2015年2月9日月曜日

今日もしんしんと

昨夜、ひえええ雪だあと布団に潜り込んで、目を覚ましたらやっぱりな光景になっていた。

車はこんなになっていました。朝から雪かきをして疲れちゃいました。
こんな天気の中、女房は今日から木曜日まで仕事で上京する。幸いにして電車は多少遅れながらも予定通りの乗り継ぎで東京についたようだ。きっと寒くて乾燥してていい天気なんだろうな。

でまあ、別に羽根を伸ばしているわけでもなんでもないけれど、自分のペースで夜を過ごした。夕食前に風呂に入って、夕食はアジの開きの醤油干し+菜の花の辛子和え+カレー(具だけ)でビール(無論プリン体ゼロ)を飲んで、ゴハンなし。別に炭水化物ダイエットしてるわけじゃないけど。
ビールを泡盛に変えて、いい気分でCPD登録をして(とにかく果てしないとすら思える作業)、真夜中に2度めの風呂に入ると、今日も外は「しんしん」の気配。

風呂あがりに裏庭を見ると…昨夜よりすっごく増えてるし…
でもニュースで見る新潟や青森、福島なんかの風景に比べたらカワイイものだ。考えてみたら雪下ろしなんて54年の生涯で2回しか(それも自宅は1回しか)経験ないしなあ。
まあとにかく、こんな日はおとなしく寝るとしよう。

2015年2月8日日曜日

しんしん

女房とブランチにココスに出かけた以外は、ほとんど家にこもって添削や事務処理、そしてRCCM更新登録のためのCPD登録(まったく日頃からまめにやってりゃいいのにねえ。人様に言ってることと自分がやってることが違うよなあ)に精を出していた。

午後辺りからぐっと冷え込み、がたがたと寒風が吹いているよなあと思いながら過ごし、真夜中に風呂に入って息抜きにコミックを読んでいて、ふと外がやけに静かなのに気づいた。
耳を澄ますと、外から「しんしん」と聞こえてくる。いや実際に「しんしん」という音がするわけではないのだが、牡丹雪が落ちるときの「ファサッ」というような音(というか気配に近い)、真夜中のかすかな音の伝わり具合など、いろんな音や気配から、「こりゃあしんしんだ」とわかるのである。

ということで、風呂あがりに裏庭を見ると、やっぱりこんな状態だった。^o^;
うーむ、シベリヤ寒気団が大挙襲来しているようだ。恐ロシア(知床さん風)。

2015年2月7日土曜日

陽気と雪と

「濱の四季」がバイキングを始めたので家族で昼食に行ってきた。

大きな木のお皿に、小浜の家庭料理を中心とした「おばんざい」的惣菜を多種少量取って食べる。温野菜、ぬた、白和、煮しめ、小アジの南蛮漬けなどなど、ほっとする惣菜ばかり。粕汁が薄味でうまかった。

節分を過ぎると冬じゃないような陽気になることが多いのだが、今日がまさにそれでぽかぽか陽気。

久須夜ヶ岳の上半分には雪があるが、下界は穏やか。
金曜日から寒波の予報だったのだけれど、真逆にいい天気が続いてありがたい。…と、例年ならこう言うところだが、雪室をやっている身からするとなんともビミョーな気分である。
…なーんてことを書いていると、雪神様に見られて「そうか、そういうことなら」とまた雪がどさっと降ったりするのかもしれないけど。^^;

これは先日のようすだけれど、辛味大根が手に入ったので雪室に入れに行ってきた。

外界は晴天なので安心して行ったが、さすがは上根来、10cmくらい新雪があった。どうも昨夜降ったように思う。恐る恐る車を進める。

畜産団地跡も屋根に新雪が積もっている。背後の山はすっかり冬山だ。

夕方と深夜、skype面談を3人。いずれも出願書類の小論文のロジックなどについてじっくり1時間面談した。
効果はあったと思う。メールのやりとりだけの添削だったらまずもって到達できない(ゆえにあきらめる)レベルの話ができている。
いきなり全部を理解するのは難しいと思うから、飲み込んで文章にしていくのに時間はかかるだろうけれど、出願期限までまだ2ヶ月半あるんだから大丈夫。きっといいものに仕上がるはずだ。

そして夜は絵画展の実行委員会。徐々に前に進み、また具体化もしている。こちらもそろそろ本腰を入れていかないと。

2015年2月6日金曜日

冬の小浜の光景

冬の小浜の風物詩のひとつに寒修行がある。曹洞宗のお寺で修行してる雲水が町中を歩くのだ。鈴を鳴らしながら「ほぅーほぅー」と大きな声を出しつつ歩く。

家の軒先にさしかかると、家人が出てきて食べ物や浄財を施し、雲水を拝む。寒修行をする側も、それを見守り寄進する側も、どちらもなくならないのは小浜の自慢だなあと思う。

話題変わって…
一昨年、技術士試験方式が大きく変わろうとしているタイミングで「技術士試験勉強法」という本を出した。初版3,500部、予約段階ですでに第2刷1,000部が出て、翌年(つまり昨年)に第3刷1,000部が出たのだが、昨日、第4刷1,000部の話が来た。
図らずも毎年増刷することになって、そのため直前の試験結果を反映した修正をできるだけ入れるようにしている。去年も第3刷のため、確か旅先のホテルで目をショボショボさせつつ修正作業をやっていたような記憶がある。
契約上増刷分の印税は入ってこないからただ働きなんだけど、本というのはそういう問題じゃない世界で、「自分の書いた本をたくさんの人が読んでくれる」ことの嬉しさは銭金の問題ではないと思う。
まあそれはともかく、今回もあれこれある中で真夜中に目をショボショボさせながら修正。しんどいけど、少しでも最新の情報にしておきたいからね。

またまた話題変わって…
知床世界遺産さんがSUKIYAKI塾沖縄でいごの会の新年会に乱入した由。
いいなー楽しそうだなーと指をくわえながらブログを見ていて気がついたのだが、知床さん激ヤセしてね?うーむ、これはきっとナニカオソロシイ病気に違いない。知床はロシアに近いからなあ。恐ロシア(って、知床さんみたいなことを言ってしまった)
でも、本当に旅に出てまたみんなに会えるのは楽しみだ。

2015年2月5日木曜日

力強いおまわりさん

警察の武闘訓練納会に招かれてお邪魔してきた。(話はそれるが、「ぶとう」と入力して変換したら第1候補に「舞踏」と出てびっくりした。「警察の舞踏訓練」って…ATOK大丈夫か?)
やはり格闘技というのは見ていて力が入るもので、のめり込みつつ見ていたのだが、それ以上に「力強いおまわりさん」というのは大事なことだなあと改めて思った。それが身体的なことであろうと何であろうと、「強い力を正しいことに使う」ことは本当に大事なことだ。

和歌山では子どもが殺された。
弱い者が泣くような世の中はだめだ。
秋葉原事件じゃないけど、世の中とうまく折り合いが付けられないからといって大の大人のくせして斜に構えてみたりすねてみたり暴れてみたりするような輩はぶん殴ってやればいいと思うけれど、弱い者を泣かせるような世の中はだめだ。

また話はそれるが、夜は市役所で会議があった。
こういう会議に出るたびにいつも思うのだけれど、いわゆる事務局を務めている市役所職員は大変だなあといつも思う。気を遣って言葉を選んで、本当に大変だ。
彼らは「弱い者」ではないはずだし、そうであってはいけないと思うのだけれど、彼らがいつも「弱い者」みたいな立場になってしまっているのは何なのだろう。
行政だからといって、どんな理不尽な事でも「馬鹿なこと言うな」と言えないことこそ理不尽ではないだろうかと思うし、だから私も彼らが本当に思うことをずけずけ言ってくれるようにしたいといつも思っているのだけれど、そういう光景にしょっちゅう出くわしてしまう。
彼らが遠慮なくずけずけものを言えるようになれば、そのときこそ私も遠慮なくものを言って、そこで本当の丁々発止の議論ができるようになって、勉強不足であればぎゃふんと言わされて、そうであればこそ「負けていられない」と思ってスキルアップに励むようになれば、親しき仲にもピリッとした厳しさが同居する、やりがいのあるまちづくりができると思うのだ。…って、見果てぬ夢かなあ。
…今日は(今日も^^;)ちょっと(ちょっと?)酔ってます。

2015年2月4日水曜日

凜とした

雪室にへしこを入れるのを忘れてた!ということに気がついて大慌てで上根来へ。

いい天気で気温も上がって、市街地では雪はぜんぜんないが、さすがの上根来はこんな状態。おそるおそる車を進めて畜産団地跡へ。

区長さんが時間をかけてモミガラをかけてくださっていて、雪室は元気いっぱい。

日曜日に入れた野菜類ほか。ここにへしこも入れました。

酒と米。こちらはいけるところまで保存していこうと思っている。どうなっていくかが楽しみだ。

青空も見える上根来の冬山は凜とした佇まいだ。斜面に見える筋状のものは、雪だるまみたいに雪が自然に落ちてきた跡だ。
夜は地域担い手事業の打ち合わせ。「だるま窯」に取り組んでいる口名田地区が舞台で、面白くなりそうだ。
帰宅後、3月以降のセミナーツアーの行程作り。電車や飛行機の行程決めと飛行機予約、宿探しと予約、自分で主催するセミナーは会場確保と忙しい。でもまたSUKIYAKI塾や全国のいろんな団体の皆さんと会えると思うと、なんだかウキウキしてくる。NPOも同じだけど、仲間というのは人生の宝だね。

2015年2月3日火曜日

新感覚のそばはいかが

今日は夕方6時からのFBC放送「おじゃまっテレ」で雪室が放映されたらしい。
FBCのY君からわざわざ電話もらって、雪室協議会のみんなにもメールで周知していながら、当の本人が見逃してしまった。いやあ、申し訳ない。誰か録画してないだろうか。

ここで何の脈絡もなく料理ネタ。
そば(和そば)を食べるとき、まずそばをゆでますな。これは皆さんそうされます。
で、あったかいかけそばを食べたいとき、その汁(ツユ)はどうやって作りますか?
まあたいていの場合はそば(麺)とセットになっていたツユを使いますな。お湯でといてのばすやつ。
こだわる人は自分でダシをとってショーユなんかで味付けするかもしれない。
ああそうだ、最近は「めんつゆ」なんて便利なものもありますな。
…なんだか落語っぽい言葉使いになってるけど、それはどうでもよろしい。
実は私には必殺のそばツユ製法があるのです。

それは「そばなのにラーメンスープの中にぶちこんじゃう」作戦です。
私の場合は、マーケットで売っている中華スープの元を使う。これをいくらか取って、お湯でのばすだけ。ここにゆでたそばをぶち込む。ざくざくと切ったネギを入れるとなおよろしい。できればここにかしわ(鶏肉)をざくざくと刻んだのを入れるとさらにさらによろしい。
なんだったら食べる前にコショーを思い切ってぶっかけるとさらに美味い。
ちなみに近年、我が家の年越しそばは、私と息子はこれを食ってます。
いや、ホントに美味いから。一度お試しあれ。

あ、ついでに申し上げると、このスープは鍋にもうまい。中華鍋ですな。
このスープの中に、おおむねラーメンに入れるような具材、ネギ、タマネギ、キャベツや白菜、きのこ類(特にしいたけ。えのきやエリンギもよし)、豚肉などをぶちこんで鍋として食って、シメにラーメン(鍋用のラーメンなんかがあるね)を入れる。コショーを効かせてもうまいし、ちょっとラー油なんかかけるとこれもうまい。ご飯とも合う。さらにさらにビールによく合う。
これもぜひ一度お試しあれ。
スープの元がちょっとお高いのがネックだけど。

2015年2月2日月曜日

京都メシはやはり美味い

昨夜は京都らしく「お寺のホテル」に宿泊。大浴場もあって、なかなかよかった。
お葬式の段取りや慣習は地域によって違うものだが、他所での葬式に出席した経験があまりないから、印象深かったこともある。
会葬者の記帳する帳面が横書きだったこと。お通夜の会葬者に渡す御礼を手提げ袋に入れて渡すこと(小浜はレジ袋のようなポリ袋)。出棺のとき、霊柩車は静かに出発すること(小浜ではクラクションを鳴らす)。
まあ全部些末なことなのかもしれないが、冠婚葬祭の習慣の違いみたいなもの、年中行事やそれに伴う食事(特にお雑煮)の地域による違いは非常に興味深いものだ。
集合し、告別式をして、出棺して、骨拾いをして、初七日をして、仕上げの食事をして…と1日で盛りだくさんだけれど、それぞれの間の待ち時間もまた長く、かといってそこでがしがし添削などするものでもないから、ぼんやりしたりうたた寝したりする時間がけっこうあった。たまにはこういうのもいいだろう。ご家族はそれでなくても疲れているのだから、我々親族は自分のことは何もせずに、ただ話したりそこにいたりするのが役割のように思う。
凍てつき始めた朽木街道を通って我が家に戻ったのは8時過ぎだった。
慣れないことばかりの2日間というのはけっこう疲れるものだなあと思った。

ところで今日の仕上げ会席、さすがの京都料理であった。

走り、盛り、名残と季節を、ちょっと幅広いながらも演出し、またダシの風味豊かな薄味が嬉しい。
いっぱい食べたなあと思っていても、女性でも完食できるくらいの量だったのもさすが。
車で帰らないといけなかったのでウーロン茶だけで食ったが、辛口の美味い日本酒をちびちびやりながら食ったらもっと美味かったろうなあ。

帰宅して今朝の福井新聞を見たら昨日の作業風景が掲載されていた。

こうしてPRしてもらって、貯蔵応募が出てくると嬉しいなあと思う。
第1目標は、百里会の活動費が賄えること。つまり地域の活動として地域の人たち自身の手で継続的に運営されていくこと。「第1目標」なんて言っちゃったけど、これがいかにむずかしいかはわかっているつもりだ。でもやっぱりこれが目標なのだ。
第2目標は、雪室だけにこだわらなくていいから、アブラギリでも何でもいいから、いろんなコンテンツを組み合わせて、誰か1人でいいから生計を立てられるところまでもっていきたい。
なーんて夢を語っちゃったけど、夢はいろいろあるほうがいい。夢の数だけ・・・あっり乾杯!

2015年2月1日日曜日

雪室貯蔵第1回

雪室への貯蔵本番。…なのだが、昨日からそこそこ積雪がある。行けるかなあ…と思いつつ畜産団地跡に向かうも、上根来集落へのアプローチ部、一番坂が急なところで雪で滑って息も絶え絶え。

なんとか登り切り、集落に到着。フツーに雪国状態である。新雪は5~10cmというところか。
9時過ぎ、なんとかメンバーが集まり、とにかく雪を集めて雪山増築作業。
やがて食材が届き、コンテナに分け入れて、ついに第1回貯蔵。

ここでようやく写真を撮る余裕が生まれた。まあよしきがいろいろ撮ってくれていたと思うから、ひとまずいいでしょう。今回は野菜・果物を中心に、米やお酒も多く入れました。
1ヶ月後に最初の取り出し。どうなっているか楽しみであり、また不安でもある。

暖を取るためのたき火も用意して、みんなが集まって作業をしているのはいいなあと思う。マスコミも数社来てくれて、注目してもらっているようで、やる気が出る。

ペイローダーで雪を集めては除雪機で飛ばして雪山を少しずつ大きくしていく。
今日はみんないろんな用事があるので(私もそうだが)、13時ごろひとまず作業終了。
急いで山を下り、自宅で黒服に着替えて、車で京都へ。小浜から京都へのルートはいろいろあるが、今日は周山街道とも呼ばれる国道162号を通っていった。85kmほどで、途中雪道もあって2時間かかった。午後4時、告別式場到着。
午後7時から通夜、そのあと控え室で食事をして、ホテルへ。
明日は告別式のあと車でまた小浜に戻る。

2015年1月31日土曜日

山の天気は

アブラギリを一緒にやっている若狭東高校の課題研究発表会があった。ほとんど生徒と父兄だけど、その中に紛れ込んで見させてもらった。

生活科学科は薬膳料理に取り組んだ。限られた時間の中でがんばったなあと感心。

産業技術課の生産コースはLEDと栄養液で土を使わず屋内で野菜を栽培する「野菜工場」。先進的な取組で、すっごく興味をひかれた。

そしてアブラギリに取り組んだ産業技術科建設コース。今年付き合ってよく知っている顔が壇上で発表しているのを見るのはやはり感慨深い。

里山シンポジウム。こうして生徒、あるいは学校の視点で見ると、もっとこうしたほうがいい、これもやったらどうかみたいなことが頭の中にいっぱいわいてくる。
まだ他の発表も続くけど、休憩時間になったのをしおに退出。明日の雪室作業の準備のためにコンテナ運搬などバタバタしたあと、いったん帰宅して昼食。

上根来でちょっと作業しておこうと思って前を見ると、なんか雪が舞い踊る向こうに多田ヶ岳がほとんど見えなくなっていたり…大丈夫かなあ。

下根来を過ぎたあたり、杉の横面にだけ雪がへばりついている。まあそれだけ風が強かったということだな。

畜産団地手前の道には雪がけっこう積もっていた。まあ新雪じゃなくて轍があるから大丈夫だが。

畜産団地は寒々しい山奥の光景の中でひっそりしていた。

雪室は半月前のまま。それでも壁際などはクレパス状に融けていた。やはり断熱が課題だ。

入り口に鍵をつけた。明日からは食料を入れるわけだからね。これだけの作業なのだが、指がかじかむ寒さの中なのでずいぶん時間がかかってしまった。

酒ケースも使うので、ゲストハウスに取りに行った。スノーシューズを履いて行ってみると、玄関付近がいよいよ雪に埋もれていた。ゲストハウスの看板はもうボロボロ。

わずかに雪囲いの波板が見える奥に玄関の戸がのぞく。ここに体を無理矢理ねじ込んで中に入る。あこちゃんだとするりと入れるんだろうが、私はギシギシと入った。

いろんなものを持ち出すのに30分ほどかかったろうか。その間に雪景色というか吹雪景色に一変していた。

山の杉林が何とも幽玄な…なんて眺めている場合ではない。早く仕事を終えて帰らねば。
大急ぎで畜産団地まで荷物を運び、これまた大急ぎで山を下りる。

瞬く間に道路に新雪が積もって、どこが道路なのかわからない。ケータイも飛ばないし、ここでスタックしたり脱輪したりしたらオレどうなるんだろう…

なんとか山を下り、今度は明日真空パックで貯蔵する食材のパッキング。今回は鯛カツ、あじ醤油漬け、鯖醤油漬けの3品目をそれぞれ3パック作る。

鯛カツは最近合格祈願食材として売り出している。ぜっ鯛カツ!…って。^^;

真空パックした鯛カツと鯖醤油漬け。雪室に放り込んでどう変化するか観察する。野菜のように生きているものは糖度が増したり変化するけど、こういった加工食品はいつまで持つだろうか。

あじ醤油漬け。朝飯なんかはこれがあれば何もいらないよねえ。これもどうなるだろう。

いやあ、よく動いたなあと疲れながらも満足して帰宅。まだ早い時間だけどビールなど飲んでまったりしたいたら、なんと京都のおじさん(女房の亡父の弟)が亡くなったとの知らせが。
明日は雪室作業を早めに切り上げて京都に走らないといけない。まったく落ち着きのない人生である。

2015年1月30日金曜日

冬はマージャン

今週はずっと寒く、晴れ間はたまにしか見られない。だいたい1月はこんな感じの天気が続き、節分を過ぎると寒さが緩む。そして3月初旬に戻り寒波が一度やってきて春になるというパターンだ。

今日はわが雲浜一丁目区でオバマージャン。わが区ながらすごく元気で、他所と比べてツモってから切るまでも早いし、洗牌もみんなで大きく動いてぐわーっとかきまぜる。とにかく元気なのだ。いいことだ。

ゲームもかなり真剣で、だからだろうけれど、飲み込みが早く、途中からはあまりアドバイスしなくてよくなった。次は牌を貸すだけで自分たちでやってしまうんじゃないだろうか。いいことだ。

3月以降のセミナーツアーの予定を立て始めたが、なんだか今年は例年以上に大移動というか、早朝からヒコーキに乗って…とか、日本列島縦断とか、キツイ移動が多いような気がする。
なんかみんな、「ご苦労様です」と一言いえば、早朝深夜でも動かして大丈夫だぜ、みたいになっているような気がするんだけど…気のせい?

2015年1月29日木曜日

あなたの夢は何ですか

今日は第4木曜(あれ?第5木曜だ。でもまあいいや^^;)なので木曜会である。
毎月第4木曜に集まって飲む。以上!という会である。
ここ数年、1月は濱亭で開催している。濱の湯であったまってから、風呂上がりのビールをぎゅーっとやろうぜ会である。
7時スタートなのだが、「6時から準備運動してます」という若狭坊のメールにだまされて6時過ぎに来たら、誰もいない。

仕方がないから、一人で焼酎飲みながらPC開いて練習をしていた。
それでも予定時間を遅れること20分ほどで無事開宴。というかずるずるとスタート。

まあこんな感じで、人もまばらな一角に集まって異様な光景を醸し出しつつ和気藹々と飲んでます。

若杯者と地元の「わかさ」の飲み比べ。甘口のわかさと飲み比べると、白ワインのような若杯者の風味がいっそう際立ちますな。雪室熟成させると面白くなりそうだ。
気持ちいい酔いの中で、新しい動きがどんどん話に上り、「やろうぜ」という話になったり、日程まで決まったりする。この辺も木曜会の面白いところだ。こういうノリの中からいろんなものが生まれるのだと思う。これってSUKIYAKI塾と同じ楽しさ・ワクワク感で、「夢が広がっている」感じがするのですよ。
「あなたの夢は何ですか」と聞かれて「こういうことです」と迷わず答えられることの喜びと言ってもいいのかな。だってそれの答えがなくなったら人生店じまいだものね。

まあとにかく「次にやること・やりたいこと」がいっぱいできた夜でした。問題は、明日になってもそれを覚えているかどうかだな。^o^;

2015年1月28日水曜日

7年前のスライド

何か発表とか執筆といった機会があると、これまでやってきたことを整理できて、「ああ、そうだったんだ」と再認識できることがよくある。そういう点でいろんな発表とかプレゼンはありがたいなあと思っているのだが、24日の技術士会社会貢献事例の発表もそういう機会になった。

以下の4枚のスライドは、2007年10月に技術士全国大会が福井であったときに作ったものだからもう7年以上前になるのだが、それをほとんどそのまま今回使った。

これはつまり、行政や住民、企業などが互いに「重なり合った部分」を持たず、主従関係とか要望・お願いとか、まあつまり互いに利害関係があって、命令とか要望とかお願いなんかはしても協働はしていなかったよねというイメージ図である。
そしてその中で技術者は、企業の(行政の、でも同じ)奥の方に引っ込んで、「オレの持ち場は専門技術だけだかんね」みたいにしていればよかった。というかそういう引きこもり技術者みたいなものでよかった。

今は、互いの立場を理解しつつ協働することが求められているし、その「重なり合い」部分を担う組織も生まれている。
そして技術者は組織の奥に引きこもっていないで、異なる立場の人たちが協働する場でこそ活躍すべきではないかという主張を表したスライドだ。技術者が真ん中にいるけれど、これは決して「オレが中心だ」みたいな意味ではなく、公共、市民、法人のいずれもに係わる(いずれも理解している)という意味だ。

つまり、そういう立ち位置にいる技術者、なかんずく技術士の役割は、公共・市民・法人(企業)全部の感覚を兼ね備え、なおかつ専門技術者なのだから専門技術者にこそできるアドバイスをすることではないかということだ。

とまあ、こういうことを7年ほど前に話したのだが、それをそのまま使えるということは、それを否定するような現象が起こらず、また自分の考えも変わらなかったということだ。
もちろん「予想ピッタリ」みたいなことではない。7年前、市民と法人の重なり部分に「NPO」と書いたけれど(それは市民感覚を持った、しかし法人としての経営感覚も持った組織であるべき、という気持ちだった)、公共と市民の重なり部分、「新しい公共」もNPOが担い始めている。
そういう中で、NPOに対する経営感覚はより強く求められるようになってきて、我々も法人会計講座なんてものを主催したりした。
まあつまり社会的責任ですな。「いつなんどき放り出すかわからない」ような、遊び・趣味みたいなNPOには社会の中での活躍の場は与えられなくなってきているわけだ。
私もそのことはひしひしと感じていて、また反面教師的ないいかげんなNPO運営もいくつか見てきたりしているので、日常的に強く思うようになった。
言い換えると、「社会的責任を果たせるNPO」であれば、活躍の場は7年前に思っていた以上に広くなっているということだ。

また、引きこもり技術者であってはいけないという思いも、より強くなっている。
高度な専門技術はもちろん必要だから「専門バカ」はもういらないなどと言うつもりはないけれど、社会の相互依存・相互連携がこれだけ強くなってくると、やはり専門バカでは活躍の場はどんどん少なくなってくる。
そりゃあ技術者なんだから複雑高度な解析計算がうまくいけば嬉しいのは当然だし、それが技術者マインドでもあるわけだけれど、それはあくまで技術者マインドであって、世の中の人と共有するなんてのは無理な話だ。
そこで「共有できないのなら付き合わなくてもいい」と引きこもっていくのではなく、自分の専門性は専門性で置いておいて、その前に行政責任・市民感覚・経営感覚の意識共有をすることで、自分という人間を信頼してもらう、つまり人間関係の基礎を作ることをすべきだ。そのうえで初めて専門技術者である自分の話ができるのではないだろうか。最初から「専門家ですよ」から入っていったのでは、胸襟開いてはくれないから3つのマルの真ん中ポジションには立てないだろう。つまり協働は担えない。(手伝うことはできるだろうけど)
我々技術者は、そしてその先頭に立つべき我々技術士は、引きこもり専門バカにだけはならず、社会と一緒に考え協働できる人間になるべきではないかと思うのだ。

そしてこれ。前半3つはSUKIYAKI塾でいつも言っていることだ。この3つそれぞれの後には、「やればいい」が続く。つまり無理はしなくていいよということだ。
でも「やればいい」には「やったらいいじゃないか」という意味もある。やれるのなら、何を遠慮することがあるものか、どんどんやんなさいということだ。横並び社会なんて気にするなということだ。
そして後半2つ。「右手にスコップ」は「汗をかこう」という意味で、でもそれだけだと求道者みたいになってしまって潤いがなくなるから、「左手にビール」、つまり楽しもうよということだ。まあ私は通風があるのでビールじゃなく焼酎になったり、「(プリン体オフ)」がくっついたりするけれど。^o^;

そして今回は新しい発見もあった。それをまとめたのが今回新しく作ったこのスライド。

ボランティア活動において技術者はプロボノになる。ボランティアというのは当然だが無償であることで、それはこれも当然だが無料ということではないのだが、その話はここではややこしくなるから横に置いて、無料だろうが無償だろうが、あるいは有償だろうが、単純労務を提供するものとスキルを提供するものは異なってくる。「自分ならでは」の高度な専門技術力は当然だが後者に活かされる。
ではそれができる人間、つまり専門家は、そのスキルを提供するだけが出番なのだろうか。「アドバイスお願いします」と言われたときだけが出番なのだろうか。
「重なり合う3つのマル」の真ん中にいられるということは、公共・市民・法人それぞれを理解しているファシリテーターたりえるということだ。
そして技術者がその役割を果たせるとすれば、それは「専門家の側面も持ったファシリテーター」だということになる。技術士の社会的役割のひとつになるのかもしれないなあと思うのだ。
「新しい発見」と書いたが、これはまったく新しい発見ではなく、「まとめ」みたいなものかもしれない、7年前に思っていたことは、今になって整理してみるとこういうことだったのかな、という感じだ。

まあともかく、7年前のスライドが色あせていないということは、自分が迷っていないということなんだろうなと思って嬉しかった。