2024年5月31日金曜日

パリピは辛いものが好き

今日から2泊で名古屋へ。午後の便でのんびりと。

そしてワンパターンになってきた前夜祭は味仙矢場店。ここの台湾ラーメンは他の店と比べて段違いに辛い。ノーマルでもイタリアン並みである。

果敢に挑戦するともとも・クレヨンの2人。ちなみに2人ともいつのはアメリカンである。

お約束。この芸を披露するためだけに職場でも自宅でもない名古屋にわざわざ来てくれるクレヨンさん。きっといい人なんだ。

逆にこいつはどこかおかしい。私も以前は食べられたのだが、最近は普通に涙が出てくる。

うさを晴らすようにカラオケで歌うともとも会長。東京都といい仙台といい名古屋といい、最近のSUKIYAKI塾、何か変わったぞ。パリピばかりになってきたのか?

2024年5月30日木曜日

ちょっと退屈

今日もいい天気で海岸通りを徘徊添削。

雨のあとはいつもこうだが、カヤが海岸にどっさり。浜のほうからは強い磯の香り。私はこの香りは何ともないのだが、苦手な人はダメだろうな。
3日ほどを家で仕事をしているわけだが、セミナー旅が続いた後は刺激が少なく退屈に感じてしまう。

2024年5月29日水曜日

仕事はかどる

今日ものんびりデスクワーク。しかし天気が良くなったので、ついつい誘われて外へ出る。

北川は濁って流れが速い。こういう時は獲物が取りやすいのか、サギがずいぶん深いところまで歩いていった。

夕方、今度は浜へ出てみる。実にいい天気で、T シャツでも何とかなるんじゃないかという感じ。
歩きながら添削して、帰宅して整理して送信。音楽を聴きながら体を動かしながら風景を楽しみながら仕事も進むという、目下のところ一番いい仕事スタイル。

2024年5月28日火曜日

雨漏り

今日は夜にコミュニティ協議会の総会があるだけで、あとはずっとデスクワーク。
雨足が強いなあと思ってたら、なんと仕事部屋の天窓から雨漏り。急いで業者さんに来てもらったが、どうも経年劣化で窓枠のところから浸水しているようだ。築20年を過ぎたんだから、こういうこともあるか。
20年働いてもなかなか部品がない。天窓を塞いで屋根にしてしまうとさすがに暗くなるので、新しい天窓をつけることにした。

最近、寝る前に少し仕事をしていると鈴がやってきて甘えるようになった。そのうちこうして膝の上で寝てしまう。かわいいもんだ。

2024年5月27日月曜日

広くなった福井駅

普通のやまちゃんの会社に講義に行くことになった。日帰りである。

新幹線開通後の福井駅に行くのは初めて。こんなにコンコース広かったかなと思った。
駅前のティラノサウルスも完成していたが、まちの中は色々なものがまだ未完成。こうしてみると、やはり金沢は大したものだ。成功しているところには成功する理由がちゃんとある。
講義の後、Umeちゃんも加わって屋台的な一角で飲み会。予定通りの新幹線で帰路についたが、福井から敦賀まで17分。平日ということがあってか、自由席はガラガラであった。

2024年5月26日日曜日

10日ぶりかな

仙台空港11時過ぎの便で伊丹空港へ。伊丹空港から電車を乗り継いで小浜へ。

これでSUKIYAKI塾筆記試験セミナーも名古屋と沖縄を残すのみとなった。疲れが出たのか、飛行機の中では爆睡。
帰宅後も早々に寝てしまったので写真なし。
九州ツアーのあと一旦帰宅して、東北ツアーの予定がおじさんの告別式は間に入って連続になったため、10日ぶりの我が家である。

2024年5月25日土曜日

仙台狂乱

SUKIYAKI塾東北の筆記試験セミナー。

ずらりと並んだ講師陣。新しく講師になってくれた人も何人かいて嬉しい限り。北海道からたずへいさん、名古屋からともともさんが派遣講師として参戦してくれた。

終了後、懇親会。その後、なにの間違いか昨夜の画鋲にまた行って、さらになんの呪いか2夜連続のカラオケ。私の画鋲席に座って、止めるのも聞かず歌いまくる某名古屋会長。

もう一人の派遣講師・たずへい天下人の会会長は、Qちゃんに支えられて夜のしじまに消えていった。

そして仙台の〆はこれである。ミラクルbakuの海苔ラーメン。お腹いっぱいだあ。

2024年5月24日金曜日

画鋲

五所川原の朝、ひんやりした空気が気持ちいいので、近くの川まで徘徊添削。

急に雨が降ってきたので慌ててホテルに戻り、高山さんの車で青森へ。車中、五所川原の明日を担う2人の若手受験生にレクチャー。そうだろうなとは思っていたが、1時間程度のレクチャーではなかなか伝わらない。でもなんとか頑張って欲しい。
あおもり技塾のセミナーは、10時から一般部門、昼ご飯を挟んで13時から総監の講義。
終了後は懇親会なし。新青森駅まで送っていただいて一路仙台へ。

bakuさん、NHさんに連れられて行った先は文化横丁。ディープだ。そしてディープなお店には久々のQちゃんがいた。彼もなんとも謎だなあ。(⁠^⁠^⁠)

年齢を忘れさせるようなオードブル的なものをいただきつつ、ジャイアン、ぴっぴさんも合流して、途中からカラオケが始まった。
ソファーに座っていたらケツのあたりをチクリと何かが刺すではないか。むむ?と思ったらなんと画鋲。というかカーペットクリーニング用のピン。客席に入ってはいけないものであるが、ママ曰く、泥棒に入られたのでソファにピンを巻いておいたのだが取り忘れたとか。謎の上に謎だ。
この時からこの店の名前は「画鋲」になった。

2024年5月23日木曜日

津軽はディープ

今日は本来は小浜から青森まで行くつもりだったので、この出発地が池袋になったらやたらと近くなる。
ということで昼前に池袋を出て大宮でのんびりして東北新幹線で新青森へ。

そして新青森から奥羽本線を経てリゾートしら上に乗って五能線で五所川原へ。うーん、ディープだ。

ここ数年いつも前夜祭をしている釣吉で何やらすごいものが出てきた。よくわからないのだが、還暦だか何だかの記念に仕込んだどぶろくが、ものすごい乳酸発酵臭がする固形物になりつつあるものを飲むらしい。これはこれでうまいのだけれどね。

そしてまたもやホヤの刺身。このお店はいつも美味しい。でもいつもよくしていただいているのに応えられていない自分が申し訳ない。今年は少しでも力になろうと決めた。

2024年5月22日水曜日

久々の一人居酒屋

おじさんの告別式に参列し、懐かしい方々との時を過ごして夕方ホテルに戻った。
今日は1人居酒屋をしたくなったので、池袋西口近くにある沖縄料理の店へ。

とにかく私は沖縄料理が肌にあって、全国どこで食べても美味しいと思える。

チャンプルーの中ではフーチャンプルーとこのソーメンチャンプルーのどちらかが一番好きだな。

しめは沖縄そばなのだが、これ多分袋麺だ。いつも沖縄で買って帰るから麺のちぢれ具合や弾力、そしてスープの味がそっくりだ。おそらくこれに真空パックの3枚肉を入れたのだろう。
うーんと思いつつも、まあそれでも好きな味なので幸せであった。
でもやっぱり次は代田橋だな。

2024年5月21日火曜日

急遽池袋へ

本当は今日、新幹線を乗り継いで一旦帰宅する予定だったのだが、横浜のおじさんがお亡くなりになったため、急遽飛行機で東京に行くことになった。

今時の飛行機は便利だね。機種に搭載したカメラで風景を眺めつつ、足元の電源につないで仕事ができる。

池袋に到着。告別式の会場が二俣川駅に近いので、一本で行けて、なおかつホテルの部屋で洗濯ができる東急ステイのある池袋を選んだのである。我ながらやるじゃないか。

2024年5月20日月曜日

干潟

今日は熊本で企業の講義。会場が玉名市なもんだから、とりあえず熊本駅まで行ってJR で移動しようと思っていたら、ちゃんとロードKが車で連れて行ってくれた。本当にありがたい。

玉名市まで行く途中で海岸沿いを走ったのだが、干潟が広がっていた。仕方がなく、潮干狩りなどというものを経験もしていない日本海側の人間にはこういうものは本当に珍しい。

玉名市では、わざとこうしているのかなと思うほどの、アスファルトがここまで削れるものかという道路の見せてもらって、色々な意味で勉強になった。^⁠_⁠^
そしてこれが本当の豚骨なんだなと思うラーメンも食べさせてもらって、本当に感謝である。
セミナーの後の飲み会などでは表面的な話しかできない中で、今日は本当に嬉しかった。ありがとうございました。

2024年5月19日日曜日

赤いまちへ

朝7時過ぎの新幹線で広島へ。SUKIYAKI塾広島の筆記セミナーである。

日曜日でデーゲームがあるということで広島駅の周りはやたらと赤い。広島の広島たる所以である。
1日セミナーをやって広島駅近くで打ち上げ。そして終わった後、また新幹線で博多へ戻った。
宿を替えるよりもこのほうが効率がいいのだ。だって明日は熊本だから、どうせ行ったり来たりするんだもん。

2024年5月18日土曜日

今日から三連チャン

恐ろしいことに朝6時30分の特急で博多へ向かう。小倉で瑞穂に乗り換えて、博多駅に着いたらすぐに地下鉄でSUKIYAKI塾博多セミナー会場がある藤崎まで突っ走る。

朝飯を食っている暇などもちろんない。そういう身の上を昨夜話したら、居酒屋の女将さんが哀れに思ってくれて、おにぎりを2つくれた。なんだかなあ^⁠_⁠^;⁠)

眠いけど頑張って講義をして、ありがたいことに、今回は総監受講生がいないということなので午後は個別指導に混ぜてもらって、懇親会の後ホテルへ。
実は今日からこの東急ステイ博多に三泊する。一泊目の今日はSUKIYAKI塾博多セミナー。

2024年5月17日金曜日

同級生を探せ

いつもの9時半の電車で敦賀へ。スタスタ歩いても自分の乗る号車にたどり着けないほどの慌ただしい。乗り換えで京都へ。そしてのぞみで小倉へ。
定番となったシンカンセンスゴクカタイアイスをコーヒーとともにいただきつつ小倉に向かい、ここでソニックに乗り換えて大分へ。

大分駅ではムラりんさんが出迎えてくれて、わがままを言ってだんご汁。結局私にとって大分は何と言ってもこれだ。

平日の夜にセミナーをするのは申し訳ないのだけれど、終わってから懇親会。
ここで問題です。
この中に私の大学時代の同級生がいます。誰でしょう。

2024年5月16日木曜日

ご利用の皆さんへ感謝

GWから今日の午前中まで、上根来・与左衛門は結構な人気だった。あこちゃんにヘルプをお願いしたりもしていたけれど、とにかく片付けに行かなければならない。午前中、雲浜コミュニティセンターでの用事を済ませてすぐに上根来へ。

5月の陽光の中、与左衛門は静かに佇んでいた。ありがたいことに利用者皆さんはこのゲストハウスを大事に思ってくださって、掃除する必要もないほどに綺麗に使ってもらっている。
さて、我が家に三泊した後、明日は九州への旅である。

2024年5月15日水曜日

緑のモザイク

久々の我が家、やはり体になじんだベッド、ちょっとびっくりするくらいの時間まで朝寝ていた。
しかし、5月はハイシーズン。何もせずにのんびり過ごせる日などない。午後、Zoomでの企業セミナー。

終わって夕方やれやれと浜に出たら、5月ならではの新緑と深緑のモザイク模様の山があった。
私はこの時期の緑のモザイクが一番好きだ。

2024年5月14日火曜日

いい天気の中を帰宅

北海道ツアーを経て帰路に着く。バスで釧路空港まで行き、10時過ぎの便で。離陸。

釧路空港から飛行機に乗るとこの景色が見られるのが大好きだ。釧路湿原には結構中途半端に3〜4回ほど来ていると思うのだが、一度ゆったり来たいな。

飛行機が旋回すると、眼下に絵に描いたような河口閉塞の風景が広がる。どうやら阿寒川のようだが、特に右岸側にずっと細長く沼のような形で広がっているのがすごいね。

羽田空港トランジットで小松空港へ。今日はとにかくいい天気で、富嶽三十六景のような雪の模様の富士山も間近に見えた。

小松空港から北陸新幹線で敦賀へ。なんだか妙に使いにくくなったホームを延々と歩いて小浜線で帰宅。ああ疲れたなと風呂上がりにぼんやりしていたら?、鈴が慰めに来てくれた。

2024年5月13日月曜日

泉屋とかど屋

朝9時のおおぞらで釧路へ。

この光景ですよ。これこれ。今日はまた一段とスモーキーな釧路だな。

昼食は定番の泉屋のスパカツ。気のせいか、今日はこれまでで一番お腹が楽だった。

外へ出てみれば霧の街・釧路。とにかくこの町は涼しい。というか今日は肌寒い。

講義の後は無理に早めに店を開けてもらって懇親会。久々に生のホヤ。嬉しさのあまり手が震えた。

そして釧路では泉谷と並ぶ定番のここ、かど屋。つぶ焼きとラーメンしかない店だが、いつも繁盛している。

ズラリと並んだつぶ焼きが圧巻である。道具は金網とトング(先代はペンチであった)、そしておそらく秘伝であろうタレのみ。

使い込んだ木のまな板皿に、つぶが安定して乗るように少しくぼみがつけてある。このつぶ貝を上手に取り出すのが難しい。今回は屈辱の成功率40%であった。

そして〆はこの真っ黒のラーメン。うまいのかと言われるとよくわからないのだが、釧路の〆といえばこれなのであるよ。

2024年5月12日日曜日

帯広はやはり豚丼

いつもはホテルの朝食は食べないのだが、今回は何かを間違ったのか?朝食付きプランであった。

スープカレーにカツゲン。北海道の朝食であと何が必要と言うのだろうか。

特急おおぞらで帯広へ。到着するやいなや豚丼。帯広はやはりこれだ。

講義の後はOPさん、ヴォルクさんと打ち上げ。最後によくわからないそばを食ったような記憶がある。