2014年1月7日火曜日

カンジキ

非常にいい天気で雪もずいぶん解けたので、上根来に行ってみた。

屋根雪が落ちて、雪囲いの前に人の背丈ほどの高さに積もっている。
雪面にはいろんな獣の足跡に混じって、カンジキと思われる大きな丸く浅いくぼみと、それに沿って犬のものであろう小さな足跡があった。猟師の人が歩いたあとだろう。
自分の体を動かして、自分の知力と経験と体力を頼りに、むき出しの自然の中を一人で歩いていく、白い雪原に黒いシルエットとして浮かぶ猟師の後姿を想像して身震いした。

私は入社当初(1985年だからもう30年近く前)にこの上根来に仕事に来ていた。地すべり調査だが、冬は2m以上雪が積もり、そんな中を観測機器のデータを取りに行かねばならないので大変だった。カンジキを持ってきったのだが、最初は長靴だけで歩き出してみたところ、あっという間に股の付け根まで雪に足がめり込んで動けなくなった。すぐにカンジキをはいて、さあ行こうと思ったとたんに左足で右足を踏んで前のめりに雪の中に突っ込んでしまった。カンジキって幅が広いから。^^;
この時代に、もう一度カンジキをはいて雪の中を歩いてみるのもいいかもしれないな。


2014年1月6日月曜日

玉ねぎの煮込み

娘がつくばに戻り、また我が家は「全員50歳以上の家」に戻った。
新しい年の日常活動が始まり、やるべきことの多さに今更ながら驚きつつも、日々の暮らしを再開した。

口頭試験もあと数日で再開し、19日(日)で終わるようだ。私のほうもskype面接を再開した。今の時期に模擬面接をやるのはもう総監に限られてくるのだが、総監は合格発表から口頭試験まで2か月以上という長い準備期間が与えられる。
この準備期間を着実にペース配分して地力をつけてきた人と、直前になってあたふたする人との差はこの時期歴然とする。

発想トレーニングを積んできた人は、議論を深めてもしっかり総監として答えられるし、青本と実業務がしっかりくっついていることがわかる。
総監を受ける人はすでに技術士なのだから、専門技術に関しては知識も経験も分厚い。ちょうど玉ねぎのように多層化している。この知識や経験は玉ねぎの中心から少しずつ重ねられてきたものだ。
対して総監技術は「総監を受けよう」と思ってから勉強を始める。だから最初は表面的なものになる。
玉ねぎを出し汁の中で煮込むようなものだ。時間をかけて発想トレーニングを繰り返すと出し汁が中までしみて、奥のほうまで専門技術という玉ねぎに総監技術という出し汁で味付けされて美味い煮物ができあがる。
ところが発想トレーニングを積まなかった人は、煮込みが足りないから表面にしか味がついていない。ちょっと議論を掘り下げると総監の味がまったくない部分にたどりつく。
まあそれまでのトレーニングの蓄積もあるから人それぞれだけど、上っ面の知識で筆記試験をクリアした人でも2か月ちゃんとやれば、芯までとは言わなくでもかなりのところまで味がしみ込む。
毎年総監口頭試験準備は、「真面目にこつこつやることの力」を再確認する。


2014年1月5日日曜日

帰ったら極寒だった

今日も6時半起き。ホテルは島の北側にあるのだが、北側の港である上原港から出る船が欠航になったため、1時間かけて島の南側の大原港までバスで行くことになったのだ。眠いよう。

石垣島までの連絡船。波をけたてて40分ほどで石垣島まで突っ走る。
15:45の飛行機まで時間があるので、レンタカーを借りてあちこち行こうということになった。
まず行ったのが石垣島鍾乳洞。うーむ、これってすーさんと去年の5月に行ったコースと同じになりそうな気がする…

石垣島鍾乳洞は石筍が50万本もあって日本一だそうだ。って、5月のブログに書いたか?^^;

 さらにバンナ公園の展望台。これも5月にすーさんと行ったところだが、天気は今回のほうがいい。

川平湾。雲が多いものの晴れているので、エメラルド色の海が実にきれい。これも5月に行ったところで、ほぼトレースしている状態だ。まあ観光地がいっぱいあるわけではないから勢い同じルートになるのだが。

今回はグラスボートに乗った。海岸からごく近いところにリーフがいっぱいあって、コンパクトでお得感のあるコースだ。これは5月には行っていないが、おじさん2人で乗るものでもないので当然。

テラスから海岸が見渡せるお洒落なカフェで昼食。前回すーさんと来たときはおばぁがやっている八重山そば屋だったから、やっぱり家族旅行となると違うなあと再認識。
さすがに今回は時間が十分ないので、島一周はあきらめて、途中から空港に向かうことにした。
帰りの飛行機は、LCCのピーチ。搭乗手続きがわからず若干おたおたするも、なんとか機内へ。

夕暮れの雲海を見下ろしながらピーチはゆく。席は狭いし飲み物サービスはないし、コーヒーを頼んだら200円で紙コップにインスタントコーヒーを入れてくれたけど、安いのだから文句はないのだ。

関西空港に到着。乗客は歩いてターミナルビルへ。さらにピーチに割り当てられたビルは完全に孤立したビルで、バスで第1ターミナルへ10分近くかけて移動。なるほど、LCCだ。
関空から「はるか」、「サンダーバード」、そして小浜線の鈍行に乗り継ぎ、小浜駅に23時すぎに到着。じんじん染み渡る寒さにオドロキつつ、マイカーで我が家に帰りついた。
今回の旅は、離島の面白さにちょっと触れられた。時間がたっぷりあって天気がよければ、もっともっとのんびりしてもいいかもしれない。
八重山にはまだ小浜島や黒島、波照間島といった主要な離島があるので、そのうち行ってみたいなあと思う。

2014年1月4日土曜日

イリオモテ散策記

八重山2日目、今日は朝8時の高速船で西表島へ渡る。

午前6:30に起きたのだが、窓の外はまだまるっきりの夜。さすがは日本の西端の島々である。

8時前にホテルを出ると、ようやく夜が明けた風情であった。曇っているが雨が降っていないだけで十分である。
9時前に西表島の大原港に到着。西表島の形は横長の長方形がちょっと右に傾いたという感じだが、これを無理に円形に考えて時計に例えれば5時くらいにこの港がある。大きな集落はこの大原と、時計の12時あたりにある上原の2つで、いずれも石垣島や周辺離島との間に航路がある。冬は東シナ海に面した上原は欠航になることが多いそうだ。
西表島には外側を巡る周回道路以外に幹線道路はない。その周回道路も一周はしていなくて、時計の5時半から9時半の間、つまり島の南西側1/4ほどは道路がなく、周回道路は東側だけ、視力検査の左下が欠けた円のような形をしている。
そして集落はこの周回道路に沿って点在しているだけで、全部で15集落しかない。そのうえ一番西にある舟浮という人口50人ほどの集落に至っては船でしか行けない。人口は2,000人台で、コンビニなどない。
島の大部分は亜熱帯ジャングルで覆われる山岳もしくは台地で、「東洋のガラパゴス」と呼ばれるほど独自の生態系を育んできた島らしい。

とにかく島に着いてまずはマングローブを見ようということで、大原港に近い仲間川のマングローブクルーズに乗る。自分一人の旅の時はこういったツアーものには見向きもしない私だが、家族旅行の時は別である。なにせ女房が数か月愛読書のようにしていたガイドブックの中から選んだツアーなのだから、行かないなど考えられないのだ。^^;

見事なマングローブ林が延々と続く。
これは確かマヒルギだった…かな?
いかにも手つかずの自然という川の風景。
クルーズ終点近くにあるサキシマスオウノキの大木。
亜熱帯樹木で年輪が不明確なのでよくわからないが
樹齢はだいたい400年位ではないかとのことだった。
河畔に階段のようなものがあるのだが、ここから島の中心部を通って反対側に行けるらしい。

仲間川は島の5時ごろの方角から中心へ向かって溯っているのだが、そのちょうど反対側に浦内川という大きな川が11時の方向から溯っていて、この両河川を結ぶ道があるのでガイドを頼んでトレッキングできるらしい。昔道路がなかったころはこれが主たる行き来の道だったんだろうなあと思う。
西表島の主要河川はとにかく河口が広く、汽水域がかなり上流まで入り込んでいるので、マングローブ林の発達が非常にいいようだ。
クルーズを終え、今度はレンタカーを借りて島の東側を回り北上することにする。
島の3時のあたりまで北上。ここに「由布島」という小島があって、水深1mもない浅瀬でつながっているというので、水牛に牛車を引かせて渡るという観光コースがあるらしい。テレビでも時折放映されている。

行ってみると本当に牛車が行き来している。水牛がつまらなそうに車を引いていた。

由布島との間には何台もの牛車が行き来している。正月だが水は暖かく、観光客もわんさと来ているようだ。我々は昼食もまだで、時間までに船浦の港に行かなければならないので水牛は見るだけにして先を急ぐ。

ほど近いところにある食堂に入ろうとしたら、ちょうど店先でサトウキビを絞っているところだったので見学させてもらう。じょぼじょぼとあまり美味しそうには見えない液(というか汁)を絞っている。

搾り汁を温度管理をしながら煮ると、ペースト状に固まった黒糖が取れる。このフレッシュジュースというのがあったが、すっきり甘くて絶妙であった。買って帰りたいと女房が言ったが、時間がたつと酸化するので店で出すしかしていないという。金を出しても「お取り寄せ」などできない、こういうのが本当の贅沢なんだろうな。昼食は家族バラバラに頼んで食べまわすことにした。

八重山そば。この店のそばは豚骨ベースにカツオブシ?
石狩牛の牛丼。柔らかくておいしい。
リュウキュウイノシシ肉の炒め物定食。
ニンニクやニラが効いてかなり美味い。
満足して再び北上。ほとんど道路以外に何もないような光景が続く。とにかく自然の比率が圧倒的に大きい島なのだ。

西表島の山は標高400m台。沖縄県ではかなり高い部類。
時計の12時ごろの位置にある船浦港で女房と娘を降ろす。これからダイビングに挑戦するらしい。
私は食指が動かなかったので、夕方まで一人旅を楽しむことにした。気ままにハンドルを握り、しかし道は一本しかないので先へ(西へ)進む。
実は「星の砂浜」と「トゥドゥマリ浜」というところに行ったのだが、両方とも後刻家族とまた行くはめになった。^^;
時計の10時ごろの位置にある浦内川沿いに広いマングローブ林がある。

「保健保安林」って初めて見たかもしれない、こんな保安林もあるんだねえ。

まあとにかく広々と。「カメラアングルの中、自然物だけ」って北海道以外にあまりないと思っていたけれど、とにかく西表島の自然は広く深い。

浦内川にかかる浦内橋。昭和44年10月竣工とある。ということは…

そう、沖縄返還前の建造物である。「建造 琉球政府建設局」とある。うーむと感慨深く見入る。

時計の9時半のあたり、道路終点の白浜。ヒルギ(?)が植えられたように一列に並ぶ先にはもう道路はなく、その先に舟浮集落がある。1日の船便は4~5便。それでも観光ツアーに組み入れられ、それに対応したショップもあるという。うーむ。

ちょっと戻り、時計の11時半ごろのところにあるロードパークへ。マングローブの中を散策できると思って行ったら数10m程度の木道と展望台があるだけのこじんまりしたものだった。

展望台から見ると、人っ子一人おらず、足跡ひとつない広い砂浜が見える。
観光ツアーなどに参加せず一人で車でうろうろすると、半日程度でやることがなくなるとみた。船に乗ったり、ガイドとともに本気を出してトレッキングやダイビングをしたり、そういうことをしない限り特にすることがない。あるとしたらぼんやり自然を眺めることくらいだ。
きっとそういう島なのだなと思った。そういうところが西表島のすごいところなんだろうな。

荷物もあるので一足先にホテルにチェックイン。今回のホテルは女房が選んだのだが、もろにリゾートホテルである。

部屋の窓から見れば、ホテルの裏にはプールまであるではないか。私にはない選択肢だ。^o^;

家族も合流してホテルの裏のトゥドゥマリ浜に出てみた。ここは日没がきれいな浜らしいが、あいにく水平線の上には雲が広がって、「知床の奇跡」再現はならなかった。

夜はナイトツアーとしてジャングルなんとか。ヤシガニを見に行ったり星を見たりするらしい。
参加者全員懐中電灯を持ったりして森の中をうろうろしたが、見事にボウズ。まあこういうこともあるだろう。
人が日常的に活動できる範囲がすごく限られている、自然が圧倒的に優位を保っている島で、実に興味深い時間を過ごしたなあと思いつつ、不似合に豪華な部屋でベッドにもぐりこんだ。

レンタカーを返した後、ホテルまで送ってくれたお兄さんが、「島の人はあまり観光には従事したがらない。上原や大原のように観光客向けの施設が多いところは、7割は県外から来た人が住んでいる。島には高校がないから子供たちは中学校を卒業すると石垣島や沖縄本島の高校に行く。そのあとは島に帰ってくる子は少ない。帰ってきても石垣島までで止まる」と言っていたなあ。
人口3万人で、島外からやってきて住み着いた(しかし住民票は移してない)人も合わせると5万人くらいいるのではないかという石垣島から船で40分のところに、こんな島があるんだなあと、もう一度思った。
西表島は沖縄県で2番目に大きな島だけれど、ここは竹富町字西表、島全体がひとつの字なのだ…と思ったら、ゆめたくさんに指摘されて気がついた。島の西部が「西表」という大字なだけで、字としてはいくつかあるようだ。言い直します。
西表島は沖縄県で2番目に大きな島だけれど、ここは竹富町の一部に過ぎないのだ。こんなに広いのに、1つの島で1つの自治体ではないんだなあ。

2014年1月3日金曜日

ずぶ濡れの竹富島

石垣空港が新しくなってできた直行便で関西空港から石垣島へひとっ飛び…といってもさすがに台湾の手前まで一気に飛ぶので、10:40発の飛行機が南ぬ島(ぱいぬしま)石垣空港に到着するのは13:30すぎ、3時間弱のフライトになる。

関西空港は好天に恵まれていた。よおしよおし今年も幸先いいぞと思っていたのだが…

石垣島に着いてみると雨である。タクシーの運転手さんに「いつから降ってるの?」と聞いたら「昼ごろからさあ」と言われた。うーむ…

それでも雨はやんだようなので、ホテルに荷物をあずけ、当初の予定通り竹富島へ行くことにした。連絡船で10分である。
ところがその10分の間に雨雲がやってきて、雨になった。さらに竹富島の残橋から水牛観光の乗り場にバスで移動する間に本降りになった。ToT

本当はレンタサイクルでうろうろしたかったのだが、この雨では仕方がない。水牛観光に乗ることにした。

竹富島の集落は昔ながらの八重山の建築様式がよく保存されており、重要伝統的建造物群に指定されている。琉球石灰岩の塀、赤瓦、木造風、平屋といったことを守らねばならないらしい。

道路はサンゴの白砂で舗装されている。これも昔ながらのものが保存されているらしい。
水牛観光のあと、カサをさして徒歩でうろうろしたが、4時前だと食堂も何も食わせてくれない。雨風の中を歩き回ったので足元はずぶぬれになってくるわ、飯は食わせてもらえないわ、まちなみ資料館は正月で休みだわ、もう散々な竹富島散策であった。

それでも正月の観光客で待合所はごったがえしている。石垣空港が三大都市圏から直行で来られるようになって観光客が激増しているらしいが、竹富島も同様なのだろうか。生活の場である集落内を大勢の観光客にうろうろされるのは痛しかゆしなんだろうなあ…などと邪推したりした。
夕方のフェリー乗り場ではもはや横殴りの雨で、またもや足元はずぶ濡れ。

夕方の船で石垣島に戻った。残橋横にナニカあるぞと思ったら、具志堅用高の銅像でした。^^;
改めてホテルにチェックインして食事に出る。coralさんに教えてもらった居酒屋に行くも2件続けて満席と断られ、3店目でようやく時間制限の上で食事ができた。せっかくなので石垣牛の握りを頼み、あとはワンパターンで海ぶどうやスクガラス豆腐、ソーミンチャンプルー、フーチャンプルー、テビチなどを食べ、八重泉を飲んだ。悲しいことに島らっきょうはなかった。

買い物をしに公設市場に行ったが三が日は休みのようでガッカリしたが、アーケード街に数店開いていたので何とか目的は果たした。
さらにせっかく来たのだからと多少無理をして八重山そばを食べてホテルに戻った。雨はなんとか上がったようだ。

2014年1月2日木曜日

大阪デジャブ

明日から家族旅行で石垣島・西表島に行くのだが、降雪等で公共交通機関に遅れが出ては大変なので、今日のうちから大阪まで出ておくことにした。
午後3時半の電車で家族4人そろって小浜駅を出発したのだが、息子は「クイズ大会を主催するので帰らないといけない」というよくわからない理由で敦賀で別れた。まあ彼が元気で暮らしているならそれでいいのだけどね。
敦賀からは女房・娘と3人で大阪へ。車中、ずっとバイオで本の原稿書き。正月明けにはNPO関係でやらないといけないことがどんと控えているので、少しでも原稿を進めておかないといけないのですよ。
今回は関空特急「はるか」を途中下車して天王寺に宿を取った。ホテルにチェックインしてすぐに新世界へ。

なんだか去年の11月のデジャブみたいなことになってきたが、通天閣を仰ぎ見る。去年はこの前に胡散臭いおっさんが固まっていたのだが、今回は幸いなことにそんなことはないようだ。
ところでなんだか写真がキラキラするのだが、どうもPicasaかGoogle+が勝手にエフェクトをかけているようだ。ノーマルな写真はそのままで、エフェクトをかけた写真を1枚余計に作るようだ。面白いのでエフェクト写真のほうを掲載しておく。

「横綱」の2階で串カツを食った。そう、店もフロアも11月の全国大会と同じ。知床さんの「バーン」が見事に不発だったところだ。家族にその話をしたら女房は面白がり、娘は悲しげに微笑み首を振った。

〆はさすがに心斎橋まで行って金龍ラーメンというわけにはいかないので、「下町牛スジうどん」なるものをオーダー。なかなかいいダシでした。
ホテルに戻り、ランドリーで洗濯して大浴場に入った。うーむ、食事といい、ホテルでの行動といい、家族旅行なのにセミナーツアーと変わらないではないか。^o^;

2014年1月1日水曜日

謹賀新年2014

昨年は大変お世話になり心より御礼申し上げます。
本年もよろしくお願いいたします。

元旦から朝寝坊して10時過ぎにのそのそと起きたら、女房しかおらず、子どもたちはまだ寝ていた。

とりあえず正月なのでお雑煮。我が家のお雑煮は味噌仕立てで丸餅が入っているだけ。味噌は合わせ味噌。ダシは鰹節。長年このお雑煮に慣れ親しんでいるので、具の入ったお雑煮を見るとびっくりしてしまう。

悲しいことに年賀状が来ている。数年前に「もう年賀状はやめる!」と決めて、ずいぶん不義理なことをしたのだが、それでも心を鬼にはしきれずにいると、ずるずる続いてしまうものなのですね。それでも一時期に比べると数分の一にはなったけれど。
ともかく何の準備もしていなかったので、急遽ネットからデザインをダウンロードして年賀状をでっち上げる。

まあこんな感じで手抜きもいいところだが、どうかこれでご勘弁を。
早速JPEGに出力して、メールアドレスを知っている人には全部メール年賀状で勘弁してもらう。
残った人たちのうち、不義理を許してもらえそうな人にはできるだけご勘弁いただき、残った親戚縁者や同窓生など20人弱にだけ年賀状を出すことにする。
裏面をプリントアウトして気がついたのだが、これまで表書きをしていた「筆まめ」は前のパソコンごとボランティアセンターにあるじゃないか。
しかたがないのでフリーウェアの宛名書きソフトをダウンロードして対応。人数が少なくてよかった。

夜は妹一家も加わって大食事会。知床エゾシカファームの鹿肉、はじめさんよりいただいた毛ガニなどをたらふくいただいた。
酒も年末から各種取り揃えて飲みまくっている感じである。^o^;
まあともかく、みんな元気で新年を迎えられたことが何よりだ。