2014年3月12日水曜日

雪室を開けてみました

雪室を開いてみた。2月2日に入れたから38日ぶりである。まずはブルーシートと断熱シートを外してみる。

定点観測アングル①より。3月1日より少し低くなったか。

定点観測アングル②より。これも3月1日より少しだけ低くなっていた。

バックホウにて掘削。雪はスコップでは掘れないくらいに硬く、バックホウも浮き上がりながら掘っていた。

貯蔵庫が出てきた。いよいよ中から食材を取り出す。

手前から酒・みそなど、根菜類、葉野菜。ヶ月以上たつが野菜はあまりしおれていない。

左が魚・肉類、ワイン。右が果物、恐怖の豆腐(貯蔵翌日が賞味期限であった)など。

葉野菜は葉の先端がしなびたり変色しているものの、本体はおおむね良好。ただ玉ねぎはダメみたい。

根菜類はおおむね良好だがサツマイモはちょっとカビらしきものが生えていた。

トーフは…やっぱりものすごいことになっていた。

あれ?卵焼きも入れたっけ?と思ったら豚肉だった。ひええええ。

牛肉もすごい外観と臭いになっていました。^o^;

干物もだめ。ちょっと期待していただけに残念。

そばは外観上OKか?と思ったが臭いを嗅いでみてアウトとすぐわかった。

なぜかいわしの干物がOK。ただしカラカラの干物だったのが戻っていた。^o^;

試しに野菜を味噌汁に、サツマイモを焼き芋にしてみた。ついでにいわしも焼いてみた。
いわしは美味いものではなかったが食えた。
味噌汁はなかなかうまかったが、白菜は生でも甘みがわかった。
サツマイモは…これが実に甘くて美味かった。
一番うまかったのはリンゴ。1か月たっているとはとても思えないほど果汁たっぷりで、種の周りに透明感のある蜜の部分ができて、しゃきしゃきで甘~いリンゴになっていた。
はっさくも、すっぱさが薄まって、何よりむっちゃジューシー。果物はいけそうだ。
そして根菜。人参も実に甘くなっていたが、驚きは大根。みずみずしく甘い。そのまま生でばりばり食える。これはサラダにいい。
ということで、野菜と果物はいける!とわかった。肉や魚は全滅だったけれど、これはまあ仕方ないだろう。
酒は生酒をちょっとだけなめたが、マイルドな味になっていたように思った。これも期待できるかな。
あとコメは袋を開けなかったが、次回オープン時に飯を炊いてみようと思う。
ということで、大満足の結果でありました。

マスコミも大勢来てくれました。チャンネルO、NHK、福井テレビ、福井新聞、中日新聞、朝日新聞。市民協働課の熱血S君も来てくれた。ありがとうね。

埋戻し作業。4月にもう一度開けたときに埋め戻すための雪も集めて、できるだけ雪山を大きくした。

定点観測アングル①から。2月に作ったときと同じくらいの高さになり、さらに写真向こう側に拡大した。

定点観測アングル②から。柱の向こうあたりが頂上だったのが、左に大きく尾根が拡大した。西ノ島かっちゅうねん。
まあこれで6月くらいまで雪が残ってくれるのではなかろうか。
4月には残った食材を取り出し、入れ替えもやってみたい。私はセミナーツアーでいないけど。

大根が美味かったのが嬉しかったので、キッチンブーに持参して相談に行った。なにせ自分の舌は信用できないので。
ブーも「みずみずしくて甘いっす」と言ってくれた。よおしよおし。
これをどう付加価値商品化するかといった相談や小浜の外食産業の話などで1時間以上居座ってしまった。すまんすまんと帰ろうと立ち上がったら、なんてことだ腰がガタガタではないか。久々に大汗をかいてスコップ仕事したからなあ。

帰宅して夕食を食べ、さあ添削と思うのだが精根尽きて頭が動かない。でも9時からskype面談だ。準備をしてふうっと椅子にもたれたらそのまま寝てしまっていて、コールで目が覚めた。^o^;
本当に疲れた1日だったけど、夢は広がった。
この消えようとしている集落を守っている人たちと、何か少しでも新しいことがやれたらいいと思うし、それがちょっとでも産業みたいになったらもっと素晴らしいと思う。
今度のGWあたりに子どもたちやファミリーを雪室に案内できたらと思うとウキウキしてくるではないか。

翌日の福井新聞記事

2014年3月11日火曜日

pray for…

3年目の3.11がやってきた。仮設住宅暮らしが続く人、故郷を離れた生活が続く人、廃炉や復興のために働く人、本当にみんながんばってほしい。これまでもがんばってきただろうし、疲れもしているだろうけれど。

震災の後、一介のボランティアとしてかの地に行こうかと考えたけれど、自分にできることをやりたいと思い直し、東北支援のボランティア添削やセミナーを始めた。資格試験どころじゃないと叱られるかもしれないと思ったけれど、これからずっと長い間東北を支える地元の技術者を私なりに応援したかったのだ。
「3年間は無償で支援する」と宣言して、要請があればどこにでも行こうと思って、いざとなったら車の中で寝泊まりするつもりでもいたけれど、結局仙台・郡山・いわきだけだった。岩手からは要請がなくちょっと寂しかったけれど、まあこの3か所を回った。
仙台はSUKIYAKI塾東北が結成されてセミナー等の企画運営はお任せした。郡山は2年目までお邪魔した。いわきは3年間お邪魔して、今年度3名の合格者を出した。嬉しかったねえ。あの人たちとまた会って合格祝いの酒を飲むのが3月の一番の楽しみだ。

そして3年がたった。当初の宣言期間が過ぎたわけだが、一区切りとしていいのかどうかちょっと迷っている面もあるのだが、仙台でのSUKIYAKI塾東北の活動は継続していくわけだし、やっぱりここで一区切りかなと思う。次の段階で自分にできることを考えたいなと。

2014年3月10日月曜日

あばん

戻り寒波も今日までらしい。冬将軍の最後の抵抗らしく、雪がわーっと振ってみたりからっと晴れてみたり、わけのわからない天気になった。

視界不良となる吹雪。

その1時間後。明るくなって青空が。

そのわずか2分後。からっといい天気。^o^;
ところで同志社大来訪時の懇親会で余ったオツマミをいくつかもらってきたのだが、「ふきのとう味噌」が絶品である。

ナニヤラアヤシゲな色をしているのだが、フキノトウをすりつぶして味噌やかんきつ類らしきものと和えたものらしく、これが酒の肴に実にいい。今日は焼酎でいただいたが、熱燗がピッタリだろうなあ。

アップにしても相変わらずアヤシゲな色合いのモノである。あったかご飯の友にもバッチリだろう。
これを作ったのは「あばん亭」という田舎レストラン&弁当屋さん。小浜市の中でも「田舎」と言われる宮川地区に数年前にオープンした。田舎料理が持ち味だが、実に懐かしい美味さである。
ちなみに「あばん」というのは「オバン」、つまり「おばさん」の乱暴な関西方面スラングの小浜バージョンである。
「おばさん」よりももっとぞんざいな言い方で、イメージとして「おばさん」でくくられる女性の平均年齢より若干年上で、まあ60歳より下はそんな言い方はされない気がする。
また市街地のごぎれいなマダム…は小浜にはいないか。おばさんよりも、モンペが似合いそうな、「ガハハハ」と笑いそうな、パスタを食べるときにスプーンの使い方がわからなそうな(それどころか箸でずずーっと食べそうな)、テニスではなくゲートボールを愛好していそうな、他人に声をかけるときに「あの、ちょっとすいません」ではなく「おい、ちょっとあんにゃん」と言いそうな、まあそういうパワフルで愛すべき田舎のおばちゃんのイメージである。
なんだかずいぶんなことを書いたような気もするが、そういう「あばん」が私は大好きなのですよ。

2014年3月9日日曜日

竹のこと

竹ネタばかりで恐縮だが、女房の実家であれこれ用事をしていてふと気が付いたことがあった。

女房の実家は川に近く、川の手前に竹林があるのだが、その竹林を正面から撮ったところ。何に気が付きますか?

一番手前一列に新しい竹が並んでいるのである。節が白いでしょう。これが新しい竹。去年の春に生えたんだね。ついでに表面も青々としていてきれいだ。

その新しい竹の後ろ、竹林の中に入ると、節が黒い一昨年前以前の竹が生えている。表面も薄汚れている。

新しい竹は水分が多く柔らかいので、切るのは楽だし工作も楽にできる。そのかわり乾燥するとコップや竹とんぼが変形してしまう。青々ときれいなので、切ってすぐの容器や箸にいい。そうそう、かっぽ酒は青竹に限る。フグのヒレ酒と同様、いくらでも飲めてしまうのだ。
なお、7月や8月の夏休みはまだ柔らかいので、小さい子どもでも竹工作に挑戦できる。加工しやすいし、だから少々失敗してもくじけないのだ。私は子どもにとって大事なのは「失敗してもいい」と安心して挑戦できることだと思っているので、この時期の竹工作は大好きなのだ。

古い竹は水分が少なくなって硬いので、しっかりしたものを作るのにいい。ただしよく切れる小刀かクラフトナイフを使わないと加工が大変だし怪我の元だけど。

竹を切るなら11月と言われる。一番硬い時期だかららしい。それより早い時期はまだ柔らかい(ただしその年に生えたものならだけど)し、それより遅れると竹林の養分がタケノコに行くので竹が弱くなる(から虫食いが増える)からだという。

竹はあらゆるシーンで活用されてきた。箸はもちろん、カゴやザル、傘、ほうき、竹刀、水筒、床や屋根、土壁の芯、塀…
今ではほとんど用途がない。ないから切らない。切らないと竹の密集度がすごくなる。そうするとタケノコも生えなくなる。京都に行くと畑か?と思うくらい竹がまばらに生えて林床がきれいに笹で覆われているけれど、やはり竹の密度をそこそこまばらにしないとタケノコも生えなくなる。仕方がないから竹林の縁にばかり生えるようになる。結果として竹林が広がっていく。
竹を切って利用すると、竹林の中でタケノコががんばって生えるから、竹林は広がらず、需要と供給がバランスよく保たれるが、竹を利用しなくなると、人が入っていけないくらいに密度の高い竹林が、周囲にどんどん広がっていく。

やっぱり竹はもっと利用しないと。たま~に竹とんぼ作りや流しそうめんをやっている程度じゃ焼け石に水にもならないから、もっと実用的な日常使いに利用しないといけないなあと思う。しがら組みがそこいら中でやられるようになるといいんだけれど。
やっぱりライフスタイルを変えていかなきゃいけないんだろうな。

2014年3月8日土曜日

篠笛作りの第一歩

2月23日に加斗で竹工作行事があったとき、篠竹の太いのをいくつかもらった。篠笛を作ろうと思ったのだ。
篠竹は最初に虫出し・油抜きをしておかなければならない。これが面倒で、ついついそのまま保管していて結局虫に食われて使えなくなってしまうことがままある。
思い立って油抜きをすることにした。ちょうどいい機会だから虫出しもせずに放ってある竹も一緒に処理することにした。

まずはロケットストーブを使ってみた。ロケットストーブの上にプランター用の枠を乗せ、その上に(かなりあぶなっかしいが)水を張ったペール缶を乗せる。ぐらぐらしているが、まあ大丈夫だろう。
ロケットストーブの利点は燃料を投入口に突き刺しておけば、燃えるに従い短くなって勝手に継ぎ足されていくところだ。

見ると、ヒートライザーの中には真っ赤な炎が吹き上げている。…のだが、なかなか沸騰までいかずこの日は終了。鍋やケトルならしっかり沸騰するんだけど、やっぱり直火じゃないとこれだけ大きいペール缶いっぱいにした水は無理か。

そこで翌日、シンプルにかまど方式にした。やっぱり直火のパワーで、1時間ほどでペール缶いっぱいの水はお湯になった。

篠笛よりちょっと長めに切った竹を入れて、浮き上がり防止の石で押さえて1時間ほど煮沸。さらに竹を上下逆さにして(もっと深い缶か細長い容器があるとよかったのだが)1時間煮沸。無事完了。

竹を取り出して陰干しして乾燥させる。十分乾燥させてから篠笛にしていく。乾燥期間は、私はだいたい2年をめどにしているがもっと長いほうがいいんだろうと思う。
これまでは祭りで使う篠笛を、子どもたちと一緒に作ってきた。ところが祭り前の4月に私がセミナーツアーでぜんぜん小浜にいられなくなり、笛作りができなくなっている。せめて3月中に最低限作っておいてあげたいと思うのだが。
まあこれでまた乾かして保存し、いずれ祭りなり他のイベントなりで使えればいいかなと思う。イベントで「引き出し」を開けようと思うと、いろんな仕込みがしてないといけないのですよ。

竹を煮たあとの煮汁。別に炭を作ったわけでもないし、100度程度で煮ただけだから、竹酢液とは違うんだろうな。これに防腐効果なんかあると嬉しいんだが。とりあえずとっとくことにしよう。

2014年3月7日金曜日

学生諸君に感謝

同志社大学の見学2日目。
食文化館→鵜の瀬→神宮寺(事情でチラ見)→若狭彦神社→明通寺と回った。

鵜の瀬にて

若狭彦神社は雪の中
今日は若狭坊を引っ張りまわした。昨夜の酒宴はこのためのワナだったことに気が付いていたかもしれないが、もう遅いのだ。^o^


道の駅でワーク。非常に面白い意見をいっぱいもらいました。学生諸君に感謝。
2日間のワークの結果は夜の観光まちづくりワーキンググループでも披露させていただきました。
夜のWGのあとココスで11時すぎまで会社のメンバーと歓談。それから0時の閉店間際まで添削した。さすがに目がショボショボだあ。

2014年3月6日木曜日

究極のへしこ講座

へしこ博士の「究極のへしこ講座」を開催。

…その前に、今日と明日、同志社大学の学生が小浜にやってくる。大学のゼミの一環で、去年からのお付き合いだ。へしこ講座に日程を合わせての来訪らしい。
昼前に道の駅にて学生5人と教官4人を出迎え、昼食・オリエンテーションのあと、午後小浜市街地の重要伝統的建造物群を見学。
いろいろ面白いシーンもあったのだけれど、説明と案内でいっぱいいっぱいで写真は撮っていません。^^;

夕方からワーク、そのあと「究極のへしこ」講座。

へしこ博士の講義。うまみ成分やら香り成分が増えていく様子や微生物・酵素との関係など、私的には非常に興味深い内容。

いよいよへしこ製作にとりかかる。鯖を手にポイントを説明するへしこ博士。

みんなで鯖を捌き塩漬けにする。鯖は背開きにし、内臓をとって洗ったあと重さ比20%の塩で塩漬けにしていく。60本くらいの鯖を仕込んだ。

みんなで記念撮影。募集定員が1日で埋まったという人気講座でありました。
一週間後に今度は糠漬けにします。

その後、大学の皆さんと懇親会兼遅い夕食。郷土食をおおいに楽しみ、かっぽ酒・ひれ酒をおおいに楽しみ、久々に痛飲しました。^o^

2014年3月5日水曜日

雪室レポートその1

東日本では例年にない降雪量だったらしいが、こちらは例年以上に雪の少ない冬だった。日本に降る雪の総量が決まっているのか?
おかげで例年なら3月中旬までとても行くことのできない上根来畜産団地跡にフツーに行くことができるので、雪室の様子を見に行った。
雪の変化を追いかけようと思って、定点観測用に撮影ポイントを2アングル分決めてあるので、写真で比較してみよう。雪室を作った2月2日と、見に行った3月1日である。27日経過しているわけだ。

まずはアングル①の写真。これは2月2日。ブルーシートの裾から雪がはみ出している。

同じアングルの3月1日。ブルーシートからはみ出した雪はなくなり、天端高さも少し低くなっている。

雪山を真正面から見たアングル②で、これは2月2日。ブルーシートを固定する丸太の下に数10cmの厚さで雪がある。また天端の向こうは壁の一番上の横アングルが隠れて見えない。

同じアングルで3月1日。丸太の下の雪は全部なくなり、天端の向こうの一番上のアングルが見えている。全体に1割ほど小さくなったかなという感じだ。

ただし残っている雪はカンカンに硬くて、剣先スコップでも歯が立たない感じだ。
こうしてみると、ブルーシートとその下の断熱シートの効果がよくわかる。今回はコンクリートの上に雪を直に敷きならしたが、ここにも断熱材が必要だったかなと思う。ネットで見ると杉の枝などを重ねているようだし、大野市では畳を敷いたらしい。
また断熱シートも今回は完全に覆いつくすところまで気を付けなかったが、これももっとしっかり覆い、できれば2重にしたほうがよかったのかもしれない。藁や菰があるともっといいのだろうが。

ともかく第1回オープンは12日と決まった。楽しみである。
しかしこのネタはマスコミ的に受けがいいようで、チャンネルO(地元ケーブルTV)は単なる取材でなく特集を組んでくれるようだし、FBCラジオからもオファーが来た。
とにかく上根来というところがあって、そこの(元)住民のみんなが今でも強くつながっていろんな活動をしていることが知られていくのはいいことだ。

2014年3月4日火曜日

手本とすべき人たち

合格発表から2日目、まだまだメールが止まらない。本当に幸せな日々だ。やっぱ人間、誰かのためになれたと実感することは幸せだと再認識する。

午後から「若狭の語り部」発足二十周年祝賀会にお招きいただき、柄にもなくネクタイなんぞしめて胸に花なんぞつけていただき列席。改めて継続することの力を教えていただく。
20年前といったら、太鼓会が結成された年で、私はまだ会社と家の往復しかしていなかったころだ。33歳にもなってですよ。ああオレってスロースターターだったんだなあと悔恨。とともに、焦らず慌てず積み重ねていくことのすごさを先輩方に教えてもいただき、よおし、俺もやるぞと腰に手を当て、ひねもす小浜湾をきっと睨みつけたのであった。平和な男だなあ。^^;
語り部の皆さん、本当におめでとうござました。これからもよろしくお願いいたします。

なんだかイキオイがついてしまって、帰宅後自転車に乗ってぐいぐいとペダルを踏んで街へ出る。
いつものココスに行ったら、なんだこれは高校生貸切状態。後で知ったのだが卒業式だったらしい。それでもおじさんはがんばってしっかり添削仕事をしたのです。
そのまま夜になり、観光局で週末の活動の打ち合わせをして、さらに駅前の居酒屋に移動して打合せ。いや嘘だな。若狭坊に一言伝言しただけであとは飲んでたな。
まあいいのだ。何かが生まれるかもしれないと思いながら、わいわいと飲み語らうことのシアワセを満喫したし、今日もまた面白いヤツと出会えたし。

2014年3月3日月曜日

みんなが技術士になる日

この日はどうしても朝早く目覚めてしまう。ウトウトとしてうっすら目を覚まし、いつもならもう一度眠り込むところに気になることがあるとそれができない。
枕元のスマホを手にしてメールチェックをする。ずらずらっとメール。あああの人が、おおこの人も。記憶がはっきりしている人であれば、特に気になっていた人であればなおさら、目がぱっちり覚めてしまう。
9時、官報が出たので気になっている人の名前をひととおり確認。何だか早くも飲みたい気分になってきて困った。
例年なら「えっ、あの人が」という不合格連絡メールが1つか2つあるのだが、今年はない。
なんだかうきうきした気分でせっせとメールに返信しつつ午前中を過ごし、午後から外へ。きのこ原木用のアブラギリを追加調達するために上根来での伐採作業と笹谷への運搬作業。いつの間にかいい天気になっていた。

笹谷でたけしと少し雑談。向こうのほうにぼんやり見える目標に向かって行動して、徐々に形が見えてくるというのは、不安を乗り越える勇気を何でもないものにしさえすれば、本当にわくわくすることだ。

いったん帰宅して、中央公民館に置きっぱなしになっていた自転車を取りに歩いて向かう。いい天気で小浜城跡の向こうに久須夜ヶ岳がくっきり見える。
自転車に乗ってすぐに帰宅…せずにメルカードで添削をしていたらちょうど夕暮れ時になったので、西津の海岸へ。

澄んだ空気の中で夕日をしばらく眺めていた。太陽が動くのがはっきり見えるのだが、時間が進むのもまた早い。

ふと見ると、北川河口にいつの間にか砂州が長く伸びていてびっくりした。突堤ができて漂砂が止められたのだろうけれど、ぜんぜん気が付かなかった。家からほんの数百mのところなのになんてことだ。よし今度ここを散歩しよう。

冬の季節風で全部陸側に傾いて水仙が咲いていた。そういえばお水送りも終わったんだった。春が目の前なんだなあ。
帰宅してメールチェックすると、春が来た人からのメールでいっぱい。まだ不合格メールは一通も来ていない。ちょっと気持ち悪いくらいだが、とにかくせっせと返信し、早目の風呂に入る。風呂上りに美味いビール(注:むろんプリン体オフ)を飲むためだ。
いいのかこれで的な時間から乾杯。みんな、おめでとう。

2014年3月2日日曜日

今日はあれこれ充実

知床さんの講義がある日なのだが、あいにくNPO絡みの行事と重なってしまったので聴講することができない。

残念至極であるが、知床さんのギャグを理解してくれる人がバイアさん以外にもこの広い日本にはいることを祈りつつ、イベント会場へ。

今日の行事は健康ウォークなのだが、申込者数は驚愕の100人超えらしい。しかしインフルエンザで10人近くがリタイヤし、当日の寒さからか小浜人ののんびりさからか、えらくパラパラ感のある開会式であった。

我々としてはこれがメインの笹谷ため池まで移動し、簡単な説明を聞いてもらったうえで、遊歩道の老朽化を実感してもらう。ここから参加者は6kmの健康ウォーク、我々は昼イベントの準備である。

11時過ぎ、予定より1時間近く早く皆さん帰着し、150人分のカレーを竹の食器で食べてもらう。なんとなく開会式の人数よりずっと多いような気がする。^o^;

食後、アブラギリの原木にキノコを植菌。今回はヒラタケ、ナメコ、キクラゲ。特にキクラゲは生食もできるので楽しみだ。
60本用意した原木のうち20本くらいは持ち帰る人がいて40本くらい残るかなあと思ったら、残ったのが20本だった。明日にでもまた補充しないと。ToT
終了後春のイベントの打ち合わせなどもして、夕方けっこう疲れて帰宅。添削を少しやって太鼓会の会議へ。終了間際、なおきから電話。すぐに出向き、教習所突入コンビ・市役所メンバーと連夜の飲み会。なんというか充実した1日でありました。
知床さんともべっこさんともすぐに会うことになるので名残惜しさゼロ。お互いに気楽に行き来できる関係がいいねえ。

明日はいよいよ二次試験最終発表である。皆さんに合格の微笑みがありますように。

2014年3月1日土曜日

直進ヨシ!

ひこそう全国大会から2か月もたっていないにもかかわらず、またもやってきました知床の大きい人。神戸の王子を従えて車でさっそうと小浜に到着。
すでにみんなは「秀」に待機中。近くまで来たというのでなおきが出迎えにいった。

しかしべっこ号に乗っていたのは、まっすぐ見えるところに最短距離で行けば何の問題もないという所に暮らすナビゲーターと、「ここで降りてください」という予定を守れず平気で次のインターまで行ってしまうドライバー。
「秀」の看板目指してまっしぐらに坂を下り、ちょっと狭いような気がする道を直進した。
ただ悲しいかな、それは教習所だったのである。
フツーそこで心を入れ替えるでしょう。「あ、間違えました。ごめんなさい」という態度を表すものでしょう。
ところが教習所を突っ切り、「秀」が目の前に見えるところで「このカラーコーンを除けろ」オーラをガンガン出すキミタチは一体何者なのか。
なおきによれば、助手席ではまっすぐ前方を指さし、「直進ヨーシ」と言っている大きな人がいたらしいではないか。

以上の話全部を笑ってヨシとしてしまう奴ら。^o^;