2025年4月25日金曜日

ムリ、ゼッタイ

西新宿の道路公社で講義。池袋から新宿って、山手線で行くんだろうけど、私は絶対無理だと思ったので歩いて行くことにした。なあに、ほんの5km程度ですよ。

ところがGoogle先生に道案内を頼んだら、ここどこ?な道に連れてこられた。それでも何とか開始時刻前に到着し、無事に講義や個人面談終了。
やれやれと思う間もなく、大阪に移動しなければならない。時刻は5時過ぎ、激混みタイム。
とても無理なので湘南新宿ライン普通グリーンで新宿から大崎へ。でもここから品川まではもうグリーンはない。山手線の激混み区間に乗るか、あるいは品川駅まで歩くか。
ちょっと天気に不安があり、さらに時間にも不安があったので、意を決して山手線に乗った。
座るなど夢の又夢、入口付近の三角ゾーン確保も夢、あえなく私は車両の真ん中あたりでつかまるものもなく立ちすくした。でもまあ品川まで一駅だけだから…と思うが早いか、発車間際に「え、そんなの絶対無理でしょう」と思うくらいの人がなだれ込んできた。
もはや周りの人と距離を取るなどという問題ではなく、周りに体重を預けて最密充填状態になった私は、「うう、うう」と思いつつ、無限とも思える品川までの一駅を過ごしたのでありました。
品川で降りて、しばしボーゼン。あんな状態の中に毎日、それも1時間以上身を置いて通勤する人がいるなんて、とても信じられない。技術士我慢部門を謹んで贈呈したくなる。
自分はこのまちでは絶対に暮らせないと確信を新たにして、とにかく駅弁を買って新幹線に乗った。

夕方のこととて残り少なくなった中で厳選した幕の内弁当をハイボールを飲みながら。
こういう時はいつもはビールなのだが、今日は大崎~品川一駅で疲労コンパイラなので、少し強い酒がほしくなるのだ。
なんとか新大阪に到着。御堂筋線で本町へ。そしてホテルへ。
ほっとした。心底ほっとした。
しかし神は我にさらなる試練を与えたもうたのだ。

パソコンが起動しなくなった。あれこれやって、もはやリストアしかあるまいと覚悟を決めたのだが、なんてことだリストアすらできない。
明日からの講義は、パワポは、どうやってやればいいのだ。
しかし大崎~品川間の試練はあまりに過酷で、思考能力がゼロになった私は、そのまま倒れ込んで寝たのでありました。
我がパソコンの運命や、いかに。

2025年4月24日木曜日

池袋様変わり

地元ステイも束の間、次のセミナー旅へ。今回は4泊5日の短い旅。まずは東京へ。
最近は北陸新幹線でしか東京に行っていない。

今回は新宿のホテルはバカ高いので、池袋の東急ステイに投宿。池袋駅西口から東急ステイ池袋へ歩いて移動するも、呼び込みがぜんぜんおらず驚く。
豊島区が力をいれたのかどうかわからないけれど、えらく静かなまちになっていて驚く。
コロナ前は口頭試験模擬面接で池袋に一週間近く泊まったりしていたけれど、今はもう模擬面接はZoomでしかやっていないから池袋はずいぶん久しぶりなんだけれど、様変わりだなあ。

2025年4月23日水曜日

久々の与左衛門

午後から企業Webセミナーがあるのだが、それまでに時間をぬって上根来へ。

小雨の中、屋根の補修も終わって、ゲストハウスは今年も多くの人を受入れてくれるんだろう。

焚き火場のむこうにドラム缶風呂用のブロック設置。6月に入ると時間もできるので、また少しずつ充実させていきたい。
慌ただしく帰宅してカップ麺を掻き込んで、午後は企業セミナー。夜はお城祭り実行委員会。

2025年4月22日火曜日

とにかくカツ丼

帰ったら帰ったで忙しい。
午前中に警察協助員として署長挨拶。小浜署は毎年署長が替わるので、毎年挨拶に行くのだが、これっきり最後まで顔を合わせない署長もいる。まあそれでも心を込めて、年に数回しか着ない背広なんちゅうものを不似合いにも着込んで行ってくる。着慣れてないものは疲れる。

少々疲れて、やまと庵のカツ丼。私はとにかくカツ丼好きなのだが、ここのカツ丼はかなり好きだ。
午後は企業セミナー。さらにあろうことか夜は再び警察に行って協助員役員会。
でもまあ、何もすることがない一日を過ごすことに比べたら、自分が役に立つことがあるのはやりがいがあることだ。

2025年4月21日月曜日

自分の根っこ

朝、四谷から新宿に出て、山手線とか怖くて乗れないので、湘南新宿ラインの普通グリーンで大宮へ。そこから北陸新幹線で敦賀へ、そして小浜線で小浜へ。

田植えが終わった田んぼが広がる農村風景を見ると、ああ帰ってきたなあと安心する。

山は山桜のピンクが点々と、そして萌葱色の落葉樹がやさしい緑を見せてくれる。
いつもこうやってセミナー旅から帰ってくると、ああ自分の生きるところ、自分が生きていられるところはここなんだなと思う。
いろいろな所に行って、いろいろなものを見て、視野を広げられているのはそのとおりだし、それは本当にありがたいのだけれど、それでもどこにも行きたいとは思わない。自分の根っこは間違いなくここにあるのだ。

2025年4月20日日曜日

歌舞伎町にて

今日はSUKIYAKI塾東京筆記セミナー。四谷から新宿まで歩いて移動。

新宿到着。日曜日の朝は比較的静か。午前中は講義。

昼は歌舞伎町のラーメン屋で「歌舞伎町盛り」なるラーメンをいただく。何が歌舞伎町なのかよくわからないが、けっこう美味かった。

午後はフリーハンドなので、あちこちを除いて回ろうかとも思ったが、部屋のキャパシティがけっこうないので、施工計画科目の部屋でずっと内職していた。バイア講義中。

終了後はいつものように隣の「めだか」。例によって濃いメンバーで歌舞伎町の真ん中で記念撮影。

2025年4月19日土曜日

陽気の中を東京へ

技術士会中国本部の合格ガイダンスで2時間弱ほど講演。
終了後、合格者の方を交えて昼食の後、歩いて広島駅へ。

夏日かと思うくらいの陽気で、途中で T シャツ1枚になって歩いた。

広島駅からどこに連れて行かれるんだろうレベルの距離をバスに揺られて広島空港へ。夕闇の中を飛んで東京に到着。

ホテルが高くてなかなか取れないので、今日は四谷に泊まる。それでも結構な値段なんだが、部屋に洗濯機がある東急ステイの便利さは逃れられない。

ホテルの部屋から外を見たら何やらよくわからない建物があった。

2025年4月18日金曜日

そして広島へ

今日は移動日。新潟空港までまた歩こうかなとも思ったが、本当にかなり遠いので、さすがにやめてバスで新潟空港へ。

新潟には大学院の2年間いたのだが、ほとんど研究ばかりしていたので、飛行機から見下ろしてもどこがどこだかよくわからないのである。

伊丹空港から新大阪駅へ。とりあえず皇蘭のラーメンを食って新幹線で広島へ。

今日は青年技術士の皆さんと会食。少し時間があるので検索しつつ、平和祈念公園方面へ。もう暗くなってきたけれど、インバウンドを中心に結構人がいる。
青年技術士の皆さんと楽しく飲み食いして(本当に毎日飲み食いして)、ちゃんとした時間にホテルに戻った。

2025年4月17日木曜日

新潟で真面目に働く

 新潟市内で企業のセミナー。ホテルから4キロばかり歩いて行った。新潟の人はこの程度の距離を歩くのは驚きなようだ。新潟空港まで歩いて行った話をしたら、馬鹿じゃないの的な目で見られた。^⁠_⁠^;⁠)

余裕を持って出たら到着がちょっと早すぎたので、鳥屋野潟を眺めつつ添削。
夕方までセミナーの後、市内で懇親。毎日飲んでるな。でも今日は昨日ほどはじけないようにして、大人しくホテルに戻った。何と言っても毎日洗濯しないのといけないので。

2025年4月16日水曜日

新潟へ

午前中は大阪でゆっくりして、女房は帰宅し、私は2時前の飛行機で伊丹空港から新潟空港へ。

いつものように日本列島池で旋回して新潟へ。
天気が少々悪かったので新潟空港からホテルまで歩くのは断念してバスで。
夜、昔の友人と言っていいのかどうか、技術士会の青年技術士(元)の皆さんと久々に再会して深夜まで飲み食い騒いだ。

2025年4月15日火曜日

大阪で粉もん

 今日はオフ日。今朝まで徳島にいて、明日中に新潟に着けばいいので、一日空くけどどこに行こうかな(いったん帰宅することは考えない)と思っていたら、女房が「だったら大阪に粉もん食べに行こう」と意味不明なことを言うので、そうすることにした。

私は徳島から、女房は小浜から大阪へ。ちょっと早めに着いたので、久々の電気街方面へ。平日のこととてヲタロードも人はまばら。ACアダプタ購入。

千日前のウルトラマリンさんに教えてもらった美味い店でお好み焼きや
ネギ焼きを堪能して、一杯気分で道頓堀へ。相変わらずのごった返し状態で、明らかにインバウンドの方が多い。

グリコを見て満足してホテルに戻って心安らかに就寝。

2025年4月14日月曜日

セミナーツアー再開

 朝小浜を出て、大阪まで電車、阪急三番街からバスで徳島へ。

鳴門海峡大橋を渡って四国へ。時間的に綺麗な渦潮は見られなかった。ホテルに到着して、少しウロウロしてからセミナー会場へ。

18時から21時まで、徳島県技術士会主催の筆記試験対策セミナー。
皆さん真面目に聞いてくれてありがたい。

終了後、深夜まで懇親会。このお店のつくねが美味いんだ。
ホテルにチェックインして、もう日が変わろうという時間だから早々に寝るべきなのだが、洗濯しないといけない。定宿のホテルアストリアは地下の洗濯機と乾燥機が自由に使えるのでありがたいのだが、乾燥機の設定を間違えたのか一度失敗して、洗濯が終わったのが2時前だった。>⁠.⁠<

2025年4月13日日曜日

今日だけ小浜

 午後、小浜市の歴史と文化を守る市民の会の総会。
と言っても、少人数で形ばかりの総会をしたあと、歴史文化講演。大学の先生はともかく、西組で活躍している若手の M 君の公園は実に頼もしかった。

帰宅するとニャンズがリビングのカーペットの上で仲良くぬくぬく。年に数回しか着ないネクタイ背広なものだから「誰ニャ?」という顔をしている。
夜はZoom面談。16日が出願期限なのだが…^⁠_⁠^;⁠)
慌ただしく、明日からの準備をして就寝。本当に今日だけのために一旦帰ってきたのだ。土曜日に松山から帰ってきて、月曜日にまた徳島に行くという、もう笑うしかない日程である。

2025年4月12日土曜日

しゅっと帰ってくる

SUKIYAKI塾四国の筆記試験対策センター。
受講生が少ないこともあって、午後のすごく早い時間に終了し、こんな時間から大の大人が飲んでいていいのかという時間から懇親会。そしてまだ夕方だというのにそれを抜けてタクシーで一路松山空港へ。
保安検査場を通り、なんと待合室でZoom面談。出願期限が迫る中、きっとこういうこともあるだろうなと思ったら本当にあった。
けっこうヘトヘト状態で伊丹空港行きの飛行機に搭乗。

夜、伊丹空港に到着。すぐにモノレールと北急を乗り継ぎ、サンダーバードで敦賀へ、そして小浜線の終電で小浜に帰着。いやあ、疲れた。

同日、東京では総監クラブの合宿。3年目だが、私は1年目に参加したきりだ。だって、私が参加不可能な日程ばかり決めるんだもん。ToT

2025年4月11日金曜日

ゆったり松山

再び旅に出る。でも今回は1泊2日である。しゅっと行ってしゅっと帰ってくる。なぜかというと、日曜日に絶対小浜にいなければならないからである。それを伝えてあるのに土曜日に四国で講義しろというSUKIYAKI塾全国大会での非情な決定なのである。ToT

とにかく敦賀でサンダーバードに乗る。無人君。それでも発車時刻には何人か乗ってきた。
新大阪で降りて北急からモノレールを乗り継いで伊丹空港へ。

今日はプロペラ機で松山へ飛ぶ。JRで行こうものなら、とてつもなく時間がかかるのですよ。

ぶおーんとプロペラ機らしい音の中で離陸して、神戸上空から愛媛にまっしぐら。
1時間も飛ばずに着陸。バスで松山市駅へ。今日は市駅ビルのホテルである。

たまたま高層階の部屋だったので下を見れば、市駅前はリニューアル中のようだ。市電の使い勝手を良くするようだな。

ともあれ、ありがたいことに時間に余裕があるので、添削しつつ陽光を楽しみつつ松山城の二の丸公園方面へ。体を動かしている人やギターなどつまびいている人など、思い思いの時間を過ごす空間があって、気持ちが満たされていくなあ。

見上げれば、松山城が山の上にある。すらりと高いお城ではなく、ずんぐりとした無骨なお城で、これはこれで私は好きである。

金曜日夕方の大街道はそこそこに賑わっている。近くの割烹的居酒屋で前夜祭。気持ち良く寄ってホテルに戻り、いつものように洗濯と風呂メニューをこなして、けっこう深夜に就寝。

2025年4月10日木曜日

久々に現場で

自宅で寝覚めて自宅で眠るのは今日だけなのだが、それをはるか越前国で過ごす羽目になった。会社の仕事の関係で打合せが入ったのだ。

いやあ、この写真を改めて見たとき、上根来以外のどこでもないだろうと思っちゃったぞ。
とある希少鳥類が生息というか繁殖しているらしい現場である。
帰宅して今日もZoom。出願期限直前だから駆け込みが多い。だったら1月からしっかりやれよとも思うが、考えてみれば自分自身も受験生だった頃はもっとひどかったから「どの口が言うんだ」という声が自分の中で聞こえてくるのだ。^^;

2025年4月9日水曜日

帰宅してからが忙しい

久々に帰宅である。朝の新幹線で敦賀経由で自宅へ。昼前に到着して上根来に直行して与左衛門の片付けをして、お通夜に出て(我々の仲人さんがお亡くなりになった)、夜はZoom面談。やっぱりというか、帰宅してからのほうが忙しい。

ニャンズが迎えてくれた。今日はなぜか仲良くシンクロ行動。
帰宅はしたものの、自宅で寝るのは2日だけで、今日と明日であれこれこなして、また旅である。

2025年4月8日火曜日

富山日帰り

今日は富山へ。金沢から富山まで新幹線で20分ほどなので、わざわざホテルを取るまでもなく、金沢の東急ステイに連泊して洗濯の便利さをキープしつつ富山日帰り。実にグッドアイデアである。

午後からの講義なので時間がたっぷりある。朝、今日も金沢裏路地を楽しみつつ駅へ。富山まで20分程度のために指定席など取るものか、自由席にゆうゆうと座って富山へ。つるぎは富山が終着だから寝ていても大丈夫なのだ。
午後、富山で企業セミナー。終了後食事会。それまでの隙間時間にお土産を買って送って、我ながら時間をむだにしないのに感心する。^^;
良い気分で酔っ払って金沢へ。今日もホテルまで歩くなんて到底無理で、タクシーでホテルに戻って、それでもプチ長風呂して寝たのでありました。

2025年4月7日月曜日

金沢裏路地

今日は金沢で土木学会のセミナー。午後からなのでホテルで遅くまでデスクワークをして、さらに添削しつつのんびりと裏路地を通って駅前へ。

金沢ってこういうところがあちこちにあるから好きだ。
ついでに駅前のモンベルに立ち寄ってあれこれ購入。トラベラーズジャケットも購入した。
午後、講義を終えてホテルへ戻り、再び部屋飲み。春休み中の金沢でどこかの店にふらりと立ち寄って飲むなどできないので、これでいいのだ。

2025年4月6日日曜日

倉吉満喫

ゆっくり起きてホテル飯を食べて会場へ。まっすぐ行けば2kmほどなのだが、わざと大回りして4kmほど歩く。もちろん添削しながら。

天神川を渡る。気持ちのいいちょっと冷たい空気の中、広々とした光景を楽しみつつ、好きな音楽を聴きつつ、運動もできて添削も進むという、実に充実した時間。

目を遣れば雪を頂いた大山が見える。いい時間だ。
今日も10時から3時半まで講義して、倉吉駅から「スーパーはくと」に乗車。

ここではいつも酒とつまみを買って、酔っ払いながら鉄路を楽しむ。この時間のために昨日と今日、歩きながらがんばって添削したのだ。
京都でサンダーバードに乗り換え、敦賀でつるぎに乗り換えて金沢へ。これ、2週間前に大阪セミナーのあと金沢へ移動したときとまったく同じ電車だ…^^;
金沢駅に到着し、2週間前と同じくホテルまで歩く気力がなくなりタクシーでホテルへ。
それでも長風呂して寝ましたとさ。

2025年4月5日土曜日

母校を通って

松江市で講義。ホテルから会場まで4kmほどを歩いて。みんなに驚かれるが、4kmって大したことないんだけどな。

島根大学の中を通って行く。懐かしの理学部棟の前には新入生勧誘の看板が並んでいる。一瞬ここに入学した1979年春に戻ったような錯覚を覚える。まったくもって思い出だらけの松江はヤバい。
昼を挟んで3時半ごろまで講義して、今度はさすがに歩いていると電車に間に合わなくなるので車で松江駅まで送ってもらった。

「スーパーおき」で倉吉へ。今回は手間天神社がしっかり撮影できた。
倉吉駅に着いて、まっすぐホテルへ。ホテルの近くの王将でビールと中華にするか、コンビニで酒と食い物を買ってホテルで夕食とするか悩んだが、部屋飯を選択。添削やらいろんなデスクワークをやりつつ洗濯してもう何もしなくていい状態にしてから、スマホでマンガやら動画やらをグダグダとみながら長風呂して、そのあと思いっきり飲むのが、最近中毒的に好きになってきた。

2025年4月4日金曜日

やはり松江は別格

ゆっくりチェックアウトして伊丹空港へ。11時過ぎの飛行機で出雲空港へ。

着陸態勢に入って、窓の下には大根島が見えた。やっぱり島根は第二の故郷だから、何度来ても食い入るように見てしまう。

松江城や嫁が島が見える。予定通り出雲空港に到着してバスで松江へ。

ここへ来たらこれを食べないと始まらない。三色割り子そば。出雲そばは私が一番好きなそばだ。

ホテルにチェックインしたけれど、いい天気なので外に出られずにいられない。満開の桜と松江城。
学生時代に松江城に何度来たかなとと思うと、多分数えるほどのような気がする。いつでも来れると思っていたのか、他のことにもっと興味があったのか。とにかく今思うともったいなかった。

一旦ホテルに戻り、夕方を狙って宍道湖畔へ。嫁が島の夕焼け。これこそ学生時代に見た記憶があまりない。返す返すもったいない。

松江の人はこんな光景が身近にあって、ふらりと見に行けるって、本当に素晴らしいところに住んでいるんだな。いくらでも見ていられるが、夕食会の時間が迫っているので駅前に戻って島根県技術士会の皆さんと食事。

さんちゃんと。お互い髪が白くなって年取ったね。会話もどこが悪いとかどんな薬とか。^⁠_⁠^;⁠)
もう一度同窓会したいなあ。