2016年11月4日金曜日

仙台至上の三品

仙台への移動日。予定より少しだけ早めに出て、また北大の中を通って歩いてゆっくり札幌駅へ。

自然植生が暖帯性広葉樹林(常緑広葉樹)である小浜ではまずもって見られない光景。しばし佇む。

千歳空港は寒そうな雲の下。女房からの数多くのリクエストに応えたおみやげを買い(もはやお使い)、カードラウンジでしばしコーヒーなど飲みながらPC作業。この時間が一番落ち着くオレって一体…

離陸してふと下を見れば、なんなんだあの白いものは。よもや土壌改良のために石灰を一面に撒いたのではあるまい。恐るべし北の大地。

今日は冬型とのことで、べったり雲の上を短いフライトで仙台に到着。

とにかく腹が減ったので昼飯である。仙台っ子ラーメン。明日は〆の時間まで仙台にはいられないので、今のうちに食っておく。
ホテルにチェックインして再びPC仕事をして、ちょうど倦んだころにビフォーの時間となった。しがさんがホテルのすぐ近くの店を予約しておいてくれた。ありがたや。

仙台に来たらこれを食べないといけない。ホヤである。これがなくなったらきっと私はもう仙台には来ない。^o^

そして牛タン。スマホより薄い牛タンなんて牛タンじゃないよねと言わんばかりの厚さである。

本日のメインディッシュはセリ鍋。小浜でアイザワちゃんの芋煮を食って感動して、仙台でもきっと食うぞと思っていたのだが、芋煮は10月いっぱいとのこと。その代わりでもないが、今仙台でトレンディなのはこれである。根っこがうまいのよ。
しがさんと2人で初めて、すぐにNHさんが沖縄から来襲。3人で飲んでいたら、突然ズシンズシンと店の床を揺らしながらシン・ゴジラが…ジャイアンがやってきた。わざわざ前日入りで来てくれたらしい。嬉しいねえジャイアン。
わーわーと飲み、ジャイアンと環境論議などもして、その最中に小浜からイベントの嬉しくなるような連絡が続き、なんだかどんどん上機嫌になってしまって、カストリ(浦霞焼酎)をいっぱい飲んでしまって、明日のことなんてどうでもいいやあ的な楽しい夜を過ごしたのでありました。
こんな夜を3日も続けて大丈夫なのかAPEC。

2016年11月3日木曜日

冬近し札幌にて

今日は冷たい雨である。ホテルから口頭試験セミナー会場まで2kmほどあるが、北大のポプラ並木を見ねばなるまいと、がんばって歩いた。

いやあ、見事である。市民や観光客もちらほら。朝から心が洗われる。

理学部棟。私も理学部出身なのでやはり気になる。科学探求を志す若者たちがここに学ぶのであろうか。そんな志を高く持つ時代ではないのかもしれないが、やはりそうあることを願う。

クラーク像。立身出世などを語る時代や世の中ではないのかもしれないけれど、それでもやはり志は高くあらねばならない。

まだ時間があったので、道庁に立ち寄った。北大もそうだけれど、新しい時代を切り開いてきた人たちの息吹を想像し、昨夜の酒宴でただれた臓腑を沈めてセミナー会場へ。

今年最初の口頭セミナー(たずへいさん撮影)。合格に王手をかけた人たちの真剣な眼差しを前にすると、やはり力の限り応援しないといけないと改めて思う。

北大植物園もすっかり色づき、もう北の大地は冬の手前なんだなあと思う。

…なんて言っていたら、なんと雪が舞い始めた。写真には写っていないだろうけれど。うーむ。

終了後は札幌駅近くで懇親会。ジャイアン(あれ?他のHNだっけ?まあいいや)がくれた秋田銘菓をみんなで分けました。ありがとうね。

さらに二次会。なぜか根室・釧路名物の店で、懐かしい根室のエスカロップを食った。何年ぶりかなあ。
やっぱりSUKIYAKI塾最高!

2016年11月2日水曜日

まずは北へ

8:15発の「わかさライナー」で伊丹空港へ。11時過ぎに到着して、飛行機は13:50発だから、ちょっとありえないほどの待ち時間なのだが、バスはこれしかないのでこんなことになる。
とはいえ、カードラウンジでみっちりPC仕事するので、むしろ喜んでこんな時間に空港にやってきている。時間をもてあますどころか、昼食は保安検査場を通過してからカレーを大急ぎでかきこむくらい、ぎりぎりまでみっちりと仕事をした。

伊丹空港はこの上ない晴天。定刻をやや遅れて離陸。

いつものように「日本列島池」の上で旋回。間違いなくこれ目印になっていると思う。

大阪のまちを眼下に望みつつ飛行。今日は空気が澄んでいて、とにかくくっきり見晴らせる。

ふと見ると万博公園。太陽の塔とエキスポランドの大観覧車がよく見えた。

ちょっとPC仕事で目を離していたら、どこかの海が見えるなあと思ったら琵琶湖だった。

湖北に至ると、そのすぐ向こうに若狭地方のリアス式海岸と若狭湾が見えた。
こちらに真っ直ぐ北川の(熊川断層の)谷が延びていて、琵琶湖との間はわずかしかない。かつて運河構想があったのも頷ける。しかしまったくもって近江と若狭は目と鼻の先、低い山地で区切られているだけなのだなあ。

福井平野と大野勝山盆地。まったく地図学習のような眺望だ。

富山平野と、向こうには加賀能登が見える。金沢の北、宝達志水あたりから七尾に抜ける邑知低地帯は、地質構造発達史的には実に興味深い地域で、山陰の島根半島と隠岐、新潟の新潟周辺と佐渡の間にある日本海がここだけ陸の上にあるようなものだと私は思っている。…まあ、そんなことを考えていたのはもう30年以上前のことだが。

またPC仕事をしていて、ふと見下ろせば佐渡の真上ではないか。いつか行けるといいなあ。

やがて雲が出てきて、見事な雲の絨毯になった。ここまでびっしり広がると見事としか言いようがない。

着陸態勢に入った。いつも苫小牧の出光製油所が目印になる。海岸線と雲の端っこが同じ場所に並んでいて、雲が陸の上にだけ薄く広がっているのがわかる。

雲は薄く、すぐに下に出た。雲の隙間から陽光が降り注ぐ。

そして広い広い北の大地が広がる。千歳空港に降りるときも女満別空港に降りるときも、同じような広い畑が大地を埋めているのを眺めながら降下する。大好きな光景のひとつだ。

札幌駅着16:30すぎ。すぐにホテルへ向かう。時間もあるから歩いて行くかなという気になって外に出て歩き出したものの、気温は5度以下、まだ5時にもならないのにこの暗さ。

なんとか北18にあるホテルに到着。部屋に洗濯機&乾燥機があるのでここにした。コインランドリーだと、混んでいたり、何度も取りに行ったりしないと行けないので、やっぱり部屋にあるのは嬉しい。

セミナー前夜祭はぼうず総長、CO2さん、そして総監合格のゆうぱぱさんと4人でヤマダモンゴル(ただし狸小路ではなく札幌駅の北)でジンギスカン。やっぱ北海道に来たらこれ食べなきゃ。
腹一杯になって、酔った勢いもあってまたもや歩いてホテルへ。すぐに洗濯しつつ風呂に入り、予想以上に音の大きい乾燥機にビビリつつ乾燥。うーん、1時間以上かけたのに靴下生乾きだ。ToT

2016年11月1日火曜日

あした私は旅に出ます

女房が「今年は秋がなかった」と言っていたが、あながちオーバーとも思えない。
上根来では紅葉する前に落葉し始めているという。
本当に、秋らしい涼しい日が少なかったと思う。

明日からの旅に備えてJRの切符を揃えに駅に行ったのだが、ふと外を見ると鈍色の空が広がっていた。この「にびいろ」っていう表現、冬の日本海側にぴったりである。
重たそうに垂れ下がった雲の間からときどき陽が射すのだが、その背景は鉛色なので、ちっとも明るくないのである。そして暖かくもないのである。弱々しい陽光さえもが冷たく感じられてしまうほどだ。

海岸へ出てみたら波しぶきが波返しを越えていた。完全に冬の光景じゃねーか。

明日出発して、帰ってくるのは12月1日である。きっかり1ヶ月の旅なのだが、6月に体調を崩した(具体的にどんな病気になったというわけではないのだが、実際しんどかったし体重もがくんと落ちた。ただし繰り返すが、深刻な病気ではない。そのことは検査済みである)ので、不安もある。
長旅に耐えられる体ではなくなってきたのか、つまりトシなのか。
今年はマンツーマン講座の受講生数がキャパ超えで、旅を楽しむ余裕もなく、かなりストレスになった。私の辞書にもついにストレスという言葉が書き込まれたということなのか。
ということで、体を気遣いながらも旅に出る私であります。

2016年10月31日月曜日

地元から旅へ

筆記試験発表から週末をはさみ、模擬面接講座への応募が一気にピークを迎えた。とにかく次々とメールが入り、処理能力が追いつかない。
メールを処理して模擬面接時間に割り当て、HPのデータを更新し、その合間にいろんなメール等に対応し、RCCMの添削をやって、NPO関連の相談に乗っていると、頭がぐるぐる回り出す。
こういうときはノマドに限る。自宅にいるとPC環境は整っているので楽は楽なのだが、すぐにストレスから逃げようとしてギターを弾きだしたり掃除を始めたり料理を作り始めたりして、結局はかどらない。喫茶店やファミレスにいれば、まさかギター演奏も掃除も料理もできないから、多少のPC環境の不便さがあっても仕事ははかどる。

今日1日で3箇所の会場のレンタル枠を増やした。
毎年のことなのだが、会議室賃料をケチって最低限のスペックで募集を始め、募集枠を溢れてはあわてて追加枠を作るということを繰り返している。成長しないなあ。

夜、荷造りをした。
試行錯誤を重ねて行き着いたコンパクトなワンショルダーバッグに着替え1着とPCなど最低限のもの、さらにはウルトラダウンや折りたたみ傘など密度の濃い荷物を詰め込んで、身軽にさっそうと旅をするのもいいのだが、宅急便を駆使して「もうひとつの荷物」をたびに同道させるというのもいいものだなあと思うようになってきた。
たとえば2泊3日程度で1箇所に旅するとしよう。着替えなどは宅急便でホテルに送り、旅の終わりに洗濯物と化して自宅に送る。そうすればバッグの中には衣類は不要であるから、もうひとつ小さなバッグでも行動できたりする。これは便利だ。
ということで、今回はジャケット、カッターシャツ、アンダーウェア、洗剤(笑)などを入れた宅急便箱を旅の要所要所で送っていくことにした。その分身軽になるしね。

イベントやらいろんなことでバタバタした10月は、例年そうなのだけれど、猛烈な密度の濃さの中を、あっという間に過ぎていった。
そして旅の11月がやってくる。模擬面接に次ぐ模擬面接だから頭がフル回転で、また全国のSUKIYAKI塾を渡り歩くから密度の濃い毎日を過ごすという点では10月と同じなのだが、あれもこれもといった落ち着きの無さはない。ひたすら技術士の頭で、しかし酒にまみれて1ヶ月を過ごす。
トシとともにきつくなってきているのだけどね。^o^

2016年10月30日日曜日

鯖サミット

土日の2日間開催されるはずであった「鯖サミット」が日曜日だけ開催された。昨日は強風で中止になったのだ。
私は運営にはまったく関わっていないが、その一環として開催された「蹴-1グランプリ」のPAとして手伝いに行ってきた。とにかく地域おこしなのである。高野ブーががんばって開催にこぎ着けたのである。だから裏方として手伝う。年を食った者の務めである。

2年前に買ったPAを使ってMCとBGMの音響を担当。机をひとつあてがってもらえたので、PAしながらレッツノートで次々と入ってくる模擬面接応募の処理とRCCM添削を進めた。

蹴-1グランプリというのが何かぜんぜん知らずに来たけれど、つまりはPK対抗戦である。
午前中が小学生の部、午後が中学生以上の部で、小学生たちはハロウィンということでなかなか楽しい仮装で出場していた。

さばとらななちゃんと高野ブー委員長。今日はいい天気で客足も順調。本当によかったなブー。

食事用テントも満席で鯖づくしの店にも列ができ、盛況である。天気は大きいなあということと、食べ物イベントは間違いないということを実感した。
15時すぎ、蹴-1グランプリも終わって撤収。それなりに役に立てて嬉しかったし、自分の仕事も進んで、充実した1日だった。

2016年10月29日土曜日

ダム

今年発足した「ふくい技術士交流会」の現場見学会として建設中の河内川ダムに行ってきた。隣町である。
平成になってすぐのころ、この付替県道の地質調査でここに日参していた。
今は瀟洒なホテルになった「やまびこ」がまだ木造の旅館だか民宿だかわからなかったころ、ここにボーリング屋さんに泊まってもらって、現場状況を聞きに行ったついでに飲んだりしていた。深夜まで飲むと空き部屋に泊まっていけと言っていただいたりしたこともあった。こんなに素晴らしい自然に囲まれた村がダムに沈むことが悲しくて夜明けに涙したこともあった。
それから数年して、いよいよ工事が(といってもダム本体工ではなく付替道路が)始まり、仕事で「やまびこ」に行ったとき、女将さんが「とりいさぁん、とうとう始まったぁ~」と悲しそうに言っていたのが忘れられない。その女将さんも今は亡い。

建設JV事務所でまずは説明を聴く。プレミアがついているというダムカードをいただいた。なんとも不思議なブームがあるようだが、ここのT所長がそうであるように、全国津々浦々のダムで、やってきたヲタク相手に少しでもダム事業というものを理解してもらおうと涙ぐましい努力をしている技術者がいるのだろうなと思う。

福井県で3番目になるというダム本堤はコンクリート打設が続いていた。こういうスケールのでっかい土木工事を見ると、やはり血湧き肉躍る。

半径80m超のタワークレーンが河内のそらにそびえ立つ。その背景、山の植生の色が途中で変わっているのがおわかりだろうか。下の方は薄い色であまり高い木がない。これはサーチャージ水位より下で、20年ほど前に一度伐採されている範囲だ。そしてそこに生えてきたのは大部分がアブラギリで、今ちょうど葉っぱが黄色くなりかけているので黄緑色に見えたりするのだ。

このダムの計画は昭和50年代に持ち上がったのだという。「やまびこ」の女将さんが嫁に来たころにはもうその話があったのだけれど、私が仕事で日参していたころに娘さんが結婚し、その時点ではまだ調査設計段階だった。福井県の事務所も「建設準備事務所」だった。
それから5~6年たったころか、涙の閉村式があって「やまびこ」も移転して鉄筋コンクリート造のピンクのビルになり、それでもずっと付替県道さえ中途半端に部分開通状態が続き、ダム湖畔のホテルになるはずだった「やまびこ」も山の中にぽつんと建つホテルであり続けた。
そして女将さんはとうとうダムどころか本堤コンクリートの一部すら見ることなく逝き、これまでの帳尻を合わせようとするかのように急ピッチで工事は進んでいる。
そうなった理由はいろいろあるし、それが人間社会でもあるのだけれど、日に日に高くなっていくダム本堤を女将さんは空から見ているのかなあと思った。

2016年10月28日金曜日

11月の旅を思う

昨日はしがら組みや木曜会と重なってしまって、口頭試験対応はほぼスルーしていた。
例年悲喜こもごもの中での合格発表なのだが、今年は「この人はぜひ!」という人があまり合格しておらず、ちょっと寂しい日になってしまった。
それでも口頭試験の模擬面接にはどんどん募集が入り、早い時期の東京の枠などはもう残り少なくなってしまった。
ああ今年もあの濃密な時間を過ごすのだなあと、楽しみでもあり、げんなりもする。

短い時間の中でほとんど初見の小論文を中心に模擬面接をするのだが、やはり的確な(痛いところをぐさりと突く)質問をしなければならない。だけどそのあと、それではどのようにまとめ、説明したらいいかを一緒に考え、できれば最後は自信を持って帰ってもらわねばならない。受講生を凹ませるだけの模擬面接は絶対にしない。それがこの活動を始めてからずっと変わらない方針だ。
だけどそれを実行しようとすると、頭はいつもフル回転になる。少しの時間なら大丈夫だが、トシとともに持続時間が短くなっていく。頭の中のハードディスクがぎいぎい音を立てて止まりそうになるときがある。
だから模擬面接スケジュールを全部終えて会議室を出ると、もうタマシイが半分くらい抜けているような気分になる。
SUKIYAKI塾セミナーのときはそのまま懇親会に突入するからリフレッシュできるのだが、一人でやっているときはツラい。
あるときは居酒屋に入り、あるときはコンビニおでんとワンカップで不健康きわまりない深夜の一人宴会をし、あるときは深夜の大浴場で半分沈んでいた。
ぼーっとした頭でホテルに戻るときの光景が、どうにかすると体中の穴からエクトプラズムが抜けていきそうな虚脱感の記憶と重なっている。
巣鴨駅前の夜景、神田の雑踏、人通りが少なくなった栄の歩道、夜の新大阪駅、屋台の並ぶ天神…そういった光景を一人で眺め、11月の夜気にぶるりと体を震わせて、とぼとぼとホテルに帰っていく私の背中が見えるようだ。^^;

昨日のしがら組みの足場撤去後写真を先生が送ってくれた。今は青竹が目立つが、ほんの半年もするといい具合に侘びてきて、何十年も前からそこにあるかのような、里山の一部として馴染んでくるはずだ。


2016年10月27日木曜日

しがら組は小浜を飛び出した

今日は筆記試験発表である。早朝からがんがんメール。なんとかできるだけ返信したいのだが、今日は朝から忙しい。今日は「しがら組み」実習の日でもあるのだ。
例年、若狭東高校の実習授業の中で製作している伝統工法しがら組み、今年は上根来ではなく隣町である若狭町の熊川での実施となった。
熊川は鯖街道の宿場町「熊川宿」として栄え、宿場町の町並みをよく残しているとして、重伝建に指定されたまちで、年間40万人が訪れているとのことである。
地元には保存会があり、行政や周辺企業も積極的にバックアップしている。私も文化財総合把握事業以来、多くの人と関わっている。

現場は鹿食害で下草がなくなり、土砂流出が続く竹林伐採跡斜面。設置箇所がブロック積擁壁の天端になるので、地元の業者さんが高校生のために足場を組んでくださった。なんたる厚遇。

杭は、過年度にすでに打ってあり、竹も切っていただいていた。なんたる厚遇。10人の高校生と一緒に竹を編み込んでいく。予想以上に時間がかかったが、例年以上にいいしがら組みができたと思う。

終了後、地元の方々と記念撮影。高校生の中に、町内で一緒に祭りをやっている子と、会社の元部下の子がいた。何とも感慨深いものである。

この場所は、熊川宿の玄関口として駐車場があるところなので、鉄やコンクリートの土留め壁は避けたいとの地元以降でしがら組みの設置依頼があったものだ。そのニーズには応えられたのではないかなと思う。

予想以上にしがら組みに時間がかかったので、急いで帰宅。今日の夜は木曜会で、持ち寄りパーティーなのだ。筆記試験結果報告メールへの返信や口頭試験応募対応をしつつ、卵10個を使って、がんばってフーチャンプルーをどっさり作った。

今日の木曜会は、はまかぜプラザで。持ち寄り食材は、丹後寿司(鯖の押し寿司)、焼き肉、山形と仙台の芋煮、フーチャンプルー、マーケットで買ってきた揚げ物類。

宮城県名取市出身のアイザワちゃんが作ってくれた芋煮。右が山形風で醤油味、左のでっかいほうが仙台風で味噌味。どちらも最高に美味い。「今度仙台に行くけど、これはどこで食えるのであるか」と聞いたら、国分町あたりではちょっと無理で、ブンヨコあたりじゃないかと言われた。

  • どうやら今度の仙台では、一人でディープなチャレンジを敢行することになりそうである。

2016年10月26日水曜日

はるか銀を想う

昼間はシャツ1枚で歩いている人がいるほどの好天だったが、夕方からは雨で、おいおいと思うほど激しく降った。
いつものように、あれやこれやとバタバタした1日だったが、夜、雨上がりの夜空(幸いなことに車は壊れなかった。けっこうポンコツだが、まだまだイカレちまわない)を眺めながら買い物に出かけたが、涼しすぎるくらい涼しくて気持ちよかった。

でもaoさん情報によれば、石垣島はきのうは30度超えだったらしい。今日はおじこさん夫妻が「銀」で楽しんでいるはずだ。
そういえば那覇ではNHさんの歓迎会をやっているというウワサも耳にした。
秋が深まり、日に日に上着が分厚くなっていくと、沖縄がどんどん羨ましくなってくる。

そして明日はいよいよ筆記発表だ。例年、朝からいっぱいメールをいただく。例年、それらの対応で忙殺されるのだが、申し訳ないことに明日はしがら組実習で朝から外に出る。そして夕方帰宅したらすぐにあれこれ準備をして、夜は木曜会である。すいませんが、明日はあまり対応できません。その分明後日対応しますから許してね。

2016年10月25日火曜日

今日もうろちょろと

電車で敦賀へ。お付き合い、というか動員がかかったイベントに主席するためである。
正直、くだらないと思う。でも行く。お付き合いだからだ。そのことには、まるで意味がないわけではないと、この年になってようやく納得できるようになってきた。
もちろん、ちょっとでも何か用事が別にあったら行かない。でもちょうどそういうものがない日だったので、電車の中や喫茶店などでPC仕事もできるから、ある意味ちょうどよかった。

おかげで、口頭試験セミナーテキストの仕事がはかどった。
電車や喫茶店などの「他にすることがない空間」は、いよいよもって仕事がはかどる場になってきているのだ。特に、電車でほんの1時間の距離であっても、「プチ非日常」で気分もリフレッシュできる。これで電源が確保できれば本当に言うことなしなのだが。

筆記試験合格発表まで2日となった。明後日は朝から忙しくなることはわかっている。でもこんな日に限って朝からしがら組みの実習、夜は木曜会である。
でもまあ、なるようになるでしょ。

2016年10月24日月曜日

日本遺産、はじまるよ~

BS-TBSで「日本遺産」という番組が始まるのだが、その第1回放送のしょっぱなに鯖街道が紹介される。

あまたある日本遺産の先陣を切って、というのも、鯖街道の魅力ももちろんながら、若狭坊の長年の努力の表れなのだろうな。やはり彼は大した男なのである。シラフでいる間は。
夕方、助太郎のトイレ玄関に「お手洗い」プレートだけ付けてきた。あとは開館日・時間の案内などの説明も作らないといけないな。27日に東高校のアブラギリ実習でまた行くから、何とかそれまでに作っておきたいなあ。

夜、「うちとみ冬の市」(漁師鍋)の会議。一発イベントではない、先につながるイベントというものをこれまでにないほど強く考えている。これも何とかがんばりたい。