2011年12月15日木曜日

ほっと平山

11月30日に行ったばかりの高知にまた出かけた。
今回は技術士とは関係なく、上根来プロジェクトの「先進地視察」で「ほっと平山」に行ってきたのだ。
メンバーは知床にも一緒に行ったさとる、上根来プロジェクトのエンジンであるあこちゃん、そしてもしかしたらカツオが食いたくて来たのかもしれないよしき、そして私の4人である。
さとるの車で朝8時に出発。この時点では「遅くとも2時には着くっしょ~」と余裕であった。
四国に渡ったあたりで、「せっかく四国に来たし時間に余裕もあるから徳島ラーメンでも食べるか」と余計な色気を出した。これが失敗でしたね。

まずは鳴門市の三八ラーメン黒崎店にて軽く一杯。久々の徳島ラーメンが美味い。

いっそラーメンのはしごをするかという馬鹿なノリになってしまい、続いて徳島市の麺王。味付け玉子がまた合うのだ。
まだ目的地に着いてもいないのにすでに腹いっぱいになってしまったお馬鹿カルテットは、結局予定より1時間遅れて「ほっと平山」に到着したのでありました。

そしてその以前から一度行ってみたいとおもっていた「ほっと平山」は、上根来とは比べるべくもない立派な施設でありました。

近代的な校舎。右側に見えるのは体育館、
左側の木の影に隠れているが校舎はRC。
新しく清潔な校舎の内部。

たたみマットを敷いた客室。新しくて清潔。

玄関。真新しい建物のようで、廃校校舎とは思えない。

食堂。テーブルは地域の方が木工工芸室で作られたらしい。
ほっと平山の山崎会長さんから話をうかがう。平成5年に校舎をリニューアルし、12年使った後に生徒減少に伴い廃校にして「ほっと平山」として再スタートしたという。
上根来、小浜市から見ればまさに垂涎の的としかいいようがない境遇である。昭和30年代築の、昭和末に廃校になったまま活用されていない、今まさに朽ち果てようとしている木造校舎で何かやろうとしている我々にとって、あまりに土台が違いすぎてもうボーゼンである。
それはともかく、山崎会長さんと話が弾む。地域づくりにじっくり取り組む人と過ごす時間は本当に楽しい。

ガブさんがわざわざ迎えに来てくれていた。本当にありがたい。
ガブさんの案内で棚田へ。
ぱーっと思いつきで派手に事を始めて、興味が移ったらさっさ手を引くような無責任なNPOが多い中で、地道に活動を続け、地域の人達の信頼を勝ち取った棚田再生事業は、本当に素晴らしいと思う。
校舎の隣には陶芸館と木工工芸室。陶芸館では山形から来られた五十嵐さんから話をうかがう。みんな福井からやってきた闖入者に対して本当に丁寧に応対してくださって、ありがたい限りだ。
作業室にはマキストーブが燃えていた。羨ましい素敵な時間を過ごしておられるのだなあと感動。

ガブさんの車にありがたく乗せてもらって高知市へ。高知駅前で下ろしてもらって、少しぶらぶらすることにした。
駅前に屹立する3先生の像。

龍馬先生、少し顔がむくんでおられるのでは。
高知に来たならやはりこれ。はりまや橋である。^o^;
中央公園はイルミネーション中。
そして18時となり、お待ちかねの夕食会であります。
ガブさん、カチナノリさん、Ryoさんの高知3名と、小浜4名、さらに途中からよしきの元同僚という方も加わって腹一杯になるまで飲んで食った。
高知に伝わる剛性な皿鉢料理。

寿司。酢飯にゴマを混ぜたしめ鯖巻が美味い!

カツオのたたきはやはり絶品!

カツオのトロ部分を焼いた「はらんぼ」。

長太郎貝。これまた美味い。

私は最近これが一番好き。どろめ。

店の前で記念撮影するも完全な逆光でだれが誰やら。笑。
そしてやはり仕上げはここ、安兵衛。腹いっぱいだったはずなのにギョーザとラーメンがまだ入る。
揚げ焼きみたいになった具沢山の餃子は絶品。

あっさり味が深いラーメン。今日ラーメン3杯目だ。^o^;
今度こそもう食えないというくらいになって、平山の人が運転するタクシーで激走してほっと平山へ。同じ名前の平山さんが宿直としていてくださった。もう恐縮するほどである。
風呂にゆっくり入り、温かいふとんでゆっくり寝た。
いろんな人との素敵な出会いのあった、素晴らしい日だった。

2011年12月14日水曜日

毎年おじゃましている若狭消防署の「意見発表会」に審査員として行ってきた。
やはり今年は東日本大震災の話が多い。緊急救護で現地に行った経験のある人が多いこともあるだろう。彼らは常日頃から「命の危機」に直面する仕事をしているのだが、やはりあの災害は特別だったのだ。
熱意・決意、とにかくパッションが全面に、そして前面に出る発表が相次ぐ。その先の「だからあなたは何をするか」という部分、つまり熱意をどう具体的な行動に移していくかという点が課題で、それは市民が公務員に求めるものでもあるから、そこを強く意識してほしいなどと小生意気にあれこれアドバイスなんぞしてきたけれど、その実、私が本当に勉強させてもらった。

熱意なき具体策など。
たとえ具体策なくとも、まずは熱意があれば。

SUKIYAKI塾やAPEC-semiで年間何百人という受験生に相対する中で、NPOでいろいろな、本当にいろいろな人と相対する中で、まずは熱意を持っているだろうか。いつの間にか「老練」という名の「こなし」になってしまっていないか。
というか、そもそもどんな活動でも、私という人間から熱意を取ってしまったら何が残るというのか。
これまでの技術者としての、またNPOとしての活動の中で、小生意気にもいくばくかのスキルは身につけた。だけどそれは夢中になってやってきたことの結果にすぎなかったのではないか。
彼ら若い消防士の、スキルという点では未熟ながら、そんなことを感じさせないような熱意を叩きつけられて、なんか落ち着きかけている自分を少し恥じた。

やっぱ時々活を入れてもらわんといかんな。
人間だものね、理屈の前に感情というかパッションがある生き物だものね。

2011年12月13日火曜日

インターバル

普通に起床して普通に出社し、心静かに過ごした。なんというか社会復帰した気分ですね。笑。

友人と四方山話をしつつ昼食を食べた。技術の話、NPOの話、そういったものではない、まあ他愛のないいろんな話が多い。前のめりに何かをやるというエネルギーのある時間もいいけれど、こういう落ち着いた時間もいい。

夕方は警察協助員会の非行防止標語の表彰式。警察署などというところにやってきて緊張しまくっている高校生が初々しい。

帰宅して少し時間があったので、以前使っていたパソコンのフタを開けた。ハンドメイドのXpマシンをヤフクで買ったのだが、すぐオーバーヒートするようになったのだ。今はメインのデスクトップマシンが別にあるので、そのまま放っておいたのだが、机周りの邪魔者になってきたので、なんとか直らなかったら捨ててしまおうと思ったのだ。
開けてみるとCPU冷却ファンの下、放熱板の上がびっしりとホコリで覆われていることが原因だと判明。簡単に直ってしまった。^o^;

単純な自宅と会社の往復だけという日ではないものの、起伏のない時間が静かに過ぎていった気がする。
「これからどうなんだ!」みたいなことを考えたり感じたり論じたりすることは刺激的だし生きている感に満ちていて大好きだけれど、たまーにインターバルがあると、これもまた心地よい。

2011年12月12日月曜日

冬間近の上根来

上根来山の家の屋根の補修をした。
本当は割れている瓦を入れ替える予定だったのだが、予備の瓦がほとんどないことがわかり、飛散が激しい棟瓦部分にブルーシートをかけて冬をしのぐのみとした。
屋根には雪が積もり始めている。もう冬が来ているのだ。

ユニックでブルーシートを上げる。
久々にユニックを使った。笑。
ひとまず棟瓦のカバー終了。
とりあえず春まで持ってくれれば。
なんだかこの夏以来一段と雨漏りがひどくなっているように感じる。雨漏りの数も漏れ方も天井の染みもひどくなっている。
思った以上に、そして加速度的に建物の痛みが進行しているようだ。
もしかしたらこの活動を始めるのが1年か2年遅かったのかもしれない。悲しいことだけれど。

持参のカセットコンロで「鵜の瀬」で汲んできた水を沸かしてカップ麺を作り、コンビニおにぎりとともに食べたあと、畜産団地にブロックを取りに行った。

山はもう雪化粧しているし、畜産団地の道端には雪が積もっている。種子を飛ばした後のススキが寒そうに揺れている。これからここは寒くて寂しい冬に向かう。
ここに住んでいた仙人は先月亡くなった。癌であった。
仙人のいろんな調度類はお兄さんが片付けられた。収集していた古民具類は山の家にとりあえず運んだ。大量の薪は山の家に運ぶとともに薪ストーブやピザ窯を持っている人たちに分けた。
まだ少なくない量の廃材や薪になる前の原木、運びきれなかった薪が残っていたが、仙人の住んでいた空間はがらんとしていた。「誰かがここで何かをしている」空気はもう畜産団地にはなかった。

朽ち果てようとしている山の家、空虚な空間になった畜産団地、それらが雪の下に埋もれていこうとしている。我々はこれからこの上根来でどうしていくのか、冬の間に考えないといけないな。

2011年12月11日日曜日

禁断の

実は私はやってしまった。
セミナーツアーで東京・巣鴨にいるとき、午前2時に宿を出て、徒歩10分の巣鴨駅前まで歩き、日高屋でラーメンを食ったのだ。12/8のブログで書いた「イケナイこと」とはこれだったのです。

午前2時に50歳のおじさんがラーメンを食う。
あと3週間で51歳になろうというおじさんが。
ああ、なんということだ。なんというアウトロー、なんという不良。
…不良って表現おかしいな。年齢にそぐわない。
ああ、なんといういけないおじさん。
…もっとおかしくなってしまったな。まあともかく無性にそういういけないことをやってみたくなったのだ。
真夜中の巣鴨は人通りもなく…もないな。午後8時の小浜駅前商店街より多いかもしれない。
駅前にはガスト、デニーズ、ジョナサン、富士そば、日高屋やコンビニなどが軒を連ねて24時間営業している。まさに不夜城の一角だ。

日高屋に入り、「野菜たっぷりタンメン」を注文。すると店員のおばちゃんが
「定食ですか?」
「は?(んなわきゃねーだろ)」
「…単品ですか?」
「?…はい。(変なおばちゃんだなあ)」
「かしこまりました」
このときにちょっとざわっとイヤな予感はしたのである。
やがて
「おまたせしましたぁー」
はたしてテーブルの上に置かれたのは野菜炒めの皿ひとつであった。

野菜タンメン → 野菜炒め

うーむ、きれいなボケである。これが大阪なら
「おおきにぃー。ずるずるずるぅー。あーやっぱ野菜炒めうまいわぁー…ってなんでやねーん!」
とボケツッコミしないといけないのだが、ここは東京である。そんなリアクションをしたが最後、空気は知床零下30度の世界にまっしぐら、おしぼりを回せば立ったまま凍りつくであろう。
素のままで
「…タンメンを頼んだんですけど」
と言うと
「えっ?あっ!あらー、ごめんなさーい」
と皿を下げていった。そうだろうなあ、東京の人にしてはボケがきれいすぎると思った。まあ仕方ない、しばらく待つか。
「おまたせしましたぁー」
…早っ!なんか吉野家の牛丼なみに早くなかったか?
これはもう、たまたま従業員の賄い用にタンメンを作りかけていたか、度重なるおばちゃんのボケに厨房がオチを予測していたか、私が短時間気絶していたか(あるいはおばちゃんがとっさにくりだしたヴァルカン・ピンチで気絶させられていたか)のどれかである。

ともかくタンメンを食す。私は野菜ラーメンが好きなのだが、日高屋のタンメンは野菜がたっぷりで実においしい。

腹一杯になって日高屋を後にし、
「えへへ、オレやってやったぞ。夜中の2時にラーメン食ってやったぞ。」
としてやったり感に満ち、若干どや顔で、若干小鼻ふくらませつつ、午前3時前の夜道をおじさんは帰っていったのでありました。

2011年12月10日土曜日

困ったときに助けてくれる

9時前に歩いて敦賀市男女共同参画センターへ。今日は「新しい公共」のWACおばま担当講座第1弾なのだ。テーマは税・法人会計。
正直なところ、福井県のNPO等は、「新しい公共」の担い手になれる団体はまだまだ少なく、したがってこのようなテーマで受講してくれるNPOも多くはない。
もっと正直にいえば、動員をかけてなんとか格好をつけたというのが本当のところだ。
そういう状況にあって、小浜からは「若狭の語り部」「わんわんパトロール」「郷土史研究会」「わくわくクラブ」の4団体から参加があった。中には税・法人会計など縁遠い団体もあって、本当に助けてくれるというだけのことで敦賀まで来てくれて、朝から晩まで付き合ってくれるのだ。
本当にありがたい。困ったときに助けてくれる友人が本当の友人だという言葉があるけれど、自分が困ったときはお願いしたり感謝したりするものの、他人が困ったときは知らんぷりをするという人が少なくない中で、今日ここに来てくれた人たちにいただいた恩は決して忘れたくない。

午前10時から午後6時までの長丁場が終わり、よしきと車で小浜へ。
そのまま「ほたる」へ行って飲みながら夕食。酔って外へ出ると月食が始まっていた。

スマホのカメラで酔って撮ったからよくわからんけどね。(^o^;)
帰宅すると長旅の途中で送った荷物が大量にあった。12/3・4の一時帰宅(笑)のときにはほとんど手付かずだったけれど、今度は片付けないとね。
名古屋で買ったミニギターはなかなかいい。嬉しくなって弾いていたら夜中になっていた。

2011年12月9日金曜日

寒気より湿気

9:30ごろチェックアウトして東京駅へ。10:33の新幹線で帰路についた。今日は敦賀まで行って夜にskype模擬面接があるだけ(といっても4人連続だが^o^;)なので車中ではのんびり過ごす。
週刊誌を読んでいると「○○のCMで有名になった…」なんて記事が出ている。
…そんなCM知らない。
「家政婦のミタ」という番組がヒットしているらしい。
…そんな番組知らない。
いくらインターネット全盛とはいえ、テレビはやはり依然としてトップのエンターテイメントツールであるはずなのだが、私はもはや全然テレビを見ていない。そのことを再認識して軽いショックを受けた。

今回のツアーは実質的に11月10日から1ヶ月に及ぶが、その間、旅先のホテルの部屋でテレビを見たことが一度もなかった。パソコン2台やギャラタブなどをホテルの狭い机の上に広がるのが大変で、できたらテレビを取っ払ってほしいと思ったくらいだ。
自宅でも自分からテレビをつけることは少ない。朝は女房がNHKをつけっぱなしにして家事をしているので自然と見るし、夜もそんなもんだが、たまに夕食後、ソファに寝転がってテレビをぼんやり見て(バラエティしかやってない)、そのままうたた寝ということがあるくらいかな。
うーむなんてことだ。しかしテレビを見ない生活、別に困ってはいない。
結局、人間が生活していくうえで必須のものなんて、そんなに多くはないということなのだろうな。

新幹線「ひかり」は名古屋を過ぎた。よく晴れて、車窓から見る光景は明るい。でも北のほうに雲がみえる。昨日は東京でも雨が降り、今朝はぎんと寒かったから、きっと冬型なのだろう。きっと敦賀は悪天候だなあ…
表日本と裏日本。こういう表現を嫌がる人もいるけれど(中には色をなして非難する人もいるけれど)、この季節に限り、私は言い得て妙だと思う。明るい面と薄暗い裏。その中でそれぞれの文化が作られてきたのだと思うし、そう考えると合点のいく風土気質文化がたくさんある。そして裏日本のそれは蔑まれるべきものではなく、とても愛おしいものだ。
「裏は表の下」「見下されている」などと考えて腹を立てたり悲しんだりする必要がどこにあるのかなあと思うのだけれどね。


米原駅で北陸線に乗り換えて少し進むと、はたして空はしっかりと灰色になってきた。遠くの山には雲が覆いかぶさっている。
1時28分、敦賀駅に到着。電車を降りたとたん、頬にしわっと湿気を感じる。これこれ、これが裏日本なのですよ。寒気ではなく湿気なのだ。日差しの照りつける渇いた表玄関から町家のうなぎの寝床のような長屋に入り、薄暗く湿り気を帯びた空気が動かない裏庭に出てきたような。
東京の冬は雨具がほとんどいらないし、よく晴れていいのだろうけれど、私にはあの日向と日陰のものすごい温度の差、日差しが熱いくらいにチリチリ刺す日向と冷気が体を突き刺す日陰の、くっきりと分かれすぎた冬よりも、空気が重く湿った「冷たい」ではなく「寒い」裏日本の冬のほうが体に馴染んでいる。あの身の置き所がないように冷たい木枯らしも吹かないし。
まあこれは北陸より山陰に近い、冬が柔らかい小浜にいるから思えることで、北陸のほうまで行くとずっと厳しくなるのだろうけれど。

敦賀駅を出ると、雲は重たそうに空をふさぎ、なんてことだ遠くの山は雪をうっすらとまとっている。うわあ、冬がきたんだなあ。この湿った寒さは嫌いではないが、これから始まる雪とのお付き合いはやはり気が重い。湿った柔らかい寒さだけにして、空から何も降ってこない冬だといいのになあ。

駅に近いホテルにチェックイン。小浜まであと40km、クルマや電車で1時間ほどのところだけれど、明日は敦賀で「新しい公共」の行事があるので、朝寝坊したいというだけの理由でホテル暮らしをもう1日とったのである。旅に体が慣れていると、このほうが楽だったりする。
夜はskype模擬面接だが、昼間は何もない。本を読んだり夜の準備をゆっくりしたりして時間に終われず過ごす。旅の最後の贅沢だな。

19時から23時前までskype4件。ふぅー、やっと終わったぁーと思ってメールチェックをしたら、ういままちゃんから「積水ハウスのCM見るたび娘が『あ、鳥居さんや』って言う」と教えてくれた。…のだが、テレビ見ない人なのでなんのことかわからんのよ。ToT

2011年12月8日木曜日

忙中閑有すこしだけ

ちょっと昨夜はイケナイことをしていたので(いずれ明かす)、就寝は午前3時すぎ。10時過ぎに起床し、部屋でごそごそ。昼前に巣鴨駅前のデニーズへ。もう行動圏が恐ろしく限られてきた。
木曜日の11時過ぎのデニーズはガラガラであったが、私がいる間に少しずつ客が入ってきた。明確な傾向があって、男性はまずもって一人。二人連れがいるとそれは仕事のチームあるいは商談である。
女性は一人も多いが二人連れや三人連れなども多い。それらは友達同士で、近所からランチとおしゃべりにきているか、巣鴨に遊びに来たか(圧倒的に中高年が多い)といったところだ。
このあたり、小浜のココスでも似たようなものだよねえ。午後2時ごろのファミレスが一番興味深い光景になっているんだ。

食事を終えてまだ12時をちょっと過ぎたところ。今日は5時から模擬面接なので、余裕ありまくりである。池袋か新宿か上野にでも行こうか…と考えたけれどやめた。こういう「ちょっと時間が空いたら何かぶちこむ」のが私の悪い癖だ。ゆったりと流れる時間を過ごすこともたまにはしないと。
持ってきただけで読んでいなかった文庫本を少し読み進んだ。それだけだった。でもそれだけでよかったんじゃないかな。

夕方5時から10時までルノアールで模擬面接。さらに宿でskype。
とにかく模擬面接一色のツアーだったが、まあそのために出てきたんだし、それでいいのだ。
カッターシャツと靴下、下着上下を持って最後の洗濯へ。ジャンパーにチノパンのいでたち。そしてその中は…
ジョンの命日に何やってんだオレは。

2011年12月7日水曜日

また東京じゃん

名古屋を10時の新幹線で発ち東京へ。昼前に到着したが昼間は特に用事がない。
ホテルのチェックインは2時から、セミナーは6時からなのでたっぷり時間がある。
しかたがないので特にあてがあるわけでもないけれど秋葉原へ。やはりこういうとき人は自分の趣味の領域で「掘り出し物」を探すことになるようだ。
とはいえ、現時点で特にほしいと思っているIT機器があるわけではないので、結局ただの時間つぶしになってしまった。
2時過ぎにいつものウィークリーマンションにチェックインしたものの、特にすることもないので寝不足解消のチャンスとばかりに寝てしまった。

以前から平日のセミナーは「夜だけ働く生活になるはずが結局昼間も働いている」と愚痴っていたわけだが、いざ昼間が空いてみるとなんだかすごく時間を無駄に使っているようで、これじゃいかんなあと思ってしまう。おじさん心は複雑なのだ。

5時半、宿を出て会場へ向かう。
東国の夕暮れは早い。冬至に近い時期、5時半にしてすでに夕闇は深い。(写真のイメージより少し明るいが)
知床はもっともっと早く、5時半なんていったら真っ暗だろうし、沖縄はまだ薄明るいことだろう。
表日本らしく寒気は鋭利だ。裏日本ではもっと鈍重な寒気がじわじわと体に入ってくるが、ここではぴしっと肌を刺してくる。

ルノアールの会議室に定刻に到着。部屋に入るとすでに誰か受講生が来ているな…と思ったらなんと勘介さんではないか。間違って飲み会に来てしまったのかと思った。
密度の濃い(と私は思っているのだが…)4時間を過ごして宿へ戻り、skype1件。非常に優秀な方で、こういう「あなたみたいな人が技術士になって、これからの技術界を支えていってくれ」と思えるような人に出会えるのがひとつの楽しみですね。そういう人と今後も継続的に交流することはほとんどないだろうけれど、やはり技術者の一人として優秀な人に出会うというのは嬉しいことだ。

全部終わってコンビニで買ってきたおでんとワンカップというもはや定番になった組み合わせてイッパイ。実は今日、この口頭試験セミナーツアーの間ずっと引きずっていた仕事がひとつ終わったので(ツアーに出ても仕事はしてるんですよ。ノマドだから^^)、ちょっと解放感もあるのだ。

小浜ではいろんなことが動いている。上根来プロジェクトはあこちゃん、新しい公共はよしきに、それぞれおんぶにだっこで本当に申し訳ないのだけれど、帰ったらちょっとは動くからね。

2011年12月6日火曜日

また名古屋だぎゃあ

3時前就寝、9時起床。こんな生活が身についてしまって社会復帰できるだろうか。^^;
11時過ぎの新幹線で名古屋へ。50分ほどで到着。歩いて今日泊まるドーミーインに行き、荷物だけ預かってもらった。ドーミーインは部屋着でホテル内を歩けるうえ、風呂場あたりにランドリーがあるので、風呂に入りつつ全部洗濯することができるので便利なのだ。
さらにここでは自転車も貸してくれる。おお、名古屋の街中を自転車で移動なんて!と感動して早速出発。
カゴが錆びた古い自転車だが極めて快調。
チェックインまで2時間近く余裕があるので、大須方面へ。赤門などをうろうろした。
いやあ、自転車があると快適ですねえ。名古屋の街がどんどん頭に入ってくるし。

リサイクルファッションの店頭にソフトバッグとデイパックの合体作みたいなバッグを発見。1,500円。迷わず購入。またバッグが増えてしまったが、これなら着替えとバイオPその他のセットを入れて身軽にツアーに出られる。skypeさえしなければレッツノートさえなくてもいいことがわかってきたので、来年の筆記試験ツアーなどはぜひこれで出かけたいところだ。

20年前のアメ横界隈を思い出すような中古店もまだあって、カゴに入ったジャンク品がずらっと並んでいたり、メガネケーブルが100円で売られていたりして嬉しくなってしまった。
380円の動作保証なしのLANのハブとメガネケーブルを買って、さっき買ったバッグに放り込む。

今度は楽器店を発見。というか、このあたりには「コメ兵」という中古&ディスカウントショップがあって、そのうち楽器をあつかっている店である。
ミニギターが6,000円弱で売られていて、思わず買ってしまった。どうも壊れかけているかなオレ?

いったんホテルに戻ってチェックインし、すぐにまた出発。まだセミナーにはちょっと時間があるので、もう一度大須方面へ。
若者がたくさん歩きファッション関係の店が多いまちだ。何を買うわけでもなくうろうろし、コメダ珈琲店でピザトーストを食べて口頭試験セミナーへ。今日も総監デー。
22時に終了して自転車で一路ホテルへ。2kmほどの道のりなので10分ちょっとで着いた。
ドーミーインは23時まで「夜鳴きそば」をやっているので、これで腹を落ち着けさせ、部屋に入ってskype模擬面接1件。
風呂に入りながら一式を洗濯して乾燥機にぶちこみ、メール処理していると当然ながら真夜中を過ぎた。

行動を振り返ってみると、働いているのは夜だけで、なんだか夜の蝶みたいになってきたわ。うっふん。

2011年12月5日月曜日

また大阪やねん

10時前の電車で小浜を出発。今週は大阪、名古屋、東京と移動する。
去年はクリスマス近くまで東京に居座って面接を繰り返していたのだけれど、今年はNPOのほうがけっこうあって、今週が最後のツアーになる。ニーズに応えきれていないのは痛感しているが、どうかご勘弁を…

敦賀駅のホームから見る光景もすっかり冬で、ススキの白い穂が寒そうに揺れていた。
ススキは11月ごろに種を飛ばすので、綿毛の開いた状態になった穂がふわんと白く光るようになる。
そして冬を越すと綿毛が全部飛んで心だけのやせ細った状態になる。
実は火おこしで使うのは冬を越したやせ細った穂だ。綿毛ふわふわ時期のススキの穂は、まだ油を含んでいるので炎にならずジリジリと種火が広がるだけになってしまうのだ。
綿毛のある穂を煮て油を抜いて乾かせばきっと火付がよくなるのだろうが、そういうことをしている時間はなかなか取れないので、春先にすっかり油の抜けた穂をいつも刈っている。最近は春先にかなりセミナーで動くからそれも難しくなったりするのだけどね。

昼過ぎに新大阪へ到着。予想通り、日本海側のどんより空とは好対照の青空である。
新大阪駅構内で食事を済ませる。駅構内にはいろんな店があるのだが、さすがにこれだけ頻繁に来ると、もう完全に飽きてきた。笑。
着替えやレッツノートの入ったバッグをコイウンロッカーに放り込んで、バイオPやギャラタブを入れたボディバッグだけになる。模擬面接はこれで十分なのだ。
じゃあレッツノートは何に使うのかというと、ホテルでskype面接をするときに必要になるのである。バイオPでskypeビデオ通話しつつ、レッツノートで評価票を入力するわけですね。
だからレッツノートはホテルでしか使わない。まったく、レッツノートがデスクトップノートPCみたいな扱いになるとは驚きである。先月も沖縄や仙台はレッツノートなしで行ったし。

14時~16時とまず模擬面接2件。もう一度駅に戻り、皇蘭でいつものラーメン&チャーハンの炭水化物攻撃メシを食って再び模擬面接会場へ。
ちょうど夕焼け。JRをまたぐ歩道橋からの、もはや見慣れた光景だけど、都会の夕焼けもまたいいものだ。
21時に模擬面接終了。地下鉄で江坂に移動していつものサニーストンホテルにチェックインし、さらに22時から1件のskype。受講生はゆめたく。泡盛を飲み、島らっきょうを食べつつ模擬面接。うそ。
終了後、どうにも腹が減った(だって皇蘭で食べてから6時間だ)のでコンビニでおでん&ワンカップ300mlの必殺セットを買って一人晩酌。こういう生活が馴染んでしまったオレってオレって。ToT

2011年12月4日日曜日

もこもこもこ

8時起床。昨夜は結局3時前に寝たので、小浜に帰っても変わらず寝不足気味だが、旅先よりどっしりと体が重い。やはり自宅だと気が緩むのか慣れた布団だからなのか、体が思いっきり寝るモードになっているようだ。
そういえば昨夜、ベッドに入るときに毛布と分厚い掛け布団、さらにもう1枚、どっしりと重たい掛け布団で寝る(これは日本海側の特徴だと誰かが言っていたが本当だろうか)ことに、言い知れない幸せを感じた。

気合を入れて布団から出て、手早く朝食を食べて県立図書館へ。今日は児童文学会「風夢」の設立10周年記念行事で、なんとあの谷川俊太郎氏が小浜にやってくるのだ。
とうてい無理と誰もが思った発案だったが、当たって砕けろで会長のTさんが手紙を書いてみたそうだ。Tさんのことだ、誠意と熱意あふれる丁寧な手紙を美しい字と文章で書かれたのだろう。
谷川氏はあっさりと受諾。さらにいろいろな発案に「いいですよ」と快く応じてくださり今日に至った。
風夢もこんな規模のイベントなどしたことがない。1年以上かけて一生懸命取り組んできた。女性ばかりの会員が、臨時駐車場の看板を立てて回り、作業台車に乗って壁の高いところにスクリーン替りの白布を張り、500を超える椅子を並べて会場設営をした。
とにかくその一生懸命さに感動して、当初はもう一週間続ける予定だったセミナーツアーを中断して小浜に帰ってきたのだ。昨日の華咲け文化財はどちらかというと「ついで」に近い。あっちは私はいなくても若狭坊がいるから進行はできるし。

設営中の写真しかないが、素晴らしい会だった。
当初定員の倍の500人以上が応募し、椅子を240脚レンタルして「こんなに席が並んだのを見たこと
がない」と図書館職員が言うほどずらーっと並べた。
やがて開演。満場の拍手の中、自身の作詞になる「鉄腕アトム」の曲にのって登場した谷川氏。自身による詩の朗読、会場の観客も参加してのいろんな仕掛け、谷川氏を交えての風夢の詩の朗読。超有名人を招くのだから講演会と質疑応答くらいだろうと思っていたら大間違いで、なんとも素敵な空間を創った風夢のみなさんの力のすごさを再認識した。
私は今日は完全に裏方。会場設営を手伝い、駐車場係とカメラ係をした。こういう素晴らしいイベントだと裏方も楽しいものだ。

夕方帰宅して、今日1日サボっていたメール処理やツアーの間のいろんな事務処理やたまった書類の整理などを少しでも進めようとするも、もはや限界。1時間だけとベッドに入ったものの、結局ぐずぐずと1時間半も寝てしまった。分厚い布団が心地よくて。

8時から3時間skypeをして、メール処理をして、さあ入浴と思ったらもうとっくに日が変わっていた。

2011年12月3日土曜日

帰ってはきたけれど

3週間の長旅もようやく終わり、10時過ぎにゆっくりと新大阪を出発。12時前に小浜に着いた。
小浜に帰ってきたんだから鯖の塩焼きでも食うかあと思って駅前の「はまがわ」に入ると、知床に一緒に行ったI課長登場。帰ってきてすぐに親しい人に会うのは楽しいものだ。
メシを食っていると、小浜市内のO君から電話。帰りの電車の中で地元公民館長から紹介を受けた「NPO活動をやりたい人」だ。すぐに話しをしたそうなパッションを感じたので、昼食後すぐに会って、「SOTOMO」で話し込む。若くて志があってまちのことを考えている人に会うのもまた楽しいものだし、エネルギーをもらえる。旅の疲れもふっとぶというものだ。

O君に送ってもらって帰宅。とにかく着替えて、久々の自転車で家を出る。
今日は「華咲け文化財」事業の締めのイベント2つがあるのだ。
まずは山川登美子記念館での行事。明治のクリスマスをテーマにした文化財活用イベントだ。
与謝野晶子と親友だった山川登美子が在籍していた梅花女子大のハンドベル部の演奏に心を打たれる。写真はブレブレだけど。
ホワイト・クリスマスの最初の和音が「カーン」と打たれた瞬間、なんだか涙腺方面がじわっときた。何かの思いがこみ上げてきたわけではなく、ただハンドベルの音が、静寂の中に伸びていく細い絹糸のように少しうねりながらすーっと伸びていくのを効いて、ただ感動した。
単純に美しいもの、ピュアなものに感動したのかなあと思う。私にもまだピュアな心が残っていたのかな?

感動もそこそこに次の会場の段取りに移動。聖ルカ教会でのクリスマスコンサートである。クリスマスまでにまだ3週間あるが、そんなことはいいじゃないか。
100年の歴史を持つ有形文化財であるこの教会の素敵な空間で透明な音楽を楽しもうという趣旨だが、それだけではなく終わってからクリスマスを楽しもうということで、グリューワイン(ホットワイン)と七面鳥を用意したのだ。この仕込みでかなりバタバタ。

やがて夜になり、教会玄関をライトアップ。私はこの聖ルカ幼稚園の卒園生なのだが、ミサの時間が退屈で悪さをしては叱られた記憶がある。(^o^;)

梅花女子大のハンドベル。歴史ある教会で聞くとまた一段と美しい。「カノン」を演奏してくれたが、この曲はすごくハンドベルに合うように思う。

小浜市少年少女合唱団。オルガンと子どもの声のマリアージュがなかなかいい。

アンサンブル若狭。左端は女房殿である。イベント主催者の長と出演者という関係での3週間ぶりの出会いというのはまた笑えてしまう。

終了後、老若男女混合で七面鳥、サンドイッチ、パン、グリューワイン(これは大人だけね)を楽しむ。そしてさらに司祭様の取り計らい(?)でなぜか酒宴へと発展。

夜中まで飲み語らって、さらにタクシーで街に出て仕上げに「青やん」でラーメンを食うという、結局小浜に帰ってきても一緒のことをやっているじゃないか的結末となってのでありました。大笑。

2011年12月2日金曜日

一反蛙

今日はちょっと早く7時台に起床。放浪飲み食いついでにちょこっと模擬面接マンとしては異例の早起きなのだ。
8時前にチェックアウトして歩いてすぐのところにある市電の駅へ。
住宅街の隙間から電車がやってくる、なんとも素敵な光景である。松山市の市電は一律大人150円。大変きりが良い。190円の高知市はぜひ見習ってほしいものである。一律200円でもいいから切りの良い数字にしてくれい。
JR松山駅からリムジンバスで松山空港へ。今日は松山から大阪(伊丹)まで飛行機で行くという、意味があるのかないのかよくわからない行程だ。

少々嫌な予感はしていたが、飛行機はやはりボンバルディアであった。飛行機のボンバルディア、エレベーターのシンドラー。技術者の端くれとしては何ともいえぬ思いであるが、やはりビビりつつ、てくてく歩いてタラップを登る。

席がまたちょうどプロペラの横なんだなあ。写真ではプロペラが止まっているように写っちゃうけど、決してそんなことはありません。
天気は相変わらずというかこれしかないっしょ的に青と白の2色世界。
10:10出発(といっても飛行機がターミナルを動き始めた時刻)、11時到着(これは本当に降りた時刻)の短い空の旅であった。

バスで新大阪に移動し、あわただしく昼食をかきこんで、大急ぎで地下鉄に乗って日本橋電気街へ。ギャラタブのケース(今使っているのはくたびれてきた)やギャラタブのUSB充電ケーブル(東京で間違って自宅へ送ってしまった)などを買いに行ったのだが、「電気街で大急ぎショッピング」というのもパターン化してきたような。
急いで新大阪へ取って返し、14時~17時と18時~21時の合計6時間の模擬面接。
終わってすぐに江坂へ移動して、ランドリーで最後の洗濯をしつつskype1件。
これで全部終わった!(とりあえず)

明日は小浜に帰る。ただし5日にまた出発するので、「いったん帰る」というやつだけれど。
それでもプチ開放感。
大阪を経て名古屋で「山ちゃんズ」と飲み、知床・札幌と最高の旅をして、東京に少し滞在、沖縄で変わらず気持ちのいいみんなと泡盛に酔い、フォーラム8セミナーで年に1回の同窓会を楽しみ、仙台でコアな人たちが集結し、大阪でおもろい奴らと飲み、広島で暴走するsonnyさんにボーゼンとし、大分でなんだかほっとする仲間になってしまった智楽越さんと時を過ごし、高知でオーナーつったんさんに拝謁し、松山で鉄ちゃんノリノリで1時まで飲み…って、こうやって書くともう何をしていたのかよくわからなくなってくるのだけれど、とにかく生きている感を最大限味わえた幸せな3週間でありました。

2011年12月1日木曜日

妙に松山に馴染んでいるという話

高知を11時前にゆっくり出発。高速バスで一路松山へ。
バスの中ではさすがにPCをやっていると酔ってしまう(特に四国山脈越えルートは線形厳しい!)ので、旅の途中で購入した東海林さだおの文庫本を読みながら、としてときどきウトウトしながら午後1時前に松山に到着。

これまではJR松山駅までバスに乗っていたが、今回は手前の大街道(おおかいどう)で下車。松山は松山駅よりもむしろ松山市駅(市電)と大街道がまちの中心だということをようやく学んだのだ。


今にも雨が振りそうな中、大街道を歩く。昔のまちなみをピシッと残しているわけではないのに、なんともノスタルジックな魅力を湛えた、非常に興味深い通りだ。
アンティークな店構えの「珈琲館」に入り昼食。

落ち着いたアンティークな店だ。

小浜にもこんな店がほしいなあ。
さらに歩いて鉄砲町のホテルにチェックイン。自転車を借りて市民会館へ。ここが今日の模擬面接会場である。なんだか妙に松山のまちに馴染んできた気がする。
模擬面接を受けてもらった皆さんは、とにかく地域に根ざして頑張っている人たちばかりで、本当にみんな合格して欲しいと心から思う。
終了後、えひめみかんさん達と4人で「軽く」済ますはずの懇親会。
今回は地鶏にも挑戦。砂ずりの刺身。美味。
えひめみかんさんは実は鉄である。なんでもほとんどの列車に乗ったことがあるとのことである。
SUKIYAKI塾四国を結成したらぜひ全国へ、と言うのだが、鉄道というものがない沖縄には興味がない一方で、北海道方面には大変興味がおありの様子。特に来年の筆記セミナーでは札幌市電を借りきって鉄ちゃん飲み会をSUKIYAKI塾北海道の鉄ちゃん2名が企んでいるという話に対する反応は非常にようござんした。

うーむ、知床さんとオーナーつったんさんの超獣ギャグコンビにとどまらず、SUKIYAKI塾鉄ちゃんズ結成か?あ、私はどれにも属さないけど。^o^;
でもこういう最強コンビができてしまうと、先の北海道でのRyo&すごろく環境コンビのように、とにかく段取りが進まなくなるんだよなあ…ーー;