどんどんバインドしていけば、受講生人1人1冊つのノートに全部記録が残っていくというわけである。
こうなるとデータは送られてきたメールと送ったコメントだけになり、作業の過程でGメールとEvernoteに両方とも蓄積されていくことになる。いずれもデータはクラウド上にあるのでPCのストレージを消費しない。(グーグルやエバーノートがサービスをやめたら悪夢になってしまうが、両方が同時にサービスをやめない限り大丈夫だから、リスク保有してもいいだろう)

Evernoteにデータを置いているということはスマホでも閲覧できるということなので、こちらで書類を見ながらPCでコメント入力もできるわけだが、さすがにスマホの4インチちょっとの画面では50歳老眼には辛い。^o^;
やっぱ7インチタブレットだなあ。はやくいいのが出ないかなあ。

2011年3月20日日曜日

またテレビを見なくなった

昨日あたりから、NHK以外のテレビ局はほぼ通常番組に戻ったようだ。私はテレビをあまり(かなり、「あまり」)見ない人なので、またテレビを見ない生活に戻った。
原発の情報のみ気になるので時々グーグルリーダーを見ているが、テレビからは離れてしまった。
帰宅すると情報確認のためにテレビをつけるが、ジャグって情報がなければすぐに消している。
原発から、食物からの放射性物質検出にニュースの主眼点が移った感もあるが、やっぱりマスコミは危機感を煽るよなネタが好きなのだなあと痛感する。「真実を伝える」という役割を担っていると思っていたこちらが馬鹿だったのかもしれない。

雑事でなんとなく落ち着かない1日だった。「祭りのポスターとチラシのデザイン」なんて、この時期にこんなことをやっていると若干の後ろめたさを感じなくもないのだが、大事な地域行事であることは変わりない。
本当に平穏無事な日常が過ぎていくことが申し訳ないと思うほど貴重に思える。

2011年3月19日土曜日

みんながんばれ

帰省している娘の携帯に、娘が行っているつくば大学の新年度授業の開始が遅れるかもしれないというメールが友人から入ってきたらしい。
それを聞いて私が
「そりゃそうやろ。生活できへんもんな」
と言うと娘が
「できるよ」
「だってガソリンも食べ物も買えんのやろ」
「それ東京やん」
「つくばは物資あるんか?」
「買い占めないもん」
そうなのか?被災地に近いほど物資不足がひどくなっていくもんだと思っていたが、東京のあの状況は買い占めの影響も大きいのか?

今日ははまかぜプラザで「小浜落語まつり」。飲んだ勢いでういままから5,000円分の回数券みたいなものを買ってしまったので、行かなきゃ損だと思って自転車でえっちらおっちら行ってみた。これから雨でも降らない限り、できるだけ自転車で動きたいものだ。

久々の生高座、やっぱりいいものだ。噺家さんのちょっとした呼吸が伝わってくるので、「面白い空気」が感じられるのはいいねえ。

娘は連休明けから名古屋に行って物資の仕分けのボランティア活動をするらしい。名古屋港でそういうことをしているらしい。学生たちのネットワークもなかなかあなどれないが、自由度が高いことを活かしてぜひがんばってほしい。

とにかく今は、「みんな、がんばれ」だ。防災にせよ危機管理にせよ、いろんな反省点や改善点は明らかになっていくのだろうけれど、とにかく今は口ではなく手を動かすときだ。

2011年3月18日金曜日

スパゲッティしかなかったらしい

千葉にいる息子がマーケットに行ったらコメも何もなくて、スパゲッティを一袋だけ買ってきて、何か工夫して夕食を食べているらしい。
それはそれでいい経験だとも思うのだが、さすがに母(つまり息子のおばあちゃんですね)はそのような話を聞いたら居ても立ってもいられなくなったらしく、我が家の近所のマーケットで(小浜ではいわゆる品薄現象はまったくない)コメやらいろんなものを買ってきて宅急便で送ったらしい。

モノ余りとさえ言われる日本だけれど、意外と物流基盤に厚みがないのか、今回の地震がそれだけ未曾有だったということなのか、それはわからない。とにかく大変な物不足に見舞われているようだ。
電気を節約しても直接的にそれを回すことはできないようだけれど、ガソリンを節約して余裕分を回すことはできそうだ。それはもう明白だと思うのだけれど、西日本の首長のみなさんからそういう声は上がったのだろうか?

「今できること」が募金と物資提供以外に思い浮かばないのだが、できるだけ歩いたり自転車に乗ったりして、ガソリンを使わないようにするくらいのことはできそうだ。自己満足かもしれないけれど、「何かしている」という実感も持ちたいしね。

2011年3月17日木曜日

季節はずれ


お水送りが終わると春が来る・・・・はずなのだが、こんな時期にこんな天気は記憶にない。
この雪が福島第一原発に降ればいいのに・・・・と思うのだが、冬型のときに太平洋側で雨や雪が降るはずもないか。
福島は本当に大変だと思うけれど、どうかがんばってください。

テレビでは少しずつニュース以外の番組が流れ始めている。
コマーシャルでは圧倒的にACのものが多くて、同じCMを1日に何度見ることだろうか。
「子どもにあなたの手当てを」のCM、高校生くらいの男の子が迷いながら歩道橋を上るおばあさんの手を取るCM。何度も見ているのに、ちょっと気を許すと涙が出てしまう。どんなに甘いといわれようとも、弱い人に手を差し伸べない世の中はダメだ。それが原点なんだろうな。

2011年3月16日水曜日

市民力

福島第一原発の状況は相変わらず極めて厳しい。現場で命をすり減らしながらがんばっている技術者の皆さんを思うと胸が締め付けられる。戦い終わってほっとしたときが心配だ。
オンライン販売している「筆記試験答案実例集」、SUKIYAKI塾講師の派遣事業を来年度さらに拡大するための原資に考えていたが、今年と同程度の規模にとどめ、それ以上の収益分を義援金に回すようにしたいと思っている。こんなことしかできないのが悔しいけれど、「できるときに、できる人が、できることを」だ。
今、被災地に必要なのは、救助等のプロと物資・お金だ。もう少し先になるとマンパワーが必要になるだろうけれど、今はこれくらいしかできない。

福井市の街角にあったもの。バス停の近くにスコップがひとつ。バスを待つちょっとの時間に、このスコップで雪をひとかきしてくださいという呼びかけだ。
おそらく心無い(というか考えの古い?)市民から「そんなんはバス会社の仕事やろが」という言いがかりもあったことだろうが、そういうことに萎縮せず、市民に協力を求めたことに拍手を送りたい。

路面電車で鯖江へ移動。平日の午前中でガラガラだが、市民の足として貴重なインフラだ。
鯖江で「新しい公共」に関するNPO関連のミーティング。
震災後の社会は(その程度はわからないが)これまでとは異なってくるだろう。そしてその社会は、もっと市民力を必要とする社会になるのではないかと私は思う。だから私はそっちの方向、自分がこ「こっちだ」と思う方向に向かって力を注ぎたい。
がんばれ、市民。

2011年3月15日火曜日

平穏なまちに

今日は福井市で防犯協会の理事会・総会である。
小浜駅まで車で行って通学列車の1本後に乗ったら実にもうガラガラで、ホームで電車を待っているのは5人ほど、電車の中では4人席を1人で独占。

敦賀駅はいつもと変わらぬ静かな雰囲気。ここから特急サンダーバードに乗り換えて福井へ。そういえば「雷鳥」はもう退役したのだなあ。

福井駅に着き、歩いて会場へ。予想以上に早く会議は終わったので歩いてホテルへ。
ホテルの10階から見渡す福井の町は、生暖かい空気の中でほわんと広がっていた。でも、写真左側に写っている足羽川が平成16年に氾濫して福井豪雨災害となったのだ。そんなことを考えていたら、防犯協会の会長さんの挨拶が思い出された。
「福井空襲があって、焼夷弾が降り注ぎ、焼け野原になった」
「それから数年して、福井地震があった」
「それから数年して、今度は伊勢湾台風がやってきた」
このほわんとして見えるまちは、本当に数多くの災厄を、人々の限りない力で乗り越え、今日に至っているのだ。そのことを思うとまた涙が出てきた。

夕方から、福井県内から合格したSUKIYAKI塾受講生のお祝い。18時に始めたのに終わったら0時を過ぎていた。
なんというか、今度の震災を目の当たりにして、体の中にたぎる思いがある。これをどんな形でもいいから、そのまままっすぐ、技術者の思いが世の中に直結するようにして伝えることができたらどんなにいいだろう。

2011年3月14日月曜日

Wake Me Up

月曜日になると、もう少し地震関連の動きがあるのかなと思っていたのだが、私の周囲にはあまり動きはなかった。考えてみればそれはそうで、体系的に多くの人が動いてもかまわなくなるまでは少し時間がかかるのだろう。
食料や毛布、子ども・大人用おむつ、ペットボトル水といったものの寄付受付の案内だけがきた。もどかしいのだけれど、今できることといったら義援金と寄付だけという状態だ。
娘は11時過ぎに帰ってきた。福井県出身の学生同士で車に乗り合わせて帰ってきたのだという。
地震からこっち、おそらくあまり寝ていなかったのか、帰宅してから夕方までずっと寝ていた。

世界中から支援と励まし。被災地の人たちが「こういう時だから笑っていようと言っている」と話していた。
計画停電初日でもあったが、停電しなくても何とかなる程度にみんなが節電したらしく夕方まで停電が回避された。間引き運転の中での駅のものすごいラッシュの中での節度もすごいと思うが、小さな節電の積み重ねで大きな停電を回避したというのは、小さな人の力の積み上げが持つ力は、この大きな社会の中でも小さなものではないのだということを教えてくれた。

本当に想定をはるかに上回る地震動だったが、それ自体による被害は甚大といえるものではない。耐震技術・耐震基準はすごいことが確認されたと思う。
いっぽう津波の被害はやはり甚大で、「防災の町」の10m防潮堤すら越えたというのだから、もう明らかにハード対策の限界をずっと超えている。
これでダメだったのだから、では15mや20mの防潮堤で海岸の町を囲むのか?それは現実的とは思えない。津波に対しても、「減災」をもっと重要視していかなければならないということなのではないだろうか。
海岸にあるまちならば津波のリスクを考え、防災と利便性と市民サービスを一体化したようなまちづくりをしていくべきではないだろうか。
緊急時避難とともに医療や高齢者・子育てサービスやマーケットのような小売サービスや行政や市民活動なんかを放り込んだ3Fか4F以上のRC造複合施設をPFIで作るとか、できないだろうか。思い付きだけれど。
そしてライフスタイルを自転車に。自転車で20分逃げればかなり走れるから、複合施設を含む、なんらかの施設に逃げ込めるのでは。

福島第一原発は、今回のカタストロフィをクリアしても、もう使えないだろう。たとえ将来いつか復活したとしても、それはずっと先のことになるだろう。第二原発もすぐには動けない。
ということは、電力不足はずっと続くことになる。福島第一全部で470万kW、第二が440万kW、合計910万kWなのだ。
まさか計画停電をずっと続けるわけにはいかないのだろうから、なんらかの方法で社会経済活動を維持する方向に進むのだろう。
防災というものに対する考え方や社会の重み付けはもちろん、社会システムやライフスタイルが大きく変わっていくかもしれない。
計画停電の中、自転車が売れに売れているらしい。やはり自転車か。


原発の問題はいまだ「今そこにある危機」として次々と現れてくる。2号機が空焚きになったかもしれないというニュースが流れたときは、今までで一番ぞっとした。まだ災厄は去っていないのだ。さすがにこれはもう願うのみだが、一人ひとりの力の限界が突きつけられたときこそ「社会」が助けてくれること、そしてその「社会」は一人ひとりの努力の積み重ねが無力なものではないことも学んだ。

被災した人たちがあんなにがんばっているんだから、我々ががんばらなくてどうする。
がんばろう。

2011年3月13日日曜日

地震から2日たった

地震の被災者数が「やはり・・・・」と思う数字になってきた。あの津波を見れば・・・・
地震規模、震源位置、そしてその結果としての津波の規模、どれもが想定外。特に津波規模が。
あのような規模の津波が来ることを前提に防災インフラを整備するなど不可能なことだから、やはり減災しかないのかもしれない。「じゃああの災厄を最小化できるような減災はあるのか」と言われると、それも不可能だろうけれど・・・・

昨日から「道の駅」のオープニングイベントをやっている。昨日はどうしても足を運ぶ気になれなかったが、顔を出さないのはあまりに申し訳なく、女房と行ってきた。
ステージイベントは全部中止して、売り上げは全部義援金に、さらに義援金の寄付箱も設けてあった。
明るい日差しの中で、控えめに、しかし一所懸命、まちづくりのためにみんなが力を合わせていた。
ぼんやり見ていると、津波に流されてしまった三陸のまちも同じように、それぞれがまちづくりに取り組んでいただろうにという思いがこみ上げてくる。またいても立ってもいられない気分になってくる。

娘は今日、福井県出身の学生たちで車に乗り合わせて帰省するらしい。
19日に車をつくばに持っていく話もキャンセルだ。
21日のセミナーはもうかなり多くの人が受講料も払ってもらっているので中止はできないから、結局私一人が東京まで行くことになった。

何かしなければ、と思ってはいるが、とにかく少し落ち着いてからだ。
明日は月曜日、福井県・小浜市などいろんな枠で動き出すだろうから、その中でできることを考えていこうと思っている。

2011年3月12日土曜日

慄然とする

昨日から今日にかけて、日ごろあまりテレビを見ない私が、かつてないほどテレビを見ていた。速さ・信憑性の点において、やはりネットとは雲泥の差だ。
昼間のうちに被害規模が明らかになってくるかと思ったが、今日はとにかく目の前の被災者救助で精一杯だったようで、それだけ甚大な災害だったということなのだろう。
夜になって、被害規模が桁違いだということを示す数字が少しずつ上がってきたようだが、明日から明後日にかけて、慄然とする数字がテレビに映されるようになるのだろう。

このようなものすごい災厄の中で、「自分」というこのちっぽけな人間には何ができるのだろうか。
今はまだ考えがまとまらないが、とにかくぼんやりテレビを見ている場合ではないことは確信する。

2011年3月11日金曜日

地震

大変な地震だ。被害の大きさは想像をはるかに超えるだろう。津波がいかに何もかも破壊してしまうかを見せ付けた奥尻島での悲劇が、はるかに広い範囲で、はるかに数多くの人たちに起こったのだから。
小浜は震度2。揺れを感じた瞬間にプレート地震だとわかった。とすればまずもって三陸沖なので、いの一番に娘に電話をかけた。ぐずぐずしていると不通になるからだ。
ものすごく揺れたとのこと。ネットによればつくば付近は震度6弱だったらしい。火の元を確認させ、壁や天井の状況、アパートの他の部屋や隣家等からの出火がないことを確認させ、緊急避難に備えた準備をさせ、ここでいったん電話を切ったらその後のつながりにくいことつながりにくいこと。
息子は千葉だったので揺れは少し軽かったようで、息子いわく震度4とのこと。
ともかく家族が無事だったのでよかったが、これから次第に明らかになっていくだろう被害の大きさを考えると背筋が寒くなった。阪神淡路のときよりずっと。

2011年3月10日木曜日

Here comes the SUKIYAKI塾

今年はいつもそうなのだが、ブログで「いい天気だ」とか「温かくなった」とか書くと、その翌日はえらく荒れた天気になる。どうも敵に見張られているようだ。^^;

朝からどっかーんと雪。でっかいボタン雪がぼとぼと落ちてくる。
しかし春への歩みを押しとどめることはできず、降らせる雪が尽きると同時に青空が戻ってきて、日差しが雪をどんどん融かす。

風は冷たいが空気はクリアでコントラストのはっきりした明るい世界だ。

夜、SUKIYAKI塾出願支援講座の募集開始。
以前は「早い者勝ち」だったので、最初の1分で100人応募!なんてこともあって、「ひえええ」と言いながら真夜中まで一心不乱に処理に追われていたものだったが、一定期間受付の後に受け入れ枠をオーバーした部門・科目に限り抽選というシステムにしたため、あの狂想曲は今は昔、今回は最初の5分で10人程度と極めて静かなスタートになった。
ともあれ講師の皆さん、今年もよろしくお願いいたします。

2011年3月9日水曜日

Here comes the sun

春になったなあと思う。風は肌寒いし、気温も低いけれど、なんというか陽光が明るい。すみずみまで日の光が届けられていて眠っているものたちを揺り起こしているようにみえる。

女房の親父さんが、もう乗らないからと車を娘にくれたので、19日につくばまで運転していくのだが(軽自動車を、ですよ。もう大変。ToT)、今日は夏タイヤを取りに女房の実家に行った。
帰りにふと思いついて、夏に子供達が泳ぎ場にしている所にある「しょんべん橋」を通った。普通車がギリギリ通れる幅しかない小さな橋で、「しょんべんのような流れでも流されてしまう」という意味のあだ名らしいのだが、ここからみる泳ぎ場は、雪解け水の豊かな流れが河原をおおって、それが明るい光に透き通っていた。

夕方、ボランティアセンターで次年度の打ち合わせ。帰宅して明日から起動するSUKIYAKI塾2011の募集準備。
いろんなものが新しく動き出している。

2011年3月8日火曜日

前向きに

APEC-semi開講にあわせて、これまでのセミナービデオとかテキスト、合格答案実例集などをダウンロードできるようにしているのだが、どうもこのところサーバーからのZipファイルのダウンロードがうまくいかない傾向があって困っている。
そこでオンラインストレージからのダウンロードなどを急ぎ段取りしているのだが、こういったものは広告費運営によるフリーモデルが最近は本当に多い。そしてそういうものは海外、特に香港・台湾あたりが強い。エレクトロニクスに関しては日本が韓国や中国に一歩先んじていると言っていたのはほんの2~3年前だが、すでにそういう点でもキャッチアップどころか遠く抜き去られている分野の多いこと多いこと。
で、ファイル配布用のオンラインストレージに選んだのはMEGAUPLOADなのだが、これは香港だったと思う。
もうこの画面の色調やアジアのかけらもないデザインやモデル、そしてあられもないPRが、ワールドワイドな感じなんですよねえ。

しかし、3月10日にもならないこの時期から、経歴票や代表的業務骨子をがんがん作りこんでくる受験生の人たちには頭が下がる。このがむしゃらさ・ハングリーさで、あれこれ「動かない」理由をつけてウジウジしているあたりにもう100万光年の差をつけてるよなあ・・・・という感じがする。
結局行動あるのみなんだろうなあ。

2011年3月7日月曜日

土曜日の恐怖

土曜日、またまた斜面崩壊が発生、現場に急行した。
幸いムズカシイ状況ではなかったのだが、それにしてもよく崩れるなあ。
この冬はたくさん雪がふったから、2月以降の雪解け水も例年になく多いのだろうなと思う。川の水も2月からずっと増えたままになっていて、広くなった川幅を勢いよく流れている。「融雪を集めて速し」である。
そのせいだろうか、とにかく最近斜面崩壊騒ぎばっかり。

2月19日(土)に隣町であるおおい町名田庄で斜面崩壊、一時通行止め。
2月26日(土)に小浜市某所で工事中に斜面崩壊の古傷らしき亀裂発見。これは工事の中で対応。
3月5日(土)におおい町川上で斜面崩壊、全面通行止めで現在普及に向け作業中。

ぜーんぶ土曜日。そのため、週末や月曜日にバタバタと対応することになる。いつも自宅にいるときに電話がかかってくるので、自分の車に長靴やらハンマーやらクリノメーターやらを突っ込んで飛び出すことになる。
次の土曜日はどうなることか・・・・

2011年3月6日日曜日

自転車に乗って

いろいろとデスクワークがたまっているので朝からずっと家の中にいたが、どうにも息が詰まってきたので2時過ぎに外へ出た。どうも最近落ち着いて机に長い間座っていられなくなってきた。^o^;

 自転車に乗って浜まで行った。雪はもうほとんど消えて、突堤の先では誰かがのんびり釣り糸をたれている。寒々しいけれど好きな光景。
砂浜を見ると、波が打ち寄せてえぐり取られた小さな崖があって、その前にはヨシの茎などたくさんのゴミが漂着している。この中を探すと・・・・
あった。クルミである。秋に山の中で落ちたクルミが沢から川を経て海に流れくだり、冬の波で浜に打ち上げられるのだ。中身はちゃんとしていて、これを焼くと美味しく食べられる。

そのまま自転車で市街地に出てウロウロした。
メルカードで文庫本をリーダーで読みながらカプチーノを飲んで小休止。
若狭の語り部の案内所をのぞいて旧市街西組のほうへ。

区画整理で広くなった道路の両側には古い町並みを演出した家が並び、観光客もちらほら散策している。私にはどうもこの道路は広すぎるように思うのだけれどね。
海岸通りから常高寺のほうを臨む。狭い道路の突き当たりに山門、その先の小高くなった上にお寺が見える風景。電柱やコンクリートの建物、電柱広告などを中心に集中的に修景すればいい風景になると思うのだが。

・・・・などとあれこれ気楽に考えながら、ゆったりと自転車をこぎ、5時過ぎに帰宅。コタツに入って横になり、リーダーの続きを読んでいるうちに眠くなって寝てしまった。平和な男であります。^o^;

2011年3月5日土曜日

結局Xperia

今日は用事があってドコモショップに行ったのだが、Xperia arcとMEDIASのホットモックが置いてあったのであれこれ触っていた。

今のXperiaがたいていもっさりしてきているので、とにかく機種変更はする!と決めていたのだが、どちらにするか迷っていた。
Xperia arcはやっぱり慣れ親しんだXperiaであること、カメラの性能が実にいいこと、Androidが2.3であること(あとでアップデートするとやっぱり無理が出ることをXperiaで学んだ。最初からOSに最適化したハードを積んでいるほうがいい)などが魅力。
MEDIASはとにかく薄くて軽いこと、全部入り(おサイフ、ワンセグ、赤外線)であることが魅力。
甲乙つけがたく迷っていて、「今のところMEDIASがちょっといいかな?」みたいに思っていたのだが、実際にホットモックをいろいろといじってみて、
「Xperia arc予約します!」
即決。迷いなし。
手の上に乗せていじくるときの安定感がぜんぜん違うのである。

私はもっぱら左手でスマホもケータイも操作する。固定電話時代に、右手でメモしたりするために電話は左手で持つ癖がついたのかもしれない。
で、片手で全部操作しようとする。つまり手のひらにスマホをのせつつ、親指でタッチ操作をするのである。そのためスマホをホールドしない。手のひらにのせているだけである。
こういう使い方だと、MEDIASは手のひらに接する箇所が少なく、さらに軽いので不安定な感じがする。何かおおきな振動でもあると落としてしまうような気がする。
大してXperia arcは全体が手のひらに接して、非常になじみがいい。安定感ばつぐんだ。中央部がへこんでいるのも少なからずプラスになっているようだ。
また、アンドロイドの一般的なボタン配列は、左からメニュー・ホーム・バックで、以前のXperiaもこれに習っていたのだが、arcは配列が逆になっている。つまり左側にバックボタンがある。
「せっかく慣れたのに、なんでこんな配列に?」
と思っていたのだが、実はこれが私の使い方にジャストフィットなのである。一番よく使うのはバックボタンなのだが、これが左側にあると左手親指で押しやすいのだ。

ちなみに、おサイフとワンセグは魅力的ではあるものの、現に私はぜんぜん使っていないので、「ないと困る」ものではない。
電子マネーは積極的に使っており、これが使えない店以外は全部キャッシュレスで通しているが、EddyとWaonのカードを持っていて、これをサイフから出して使うのとスマホをかざすのと、ほとんど違いを感じない。というか、EddyはANA、WaonはJALのマイルがたまるカードなので、それ以外は使いたくないのだ。
ワンセグは、そもそもテレビを見ない。昨年あれだけセミナーツアーをしてホテルを泊まり歩いて、ホテルの部屋でテレビを見たことが1回あるかないかなのだ。
赤外線はケータイ時代から使ったことがない。


また、液晶がやはりXperia arcはきれい。Galaxyといい勝負だ。これを見たあとでMEDIASの液晶を見るとぼんやりして見えてしまう。
ということで、Xperia arcは「使いやすい」ことがわかり、MEDIASのポテンシャルは私にとってはあまり意味がないことがわかったので、迷わず予約したというわけだ。

「よーしよーし、いいぞぉ」
とご機嫌で、なおもXperia arcのホットモックをさわっていたら、電話がかかってきたのでポケットから現行Xperiaを出したら、
「太っ!」
とびっくりした。アニメのキャッツアイを見たあとで森三中のキャッツアイを見たようなもんだな。^o^;

2011年3月4日金曜日

祝いの夜

合格発表を確認してから就寝、寝不足の中で朝ベッドでもぞもぞやっていると、女房が「雪が積もってるから早く起きないと」と起こしに来た。
「へ?雪?」と寝ぼけながら見ると。

おいおい、3月だよ。お水送りも終わったんだよ。寒波さん、いつまで未練がましく居座ってんの。

せっかく土が見えていた田んぼも畑もまた真っ白。まあ明日中には消えるだろうけれど、冬のなごりの寒の戻りだった。

今日は次々と入ってくるメールに嬉しい悲鳴。毎年この日はとにかくハッピーだ。
夜、会社の合格者をお祝いの夕飯に連れ出す。気持ちよく酔った。
途中、沖縄からTEL。みんなワイワイと楽しくやっている。うーん、どこでもドア欲しいなあ。そしたら泡盛も島らっきょうもフーチャンプルーも沖縄そばもいつでも食べられるのに。
とにかく今日は気持ちいい酔いの中で寝よう。

嬉しくもあり

ブログのアップは1日1つ、それも1日の終わりと決めているけれど、今日はちょっと号外。

おかげさまで建設部門・建設環境に合格していました。
・・・・って、本当だろうな。0911C0185って合格リストにあるよね。どうも筆記試験合格発表のとき以来自分が信用できない。^^;

口頭試験のときにも書いたけれど、私のようなことをしていると、口頭試験で落ちるというのは洒落にならないので、それなりにプレッシャーなのです。だからやっぱ合格者番号リストを開くときは心臓の音が聞こえるくらいドキドキしたし、番号を見つけたときは体がちょっとしぼんだんじゃないかと思うほどほっとした。

その直後、ちょっとさびしくなった。今の私にはもう受験する部門・科目がない。ネタ切れだ。
「次」に向けての夢はある。
願書・経歴にNPO所属と書いて、今とりくんでいるまちづくりをネタに都市計画地方計画で技術士を取ること。
だけど、それは一朝一夕にはいかないし、50歳を越えてアタマは衰えていくし、ある意味自分を鼓舞するための夢なんだけれど、それでも目標は目標だ。
でも、すぐに手が届くわけではないことは自分でもわかっている。
つまり、8月の「祭り」がなくなってしまうわけで、それはやはりさびしい。
頭が焦げ臭くなるような気がするほど脳みそフル回転させて、自分の引き出しをガンガン開けて、自分の表現力をフルスロットルで開いて、手首のしびれを感じながらも書いて書きまくる数時間が、もうしばらく味わえないのやっぱりさびしいものだ。

まあそれも人生、今年は「応援」に全力だな。何か他のことに助平心を出さない限り、試験はちょっとお休みだ。
また「受験生」に復帰したときに脳みそが溶けてたということがないよう、お酒だけは過ぎないようにしよう。(嘘)

2011年3月3日木曜日

3歩進んで2歩下がる

お水送りは終わったが寒波が居座り、久々に雪がうっすらと積もった朝。昨夜の打ち上げの酒が少しだけ残っているなあと思いつつ出勤。

多田ヶ岳も雪雲にかすみ、土手にも雪が積もっている。

午前11時ごろ、わーっと降ってきた。一面の雪景色に向かってまっしぐらだ。

しかし午後からは雪は小休止。あっという間に雪がとけて、再び土が見えた。おお、このまま春になるか?

と思ったら、夕方近くに再び雪。冬がまだ帰りたくないと駄々をこねている。しかしじわじわと南のほうから確実に春が進軍しつつある。あと一週間もすれば、昨日と今日の寒さがウソのようにふわんとした空気に包まれるのだろう。
暖かい季節になったら、私ももぞもぞと動き出し、まだぞろどこかの地に出かけていく。

2011年3月2日水曜日

お水送り

久々に静かな日。実は月曜日から「斜面崩壊の懸念」対応でバタバタしていた。先月の19日も崩壊した斜面の対応で朝からバタバタしていた。いつまでたってもこういうときは緊急対応で駆り出されるなあ。
昨年、知床世界遺産さんが我が家に来たときも日曜日の朝から斜面崩壊対応で飛び出したし、先月が土曜日、今回が月曜日(異常発見は土曜日)で、とにかく週末から週始めは油断がならない。
それが昨日で一段落して、今朝は一応現場を見て、あとは落ち着いてすごせている。

今日は「お水送り」。
奈良東大寺の二月堂で「お水取り」という行事があるのだが、これとセットになっている。
神様が奈良に集まったときに小浜の神様だけ釣りに夢中になって会議をすっぽかしてしまった。で、お詫びの印に小浜から奈良に水を送った(琵琶湖の下をくぐって)という伝説が元になっているらしい。

舞台は神宮寺。本堂にご本尊とご神体が飾られ、山門に注連縄がかけられているという、神仏習合を象徴する寺である。
お水取りと同じように達陀の儀式があり、ついで山伏が取り囲む呪文とほら貝の音の中で神事。その後護摩が焚かれる。
あいにくの雨模様(私のせいではない!)の中、葉っぱが湿っているからなおさらだろうが、もうもうと煙が立ち上り、やがて炎が巻き上がる。
私はこの護摩の炎を順次たいまつ(長さ3m程度)に点火して運び手に渡していく係。
火の粉がぼろぼろ落ちてくるのでなかなかハードな役割ではある。護摩壇の炎はなかなかに熱く、冬の現場用の下着とキルティングを着ているので汗ばんでしまった。


その後、自分達のたいまつを担いで2km弱離れた「鵜の瀬」へ。特大の「大たいまつ」1本と我々の担ぐ「中たいまつ」が10本程度、そして一般参加者の持つ「小たいまつ」が約1,300本。この行列はなかなかに壮観だ。(たいまつを担いでいたので写真がないToT)
最後に「鵜の瀬」で神事。「お香水」を遠敷川に注ぐ(これが奈良に届くころ、「お水取り」が行われる)のだが、遠敷川のほとりは人で溢れて神事など見えない。
風雨の中を神宮寺に戻り、後片付けをして打ち上げ。いつもに比べて疲れの見える静かな飲み会でした。^^;

例年になく寒いお水送りだった。2月が暖かい年はお水送りのときに強い「寒の戻り」があると相場が決まっているので、さもあらん。
とにかく、このお水送りが終わると若狭の地に春が来る。

2011年3月1日火曜日

ドリップコーヒーラブ。

小浜にあるコンビニは、ファミリーマート、ミニストップが数軒ずつ、ローソンが1軒だけある。(関西圏なのでゼブンイレブンはない。もちろんセイコーマートやポプラはない^^;)
このうちミニストップが最近、ホットコーヒーを始めた。これがなかなか美味くてちょこっとマイブームになっている。
150円で缶コーヒーより高いが、比較にならない美味さ。私はブラックなので缶コーヒーは飲めたものではないから、きちんとしたコーヒーが飲めるのは嬉しい。
で、飲み口のシールを4枚集めると1杯タダになる。つまり150-150/4=112.5円となるので、いよいよ缶コーヒーとは比較にならないのだ。
ライバルがあるとすればマクドナルドのプレミアムローストコーヒー(S)かな。まあコンビニとマックでは行く目的も違うし比較にならないが。
ミニストップは会社から歩いてすぐのところにもあるので、出勤途中に立ち寄ることもできるから嬉しい。

我が家では昨年、女房がコーヒーメーカーを買ってきた。
以前はフィルターを出して粉を入れてドリップを待って・・・・というのが面倒だったのだが、最近はその面倒さを面倒だと思わなくなってきた。だって美味いもんねえ。
ところが先日、ガラスポットを割ってしまった。
すぐに購入した家電量販店に行ったが取り寄せだという。すぐさま別の安売り量販店へ行き、2,980円の安いコーヒーメーカーを買った。新しいガラスポットが来ればコーヒーメーカーが2つになってしまうという不都合よりも、「明日の朝ドリップコーヒーがほしい」という目の前の欲望が夫婦を動かしていたようだ。
紙パック方式のドリップコーヒーを買ってポットが来るまでの間をつなげばいいという知恵は、2人ともわかなかった。爆。