添削しながら久々の徘徊。麦が大きく育っていた。
2024年4月29日月曜日
2024年4月28日日曜日
なんとかギリギリ帰宅
SUKIYAKI塾四国の筆記試験セミナー。眠いのである。
伊丹空港からギリギリのタイミングで新大阪駅へ移動して敦賀駅までたどり着き、女房に迎えに来てもらって、何とか我が家に帰り着いた。
2024年4月27日土曜日
さらに松山へ
朝から新大阪でSUKIYAKI塾大阪筆記セミナー。
昨夜新大阪について本町まで行ってホテルで寝て、朝また新大阪に出てくる。だったら新大阪に泊まれば段取りがいいのだが、やはり部屋に洗濯機があるという楽を覚えてしまうと、少々時間をかけても、またホテル代が少々高くても構わないという気持ちになるものだ。
そこからもう歩く元気などありはしないので、タクシーで松山市駅へ。最近時々泊まるレフ松山市駅に投宿。ここは部屋に洗濯機はないのだが、ランドリーの台数が多いのと、運がいいとドラム式洗濯機を使えるので気に入っている。
とにかく洗濯機に一式を放り込んで風呂に入り、ゴソゴソとデスクワークをして眠いのを我慢して時間を過ごし、ようやく洗濯が終わったのでばたりと寝た。
2024年4月26日金曜日
慌ただしく大阪へ
午前中はゆっくり添削をしたり散策をしたりして過ごし、午後は道路公社の講義。
夕方終了後すぐに新宿駅から品川へ。
新大阪に到着して御堂筋線で本町へ。いつもの東急ステイに投宿。もう22時である。
とにかく部屋の洗濯機に一式放り込んで、風呂に入りながら電子ブックを読みながらしばしの憩い。
風呂上がりにチューハイいっぱい飲んで、ストンと寝ました。
2024年4月25日木曜日
佐渡といえば人形
11時過ぎのジェットフォイルで新潟へ戻るので、もう少し観光できるよね。ということで、天気も回復したことだし、昨夜の北沢浮遊選鉱場へ。
こういう産業遺産は結構見飽きないものだ。ともかく、江戸時代にこんな細かい作業ができていたのかという物理的・化学的手法を駆使して高純度の金を算出していたことには感動した。
両津港へ向かい。予定通りの時間にレンタカーを返して、再びジェットフォイルで新潟へ。小浜へ帰る女房と別れ、上越新幹線で東京へ向かう。大宮で下車して湘南新宿ラインで新宿へ。
2024年4月24日水曜日
佐渡へ佐渡へと
今日から一泊二日で佐渡島。このためにわざわざ小浜から出てくる女房と新潟駅で合流。
新潟港からジェットフォイルで1時間ほどと近いのだ。両津港の近くでレンタカーを借りて周遊スタート。
しかし実は雨が本降りで早々にバスに戻ってホテルへ。ゆっくりと温泉を堪能して、今日は本当にぐっすりと寝た。
2024年4月23日火曜日
幻の麻婆ラーメン
今日は新潟で企業セミナー。ホテルから鳥屋野潟近くまで1時間弱ほど添削しつつ徒歩移動。
午前午後と企業セミナーの後、また徒歩でホテルへ。
昨日の飲み会で、新潟には麻婆ラーメンというものがあると聞いたので、ネットで調べて麻婆ラーメンがメニューにある店に入った…つもりだったのだが、麻婆豆腐はあるが、麻婆ラーメンはないという。改めてGoogle マップの記事を読むと、どうもランチタイムのみやっているようだ。
その代わり麻婆豆腐は大変うまかった。うまかったのだが、麻婆ラーメンが幻の終わったのは悔しい。次回は是非リベンジを。
2024年4月22日月曜日
2024年4月21日日曜日
Monkeyの誓い
SUKIYAKI塾東京筆記試験セミナー。しかし、いつものようにセミナー時間注文を写真など一枚もなく、ドラマはいきなり懇親会から始まる。
この後SUKIYAKI塾東京始まって以来のカラオケに行ったら、突然サンプラザ中野が現れて持ち歌を歌い出した。かつてのSUKIYAKI塾東北全国大会前夜祭の国分町でのカラオケ弾けまくり事件以来の盛り上がりであった。
いやもうあなた、ホテルに帰り着いた頃には脱力していましたよ。
2024年4月20日土曜日
広島たる所以
今日から1週間ちょっとの旅。そわそわしてワクワクするのは、まだ若いということかな?
まずは広島。広島駅を出たら赤い上着の方々が大勢マツダスタジアムの方に歩いて行った。そういうところなのである。
広島から一直線で東京へ。いつもの東急ステイが開いていなかったので、五反田の東急ステイに投宿。
2024年4月19日金曜日
2024年4月18日木曜日
2024年4月17日水曜日
ディープ大阪
1週間ぶりに電車に乗って、大阪へ一泊二日の短い旅。
セミナー終了後、ウルトラマリンさんに連れられて動物園前駅で降りて、そこから南の方にアーケード街に入った。ディープな空間である。ここで実はウルトラマリンさんがぼうずさん並みに「持っている」人だということを再確認。行く店行く店閉まっているのである。
それでも最後はよくわからない居酒屋カラオケで楽しい時間を過ごして、やっぱりミナミの〆はここでしょうと金龍ラーメンへ。
フラフラと道頓堀から本町まで歩いて帰って、いつものホテルで洗濯しつつ風呂に入って、幸せな夜を過ごしたのでありました。
2024年4月16日火曜日
若狭の語り部30周年
「若狭の語り部]の30周年記念。私のようなものもご招待いただいたので、ノコノコと行ってきた。
私が小浜の外でやるべきことをやり尽くしたら、こういう方々の仲間になりたいなと思っているのだが、外でやるべきことをやり尽くしたと自分で思える時が来たとしたら、その時はきっとこの方々のような仕事ができる脳みそではなくなっているだろうなとも思う。やっぱり人間はあれもこれもと欲深いことを考えてはいけないのだ。