2015年1月28日水曜日

7年前のスライド

何か発表とか執筆といった機会があると、これまでやってきたことを整理できて、「ああ、そうだったんだ」と再認識できることがよくある。そういう点でいろんな発表とかプレゼンはありがたいなあと思っているのだが、24日の技術士会社会貢献事例の発表もそういう機会になった。

以下の4枚のスライドは、2007年10月に技術士全国大会が福井であったときに作ったものだからもう7年以上前になるのだが、それをほとんどそのまま今回使った。

これはつまり、行政や住民、企業などが互いに「重なり合った部分」を持たず、主従関係とか要望・お願いとか、まあつまり互いに利害関係があって、命令とか要望とかお願いなんかはしても協働はしていなかったよねというイメージ図である。
そしてその中で技術者は、企業の(行政の、でも同じ)奥の方に引っ込んで、「オレの持ち場は専門技術だけだかんね」みたいにしていればよかった。というかそういう引きこもり技術者みたいなものでよかった。

今は、互いの立場を理解しつつ協働することが求められているし、その「重なり合い」部分を担う組織も生まれている。
そして技術者は組織の奥に引きこもっていないで、異なる立場の人たちが協働する場でこそ活躍すべきではないかという主張を表したスライドだ。技術者が真ん中にいるけれど、これは決して「オレが中心だ」みたいな意味ではなく、公共、市民、法人のいずれもに係わる(いずれも理解している)という意味だ。

つまり、そういう立ち位置にいる技術者、なかんずく技術士の役割は、公共・市民・法人(企業)全部の感覚を兼ね備え、なおかつ専門技術者なのだから専門技術者にこそできるアドバイスをすることではないかということだ。

とまあ、こういうことを7年ほど前に話したのだが、それをそのまま使えるということは、それを否定するような現象が起こらず、また自分の考えも変わらなかったということだ。
もちろん「予想ピッタリ」みたいなことではない。7年前、市民と法人の重なり部分に「NPO」と書いたけれど(それは市民感覚を持った、しかし法人としての経営感覚も持った組織であるべき、という気持ちだった)、公共と市民の重なり部分、「新しい公共」もNPOが担い始めている。
そういう中で、NPOに対する経営感覚はより強く求められるようになってきて、我々も法人会計講座なんてものを主催したりした。
まあつまり社会的責任ですな。「いつなんどき放り出すかわからない」ような、遊び・趣味みたいなNPOには社会の中での活躍の場は与えられなくなってきているわけだ。
私もそのことはひしひしと感じていて、また反面教師的ないいかげんなNPO運営もいくつか見てきたりしているので、日常的に強く思うようになった。
言い換えると、「社会的責任を果たせるNPO」であれば、活躍の場は7年前に思っていた以上に広くなっているということだ。

また、引きこもり技術者であってはいけないという思いも、より強くなっている。
高度な専門技術はもちろん必要だから「専門バカ」はもういらないなどと言うつもりはないけれど、社会の相互依存・相互連携がこれだけ強くなってくると、やはり専門バカでは活躍の場はどんどん少なくなってくる。
そりゃあ技術者なんだから複雑高度な解析計算がうまくいけば嬉しいのは当然だし、それが技術者マインドでもあるわけだけれど、それはあくまで技術者マインドであって、世の中の人と共有するなんてのは無理な話だ。
そこで「共有できないのなら付き合わなくてもいい」と引きこもっていくのではなく、自分の専門性は専門性で置いておいて、その前に行政責任・市民感覚・経営感覚の意識共有をすることで、自分という人間を信頼してもらう、つまり人間関係の基礎を作ることをすべきだ。そのうえで初めて専門技術者である自分の話ができるのではないだろうか。最初から「専門家ですよ」から入っていったのでは、胸襟開いてはくれないから3つのマルの真ん中ポジションには立てないだろう。つまり協働は担えない。(手伝うことはできるだろうけど)
我々技術者は、そしてその先頭に立つべき我々技術士は、引きこもり専門バカにだけはならず、社会と一緒に考え協働できる人間になるべきではないかと思うのだ。

そしてこれ。前半3つはSUKIYAKI塾でいつも言っていることだ。この3つそれぞれの後には、「やればいい」が続く。つまり無理はしなくていいよということだ。
でも「やればいい」には「やったらいいじゃないか」という意味もある。やれるのなら、何を遠慮することがあるものか、どんどんやんなさいということだ。横並び社会なんて気にするなということだ。
そして後半2つ。「右手にスコップ」は「汗をかこう」という意味で、でもそれだけだと求道者みたいになってしまって潤いがなくなるから、「左手にビール」、つまり楽しもうよということだ。まあ私は通風があるのでビールじゃなく焼酎になったり、「(プリン体オフ)」がくっついたりするけれど。^o^;

そして今回は新しい発見もあった。それをまとめたのが今回新しく作ったこのスライド。

ボランティア活動において技術者はプロボノになる。ボランティアというのは当然だが無償であることで、それはこれも当然だが無料ということではないのだが、その話はここではややこしくなるから横に置いて、無料だろうが無償だろうが、あるいは有償だろうが、単純労務を提供するものとスキルを提供するものは異なってくる。「自分ならでは」の高度な専門技術力は当然だが後者に活かされる。
ではそれができる人間、つまり専門家は、そのスキルを提供するだけが出番なのだろうか。「アドバイスお願いします」と言われたときだけが出番なのだろうか。
「重なり合う3つのマル」の真ん中にいられるということは、公共・市民・法人それぞれを理解しているファシリテーターたりえるということだ。
そして技術者がその役割を果たせるとすれば、それは「専門家の側面も持ったファシリテーター」だということになる。技術士の社会的役割のひとつになるのかもしれないなあと思うのだ。
「新しい発見」と書いたが、これはまったく新しい発見ではなく、「まとめ」みたいなものかもしれない、7年前に思っていたことは、今になって整理してみるとこういうことだったのかな、という感じだ。

まあともかく、7年前のスライドが色あせていないということは、自分が迷っていないということなんだろうなと思って嬉しかった。

2 件のコメント:

  1. 先週末に東工大の桑子敏雄教授の講演を聴いたところ、「地域の自然再生(すなわち地域づくり)にはあらゆる立場や世代(子どもも)を巻き込んだ【協働】なしには継続しない。その際、ファシリテーターの役割がとても重要だ」というメッセージを受け取ったばかりだったので、驚きました。
    より理解が深まりました。ありがとうございます。
    呼ばれているのでしょうか(笑)

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  2. 私もこの話をした翌日に小浜でボランティアコーディネーターの講習を受けたとき、講師が「できる人が…」の言葉を締めくくりに使い、思わずニヤリとしました。
    すごろくさんも地域のファシリテーターになってください。^^

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