2011年10月9日日曜日

みんなが集まり、祭りができる

そして今日は「まちなか夢通り」。中心市街地商店街を舞台にして市内のボランティア団体が結集して年に1回、ボランティアも市民も大いに楽しみ、共同募金にどーんと寄与する、私的には小浜で一番誇るべきイベントだ。

オープニングは路上に揮毫。全国大会に出場する腕を持った高校生が「絆」と揮毫、その横に障害を持った子どもたちの団体から、子どもたちが少しずつ書きたして「やさしないっぱい!まちなか夢通り」と揮毫。



そしてそれを見守っていたのは大関・琴欧洲。続いて琴欧洲関の揮毫。前に座っている子の背中に書かれた文字を揮毫。「心」である。

10時、みんなでラジオ体操をして、いよいよスタートである。
子どもたちの揮毫を「見送り」にした「動くPA山」。
若狭東高校はロボットコンテストに出場した自慢のロボットを披露。

琴欧洲関、オズさんのケバブを賞味。
子どもコーナー。なかなかに盛況。

そして、1日店長の子どもたちは本当によくやってくれた。おじさん、本当に嬉しくて嬉しくて。








そして「食の祭り」本体も大いに盛り上がったのでした。
どっと人出。

B-1グランプリ有名所の店の前はとにかく行列。
とにかく楽しい祭りでした。ものすごく疲れたけどものすごく楽しかった。

中学校のブラスバンド演奏。

よさこい。

最後は「七福神大笑い音頭」で締め。
後片付けを終えて5時すぎ。ボランティアセンターに行ってメール処理などするも、ついウトウトしてしまう。
6:30より反省会。またも大酒を飲み、ギターを弾き、わあわあと夜中まで。
笑いがあり、やさしい心があり、素敵な音楽があり、旨い酒があり、何よりも信頼できる仲間達がいる、至福の2日間でした。幸せ。

2011年10月8日土曜日

Somewhere over the rainbow

今日は最高の一日でした。

好転に恵まれ、「食の祭り」は上々のにぎわい。
B級グルメが立ち並ぶ。

10時過ぎ段階でなかなかのにぎわい
旭座のほうもセッティングが進み、4時からはカフェ、6:30からは白井淳夫さんのカルテットを招いてのジャズライブ。
カフェタイム。懐かし映像の流れる中、くつろいだ時間。

夕闇が訪れる中、なかなかに趣のある、活気を取り戻した旭座。
スタンダードナンバーを中心に、本当に素敵な演奏と素敵な時間。
おかげさまでソールドアウト。
バーのカウンターも盛況でした。
実行委員会の副委員長で、かつ委員長が不在という立場上、開演と終演の挨拶に立ったけれど、最後の挨拶のときは気持ちが昂ぶって若干涙目でした。
旭座という素敵な空間で、心躍る時間を楽しめたことを本当に感謝します。みんな、本当にありがとう。

今日は大好きな曲が演奏された。
Over the Rainbow
虹の下をくぐるのはわけないけれど、虹を越えるのは大変だ。だけどそれができたらDreams come true、夢が現実になるかもしれない。そんな希望があるから、虹を越えたいと思う気になるんだ。

2011年10月7日金曜日

旭座に願いを込めて

明日・明後日と市制60周年記念行事と例年やっている「食の祭り」「まちなか夢通り」が合体して、さらに旭座ジャズナイトなどいろんなイベントも合体して、とにかくイベントだらけの2日間になる。
ジャズナイト会場の旧旭座は福井県最古の芝居小屋。何とか復元保存したいという願いを込めてのイベントだ。
会場はカフェあるいはトリスバーとなり、白井淳夫さんのジャズライブを楽しめる。やっと設営がほぼ終わった。
日除け暖簾も作った。けいこさん乾坤一擲の作。仮設トイレも設置。

設営を終えて帰宅し、夕食を食べつつ、グラス1杯のウィスキー水割りを飲んだら一気に睡魔が襲ってきて、3時間以上もぐーぐー寝てしまった。^o^;
まあ、ともかく明日・明後日と元気にいこう!

2011年10月6日木曜日

マッキントッシュのおもひで

私が会社に入ったころだから1985年ごろ、アップルのマッキントッシュをデモらせてくれと営業マンが来て、白黒の小さな画面でWYSIWYGのインターフェイスを披露した。
我々は「おー」と感心したのだが、建設コンサルタントの仕事にはまったく使えないものだったので、営業マンは悲しそうに帰っていった。
会社にあったパソコンはPC-9801で、WindowsどころかMS-DOSも入っておらず、N88-BASICでプログラムを組んで仕事に使っていた。
それも測量とか観測のデータ処理にしか使えず、要は計算処理と結果のプリントアウト(もちろんテキストオンリー)だけの機械だったわけだ。
そんななかでマッキントッシュは強く印象に残った。
それから私のまわりのパソコン環境がWYSIWYGに変わるまでには10年以上の年月が必要だった。地質調査というマイナー市場にWindowsアプリが入ってくるのは遅く、Windows95が出てもなおMS-DOSが主役だったのだ。
今思えば、マイクロソフトとアップルのOSには圧倒的な技術的な差があったはずだし、WYSIWYG環境への移行時期も圧倒的に差がついていた。
それでも市場ではマイクロソフトが圧勝した。「マック使い」は仲間を見つけると大喜びするという隠れマニアな存在になっていた。
私も当然ながらWindowsを使い、アップルという存在、マッキントッシュという存在は意識の中から消えていった。

アップルの復活はiPodからというが、私はすでに自分が音楽を好きだったころの曲しか聞かなくなっていたので、新しい曲のCDなど買わなくなっていた。
だからスマホを買うまで、アップルという企業のことはほとんど意識の中になかったと思う。
そしてスマホを買おうと思ったときも、契約キャリアはドコモだったし、田舎に住んでいて、なおかつ山の中など人がいないところへしょっちゅう行く生活ゆえ、ソフトバンクに乗り換えるという選択肢は考えられなかった。
iPadはWiFi接続オンリーでも使え、持っている人を見ると「おっ」と思ったものだが、量販店で手にとって見るとデカくて重く、小物好きの私には選択肢にならなかった。

かくしてアップルという会社にぜんぜん縁がないままここまで来た。iPhoneはauからも販売されるようになったが、すでにAndroidが市場を席巻し、機能面でも選択肢の広さでもiPhoneに乗り換える意味はなくなっている。タブレットも7インチくらいでないと使う気にならないし、これからもずっとアップルには縁がないんだろうな。
でもやはり初代マッキントッシュからiPhone、iPadに至るまで、アップルの製品は洒落ていたから、縁がないのは残念な気もする。

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アップルの取締役会はジョブズ氏の死去について声明を発表し、「スティーブの才能、熱意、エネルギーは、すべての人々の生活を豊かにし、改善するための数限りないイノベーションの源泉となってきた。スティーブのおかけで、世界は計り知れないほど豊かになった」述べ、ジョブズ氏の功績を称えた。
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マイクロソフトMSFTのビル・ゲイツ共同創設者は、「ジョブズ氏と一緒に働くことができて非常に光栄だった。スティーブのような多大な影響力を持った人は世界でもまれだ。とても寂しくなる」と述べた。
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2011年10月5日水曜日

やさぐれぱんだ

どっと疲れてしまった。

「新しい公共」事業のために、認定NPO法人以外のいろんなNPO等に声をかける必要があるのだが、そのためにはやはり地元自治体にいろいろ聞かなければならない。
理由は2つ。
1つは、認定NPO法人以外にどんな団体があるのかは、地元の自治体等でないとなかなかわからないからだ。任意団体、遅延団体、社会福祉法人その他いろいろな団体がいろいろな形で公共サービスの一翼を担っている状況だからね。
もう1つは、これはNPO等のやりたいことをやるための補助制度などではなく、「新しい公共」を進めるための事業だから、そもそも行政がどんな公共サービスを「新しい公共」に委ねていこうと考えているか、そしてそのためにはどの団体等に成長してほしいかという行政側のニーズも大事だからだ。

ところがねえ、実際に電話してアポを取ろうとするとさらっとでも説明しないといけないわけだが、行政側の対応はやはりまちまちなんですよ。
途中、「あーもういいです。おたくの町はそういうニーズがないってことで」と言って電話をガチャーンと切ってやりたい衝動にかられたこと、一度ではない。
結局そんなことはせずに、この上なくソフトに対応したのでそれなりに受け入れてもらえたものの、いやあ、疲れました。
終わったときに「やさぐれてぇ~!」と思いましたね。そのあたりの居酒屋で「ちぇっ、ばーろーめぇ」なーんて言って酒飲んで魚つついてね。

でもやらないといけないことが山積みなので、おとなしく帰った羊のような私なのでありました。苦笑。
でもまあ結局こういうことに…^-^;

2011年10月4日火曜日

Remember the milk

なぜか私は備忘録というものが苦手である。
かつてシステムノートを使っていたころは、「Things To Do」、「Don't Forget」のリフィルも挟んであったのだが、すぐに使わなくなってしまった。書き込まないし、見ないのである。
なぜかと言われてもわからない。まあ「肌が合わない」んだろう。

測量などに使う野帳の硬い表紙部分だけを使って、この裏表紙にフセンをずらりと貼って、ここにToDoを書いていたこともある。
始めたときは「おお、これはいい!」と思ったのだが、1ヶ月続いたかなあ。

ディスプレイにフセンを貼る、これはまあ誰でもしていることですね。
ちなみにこれはボックス形のガムに入っていた包み紙である。^^;
結局これが一番すっきりするようだ。

今は紙の手帳類は使わずGoogleカレンダー(あるいはそれに同期するスマホ用カレンダーアプリ)でスケジュール管理をしているのだが、やはりToDoだけが使えない。Googleカレンダーの右にToDoが表示されているにもかかわらず、である。
会議その他の「やるべき時刻」が決まっているものはカレンダーで管理できるのだが、やるべき時は決まっていなくてタイムリミットだけが決まっているものの管理が非常にずさんになってしまうのが悩みの種である。「あ、そうだった。やんなきゃ」と思ったときにはすでに尻に火が付いていることが少なくない。

データ管理をクラウドで、書類管理や添削をエバーノートで、スケジュール管理をGoogleカレンダーでと、ITを使ってひとまず快適で実効性のある環境を作ったのだけれど、どうもタスク管理だけがうまくいっていない。

これはどうも私の性格にも起因しているのだろうけれど、困ったものである。

2011年10月3日月曜日

新・肉体労働の日々

今日は「NPOデー」。いろんな用事をまとめて済ませる日だ。
こういう日がないとなかなか進まないのですよ。

「コメリ」でバラスとブロックを積み込んで、今日は一人で上根来へ。火床周囲のぬかるみに昨日山土を入れたのだが、その上からバラスを撒き、ブロックを下ろして一段落。
使っていない校庭はかなり凹凸ができている。
山土を入れてバラスを敷くのが一番手っ取り早い。

火床と校庭、校舎。
ところで校舎の向こうに杉林があり、その手前に「ころび」が並んで生えている。アブラギリだが、ちょうど実がいっぱい落ちている時期だ。
林立するころび。日当たりのよい伐採跡に生える。

枝の下には実がいっぱい落ちている。

「一面」という感じだ。
この実の種から油を絞る。油は撥水剤として傘や油紙に使い、さらにニスやろうそくにもなったというし、絞り粕は肥料になったということで、これで屋敷を建てるほど儲かった人もいたらしい。
実には毒があるらしく、これを牛が食ってひっくり返ったので「ころび」という名が付いたという説もある。毒があるからだろう、鹿もこれは食べないから、どこにでもいっぱい生えている。
畜産団地跡の裏の斜面。
一面のころびで覆われている。
これを何とか活用できないかなあ…というわけである。

11時過ぎに山を降り、ココスで添削をしつつ昼食。終わって市役所に赴き、新しい公共その他の話。
各々の自治体にジャストフィットした「新しい公共」のスタイルを考えていかなければいけないと改めて強く思う。
終わってよしきとまた上根来へ。少し荷物を運搬したあと、畜産団地跡でまた囲炉裏で薪を燃やして炎を眺めるひととき。うーん、クセになりそうだ。

下界に戻り、帰宅して事務作業の後、夕食を食べてふたたび市役所へ。今度は自転車だが、かなり肌寒いのでジャンパーを羽織る。ほんのちょっと前まで半袖だったのにね。
雲の切れ目からやや太くなった三日月がのぞく。たなびく雲の絶え間より、だ。
会議は密度の濃い、しかし疲れるものだった。
やっぱり頭の疲れや目の疲れより体の疲れのほうが心地よいなあ。

2011年10月2日日曜日

続・肉体労働の日々

朝一番に火吹き竹用の竹(マダケを使う)を切りに行った。聞く所によると最近はマダケが取れる所が少なくなったとのことだが、この場所は昔と変わらず取れる。ずっと以前にいろんな体験活動を始めたころにいつでも切っていいという許可をもらい、以来時々取らせてもらっている。
クルマに積み込もうとしてふと足元を見ると、スダジイがいっぱい落ちている。黒くなってしっかり熟れていて、ためしにかじってみるとほの甘い味がする。うーん、昨日のマテバシイといい、9月初旬のクリといい、今年は妙に木の実が熟れるのが早いんじゃないか?

いったん帰宅していろいろと積み込んで上根来へ。
今日は山の家ではなくて、集落の奥のほうにある畜産団地跡へ行った。
ここには「仙人」が住んでいたのだが、病気で先日山を降りたので、今は誰もいない。残していったいろんな道具や燃料などは使っていいと言われている。本当にありがたいことだ。
マキがどっさり。こんなのを見るとうれしくなる。

自然の木や廃材など、とにかくどっさり。
これらを燃やして生活していたのだから。

鍬や鋤など昔の民具が集めてある。

こちらは桶など。

石臼や瓶など、どっさり。
今日は22日の活動の準備。集まったのは4人。
火吹き竹や火切り板など不足気味の道具の製作と杉葉集めにとりかかる。
電気がきているので火吹き竹や火切り板を電動工具で加工。いつもは狭い我が家の車庫2F作業場でやるのだが、広い空間で仲間とともに作業すると気持ちもいい。
火吹き竹と火切り板がどっさりできました。
そのあと半ドラの囲炉裏で焚き火をしてダベリング。
半ドラとはドラム缶を輪切りにして浅くしたもので、私の会社では地質調査ボーリング時の水を入れるのに使うが、ここでは牛に飼葉を与えるのに使っていたようだ。
仙人が集めていた小枝やマキがいっぱいあるので、これをくべて炎を見つめながらよもやま話をしつつ、時間が静かに流れていく。携帯圏外というのもいいんだね。
じっと見つめているだけで至福の時間が過ぎる。
ふと気がつけば、昼飯を食べていなかった。そこで、仙人から「食べていい」と言われているインスタントラーメンを早速料理。といっても原始料理ではない。焚き火を使うだけで、ナベもドンブリも普通のものだ。22日の子どもたちを集めてのイベントではカレー皿と箸が竹になるけどね。
すすで真っ黒になったナベで湯を沸かす。
肌寒い山奥で、焚き火で作ったラーメンがしみじみうまい。ラーメンとか鍋とか、外では汁物がうまいのはなぜだろうか。
時々遠くで鹿の鳴き声がする。先の冬は雪がけっこう降ったので鹿は少なくなっているらしいが、それでも以前に比べると激増していて、山の下草は激減、もはや「根絶やし」という人も多い。本当に何とかしないといけない問題なのだ。
今の季節、緑に覆われているはずの山肌が露出してしまっている。
茶色の中に緑のまだら模様という感じで、本当に危機感を感じる。

仙人が拾ってきたらしい鹿の角つき頭骨。
夕方、山の家に立ち寄って整地を少しして、山を下った。
今日は「はまかぜライブ」があって、フォークソング特集だったので行きたかったのだけれど、ついつい焚き火のそばから離れられなくなって夕方までいてしまった。
帰宅して夕食を食べたらどっと疲労感が襲ってきて、2時間ほどリビングのソファで惰眠。起きるとほうぼうが痛い。これは昨日の肉体労働の痛みか?それとも今日か?

2011年10月1日土曜日

肉体労働の日々

朝、食文化館のあたりから魚センターのあたりまでの清掃活動に参加。ゴミ拾いというより、大部分は歩道の目地や端に生えた雑草の草むしりだったけれど、大勢でこういうことをするというのは悪くないものだ。
ふと気がつくと塀越しに歩道の上に貼り出したマテバシイの実が落ちていた。作業開始時は肌寒かったし、秋になったのだなあと10月初日に実感したのだった。

食文化館で行われていた「歴史街道ウォーク」に絡んで、「オズのケバブ」と「SVZ」が出店していたので立ち寄ってオズさんやK君と談笑しつつケバブとコーヒーで遅い朝食。
帰宅して昨夜何とか仕上げたRCCM試験突破マニュアルをセミナー受講生に配布&オンラインショップにアップロード。セミナー受講生にはまだ合格論文例配布が残っているが、それはちょっと先送りさせてもらった。申し訳ない。

慌ただしく昼食にラーメンをかきこんで工具などをクルマに積み込み旭座へ。来週の「ジャズナイト」に向けての設営である。
両側の見苦しいところを暗幕で隠し、ステージを設営してパネルを立て、白いテーブルを置いて場を作る中、ワタシの担当は電設とバーのカウンター作り。
電設は地区のふるさと祭りで使っている提灯の仕掛けを使ってプラグをつけたり切れた線を補修したり。裸電球だが暖かくて明るすぎない照明が得られたと思う。
もう一つのバーカウンターは、ちょうどよさそうなマーブル模様の天板が例のアーティスト・イン・レジデンスでも使っていたM野君の倉庫「オレンジ・デイズ」にあったので、これをもらってきてサイズを合わせてありあわせの材料で台の部分を製作。まあまあの出来栄えってとこかな。

結局終わったのが18:30ごろで、かなり疲れてしまった。肉体労働を日頃していないからだろうな。
体を動かすことの大事さを実感しつつ帰宅。
女房は今日大切な試験があったのだが、よく行く「ほたる」で友人とその慰労会。ワタシも送りがてらくっついて行って、夕食だけ食べて帰ってきた。写真はないがメニューはかきあげ丼とコロッケ卵とじ(最近これが好きなのだ)とキムチ。
満腹になって満足しつつ帰宅し、少し添削をがんばってメール処理などして今に至る。
明日は上根来の準備でまた肉体労働。これはこれで健康的でいいのだろうけれど、やはり疲れるなあ。^^;

ああそうだ、今日もグレゴリーからメールが来た。明らかに帰国している。だってメールの来る時間が時差ぴったりだもの。
今日は我が家で大酒飲んで騒いだときに、待ち合わせたホテル「せくみ屋」でピアノを弾いていたときの写真を送ってくれた。
そうそう、これがきっかけで我が家に繰りだそうということになったんだった。
今日オレンジ・デイズに行ってわかったのだが、彼らのコーヒーメーカーやいろんなものがそのまま置いてあった。M野君は「毎通し来るつもりで置いて行ってるに違いない」と言っていた。それはそれで楽しいことじゃないか。