2012年8月12日日曜日

独立と尊厳

オリンピックも最終日になった。バタバタしていてあまり熱心に観戦していたわけではないが、女子バレーボールの銅メダル、ボクシング・村田選手の金メダル、男子レスリング・米満選手の金メダルは細部で観戦して感動した。
でも深く考えさせられたのは、男子サッカーでの韓国選手の領土問題パフォーマンスに関するIOCの対応だった。竹島問題がどうこういう話はともかく、オリンピックの場での政治的活動に対する徹底した対応は、独立と尊厳を保つことに関する信念があるんだろうなと感じ入った。
国際社会では軍事力や経済力といった力関係があるわけだが、それがすべてを決めてしまう社会、つまり力の論理が支配してしまう社会になってしまうと、それはもう野獣のような世界になってしまいかねない。理性ある生物としての人間の尊厳、精神世界というものを侵すべからざるものとして主張し、また尊重し、守ろうとする態度は西欧文化に特に強いと感じる。たとえそれが特定の宗教の影響が多分にあると想像できるとしても、やはり尊敬に値すると思うし、それをもって文化成熟度の高さの尺度とすることにも異論はない。もちろんそれが異教徒・異民族に対する差別という負の側面が表面化しなければの話だが。

ビジネス社会でも市民社会でも同じではないかな。
資金力とかシェアとか地位とかいろんな「力」が社会にはあって、その力を持っている人間はそうでない人間に対して支配的にふるまう傾向が大なり小なりある。時には横暴にふるまいさえする。
そういう社会の中で、一人の人間として、たとえば技術社会の中では一人の技術者として、独立と尊厳を保ちつつ生きていくのはなかなかに大変だ。
閉鎖度の高い社会(それは往々にして、地域的に、あるいは分野的に、ムラ社会と言われる)は、力を持った人間が専横的にふるまいがちで、時には自分の権限の外にまで平気で支配的にふるまおうとする。仕事上の労使関係を人間全部を支配していると勘違いしているような経営者とか、地域の人間をみんな自分の子分みたいに思っている「地域の名士」みたいなのとか、そんなのっているでしょう。

そんな中で個人の独立と尊厳、たとえば一人の市民としての独立と尊厳であったり、一人の技術者としての独立と尊厳であったり、そういったものを主張できる社会、そういうことを主張したときに、カネとか地位とか慣習とかいった力で抑圧してしまわない社会が文化度の高さになるんだろうなと思う。
そういう社会であって、なおかつ日本らしい共生の文化が融合した社会、そういうものが少しでもできたらいいなあと思う。

…などとムズカシイことを考えつつGoogleリーダーを見ていたら、今日がペルセウス座流星群のピークだということだった。
ちょうど女房の妹とその子ども(姪)が来ていたので、女房と娘を加えて5人で流れ星を見に行こうと車を走らせて、灯りの少ないところでしばらく空を眺めていた。
しにくの薄曇でよほど明るい流れ星でないと見られないコンディションだったが、それでも1等星以上の明るいのが1つ見られて、日ごろ星などほとんど見えない都会で暮らしている姪は満足していたようだった。
ブレブレですが、エンゼルライン料金所からの小浜の夜景。
手前は海、背後と左右は山で、本当にこじんまりとしている。

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