2019年6月6日木曜日

回顧の日々終了

昨日の体験にまだちょっと呆けていて、だけど何だかすっきりしてホテルをチェックアウトした。

 隠岐空港は平屋のこじんまりした空港で、飛行機は1日に到着2便、出発2便。伊丹空港から飛んできてまた伊丹空港に戻る便(一昨日、私はそれで来た)と、出雲空港から飛んできてまた出雲空港に戻る便(今日、それに乗る)だけだ。

一昨日はジェットだったが、今日はプロペラ機。3×11列の小さな飛行機だ。歩いて塔乗する。
来るときもそうだったのだが、帰りも島が見下ろせない方向に離陸した。それもいいのかもしれない。
離陸前、霞の向こうに大満寺山がちらりと見えた。あの山の左側が私のフィールドだった。21歳の私が今日も山を登っているような気が一瞬して、ちょっとうるっと来たが、それは37年前の話で、私は今ここにいる。あの山を登っていたころから37年の様々な経験を経て、今ここにいて、ちゃんと(でもないかもしれないけど)生きている。
さよなら隠岐。本当にありがとう。

本土と隠岐は70km程度しか離れていないので、すぐに島根半島が見えてきた。大きく旋回して、宍道湖の上を滑るようにして出雲空港に到着。
トランジットは30分もない。すぐに福岡便の改札となった。

また歩いて福岡便に搭乗…って、さっきの飛行機と似てないか?てか、止まっている位置から、さっきの飛行機そのものじゃないか?
機内に入ると、まさしくさっきの飛行機だった、CAさんが同一人物。私の席はさっきと同じ番号なので、さっきと同じ席にまた座ることになった。^^;

宍道湖に向かって離陸し、大きく旋回して島根半島を眼下に見下ろしながら日本海へ。
今度は1時間ほどのフライトで福岡空港に到着。すぐに地下鉄で博多駅に移動。

ちょっと遅い昼食に博多ラーメンを。1日2杯食べても大丈夫な好きなラーメンである。
博多駅から新幹線1駅乗車で小倉へ。

小倉駅のステーションホテルにチェックイン。
実は、大分セミナーが明日なので、今日は移動日というかオフ日なのである。隠岐に3泊する必要もないし、大分に前乗りしてもなあ…と思って、小倉にいる「へびねえちゃん」に会いに来たのである。彼女は島根大学の同級生で、隠岐で一緒にオリビンノジュールじゃなかったマントルゼノリスを採取した。その思い出の品を携えて、隠岐の思い出話で飲もうということなのだ。
やはり同級生との話は尽きず、4時間以上あれこれ話した。
なんともはやノスタルジックな3日間だった。
でも昔のいろんな思い出が今の活力になるっていいことなんだろうなと思う。

2019年6月5日水曜日

21歳の自分

朝、レンタカーを借りて西郷から大久→布施→中村→五箇→都万と島を反時計回りに一周することにした。

確かこれが隠岐で最初に見たグリーンタフの露頭だったと思う。恩師の島田先生が「ペイルグリーンというのはこの色だ」と教えてくれた。

細かなラミナの入った凝灰岩。私はこれを「美人」という表現で表していた。愛おしくてなで回したこともあったように思う。今思うと変態ぽいが、それだけのめり込んでいたのだろう。

続いてすぐ近くの久保呂海岸へ。ここは私のフィールドではないが、一緒に卒論をやっていた「へびねえさん」と一緒にサンプルを取りに来た場所だ。

このように、玄武岩の中にかんらん石や輝石がカタマリで入っている。マントルゼノリスといって、マグマが上昇してくる途中でマントル物質を取り込んで上がってきた非常に珍しいものだ。当時は「オリビンノジュール」なんて呼んでいた。

布施の浄土ヶ浦海岸。ここにも何度となく来たと思う。私のやっていたフィールドに分布する下部中新統をひととおり見ることができるので、ここをタイプロカリティーにして「浄土ヶ浦層」という名前を付けようとしていたことがあったなあ。カッコイイじゃないか。

ここの凝灰岩には「火山豆石」が入っている。同心円状の模様が見える。ジオパークの案内には使われていなかったが、「ピソライト」と呼んでいた。

中村から五箇に回り、かなり腹が減ったので「五箇創生館」にて遅い昼食。隠岐そば(さばだしでいただくそば粉のみのそば)と「ばくだん」(丸いおにぎり)など。隠岐は海藻料理がいろいろある。

福浦トンネル。海岸沿いの昔の道の途中にある手掘りのトンネル。

こんな感じで、海岸沿いに狭い通路を穿ち、地形的にそれができないところはノミでトンネルを掘っている。軟らかい流紋岩質凝灰岩だからできることだ。

島の南西端にある那久崎。すぐ近くに隠岐島前の島々が見える。ガスってて見えないが、私はそういうことに慣れているので心の目で見る。ToT

大津久の礫岩。ペンキで塗ったか?というほど鮮やかな青緑色だが、これはセラドナイトという鉱物の色。それで思い出したが、ユニの色鉛筆の「セラドン」という色が好きで、そればかり何本も買ったなあ。一番大事なデイサイト質凝灰岩の色に使っていた。
西郷に戻ってきたら午後4時を過ぎていた。一周はしたし、もう夕方になるから、買物をしてホテルに戻ろうと思っていた。買物というのは靴で、今日1日でかなりくたびれてしまったのと、本来は冬用の靴を履いてきてしまっていたので、ここで取り替えようと思ったのだ。ホテルからいろいろ送るものもあるから、ちょうどいい。

運良く気に入った靴が見つかったので購入し、店の前に出た。
店の前の道をホテルと反対方向に行けば、もう一度中村に行ける。その途中に、実は一番気になっているところがあるのだ。
林道東谷線という。
私が卒論に入ったとき、最初に行ったところだ。ここをフィールドを選ぼうと決めた大学3年の時の島田先生の隠岐行で来た沢だ。それから卒論、さらに修論と進む、私にとっての「隠岐の地質」はここから始まったと言ってもいい。
ものすごく気になっていたのだけれど、GoogleMapで調べてみると、もう入口の県道そのものが新しくなっていて、旧道から入っていかねばならない。それもかなりの距離、旧道を走らねばならない。きっと草ぼうぼうで、林道ももう車で入っていける状態じゃないだろう。だから気後れしていたのだが、「いや、もう一生来ないだろうから、これが人生ラストチャンスだ」と思って、ダメ元で行ってみることにした。

旧道は意外に走りやすく、時々伸びた草がちょっとかかってくる程度だった。
そして驚くべきことに林道東谷線はちゃんとあった。記憶に残る橋がちゃんと残っていた。

車を止め、歩いて橋を渡ると、ちゃんと「東谷線」の文字が。

歩いて行くと、驚いたことに草ぼうぼうどころか舗装されている。私が卒論をやっていたころには未舗装だった。

想像より2倍以上歩いて、安山岩の露頭が出てきた。このあと、順次下位を見ていくことになる。凝灰岩、そして頁岩、そしてまた凝灰岩、凝灰角礫岩と続き、そこで林道は終わる。さらに奥に行くと基板の隠岐片麻岩が出てくる。

予想以上に安山岩が続き、ちょっと不安になりかけたころ、凝灰岩らしい露頭姿になってきた。

その奥に頁岩があった。この頁岩は私のフィールドの層序を考えるうえでとても大事な層で、またここで半日岩を叩いて、メタセコイアの化石を出したこともある。
当時のことが一気に思い出されて、胸がいっぱいになってしまった。
思わず露頭の下をみると、落ちてきた頁岩がいくつかあった。

拾って握ると、手で簡単に砕くことができた。何の変哲もない頁岩だ。
「この程度のもんに、なんであんだけ必死になっとったんやろ」
口に出した途端に涙が溢れた。
あの頃の自分がすぐ横にいるような気がした。
今思えば笑ってしまうくらい未熟で、生意気で、まだ何も持っておらず、何も成し遂げておらず、だけど思いだけはあって、だけど不安で、それをカラ元気で押さえ込んで、このフィールドに足を踏み入れたばかりの自分だ。よれよれの服を着て安全靴を履き、ズタ袋のようなリュックを背負って1kgハンマーとクリノメータをベルトに付けた自分だ。
卒論を始めたばかりだからまだ21歳、自分一人でやり遂げるという思いばかりが空回り気味だった。臨海実験場で一人で暮らし、毎日とにかく山に入っていた。
そういう時期だったからだろうか、いつの時代の自分よりも、この時の自分が一番愛おしい。できることなら呼び止めて抱きしめ、「大丈夫だからがんばれ」と言ってやりたいと思った。
しばらくそこを動けなかった。でもさすがに暗くなってきたから帰らねばと歩き始めた。完全に呆けていたのだろう、びっくりするくらい早く車に戻った。西郷に戻り、ホテルに車を置いて、今度は歩いて西郷のまちまで出た。

もう7時過ぎだが、西日本の日は長い。大満寺山が私を見下ろしている。
夕食を食べながらも、心はまだ東谷線にあった。あんなにものの見事に21歳の自分に出会ってしまうとは思わなかった。
私は凝り性なので、昔から何にでも必死になってしまう。「そのために生きています」と言わんばかりになってしまう。
でもその中で、隠岐での卒論は別格だ。自宅からも大学からも離れて、知り合いもいないこの島で、手探りで地質図を書いていった。今思うと要領が悪い話だが、毎日とにかく山に行った。
その中で、その後の自分の人生を支えていると言ってもいいほど多くのことを身につけた。あれがなかったら今の自分はなかったと思う。あれ以降、何があっても「オレはあれをやりきったんだから大丈夫」と思えるようになった。
東谷線で出会ったのは、そうなる前の、不安でいっぱいだけど思いだけはあって、とにかく前へ進むだけだった自分だ。

ホテルに戻る途中、もう8時を過ぎているというのに、そして眉月しかない新月同様の夜だというのに、まだ大満寺山が見えた。
ちょっと無理をしてでも東谷線に行ってよかった。このために隠岐に来たとさえいえる体験だった。
これでもうこの島には来なくていい。観光か何かでくることはあっても、昔の自分に出会いに来る必要はもうない。

東谷線で出会った21歳の自分のことを思って、もう一度涙が出た。
頁岩をにぎったまま年甲斐もなくおろおろと泣いている私の横で、21歳の私は露頭観察を終え、マップと野帳をふところにしまい、顎をぐっと上げて沢の奥の方へ進んでいった。
あのときの自分に恥ずかしくないように生きていこう。
私の残りの人生が、あのときの自分の年齢ほどもあるかどうかは甚だ怪しいが、それでも今日死んでもいいと思って日々をやり抜き、死など訪れないと思って夢を見よう。

2019年6月4日火曜日

思い出の島

目覚まし時計がセットしてなくて(スイッチがきちんと切り替わっていなかった)、予定より15分遅れて起床。それでも起きられてよかったと思いつつ、バタバタと準備。
8:30徳島駅前発の高速バスで神戸三宮へ、ここからリムジンバスで伊丹空港へ。大阪~徳島間を行ったり来たりしてるなあ。^o^;

13:10に伊丹空港を離陸。ちょっと雲が多いが晴れている。

これはどこだろうか、ゴルフ場だらけの丘陵地。私はゴルフをやらないせいもあって、なんじゃこりゃあ、見苦しいなあと思う。

中国山地を斜め横断して日本海へ。鳥取市だと思う。砂丘と湖山池が見える。かなり霞がかかっている

ひたすら添削していてはっと見ると、霞の向こうに隠岐道後が見えた。
いいおっさんのくせに胸がいっぱいになってしまった。もう仕事はできそうもないのでPCはしまい込んで、ずっと島を見ていた。
なぜか「帰ってきたぞ」と思った。
私が隠岐道後に滞在していたのはトータルで100日か150日くらいだろうか。数日から20日くらいの単位で島根大学の臨海実験場に泊まって、毎日地質踏査をしていた。
飲み屋に行くこともなかったし、お店で行ったのは食料買い出しのマーケットと、色鉛筆その他絵を買う文房具屋くらいのものだろうか。とにかく山ばかりの日々だった。
そんな単調な地質調査漬けの日々だったからか、松江市よりも隠岐道後のほうが「地質学をやっていた自分」の思いが深いようだ。
あれからもう35年にもなるのに胸がいっぱいになってしまった。

隠岐空港は「世界ジオパーク空港」というらしい。ああそうだったな。地質で有名になったのは嬉しい。

タクシー代がもったいないと思いつつも、今日はここだけは、と思って島根大学の臨海実験場へ行ってみた。同じ建物だった。当時の職員さんは当然もうおられないけれど、今の職員さんと少し話ができた。当時常駐しておられた先生ももう退官されて、家だけ残っているらしい。

裏手に回ってみると、昔と同じ突堤があった。ここで何度も泳いだり、伝馬船を漕いだりしたっけ。
タクシーを待たせてはいけないので早々に帰ったが、なつかしさがこみ上げてきた。
ホテルは西郷の中心街から1kmほどのところなので、のんびり歩いて夕食を食べにいった。歩行者などなく、車もあまり通らないので、堂々と口述添削しつつ歩いた。

当時はなかった大きな立派な橋があった。見ると平成5年竣工とある。私が道後にいたのは大学3年から大学院1年まで(2年のときはほとんど来ていない)ので、1980年から1984年ごろだ。1993年竣工のこの橋は、それから10年あまり後にできたわけですな。

トンネルも1988年だった。ということは、当時は島の東側に行くときは別の道を通ってたんだなあ。うーん、そのあたりはぜんぜん思い出せん。

西郷の中心街。静かなものだ。小さなお店や事務所、食堂や居酒屋。

寿司屋に入ったら団体が入るということで大忙し。ビールと刺身だけですぐに出たが、その刺身がなかなかすごい。貝類が特に美味かった。

ぜんぜん足りないのでお好み焼き屋さんに入った。ラーメンを食べようと思っていたのだが、変更してお好み焼きに。そば入りのすごいボリュームで、腹一杯になった。

またのんびりと添削しつつホテルに戻った。トンネルを抜けて橋にさしかかるところで「はっ」として足を止めた。大満寺山だ。確か標高は600m台だったと思う。隠岐の最高峰だ。いつも見ていた光景だ。
しばし動けず。この島は思い出が多すぎる。

2019年6月3日月曜日

徳島のサンドイッチ

ゆっくり起きて、やよい軒で10時すぎに遅~い朝食を食べて新幹線で新神戸へ。

駅の近くのホテルがバスターミナルである。新神戸駅をきっちり見るのって初めてかも。

バスで徳島へ。もちろん車中ではずっと添削。バスの中ってけっこううるさいので、ひそひそ声で添削していても大丈夫なんだよね。(たぶん)

徳島に到着。ちょうどお腹もすいているので、昨夜くじらじゃくさんに教えてもらったたかしま珈琲で遅い昼食。厚焼き卵サンドが実に美味!

ホテルで少し添削仕事をしたあと、歩いてあわぎんホールへ。歩道橋の上から徳島駅を望む。今日は駅をきちんと見る日だなあ。
18時~21時と講義。40人ほどが受講したらしく、やはり方式変更初年は多い。

終了後、「鳥ぼん」で懇親会。トーテムポールというよりエグザイルに近い?^o^

2019年6月2日日曜日

にぎやか大阪

SUKIYAKI塾大阪筆記セミナー。ホテルの玄関を出たらそこはセミナー会場。^^

過去最高の受講生が集まった。やはり試験方式変更の年は関心が高い。
午前中建設部門、午後総監部門の講義、さらに個人指導。喉カラカラです。

受講生も交えて懇親会。連日飲み過ぎかなあ。^^;

そしてトーテムポール。変なものが流行ってきたぞ。

さらに新大阪駅で二次会。三重県チームは電車ギリギリ。広島魂は無事に帰れたのであろうか。

7月から1年間渡米する遊馬と涙の別れ。というか、駅改札前でのこの光景はかなりアヤシイ。というか見苦しい。みなさんすいません。遊馬がんばれ。

2019年6月1日土曜日

手羽先だぎゃあ

SUKIYAKI塾名古屋セミナー。午前中講義、午後は個別指導。といっても、一緒に指導した梅ちゃん先生が細かく具体的な指導をしてくれているので、後半は徘徊していた。^^;

終了後、いつもの山ちゃんへ…と思ったのだが、早めに着いたので、数人で練習。イタリアンワインの店が5時前から開いていたので、ビール飲みつつ生ハムやアヒージョなんぞを楽しんだ。

そして山ちゃん。激辛手羽先とホッピーで、速攻でいい気分に。いつも食べているえびふりゃーがにゃーのが心残りだわね。

最近流行りのトーテムポール。宴は続くが、新幹線の予約があるので中座させていただいた。

20時すぎの新幹線で新大阪へ。明日のセミナーは9:30からだから、明日の朝の移動でもいいのだが、早起きするのはきらいなので今日のうちから移動した。
ちょっと飲み過ぎて、発車後すぐに寝てしまった。新大阪を乗り過ごさなかったのは幸いである。