2025年3月9日日曜日

どこかの子が隣の子を

朝からいい天気で、いよいよ春である。昨日のリダイレクトの続きをしていたのだが、さすがに家の中にいるのはもったいなすぎて3時過ぎに外に出た。

浜に出てみれば、黄砂で少し霞んだ景色といい、雲の形といい、冬の晴れの日とはぜんぜん違う風景がある。

目を移せば、雪は消えたけれど萌樹まではまだまだ間がある久須夜が岳や枯れ草色が混じる砂浜の姿があって、子供のころから見慣れた景色が春の入口にいるのだよと教えてくれる。
もちろん風はまだまだ冷たくて、日が出たり陰ったりするたびにウィンドシェルを着たり脱いだり忙しい。

少し歩いて振り返ればきらきらと春の光が穏やかな磯を照らす。
そうだ、こういう光景が待っていることがわかるから、外に出てみたくなるんだな。

2025年3月7日金曜日

やっと春が

いい天気でけっこう暖かい。これで上根来の雪が融けてくれるといいのだが。

我が家の前庭からも雪がすっかり消えた。春が来たんだなという気がする。
午前中は歴史と文化を守る市民の会の三役会、午後は自宅のあれこれなどがあって、合間に添削や出願セミナー用のパワーポイント作成など。


2025年3月6日木曜日

一仕事終わって

合格答案実例集の建設部門が作成終了した。建設部門は3月中、その他の部門は4月中に刊行予定とアナウンスしているので、それはかなり早めにクリアできたわけだ。

昨年、2月に思いのほか時間が取れそうな気がして、「建設部門は2月中に刊行。その他部門は3月中に」なんて言ったものの結局できずにずれ込んだときにこっぴどく叱られたことがあったので、今年は「いくら何でも、これなら余裕で間に合うでしょ」という時期を提示して、たとえ前倒しできそうに思っても決して口にしない(書かない)ことにした。
3月は、ありがたいことに今週はずっと家にいられるのだが、来週からは旅の連続である。さらに4月に入っても家にいる日のほうが少ない日々を送ることがわかっている。
そう考えると、「3月中」とは言っていても、今の時期に刊行しなければ後が大変になるので、昨日今日とちょっとがんばった。
本当はご苦労さん飲み会をセルフでやりたいところだが、今日は仕事机で飲むことにした。^o^;

2025年3月5日水曜日

春まだ遠し与左衛門

気温が高くなり、雨も降ったのでかなり雪が融けた。

与左衛門も屋根雪がほぼ落ちたり融けたりした。

…と思ったら、玄関前はいまだに屋根から地面まで雪が届いていて、完全に埋まっている。

玄関前は家と石垣に挟まれた窪地なのだが、これが見事に雪で埋まっている。
うーん、雪囲いはまたビスの頭が飛んじゃってるんじゃないかなあ。
てか、これっていつなくなるんだろう。3月下旬に再会したいんだけど…^o^;

2025年3月4日火曜日

やっぱり紙はなくならない

小浜神社誌がとりあえず一段落。最終推敲用原稿が3日にできて、編纂委員の皆さんに配布し、修正箇所の指摘メールが早くも届き始めている。あと少しだ。

とにかく今回は紙をたくさん使った。
ずいぶん長い間、プリンタはセミナー用テキストの印刷以外にはまとまって使うことがなく、私より女房が楽譜を印刷するのに使うほうが多いくらいだったのに、今回は普通のファイルじゃ足りずにキングファイルがほしくなるくらい印刷した。

いろんな委員会その他でもらう紙の資料は、すぐにスキャンして捨てるのでまったく溜まっていくことはなく、本は紙の本を買わなくなってもう10年以上、昨年からfreeeを入れたから経理関係の紙も激減した。
それでも机の周りを見渡すとまだまだ紙は多くある。
ちょっとした手元メモは、いろんなツールを使ってみたものの、やっぱり最後は紙に鉛筆。

いまだにデスク上のチェストの引き出しに裏紙を溜めておいて、必要に応じてさっと出して2mm芯のシャーペンでささっと書くのが一番実用的だ。電子化したけりゃ、このメモを写メすればいいんだしね。
ちなみに写真のナゾのメモは合格答案実例集の編纂用のメモです。

2025年3月3日月曜日

石を除けてきました

上根来に行く道中に落石があるということで行ってきた。

1m×1m×50cmくらい。0.5m3ということだね。チャートなので25kN/m3くらいかなあ。ということは1.25トンかあ。少しバールを使ってテコで動かしてみたが、ぐらぐらするものの移動は無理。

見上げると落石跡がある。近くにも石があるので、また今後落ちてくるだろうな。まあ落ちたら処理すればいいんだが。

やがて百里会会長さんがペイローダーを盛ってきて、あっさり除去。まったくこういうのを見ていると人力の非力さを思い知る。
逆に昔の人はこういうものなしで落石なんかも除去してたんだから、すげえなあ。

その後、畜産団地の除雪作業。山際の水抜き横ボーリングの水量が増えている。
この上の斜面は、豊水期である冬季から雪解け時期は地下水位が10mくらい高くなる。夏になるとほとんど出なくなるのだが、水位が高くなると排水しているということで、地すべり対策工としての役割は今でもしっかり果たしているということだ。

2025年3月2日日曜日

猫は狭いところが好き

ちょっと天気はぐずつき気味だが暖かく、少し風が吹いてもダウンはいらない。
そのせいか、ニャンズも活動が活発になってきた。

アマゾンで通販したときのクッション紙を丸めて置いてみたら、さっそく伊織が入っていた。

それを見て鈴がちょっかいを出すのだが、伊織はびくともしない。

ダンボールに穴を開けたものを横に置いてみたら、またしても伊織が入った。狭いところが好きなのだなあ。
ありがたいことにAPEC-semiの確定申告も無事に終えて、小浜神社も一段落。今はまだ添削依頼も少ないので、今のうちにWACおばまの確定申告に向けた整理や合格答案などを進めよう。

2025年3月1日土曜日

浮かれ気分で

暖かくなると心が浮き立って、ついついフラフラと出歩いてしまうのが人間の心だ。

昼食は久々のラグー。カレーライスにメニューにないハンバーグと目玉焼きのトッピングという浮かれ気分な私です。

夕方、我が家から浜に出て、そのまま西津漁港を経て大学山を越えて羽賀から自転車道経由で丸山、上竹原へ。

丸山橋を渡るあたりでかなり寒くなってきた。ずっと徘徊添削していたのだが、このあたりでそれも終わり、あとは音楽を聴きながらずんずん進む。今日はなぜかエアロスミス。

浜照で会議。あくまで会議である。

浮かれ気分もほどほどにしろという〆のネギラーメン。1万5千歩歩いたのが台無しである。

2025年2月28日金曜日

暖かくなった

一気に雪が融けた。我が家の軒下も、ぼとぼとと水が落ちてくる。

来週はちょっとした寒の戻りが毎年あるけれど、さほどでなかろうから、このまま春に向かってほしいと切に思う。

2025年2月27日木曜日

懲りろよオレ

今日は実に恥ずかしいことをした。今月末が期限のRCCM登録更新に間に合わなくなりかけたのである。
登録更新のためには9月から開始するWEB講習を受講し、修了から4ヶ月以内に申請しなければならない。私は9月早々に受講したので、12月に申請するつもりでいた。12月1日に早速申請しようと思っていたのだが、その日が模擬面接と区の用事でびっしりだったこともあって、すっかり忘れてしまっていたのである。
で、先日2月17日に思い出して、慌てて書類を作った。9月の受講から4ヶ月はとっくに過ぎているので、ああ更新できないのか…と思ったのだが、不幸中の幸いというか、修了ボタンを押し忘れていて、また受講中ということになっていたのであった。
修了ボタンを押して無事に登録更新の書類は作れたのだが、「登記されていない証明書」が必要なので、東京法務局に送った。これが17日。つまり10日前。しかし返信が来ない。いくら役所仕事といってもちょっとひどくないかと思うのだが、そんなことをごちゃごちゃ言っている余裕はもうない。
ということで、福井地方法務局の窓口まで行って交付してもらうことにした。もう二度と東京法務局なんて頼らないと心に強く誓った。

朝7時30分すぎに家を出て車で敦賀駅へ。8時30分すぎの「つるぎ」で福井に向かう。改札はがらんとして、ほとんど誰もいない。

ホームに出てもがらんとしていて、え、誰も乗らないの?と思いつつ自由席に乗ったら、そこそこ人はいた。乗車率は3割くらいかな。
20分もかからず福井駅に到着。駅前でタクシーに乗って法務局へ。9時オープンだが、オープン直後に到着。印紙を買って申請書を提出。わずか5分で証明書交付。福井市は流しのタクシーなど全く当てにならないので、歩いて福井駅へ。途中の郵便局で速達で申請書一式を発送。
やれやれと駅に向かいつつ、こんなに簡単に書類が手に入ることに拍子抜け。

RCCMの登録更新だけでなく、私はこれまでたぶん20回くらいこの証明書を交付してもらっているのだが、ずっと東京法務局一択だった。早めに取り寄せて置けばよかったのにと思いつつ、イライラと到着を待ったこと何度か。
今回は12月早々に申請手続きに入るという予定を忘れてしまった私が一番悪い。早速それに懲りてスマホのタスクの使い方を改善したのだが、それにしても今の時代に返信用封筒を入れて紙を郵送してその帰りを10日以上イライラと待つなどということは、さすがにどうかと思うので、この書類に関してはもう東京法務局など一生使わないことに決めた。

よく考えてみれば、この書類は公布から3ヶ月間は有効なのだから、10月か11月にセミナーツアーで行った先の地方法務局で公布してもらえばいいのだ。20年以上経ってようやくこのことに気づいた自分を笑ってしまった。
往復の新幹線代、小浜から敦賀までの高速料金にガソリン代、駐車料金など合計すると1万円まではいかないまでも、けっこうな出費だ。
でも今日は、自分でも意識して金を使った。そうしないと自分自身が懲りないからね。
「懲りろよ、オレ」
そう思いつつ、福井市滞在わずか45分で帰りの新幹線に乗った馬鹿な私でありました。

2025年2月26日水曜日

上根来は雪の中

ずいぶん雪も融けたので、思い切って上根来に行ってみた。

下根来まで着てみたが、やはり雪の量が違う。ここからさらに奥の上根来は…

下根来を過ぎて少し行った所で、オスのシカが逃げていった。こうしてみると林の中は思ったより雪が浅い。これならシカはぜんぜん死なないな。

上根来まであと少し…と思っていたら、法面から雪が落ちて道を塞いでいる。自宅あたりの雪が融けたものだから、すっかり油断をしてスコップも長靴も持ってきていない。ごそごそと探したら、折りたたみ式の小さな剣スコが出てきたので、これでちまちまと雪を除けて、最後はテリオスキッドでムリヤリ通過。

上根来集落は雪に埋もれていた。60cmくらいかなあ。でも場所によっては屋根雪がどっさり積もっている。

向こうに見える与左衛門も、庇の雪が地面に届いてしまっている。こりゃああと一週間や10日くらいで融けるもんじゃないぞ。
去年と同じくらいのペースだとお水送りのころにはもう雪はなくなって、与左衛門の再開もできるだろうとふんで、冬季閉鎖は3月3日とHPで公表していたのだが、これではとても無理で、念のため三週間延長した。それまでの期間に利用予約が会った人にはぜんぶメールでお断りの連絡。

お水送りのある鵜ノ瀬に向かう道路沿いは、ぼんぼりなどの準備が進められていた。ここ数年は雪がなく、神宮寺で点火した松明が燃え尽きないようにバケツの水で濡らしながら歩いたのだが、今年は雪に突っ込めばいいので楽だな。

2025年2月25日火曜日

我が鼻は無罪放免

ありがたいことに今度こそ寒波は過ぎたようで、一気に雪が融け始めた。

それでもまだまだ寒いのだけれどね。
2ヶ月ぶりに小浜病院で蓄膿手術の予後診察。キレイに治っており問題ないとのことで、無罪放免のご沙汰があった。
鼻うがいは様子を見て、とのことだけれど、あれをすると鼻がすっきりするのは確かなので、これからも時々やろうかなと思う。

2025年2月24日月曜日

どっさり雪が

寒波は週末でピークを過ぎると聞いていたが、なんのなんの月曜日になってもまだまだやまぬ。

二階から前庭を見ると、どうやら30cm近く積もっているのではないかと思われる。
今年2回目のスノーダンプ出動で雪かき。これを最後にしたいものだ。

2025年2月23日日曜日

不穏な空気の中を帰宅

どうも寒波のピークがやってきているようで、計画運休が始まったりして不穏な空気が流れているので、予定より1時間ほど早い電車に予約変更して帰路についた。

新幹線で新大阪まではきわめて順調、サンダーバードは6分遅れで敦賀到着。
何やら不穏な看板が立ち並ぶ敦賀駅だが、ありがたいことに小浜線は予定通り運転…と思いきや、湖西線新快速が遅れているのを待って10分ほど遅れて出発。

車窓の風景はまるっきり雪国である。それでも小浜は雪もやんで、道路を走るぶんには何の問題もなかった。
無事帰宅して一息ついた。
次は3月10日まで2週間小浜滞在なので、さすがにそろそろ合格答案実例集にとりかかろう。

2025年2月22日土曜日

コラーゲンでつるつる

京都から新幹線で山口へ。ホテルは烏丸御池なのだが、京都駅まで朝の冷たい空気の中を歩いた。気持ちがいい。

京都はよく晴れているが、盆地だからとにかく寒い。というか冷たい。逆に盆地だから夏は暑い。というか熱い。

のぞみで一直線に新山口まで。牡丹雪が降っていた。前に来たときも雪だったなあ。なんか山口=雪国みたいなイメージができつつあるぞ。

企業セミナーのあと、懇親会で水炊きをいただいた。コラーゲンを鍋にどっさり入れて、これを蕩かしてスープにして水炊きにするのだが、実に美味い。
5時ごろから初めて9時近くまで飲み食い語らい、新山口のホテルへ。
本当にありがとうございました。

2025年2月21日金曜日

とりあえず京都へ

今日からまたプチ旅なのだが、朝起きてびっくり。

いやもう、本気で積もっとるやないかい。
などと言っていても始まらないので、午後、女房含め3人で京都へ車で移動。幸いなことに道路は問題なく、スムーズに京都到着。
ホテルにチェックインしたあと、みんなで京料理を堪能。今日はちょっとだけ贅沢をしたのさ。
気持ち良く酔ってお腹いっぱいになって、ホテルでぐっすり寝た。

2025年2月20日木曜日

いよいよ雪が

やはりというか、今度の寒波はきっちり小浜にも雪を降らせるようだ。

今のところ、2~3cmくらいかな。まだスノープッシャーで押して除雪ができる。
これ以上降るともう押せなくなってきてスコップ、さらには最後はスノーダンプの出番である。どうか今年はスノーダンプの出番がありませんように。
小浜神社の最後の詰めその他で神社や市役所に行ったり来たり。

夜、届け物があって少し歩いて出かけたら、思いのほか雪がぼたぼたと落ちてきていた。
うーん、こりゃあ積もるかなあ。明日からまた短い旅に出るので、それが心配だ。

2025年2月19日水曜日

アヤシい届け物

今回の寒波は北寄りの風で、そのため小浜にも雪雲が吹き込んでくるようだ。冬の終わりごろはいつもこうだ。

…夜、何やらアヤシいものが届いた。よく見ると低糖質クロワッサン。私は遺伝的に糖尿になりやすいので、ごはんもパンも低糖質のものを買って食べるようにしていて、残りが少なくなってきたから普通にアマゾンで「再購入」したのだが、これまたおもしろい似姿で届いた。中国で作っているのか?
ゆうパックで届いたのだが、事前にLINEで配送連絡が来るものの、宅急便と違って宅配ボックスの選択肢がないため、確実に受け取れる夜間配達にせざるを得ない。こんな雪が降るような夜に配達に来てくれて申し訳ないのだけれど、どうにもならない。なぜ郵便局だけ宅配ボックス配達をしないのだろう。

2025年2月18日火曜日

また寒波

また寒波襲来。例年、節分寒波とお水送りのときの戻り寒波があるのだが、この時期は珍しいかも知れない。

前庭はうっすら雪化粧。この程度ですんでくれると本当にいいのだが。

ニャンズは寒いのでくっつきあって寝ている。こいつら本当に中がいいんだか悪いんだか。
小浜神社誌の原稿作りと添削で一日デスクワーク。
毎年のことだが、合格答案実例集が進まんなあ…

2025年2月17日月曜日

かなり慌てた

やはり我が家のベッドは体に合っている(というか私の体が我が家のベッドに合っている)とみえて、旅の間より深く長い睡眠であった。
のそのそと起き出して、優先順位の高い順にデスクワークを片付けていく。最優先は日々の添削。その次は数日で片付けないといけない小浜神社誌の原稿。そしてその次が合格答案実例集。合格答案を最優先にしてくれよという声が聞こえてきそうだが、こちらにはこちらの事情があるので。
…ということで机にかじりついていたのだが、鈴が机の上をウロウロして、本立てのところでまったりしはじめたとき、稲妻のように思い出したことがあった。
RCCMの登録更新しなきゃ。
幸い、ずっと前に更新講習は終わっているので、慌てて更新申請。

何とか申請書類は準備できた。住民票もすぐに取って来れるが、面倒なのが登記されていない証明書。令和の時代に紙を印刷して収入印紙を貼って、返信用封筒と共に東京法務局に郵送するという時代錯誤的な手続き。
まあ数日で帰ってくるだろうから間に合うのだけれどね。
でもまあ、気がついて良かった。鈴に感謝しなけりゃだな。^o^;

2025年2月16日日曜日

久々に帰宅

今日で10泊11日の旅は終わり。今日はもう帰るだけだ。

せっかくのプレミアム会員の特権であるタダ朝食はもったいなかったが、健康定食の店で「スタート定食」。この店の定食は、食べ終わった瞬間は腹六分目くらいかな?とちょっと物足りないくらいなのだが、少しするとお腹に落ち着いて、満腹ではないけど腹くちくなったなあと思える、なんとも不思議なご飯だ。

土佐堀はどんよりしていた。でも気温が高めなのか、本町から梅田まで歩いているうちに体がぽかぽかしてきて、ダウンを脱いで歩いた。

あ、CoCo壱番屋だと思ったら案内所だったという、大阪らしい光景。
予定通りのサンダーバードに乗って敦賀へ。乗り換えて久々の小浜線で帰宅した。

2025年2月15日土曜日

アジアン料理が美味かった

寒かったからか、5時過ぎに目覚めてしまった。風呂に入って温まろうかとも思ったが、面倒臭いので早々に着替えて暖かい格好でデスクワーク。

しばらくすると夜明け。予定より30分程度早い行程で移動を開始した。

ホテルから歩いて最寄りの「ことでん」駅へ。電車が来たが、そこまでお茶を呼ばなくても…

セミナー会場近くの駅からは2kmほど歩くのだが、Googleマップで調べておいた喫茶店で朝食にフォーを食べた。スープの味がなんとも優しくて美味かった。

セミナーは午前午後とあるのだが、あまりに朝食が美味かったので、昼食も同じ店へ。今度はグリーンカレーとガパオライスのコラボ。これも美味かった。
セミナー終了後、直ちに高松駅へ。予想より早く着いたので切符を変更して…と思ったのだが、JR西日本で買った切符はJR四国の緑の券売機では扱えないようで、仕方がないから有人のみどりの窓口に並んだ。案の定、インバウンドが延々と窓口を占有しており、電車を早めるのは無理かなとも思ったが、何とか間に合って大阪に向かった。

瀬戸大橋を渡り、岡山から新幹線で新大阪へ。御堂筋線でまたもや東急ステイ新大阪へ。1泊して、3日あけて今度は3泊して、チェックアウトしたと思ったら翌日にまたチェックインって、ホテルの人たちはどう思ったのだろうな。