2011年10月12日水曜日

Spread your wing

午前中、NPO活動基盤強化事業で自治体回り。
12:30すぎに高浜町(福井県の西の端)の三松という小さな無人駅から出発する予定だったが、ひととおり用がすんでみるとまだ10:30。ところがこの時間から最も近い電車が12:30すぎと変わらないのには笑ってしまいました。愛すべきわが若狭なのでありました。

小浜まで帰って少しお茶して、結局12時前に敦賀回りで出発。
例によって車中はひたすら添削に明け暮れ、14:30すぎに新大阪に到着。
遅い昼食をとったあと、舞い込んだ小浜のTHさんからのメールに慣れぬギャラタブで返信しつつ、江坂のサニーストンホテルへ。最近の定宿である。
とりあえずホテルにチャックインすると開放感に満ち溢れる。
最近は特に小浜での暮らしが、いくつものイベントなどが平行してバタバタ状態だっただけに、遠く離れると開放感もひとしおで、「もうわし、他に何もせんもんね。セミナーだけやってあとは遊ぶんだもんね」気分になれるのである。
実際は添削やらいろんなことがあるけれど、とりあえず「遠く離れているので、それはできん」ものが増えるのは嬉しいことなのだ。

いやあ、この開放感いいなあ。この開放感をどう表現しようかと思いつつ、そうだ真昼間から風呂に入ろう、ビジネスホテルの狭~いバスタブでもかまうもんかと午後4時に入浴。
狭いバスタブの中で無理やり本を読んでいると、鰻のことが書いてあった。
そうだ、今日は鰻を食べよう。最近食べてないし、なんといっても大阪だから地焼の鰻だ。関東あたりの蒸したフニャフニャウナギとはわけがちゃいまっせ的なパリパリ鰻を食べるのだあとにわかにコーフンして、こうしてはいられないと立ち上がるも、ビジネスホテルの小さなバスタブの中で文庫本をもって全裸で立ち上がるおっさんの姿に我に返り赤面する私なのでありました。

夕方、新大阪へ。迷いなく鰻の店へ。「江戸風」などとしゃらくさい暖簾をあげている店はパスしてともかく鰻の店へ。そして迷いなく鰻重を注文。
…これって地焼か?なんか柔らかいが…まあいいかと久々の鰻を堪能し、ほとんど全部食ってから「うぉおお!山椒かけ忘れたやんけ!」と気がつく悲しきおじさんなのでありました。

19時前にいつもの新大阪丸ビルに入り、19時から21時までセミナー。終わって真面目にまっすぐホテルに戻り、今回はまったくアヤシクない格好で洗濯をして極めて平穏無事に1日が過ぎようとしている。
明日は19時からRCCM資格のセミナーがあるだけで、あとはフリーである。もちろん添削が半端なくあるので、ぼけーと1日過ごすことはできないけれど、やるべきことをどこでやってもいいというフリーでノマドな1日なので、実に嬉しい。

Spread your wings and fly away
Fly away far away

2011年10月11日火曜日

サッカー顔は少々怖い

「新しい公共」活動基盤整備事業で近隣自治体へ説明とNPO等の紹介依頼に回った。
自治体によって市民協働や新しい公共に対する取り組みが違うことが如実に感じられ、興味深くも考えさせられた。

小浜に戻り、22日の事前体験で使う飯盒を近くの学校から借り、少しココスでティータイムのあと、駅前交番へ。警察協助員会の防犯活動で商店街を少し回る。
SOTOMOで夕食を食べ、観光局の「ころび座談会」のため四季菜館へ。
隣接する道の駅には、アーティスト・イン・レジデンスの作品が並んで展示されている。
右からジョー、ラッセル、グレゴリーの作品。
そしてその横に老人会が作ってくれた交通安全の人形も飾ってある。しかし…
これはまあ可愛い。

これは怖い。夜にあまり見たくない。
座談会は、「ころび」ことアブラギリのいろんな話が聞けて、実に面白かった。こういうものすごく面白い話を聞けたときに、「よし、それでは」と実行に移し、なおかつそれにしっかりと取り組める時間がほしいなあと痛感する、明日から旅に出る私なのでありました。

2011年10月10日月曜日

青いグラスよ

祭り翌日、昨日ちょっとがんばって片付けたので、今日はフリー。朝9時前までゆっくり寝た。
コーヒーを飲みながら…のんびりとはいかず、添削に追われて午前中を過ごした。

昼過ぎからはサポネット(新しい公共のNPO等活動基盤強化事業)の会議で鯖江へ。
ずっとよしきに運転してもらいつつ車中は添削。でも揺れる車内、そんなには進まない。
会議が終わったのが6時半、それからかっとばして小浜に戻り、上根来プロジェクトの会議。
全部終了したのが10時前。それから8番ラーメンで遅い夕食。
そんなバタバタの1日も、合間をみつけて添削していたのでそれなりに進んだが、ぼやっとした時間がない、張り詰め通しの1日だったので少々疲れた。

帰宅後、メール処理などして遅い入浴。雑誌を読みながら、この時だけは弛緩して過ごす。
風呂上りには梅酒。けいこさんの店で買った琉球ガラスの特大コップで。2リットルペットボトル並の太さのコップで鮮やかなブルー。なかなかのお気に入りであります。

2011年10月9日日曜日

みんなが集まり、祭りができる

そして今日は「まちなか夢通り」。中心市街地商店街を舞台にして市内のボランティア団体が結集して年に1回、ボランティアも市民も大いに楽しみ、共同募金にどーんと寄与する、私的には小浜で一番誇るべきイベントだ。

オープニングは路上に揮毫。全国大会に出場する腕を持った高校生が「絆」と揮毫、その横に障害を持った子どもたちの団体から、子どもたちが少しずつ書きたして「やさしないっぱい!まちなか夢通り」と揮毫。



そしてそれを見守っていたのは大関・琴欧洲。続いて琴欧洲関の揮毫。前に座っている子の背中に書かれた文字を揮毫。「心」である。

10時、みんなでラジオ体操をして、いよいよスタートである。
子どもたちの揮毫を「見送り」にした「動くPA山」。
若狭東高校はロボットコンテストに出場した自慢のロボットを披露。

琴欧洲関、オズさんのケバブを賞味。
子どもコーナー。なかなかに盛況。

そして、1日店長の子どもたちは本当によくやってくれた。おじさん、本当に嬉しくて嬉しくて。








そして「食の祭り」本体も大いに盛り上がったのでした。
どっと人出。

B-1グランプリ有名所の店の前はとにかく行列。
とにかく楽しい祭りでした。ものすごく疲れたけどものすごく楽しかった。

中学校のブラスバンド演奏。

よさこい。

最後は「七福神大笑い音頭」で締め。
後片付けを終えて5時すぎ。ボランティアセンターに行ってメール処理などするも、ついウトウトしてしまう。
6:30より反省会。またも大酒を飲み、ギターを弾き、わあわあと夜中まで。
笑いがあり、やさしい心があり、素敵な音楽があり、旨い酒があり、何よりも信頼できる仲間達がいる、至福の2日間でした。幸せ。

2011年10月8日土曜日

Somewhere over the rainbow

今日は最高の一日でした。

好転に恵まれ、「食の祭り」は上々のにぎわい。
B級グルメが立ち並ぶ。

10時過ぎ段階でなかなかのにぎわい
旭座のほうもセッティングが進み、4時からはカフェ、6:30からは白井淳夫さんのカルテットを招いてのジャズライブ。
カフェタイム。懐かし映像の流れる中、くつろいだ時間。

夕闇が訪れる中、なかなかに趣のある、活気を取り戻した旭座。
スタンダードナンバーを中心に、本当に素敵な演奏と素敵な時間。
おかげさまでソールドアウト。
バーのカウンターも盛況でした。
実行委員会の副委員長で、かつ委員長が不在という立場上、開演と終演の挨拶に立ったけれど、最後の挨拶のときは気持ちが昂ぶって若干涙目でした。
旭座という素敵な空間で、心躍る時間を楽しめたことを本当に感謝します。みんな、本当にありがとう。

今日は大好きな曲が演奏された。
Over the Rainbow
虹の下をくぐるのはわけないけれど、虹を越えるのは大変だ。だけどそれができたらDreams come true、夢が現実になるかもしれない。そんな希望があるから、虹を越えたいと思う気になるんだ。

2011年10月7日金曜日

旭座に願いを込めて

明日・明後日と市制60周年記念行事と例年やっている「食の祭り」「まちなか夢通り」が合体して、さらに旭座ジャズナイトなどいろんなイベントも合体して、とにかくイベントだらけの2日間になる。
ジャズナイト会場の旧旭座は福井県最古の芝居小屋。何とか復元保存したいという願いを込めてのイベントだ。
会場はカフェあるいはトリスバーとなり、白井淳夫さんのジャズライブを楽しめる。やっと設営がほぼ終わった。
日除け暖簾も作った。けいこさん乾坤一擲の作。仮設トイレも設置。

設営を終えて帰宅し、夕食を食べつつ、グラス1杯のウィスキー水割りを飲んだら一気に睡魔が襲ってきて、3時間以上もぐーぐー寝てしまった。^o^;
まあ、ともかく明日・明後日と元気にいこう!

2011年10月6日木曜日

マッキントッシュのおもひで

私が会社に入ったころだから1985年ごろ、アップルのマッキントッシュをデモらせてくれと営業マンが来て、白黒の小さな画面でWYSIWYGのインターフェイスを披露した。
我々は「おー」と感心したのだが、建設コンサルタントの仕事にはまったく使えないものだったので、営業マンは悲しそうに帰っていった。
会社にあったパソコンはPC-9801で、WindowsどころかMS-DOSも入っておらず、N88-BASICでプログラムを組んで仕事に使っていた。
それも測量とか観測のデータ処理にしか使えず、要は計算処理と結果のプリントアウト(もちろんテキストオンリー)だけの機械だったわけだ。
そんななかでマッキントッシュは強く印象に残った。
それから私のまわりのパソコン環境がWYSIWYGに変わるまでには10年以上の年月が必要だった。地質調査というマイナー市場にWindowsアプリが入ってくるのは遅く、Windows95が出てもなおMS-DOSが主役だったのだ。
今思えば、マイクロソフトとアップルのOSには圧倒的な技術的な差があったはずだし、WYSIWYG環境への移行時期も圧倒的に差がついていた。
それでも市場ではマイクロソフトが圧勝した。「マック使い」は仲間を見つけると大喜びするという隠れマニアな存在になっていた。
私も当然ながらWindowsを使い、アップルという存在、マッキントッシュという存在は意識の中から消えていった。

アップルの復活はiPodからというが、私はすでに自分が音楽を好きだったころの曲しか聞かなくなっていたので、新しい曲のCDなど買わなくなっていた。
だからスマホを買うまで、アップルという企業のことはほとんど意識の中になかったと思う。
そしてスマホを買おうと思ったときも、契約キャリアはドコモだったし、田舎に住んでいて、なおかつ山の中など人がいないところへしょっちゅう行く生活ゆえ、ソフトバンクに乗り換えるという選択肢は考えられなかった。
iPadはWiFi接続オンリーでも使え、持っている人を見ると「おっ」と思ったものだが、量販店で手にとって見るとデカくて重く、小物好きの私には選択肢にならなかった。

かくしてアップルという会社にぜんぜん縁がないままここまで来た。iPhoneはauからも販売されるようになったが、すでにAndroidが市場を席巻し、機能面でも選択肢の広さでもiPhoneに乗り換える意味はなくなっている。タブレットも7インチくらいでないと使う気にならないし、これからもずっとアップルには縁がないんだろうな。
でもやはり初代マッキントッシュからiPhone、iPadに至るまで、アップルの製品は洒落ていたから、縁がないのは残念な気もする。

============
アップルの取締役会はジョブズ氏の死去について声明を発表し、「スティーブの才能、熱意、エネルギーは、すべての人々の生活を豊かにし、改善するための数限りないイノベーションの源泉となってきた。スティーブのおかけで、世界は計り知れないほど豊かになった」述べ、ジョブズ氏の功績を称えた。
============
マイクロソフトMSFTのビル・ゲイツ共同創設者は、「ジョブズ氏と一緒に働くことができて非常に光栄だった。スティーブのような多大な影響力を持った人は世界でもまれだ。とても寂しくなる」と述べた。
============

2011年10月5日水曜日

やさぐれぱんだ

どっと疲れてしまった。

「新しい公共」事業のために、認定NPO法人以外のいろんなNPO等に声をかける必要があるのだが、そのためにはやはり地元自治体にいろいろ聞かなければならない。
理由は2つ。
1つは、認定NPO法人以外にどんな団体があるのかは、地元の自治体等でないとなかなかわからないからだ。任意団体、遅延団体、社会福祉法人その他いろいろな団体がいろいろな形で公共サービスの一翼を担っている状況だからね。
もう1つは、これはNPO等のやりたいことをやるための補助制度などではなく、「新しい公共」を進めるための事業だから、そもそも行政がどんな公共サービスを「新しい公共」に委ねていこうと考えているか、そしてそのためにはどの団体等に成長してほしいかという行政側のニーズも大事だからだ。

ところがねえ、実際に電話してアポを取ろうとするとさらっとでも説明しないといけないわけだが、行政側の対応はやはりまちまちなんですよ。
途中、「あーもういいです。おたくの町はそういうニーズがないってことで」と言って電話をガチャーンと切ってやりたい衝動にかられたこと、一度ではない。
結局そんなことはせずに、この上なくソフトに対応したのでそれなりに受け入れてもらえたものの、いやあ、疲れました。
終わったときに「やさぐれてぇ~!」と思いましたね。そのあたりの居酒屋で「ちぇっ、ばーろーめぇ」なーんて言って酒飲んで魚つついてね。

でもやらないといけないことが山積みなので、おとなしく帰った羊のような私なのでありました。苦笑。
でもまあ結局こういうことに…^-^;

2011年10月4日火曜日

Remember the milk

なぜか私は備忘録というものが苦手である。
かつてシステムノートを使っていたころは、「Things To Do」、「Don't Forget」のリフィルも挟んであったのだが、すぐに使わなくなってしまった。書き込まないし、見ないのである。
なぜかと言われてもわからない。まあ「肌が合わない」んだろう。

測量などに使う野帳の硬い表紙部分だけを使って、この裏表紙にフセンをずらりと貼って、ここにToDoを書いていたこともある。
始めたときは「おお、これはいい!」と思ったのだが、1ヶ月続いたかなあ。

ディスプレイにフセンを貼る、これはまあ誰でもしていることですね。
ちなみにこれはボックス形のガムに入っていた包み紙である。^^;
結局これが一番すっきりするようだ。

今は紙の手帳類は使わずGoogleカレンダー(あるいはそれに同期するスマホ用カレンダーアプリ)でスケジュール管理をしているのだが、やはりToDoだけが使えない。Googleカレンダーの右にToDoが表示されているにもかかわらず、である。
会議その他の「やるべき時刻」が決まっているものはカレンダーで管理できるのだが、やるべき時は決まっていなくてタイムリミットだけが決まっているものの管理が非常にずさんになってしまうのが悩みの種である。「あ、そうだった。やんなきゃ」と思ったときにはすでに尻に火が付いていることが少なくない。

データ管理をクラウドで、書類管理や添削をエバーノートで、スケジュール管理をGoogleカレンダーでと、ITを使ってひとまず快適で実効性のある環境を作ったのだけれど、どうもタスク管理だけがうまくいっていない。

これはどうも私の性格にも起因しているのだろうけれど、困ったものである。

2011年10月3日月曜日

新・肉体労働の日々

今日は「NPOデー」。いろんな用事をまとめて済ませる日だ。
こういう日がないとなかなか進まないのですよ。

「コメリ」でバラスとブロックを積み込んで、今日は一人で上根来へ。火床周囲のぬかるみに昨日山土を入れたのだが、その上からバラスを撒き、ブロックを下ろして一段落。
使っていない校庭はかなり凹凸ができている。
山土を入れてバラスを敷くのが一番手っ取り早い。

火床と校庭、校舎。
ところで校舎の向こうに杉林があり、その手前に「ころび」が並んで生えている。アブラギリだが、ちょうど実がいっぱい落ちている時期だ。
林立するころび。日当たりのよい伐採跡に生える。

枝の下には実がいっぱい落ちている。

「一面」という感じだ。
この実の種から油を絞る。油は撥水剤として傘や油紙に使い、さらにニスやろうそくにもなったというし、絞り粕は肥料になったということで、これで屋敷を建てるほど儲かった人もいたらしい。
実には毒があるらしく、これを牛が食ってひっくり返ったので「ころび」という名が付いたという説もある。毒があるからだろう、鹿もこれは食べないから、どこにでもいっぱい生えている。
畜産団地跡の裏の斜面。
一面のころびで覆われている。
これを何とか活用できないかなあ…というわけである。

11時過ぎに山を降り、ココスで添削をしつつ昼食。終わって市役所に赴き、新しい公共その他の話。
各々の自治体にジャストフィットした「新しい公共」のスタイルを考えていかなければいけないと改めて強く思う。
終わってよしきとまた上根来へ。少し荷物を運搬したあと、畜産団地跡でまた囲炉裏で薪を燃やして炎を眺めるひととき。うーん、クセになりそうだ。

下界に戻り、帰宅して事務作業の後、夕食を食べてふたたび市役所へ。今度は自転車だが、かなり肌寒いのでジャンパーを羽織る。ほんのちょっと前まで半袖だったのにね。
雲の切れ目からやや太くなった三日月がのぞく。たなびく雲の絶え間より、だ。
会議は密度の濃い、しかし疲れるものだった。
やっぱり頭の疲れや目の疲れより体の疲れのほうが心地よいなあ。

2011年10月2日日曜日

続・肉体労働の日々

朝一番に火吹き竹用の竹(マダケを使う)を切りに行った。聞く所によると最近はマダケが取れる所が少なくなったとのことだが、この場所は昔と変わらず取れる。ずっと以前にいろんな体験活動を始めたころにいつでも切っていいという許可をもらい、以来時々取らせてもらっている。
クルマに積み込もうとしてふと足元を見ると、スダジイがいっぱい落ちている。黒くなってしっかり熟れていて、ためしにかじってみるとほの甘い味がする。うーん、昨日のマテバシイといい、9月初旬のクリといい、今年は妙に木の実が熟れるのが早いんじゃないか?

いったん帰宅していろいろと積み込んで上根来へ。
今日は山の家ではなくて、集落の奥のほうにある畜産団地跡へ行った。
ここには「仙人」が住んでいたのだが、病気で先日山を降りたので、今は誰もいない。残していったいろんな道具や燃料などは使っていいと言われている。本当にありがたいことだ。
マキがどっさり。こんなのを見るとうれしくなる。

自然の木や廃材など、とにかくどっさり。
これらを燃やして生活していたのだから。

鍬や鋤など昔の民具が集めてある。

こちらは桶など。

石臼や瓶など、どっさり。
今日は22日の活動の準備。集まったのは4人。
火吹き竹や火切り板など不足気味の道具の製作と杉葉集めにとりかかる。
電気がきているので火吹き竹や火切り板を電動工具で加工。いつもは狭い我が家の車庫2F作業場でやるのだが、広い空間で仲間とともに作業すると気持ちもいい。
火吹き竹と火切り板がどっさりできました。
そのあと半ドラの囲炉裏で焚き火をしてダベリング。
半ドラとはドラム缶を輪切りにして浅くしたもので、私の会社では地質調査ボーリング時の水を入れるのに使うが、ここでは牛に飼葉を与えるのに使っていたようだ。
仙人が集めていた小枝やマキがいっぱいあるので、これをくべて炎を見つめながらよもやま話をしつつ、時間が静かに流れていく。携帯圏外というのもいいんだね。
じっと見つめているだけで至福の時間が過ぎる。
ふと気がつけば、昼飯を食べていなかった。そこで、仙人から「食べていい」と言われているインスタントラーメンを早速料理。といっても原始料理ではない。焚き火を使うだけで、ナベもドンブリも普通のものだ。22日の子どもたちを集めてのイベントではカレー皿と箸が竹になるけどね。
すすで真っ黒になったナベで湯を沸かす。
肌寒い山奥で、焚き火で作ったラーメンがしみじみうまい。ラーメンとか鍋とか、外では汁物がうまいのはなぜだろうか。
時々遠くで鹿の鳴き声がする。先の冬は雪がけっこう降ったので鹿は少なくなっているらしいが、それでも以前に比べると激増していて、山の下草は激減、もはや「根絶やし」という人も多い。本当に何とかしないといけない問題なのだ。
今の季節、緑に覆われているはずの山肌が露出してしまっている。
茶色の中に緑のまだら模様という感じで、本当に危機感を感じる。

仙人が拾ってきたらしい鹿の角つき頭骨。
夕方、山の家に立ち寄って整地を少しして、山を下った。
今日は「はまかぜライブ」があって、フォークソング特集だったので行きたかったのだけれど、ついつい焚き火のそばから離れられなくなって夕方までいてしまった。
帰宅して夕食を食べたらどっと疲労感が襲ってきて、2時間ほどリビングのソファで惰眠。起きるとほうぼうが痛い。これは昨日の肉体労働の痛みか?それとも今日か?