2011年4月19日火曜日

長~~~~~いトンネル

8時過ぎにホテルを出て移動開始。まんまと通勤時間帯で、満員電車で池袋へ。いつも小浜線で向かい合わせ席に足を投げ出して独占しているので、こういう電車はとにかく弱い。1駅だけの移動で辟易してしまった。

池袋に着くと、今度は埼京線ダイヤが混乱しているようでホームでずいぶん待ってから新宿湘南ラインで大宮駅へ。新幹線までまだ1時間ほどあるので朝食を食べようと西口に出たらペデストリアンデッキになっていてよくわからない。
東口に回って吉野家を見つけ、牛鍋丼でやくざな朝食をすませた。ふと見るとマクドナルドがあるので、ここでコーヒーを飲みつつ添削を少し進めて時間をつぶした。なら最初からマクドナルドで朝食もまとめてすませろよと思うかもしれないが、どうも私はパンの朝食は苦手で、お腹に収まりが悪いのだ。

新潟までの電車はMaxとき。おお、前から2階席に乗りたかったのだ。(^o^)
発車してすぐにPCを取り出し添削をしていると、やがて山岳地帯へ入った。そこから長~~~~~いトンネル。

やがて新潟県に入ると、そこは雪国だった。4月の後半とは到底思えない光景に驚く。越後湯沢は冷たい雨が降っていた。
駅を出るとまもなくまた長~~~~~いトンネル。東海道以外の新幹線はトンネルが多いが、上越は「多い」のではなく「長い」。

やがてトンネルをぬけるとまもなく浦佐。雪が田んぼを覆っている。それでも家々は雪をかぶってはいない。雪国の春の風景なのだろう。
浦佐駅を出るとすぐにまた長~~~~~いトンネル。トンネル→駅→トンネル→駅→トンネルというシンプルな繰り返しだ。こういうところに新幹線を通すのはまさに力技で、田中角栄恐るべしというところだろう。しかしこのようなどかんとしたプロジェクトがなければ技術力の進歩も難しくなるということも確かだろう。

ようやくトンネルをぬけると、雪は消え、広い平野が広がっていた。長岡だ。しかし相変わらず空は雪雲とも雨雲ともつかない重たそうな雲に覆われ、冷たそうな雨が降っている。
長岡の市街地は広い。高い建物は駅周辺に集中して、それ以外はあまり高い建物がないせいか、やたらと広く感じる。


トンネルと駅の繰り返しはこれでおしまい。あとはひたすら広い越後平野を進む。広い広い田んぼの向こうに地平線がかすみ、重たい空とくっついている。

新潟大学にいたころ、雪の積もった吹雪の北陸道を、スパイクタイヤ+チェーンという多重装備でごとごとと50キロくらいでもがき進んでいたら、吹雪などなにするものぞというイキオイでばひゅーんと新幹線が突っ走っていくのをみてボーゼンとしたことがある。
レールに熱線が入っているので雪は平気なんだと誰かが教えてくれた。やっぱり力技だ。
そういえばあのころは「こだま」相当のものが「とき」で、「ひかり」相当のものが「おけさ」といったと思う(駅が近くなると「佐渡おけさ」が流れていた記憶がある)けれど、今は「とき」だけなのだろうか。

新潟にいた2年間をぼんやり思い出していると、だんだん田んぼから街に風景が変わり、やがて新潟駅に着いた。
駅ビルの中で、なつかしいタレカツ丼を食べた。福井は「ソースカツ丼」が地元の味だが、新潟は醤油ダレを使ったタレカツ丼。記憶の中でソースカツ丼とごっちゃになっていたのだが、福井のソースカツ丼ほど味がしつこくなかった記憶があったので、なんでだろうとずっと思っていたのだが、今日になってわかった。

午後、新潟のkuniさんの会社で講義。これで出願筆記試験セミナーは最後の講義となる。
ツアー最後の講義が終わる瞬間は、なんともいえない安堵感があって好きだ。
終了後、いったんホテルへ。ほっとしたせいか、疲れが出たのかベッドで少し寝てしまい、kuniさん&kuniさんの会社の方との会食に5分遅れてしまった。
技術屋同士の会食は技術の話に終始する。これもまた愉しからずや。
9時前にホテルに戻り、洗濯や入浴の合間にメール処理・添削結果送信・ブログの3点セット。
明日はようやく帰宅だ。

2011年4月18日月曜日

新品の椎名誠なのに

今日は少しゆっくり起きて、バスで青森空港へ。

道路脇にこういうものがずっと続いていたのだが、これは何なのだろうか。巻きあげられるようなメカがついていたので、冬になると立ち上がって地吹雪よけに使うとか。知っている人いたら教えてください。

昼過ぎの飛行機で羽田へ。すぐにモノレールとJRで移動して大塚駅からほど近いホテルへ。
少し休んで池袋に移動。セミナーは18:30からだが、Xperia arc用のアクセサリを買ったりして少しうろうろ。

セミナー会場近くのジュンク堂に寄ってみたら、入り口の横に「震災・原発コーナー」があって驚いた。見ると、いろんな本がある。特に原発は視点や思想もいろいろだ。
確かに情報は溢れている。やはり情報を取り入れて咀嚼して判断する、その力が社会人として本当に必要なのだと痛感した。
椎名誠の文庫本を2冊買って出た。この人の文庫本はずいぶん買ったが、もしかすると新品を買ったのは初めてかもしれない。^o^;

セミナーを終え、例によって複雑なルノアールの支払いを終えて外に出るともう10時近かった。
何を思ったのか大塚まで歩こうと思い立ち、夜のサンシャインシティを回りこむルートでわっせわっせと歩いた。
大塚駅近くでかなり疲れてきた。考えてみたらセミナーの間ずっと立ったままで、そのまま歩いてきたからそりゃあ疲れるわなあ。
日高屋でタンメンとギョーザで、こんな時間にどうしましょう的夕食。椎名誠をぼんやり読みながらぼんやりギョーザを取ろうとしたら箸がすべって、ギョーザのタレが新品の椎名誠に飛び散ってしまった。せっかくの(たぶん初めての)新品の椎名誠がギョーザのタレ臭くなってしまった。

2011年4月17日日曜日

けの汁はうまかった

起床後、すばやく用意をしてホテルの朝食を食べて(きりたんぽが美味しかった)、秋田駅から特急「いなほ」で弘前に向けて出発。
秋田駅にて。いなほ1号。

車内はガラッガラ。結局弘前までこんな状態。
添削を続けつつ時々車窓から眺めると、八郎潟付近の広ーい田んぼが見渡せたり、落葉樹ばかりで丸裸状態の山が見えたり(常緑樹が多い小浜の人間には見慣れぬ光景なのだ)している間に弘前に着いた。
とにかく広い。

山全体が枯れている光景。
「あおもり技塾」のM橋さんが駅に迎えに来てくれており、そのまま弘前城へ。さらに周辺観光。GWごろには花見で人がいっぱいになるとのこと。
まだ桜はつぼみだが、すでに花見をする人たちも。

弘前城の堀。石垣でなく土羽。珍しいなあ。

弘前城本丸天守閣を望む。

本丸天守閣。明治期に火災のあと再築したとか。

本丸の中にあった城郭の模型。堀が幅広いお城だ。
お城の公園から望む岩木山。この地方のシンボルだ。

じょっぱり大太鼓。直径4.5mで実働するものでは日本最大。

ねぷた。青森市では「ねぶた」、こちらでは「ねぷた」。
昼食は「けの汁定食」。これは美味い!
昼食に食べた「けの汁」はうまかった。ダイコン、ニンジン、コンニャクその他の野菜類を細かく切って味噌で味つけた汁なのだが、こういう地域料理は本当にうまいなあ。
昼食後、例によって漫談セミナーを3時間ぶっこいて、5時前に早々と懇親会。あおもり技塾のみなさん、そして今は沖縄在住のみんな頑張れさん。みんな頑張れさんが地元の中でくつろいでおられたのがなんとも印象的。

ホタテの殻に貝柱とタマゴを入れてコンロで焼く。美味。

海の幸、山の幸。どれもいい味だ。

津軽三味線ライブ。いやあよかった。
7時まで飲み食いしてあれこれ話し、一次会お開きとなったところで、いろいろ抱えているので謝って退散させてもらった。
ホテルに入って、洗濯しながら入浴し、添削とメール処理に精を出す。

いやあ、弘前、いいところです。来年の花見のシーズンあたりにまた来たいなあ。
津軽三味線も初めて生でみられた。あの奏法は大変面白い。左手はトリルというかハンマー奏法で右手は基本ダウンストロークで音符の数の半分も弾いていない。一種のスローハンドだなあ。

明日は東京へ!

2011年4月16日土曜日

秋田はなぜか雨ToT

昨夜から雨模様。ここ一週間はいい天気だったらしいのだが、不思議なこともあるものだ。
秋田県技術士会主催の勉強会で、午前中は一般部門、午後は総監部門の講義。今年は3月の東京セミナーが中止になったため、結局今日が唯一の総監出願筆記セミナーとなった。
例によって漫談ぶっぱなしたものの、どうも風邪が残っていてセキが出ていけない。

終了後、秋田県技術士会の合格祝賀会にお招きいただいた。何から何まで本当に申し訳ない。
コチタロさんも来られており、久々に再会。元気そうで本当に安心した。みんなたくましい。
6月の東北ツアーについて少し話した。今のところ仙台に行くことしか決まっていないのだが、岩手県・福島県の東北支援講座受講者もいるので、時期を見て連絡を取って行程を決めたい。第1条件は人様に迷惑をかけないこと。これに尽きる。
盛会のうちに終了し、二次会にちょこっとだけ参加させていただき、申し訳ないのだけれど先にお暇した。

ホテルに戻ってランドリーに一式突っ込んで洗濯している間に入浴、乾燥機に突っ込んで乾くまでの間にメール処理、明日の荷造りをしつつなんとかひととおり終えて今に至る。今は実は0:40だ。
バタバタの1日だったせいか、しゃべるのに忙しかったせいか、写真を1枚も撮ってなかった。ToT

明日は朝から弘前に移動である。
おやすみ。

2011年4月15日金曜日

秋田へ

今日から秋田→弘前→東京→新潟と回る。
朝、小浜から高速バスで伊丹空港へ。



やはり飛行機は4列掛けの小さな飛行機で、歩いて搭乗。秋田が近くなると驚くほど広い範囲に雪が残っているのがわかる。


秋田西口のデッキとアーケード街。私が好きなところだ。ここのベンチでのんびり添削したいと思ったりもしたけれど、明日からはセミナー&飲み会で添削は進まなくなるから、今日のうちにできるだけやっとかないといけない。
結局ホテルにこもって、夕食以外はずっと添削やメール処理をしていた。秋田のWさんにせっかく教えてもらった美味い店があるのに・・・・次回は絶対行こう。

添削していると沖縄から電話。打合せ会で盛り上がってるようだ。いいなぁ。

2011年4月14日木曜日

講師が20人を超えた

東北支援講座は、講師が20人を超えた。本当にありがたい。ちゃんと温かいハートを持った技術者がたくさんいて、応援してくれることのうれしさといったらない。
いっぽう受講生はまだ6人で、まあじっくり待っていようと思う。

明日から秋田→弘前→東京→新潟→福井と回る。よくわからんルートだが、秋田ではコチタロさん、弘前ではみんな頑張れさんにお会いできる予定だ。
ちょっと疲れているのか風邪気味なので、今日は早く寝よう。
おやすみ。

2011年4月13日水曜日

感涙

無謀なのか何なのかよくわからないのだけれど、いつ一歩を踏み出そうかとずっと思っていたことを、今日実行してみた。
岩手・宮城・福島3県の受験生を対象に、完全無料の受験支援講座を開設した。
実はSUKIYAKI塾とAPEC-semiでかなりいっぱいいっぱいである。だけどどうにも我慢がならず、「ええい、ままよ」状態で前に踏み出した。

一人でもやる覚悟ではあるけれど、やはり自分にはSUKIYAKI塾の仲間がいると思い、サイトで呼びかけてみたところ、来るは来るは、12時間で私を入れて14人の講師陣ができあがった。

感涙。
嬉し涙を流せることの幸せを味わうことのまた幸せよ。

ラフカディオ・ハーンは明治初期の貧しき日本人を見て、「日本人は天使の子孫に違いない」と言ったらしい。
これほどまでに純朴な、そして優しき心を持ち、笑顔の素敵な民族は天使の子孫に違いないと。
そして彼はこう言った。

いま、日本人は欧米に追いつけとがんばっている。
勤勉な日本人のことだ、きっと100年もすれば彼らは欧米に追いつき、追い越しているだろう。
しかしそのときには、私の愛する日本人はもういない。
そこにいるのは、日本人の顔をした欧米人なのだ。

それは私の心にずーんと響いたのだが、今なら言える。

日本人は確かに欧米人のようになったかもしれない。
豊かさを手に入れた代償として多くのものを失ったかもしれない。
だけど心優しき笑顔の素敵な日本人は、今もちゃんとここにいるよ。

2011年4月12日火曜日

I'm just a stranger

京都にて目覚め、なにかしら雅な気分で(うそ)京都府庁にて仕事の納品。


京都府庁はちょうど桜がみごろで、しだれ桜が府庁の旧館の建物とよく似合う。
ベンチにゆったりと腰掛け、ゆっくりと桜を観ている人たちの中に入りたいと思いつつ、一路小浜へ。
帰宅してセンキョが終わって選挙も終わっていることを知る。ツアーに出る前に期日前投票を済ませた瞬間に見事に忘れていた。^o^

久々に会社で雑事を済ませ、久々に帰宅して、観光局の市民幹事会に出て軽く飲んで(またかい!)再度帰宅して、久々に女房に会った。

2011年4月11日月曜日

はんなりできしまへんえ

セミナー最終日、名古屋で比較的ゆっくり起きて・・・・のはずだったが、やはり事務処理と添削に追われているので早起きして、無料コーヒーサービスを浴びながら添削。
今回のツアーではレッツノート&LooxUという組み合わせではなく、レッツノート&GalaxyTabの組み合わせて、Tabで添削対象のExcelやWord、PDFファイルを表示しつつ、レッツノートのEvernoteでコメント入力という体制なのだけれど、これはかなりいい感じである。

チェックアウトぎりぎりまで粘ってホテルを出て、さらに地下街の喫茶店で続きをやり、昼前に今日の講習会の会場へ。今日は土木学会主催の講習会である。
自前のセミナーとは段違いの立派な会場で過分な紹介に恐縮しつつも例によって何ごとかほざき、早々に逃亡。
名古屋から京都に移動して、京都府庁の近くのホテルに投宿。明日、仕事で府庁に行くので一旦小浜に帰るのが面倒で宿泊することにしたのだ。

風が強くなって、肌寒いけれど京都御所のあたりも春の気配に包まれている。ここはひとつ桜が満開の京都を散策・・・・なんてできるわけもなく、ホテルで添削に明け暮れてセミナーツアーは幕を閉じたのであった。

2011年4月10日日曜日

桜の中を大移動

今日はツアー最大のピーク。午前中広島でセミナー、終わって大阪に移動して大阪でセミナー、終わって名古屋に移動して飲み会である。

朝、ホテルから会場まで歩くと、実にいい天気の中に桜が満開で、なんともほわんといい天気だ。

セミナーを終えて河畔に出ると、家族連れが桜の下で暖かな日曜日を楽しんでいた。いいなあと思いつつ駅へ急ぐ。

ふと見ると朝と同じアングルで様子が違う。よく考えたら潮が満ちてきているのだ。小浜では見られない干満の差にしばし見とれる。

13時に大阪に向けて出発。14:30ごろ到着して、いつもの新大阪丸ビルで15時~18時とセミナー。
終わってすぐに名古屋に移動。19:30に到着すると、いつものメンバーが待ち構えていた。

当然のごとく「世界の山ちゃん」へ。姿を隠しているLifeDesignまたの名を幸せ太りさんが誰か止めろ状態のハイテンションであった。

ホテルに戻るも山のような添削やメール処理に忙殺され、入浴する気力すらなく死に寝。よってこの記事も1日遅れでアップしました。ごめんなさい。

2011年4月9日土曜日

ぐるっと大回り

朝、ゆっくり支度して玉造温泉に移動。途中、宍道湖畔を通るも記憶と違う景色にとまどう。どうも埋立て広い道を作ってあるようだと思って陸側を見ると、たしかにJRに沿って旧道があった。
30年近い時の流れを実感しつつ、玉湯町でセミナー講師。例によって何事かほざき、午後3時過ぎに歩いて玉造温泉駅へ。

何の変哲もない(ように見える)街並みなのだけれど、何か心がゆったりする街を、わざとゆっくりと歩いて行く。先程の講習会の受講生だった人が挨拶しながら追い越していった。


玉造温泉駅はこれまた懐かしい感じのいい駅だ。今回のツアーでは、名古屋から小浜に直接帰る予定だったのが、仕事の関係で京都に寄り道することになったので、切符を変更したいということで窓口で話したら、人の良さそうな駅員さんが特急券を機械で発行できないので手書きになるけど、と申し訳なさそうに言ってくれた。
4時前の「やくも」で岡山へ。新幹線に乗り換えだと思っていたら、それは九州新幹線の「みずほ」だった。おお、初体験だ。

みずほのシートは落ち着いた感じで肘掛けやテーブルには木が使ってあって、実にいい感じだ。
足元にコンセントもあるので、1時間弱の旅ではあったが、電源をとりながら添削しつつ広島へ。
広島駅に到着してホテルに行くと、ランドリーはなく、ホテルの近くのコインランドリーに行ってくれという。見ると時間は午後9時まで。あわてて洗濯。本当は今着ているものもまとめて洗濯したかったのだが、そんなことをしたら今度こそ間違いなく変質者通報されてしまうので、仕方なく1着のみ洗濯。これでまた明日、名古屋で洗濯する羽目になってしまった。ToT

sonnyさんとおちあって食事。集合場所に少々行き違いがあって、広島駅を挟んで散々運動させてしまったのだけれど、久々に2人でゆっくり四方山話ができて嬉しかった。
明日は広島&大阪連チャンのセミナーと名古屋の山ちゃんコース。このツアー最大の山場だ。(なんのこっちゃ^^)

2011年4月8日金曜日

おじさん

今日からセミナーツアー。第1日目は島根県松江市までの移動。例によってまずは小浜駅から敦賀まで小浜線で移動。敦賀からサンダーバードで新大阪、さらに新幹線で岡山へ。そして岡山から特急「やくも」で松江へ。

 松江駅は技術士全国大会で来てから3年ぶり。私が高校3年生のとき(32年前)には、本当に何もない駅前で、駅から出たときに「あ、裏口に出た」と思って引き返してしまったものだが、今はバスターミナルやいろんなビルが建って、県都らしくなっている。

 ホテルへチェックインしたあと、島根県技術士会の皆さんと夕食。郷土のうまい酒と食の中で目を引いたのがこの魚。小浜の赤ひものでっかいようなもの。お店のお姉さんに聞くと「それはおじさんです」という答え。は?
口の下にヒゲみたいなのが生えているのでそう呼ぶのだとか。^^;

食事をしたのはこの「新天地」という建物の中の店だが、ずっと昔からあるのだという、そういえば字体もレトロ。私が松江にいたころからあったのだろう。もちろん学生がこんな店に飲みに来れるわけもなく、下宿で飲んでいるだけだったが。

二次会へ。同級生のさんちゃんと技術士会きっての弁達であると皆さんがおっしゃるMさん。カラオケの大音量に負けずに島根県の今後を熱く語っていた。

島根である以上、締めはやはり出雲そば。これは三品そば。なぜか私の中では出雲そばといえばこれ!みたいになっている。
さんちゃんとはまた近いうちに会って飲もうと約束して別れた。
ホテルに戻り、さあランンドリーで・・・・と思ったら全部使用中。しかたがないので洗濯は明日に回して寝る。

2011年4月7日木曜日

子どもはやっぱ大事だもの

夜、若狭地区少年警察協助員会の役員会。会長になって5年目に入る。
・・・・なんてことだ、もうそんなにやってるのか。
ちょうどPTA活動と入れ替わる感じでこちらの活動が始まったのだけれど、どちらからも本当にいろいろと学んだと思う。

PTAにせよ警察ボランティアにせよ、市町村あるいはそのいくつかの集まりのレベル、県レベル、全国レベルと階層化された組織なのだが、そういった組織のために年中行事をこなしたりすることには興味はない。
子どもたちは無垢なまでに素直に未来を信じて夢を描くべき存在で、それを虐待やネグレクトやいじめや不登校などなどで悲しんだり絶望したりすることはとにかく我慢がならないので、何かできることをしたいというだけだ。
ところが時間がなかったり経験や知識が不足していたりして、とにかくいつも自分に歯がゆさを感じて忸怩たる思いでいるので、毎年この時期はなんとも申し訳ないというか情けないような気持ちになっている。こんな大事なことなのに片手間でやっているのではないかというような、子どもたちに申し訳ないような自責の念があるのだ。

そんなことを思いながらも、明日からは松江~広島~大阪~名古屋~京都と移動する。大事な人達との交流もある。元気で行ってこよう!

2011年4月6日水曜日

陽光の中で

朝、ボランティアセンターで市役所の新部署メンバーとの会議。昨夜の観光局での会議の直後だけに、話の内容が妙にシンクロする。これはいろんなことが「協働の方向」に向かっているということを示しているのだろうか。よくわからない。
会議を早々に切り上げ、大急ぎで小浜駅へ。今日は鯖江に向かう。

 朝はちょっと肌寒かったので、カッターシャツ+ベスト+ジャケット+コートだったが、小浜駅でコートを脱いで車に置いていった。
電車の中はぽかぽかと暖かい。
まだ代かきが始まっていない田んぼが、暖かな春の日差しの中で出番を待っているようだ。こういう眠たげな風景の大切さが、あの震災のあとではひときわ際立つ。

敦賀駅から北陸線に乗り継ぎ、武生駅に到着。駅前も暖かさが隅々まで行き渡るような陽光の中にあった。
ここから福井鉄道に乗り換え。いわゆる市電。バス並の大きさの2両編成ワンマンカーでごとごとと鯖江市の西山公園駅まで移動し、ここから暖かな日差しの中をゆっくり歩いて市民活動センターへ。
「新しい公共支援事業」に関して、県内中間支援団体の打ち合わせ。なんというか同じ方向性に向かって継続的に活動している者同士なので、互いの話が浮き上がらず染みこんでいくような感覚が心地良い。
会議後、またゆっくり歩いて西山公園へ。少ししてやってきたチンチン電車で武生駅へ、そこからJRを乗り継いで夕方に小浜駅に到着。
帰宅して雑事をすませ、夜は太鼓の稽古。今年はじめてだ。
そういった動きの隙間はすべてメール処理や添削、SUKIYAKI塾コーディネートなどで埋められている。無駄のない時間の使い方といえばそうなのだが、ぼけっとReaderで読書する時間もちょっとはほしいなあと思う今日この頃である。

2011年4月5日火曜日

おがくず

福島の原発では本当に命がけで大変な作業が続けられており、従事している人たちには心から経緯を払うところであるので、あまり話題にはしたくないのだけれど、放射性物質汚染水が海中へ流出していることが判明して以来、「おがくず」「トレーサー」「シルトフェンス」といった、やたらとなじみの深い言葉がどんどん出てくるようになったので、不謹慎な言い方ながら身近感というか「それなら俺も知ってる」的な感覚になった。
おがくずはボーリング時の漏水防止によく使ったし、トレーサーは地すべりの地下水追跡調査でよく使った。シルトフェンスは海の工事では当たり前だ。
まあそれはともかく、対応が長引いて、本当に危ない時期を越えたという見方もできる(とにかく今このときに何とかしないと本当にやばいという状況は、今このときはない)ので、なんというか緊急感みたいな感覚が低くなってきたから、今度は初動がどうだったとかいろいろ言われるようになってきているが、とにかく現場で対応している人たちは本当にご苦労様だしがんばってほしいと思う。

同業者も東北対応で動き出した人やとっくに動いている人がたくさんいて、俺はこんなところでこんなことをしていていいのか!みたいな気持ちはあるのだけれど、ニーズのないところにサービス提案などする段階ではまだないので、「技術者としてできること」はせずに一般国民としてできることだけをやっている。歯がゆいけれどね。

2011年4月4日月曜日

センキョ(ーー;)

ここ数日気温がぐっと下がって寒くなったけれど、日差しは春の日差しになった。
多田ヶ岳の雪もずいぶん融けた。堤防にも菜の花やダイコンの花が咲き誇り、いよいよ春の訪れだ。

こんないい天気をぶち壊すのがセンキョである。
知事選と県議選がダブルなので、大変に騒々しい。さらにこれが終わると今度は市会議員選挙まで始まるから、静かに春を楽しむときがない。
選挙そのものは大事だと思うけれど、何も選挙カーだの何だので拡声器で名前ばかり連呼なんてしなくていいじゃないかと思う。メディアを通じた選挙広報で意見を述べ、淡々と審判を仰げばいいのに、わあわあと意味のない騒音を撒き散らしてどうするんだと思う。
選挙演説会も開いてもいいと思うが、幟だのハチマキだのアトラクションだの動員だの、阿呆でしかないと私は思う。
ということで、もう何度も書いていることだけれど、私は政治は大事だし選挙もとても大事だとは思うのだが、センキョは大嫌いなのである。

2011年4月3日日曜日

やせがまん力

今日は娘がつくばに帰った。私と女房が用があったので、両親が最寄りのICである敦賀まで1時間ほどかけて送っていった。そこから福井県からつくば大に行っている4人で車に乗りあわせて帰るとのことなのだが、小ぶりの車に4人乗って、荷物を載せて、水のペットボトルの入った箱を載せて、ぎゅうぎゅう詰めで敦賀を後にしたとのことで、「ようあんなに入るもんや」と母が笑っていた。
そういうことを苦にしないのも若さなんだなあと思い、娘を頼もしくも思った。

息子は朝から大阪に遊びに行っていて、帰りが遅いので電話したら電車で帰ってくる途中で、まもなく着くころなのだという。私の車を借りて、1時間弱の滋賀県近江今津駅まで行って、そこから湖西線で大阪に出たのだろうけれど、今の時間に近江今津だと帰宅すると0時半ごろだ。朝の6時過ぎに出たから、18時間。これもまた体力のいる話で、別の意味で頼もしくもある。

親の後をちょこちょこ着いて来るしかできなかった子供たちが、自分の意志と若い体力で、どんどん行動しているのを見ると、少しさびしいけれどそれ以上に嬉しくもある。

今日はまた春の祭りの稽古始めでもあり、お祓いをしてもらった。
集まった地区の子供達をみると、1年でぐんと大きくなるものだなあと感慨深い。

こういうのを見ていると、「よし、オレもまだまだ負けてられんぞ」と思うだけの「やせがまん力」がまだ残っているのか、また動き回ろうという気になってくる。

2011年4月2日土曜日

Galaxy Tab

実はXperia arcを買ったときに、勢いがついてGalaxy Tabも買った。
「え、今ならAndroid3.0でしょう。なんで今さらタブレットに最適化されてない2.2のGalaxy Tabなの」と思うかもしれないが、ちゃんと理由があるのだ。

(1) 気に入ったAndroid3.0タブレットがない
Android3.0タブレットとしてはOptimusも出ているのだが、8.9インチもあってでかく、そして重い。ドコモショップにホットモックがあったので触ってみたのだが、最初の印象が「ずしっ」「重っ」だったのである。
私は、おそらく重さ500g以上のタブレットは性に合わないのだと思う。iPadも同じ理由で×なのだから。
で、7インチ程度のAndroid3.0タブレットがあったら買うかもしれないがとりあえず今はそれがないのだ。

(2) うらやましくなった
先月淡路に行ったときにアクアスキームさんが使っているのを見てうらやましくなったのだ。
やはり購買の最大のきっかけは情動なので、これは大きな理由である。
そして唯一のハードルが、「FOMAの回線契約しないと買えない」だったのである。私はケータイ(Xperia)とWiFiルータの2つを契約していて、つまりケータイ番号を2つ持っているので、これ以上はいくらなんでも・・・・と思っていたのだ。
ところがWiFiのみでも契約できるとアクアスキームさんから聞いたので、唯一のハードルも外れてしまったというわけだ。
正確に言うと、やはりWiFiのみの契約はできないので、Xperia→Xperia arcに機種変更→Galaxy Tabに機種変更→しかしSIMカードはXperia arcに挿して使っているという仕掛けをしたのだが、まあ結果的にWiFiオンリーでいざとなったらSIMを挿して使える(電話もできる)ようにしたのである。違約金を払ったけど。^O^;

で、以前に買った7インチの中華パッドと並べてみるとこんな感じである。ちなみに上が中華パッド、下がGalaxy Tab。
サムスンだけあってとにかく液晶がくっきりきれい。中華パッドはぼんやりしている。
それよりも何よりも、動作のサクサク感とアプリの動作がぜんぜん違う。
去年は東京で模擬面接をしたときに、中華パッドで無理やり資料をPDF表示していたけれど、Galaxy Tabなら余裕でできるしね。

嬉しくなって早速持ち歩いているのだが、添削するときのExcelやWordファイルをOffice suiteなどのアプリで表示して、レッツノートやLooxUでコメントを入力するという使い方もできるので重宝している。
やっぱり仕事(APEC-semiは私の「仕事」のひとつだから)は道具立てが大事で、趣味ならともかく仕事に使うものである以上、今この時に「買うことができるし、出費に見合うだけ使える」と思ったら迷わず買うべきだなあと改めて思った。

・・・・とか言って、趣味じゃないのかと言われると答えようがないんだけどね。^^

2011年4月1日金曜日

Here comes the 花粉

今年は花粉が飛びまくるという予報らしい。
幸いなことに我が家は私も女房も両親も花粉症なし。子どもたちもそういった症状になったことはなく、平穏無事に毎年春を過ごしている。
しかしあれは「ある年に突然なる」ものだと聞いたことがあるので、毎年「今年こそはなっちゃうんじゃないか、なったらどうしよう」とビビりながら過ごしている。

花粉症になるのがなぜ怖いか。
症状が辛いらしいが、それはなったことがないのでわからない。だから怖くはない。
ひとつには、これまで散々おちょくってきた人たちがここぞとばかりに私をおちょくることが間違いないことである。おそらくティッシュを隠すとか、その代わりに売っている中で一番ゴワゴワのティッシュに取り替えるとか、それくらいは覚悟しておかないといけないかもしれない。
もうひとつは、3月から4月がセミナーシーズンになってきたことである。鼻の下が真っ赤な講師がクシャミ連発しつつ講義する姿ってどうよ。それも鼻の下にはヒゲがあるから、それがまた黒くつやつやと光ってたりしたらかなりやばいだろう。

では、もし花粉症が発祥したらどうするか。おそらく迷わずレーザーで粘膜焼き切りに走ることだろう。
小浜市にはN医院という腕のいい、しかし院長のキャラは軽くて面白い耳鼻科があって、そこでイチオシの治療法として教えてもらった。もう5年以上前だと思うけど。
薬をきちんきちんと飲むとか、そういったきちんきちん的生活がとても苦手な私としては、最初にズバッと粘膜を焼ききってしまってあとはすっきり過ごすのを選ぶことだろうと思う。幸いなことに今はその必要はないのだけれど。

聞くところによれば、1950年代に戦後復興と経済成長の中で、住宅と土木の両方に需要のあった木材は枯渇が懸念されるほどになり、政府は需要抑制と供給拡大に乗り出した。需要抑制のために土木におけるメタルとコンクリートの仕様を定めて使いやすくして木材離れを促し、供給拡大のために植林をどわーっと進めた。
結果、土木は木材離れがしっかり進んで木材をほとんど用いなくなり、さらに安価な外材が入ってくることで住宅分野での木材需要も低下して、あんなにがんばって植えた杉の需要ががっくり減ってしまった。
かくして杉は伐採適齢期を迎えても伐採されずに残り、成長しきって子孫繁栄段階に入って花粉をばんばん撒き散らすわ、林業が衰退するから間伐も進まず植林地の中は暗くなって「黒森」となり、下草が生えずに土壌が形成されず雨が降れば土砂が流出するようになり、さらに間伐したもののコスト面で外に出せずに斜面に放置されていた木までもが流出して橋をなぎ倒したり、もう散々な山にしてしまっているらしい。
荒れ果ててしまった山をどうにかすることは、治水面からも花粉症対策面からも環境保全面からも非常に大切なことなのだ。
といっても私ひとりにできることなど限られているので、木材利用研究会に(自分は何も提供できるスキルがないくせに)のこのこ出かけていくか、下草を食い荒らす鹿の食害をどうにかするためにも鹿肉市場を創り出せないかあれこれやってみたり、まあそれくらいしかできないので、細々とやっている。

近年は黄砂もいよいよもってものすごくなってきたし、黄砂だと思ったら中国産硫酸エアロゾルで光化学スモッグになっちゃってることもあるらしいし、そこへもってきて今年は花粉ばんばん飛びまくりらしいし、もうなんだか毎日もやもやもわんとした春の日々になりそうで、やはりびびりまくる私なのでした。