今年最後のRCCM講義のため、福井市へ。最後は地元で、というわけではないのだけれど。
福井へ来たらやっぱり越前そばを食べねば、というので昼食は越前おろしそば。
福井駅西口はここ数年で整備が進み、こんな広場もできている。「ハピリン」という大きなビルの庇がぐんとせり出し、その下が広場になっているのだ。自由に座れるテーブルと椅子があって、平日の昼間ということもあって思い思いに市民が過ごしていた。
RCCMの講義は明日なのだが、今日はボランティア作文コンクールの審査があって、県ボランティアセンター委員として参加せねばならない。というか、この用事と明日の講義がたまたま連日予定になったので、福井に泊まることにしたのだが。
審査会を終えて、のんびり足羽川の遊歩道を歩いて福井駅まで戻った。もちろん添削しながらである。平日の昼間だけにほとんど誰も通らず、実に気分良く歩いて添削ができた。
福井駅に戻ると、新幹線高架橋の建設で活況を呈していた。敦賀駅でも同じような光景が見られるが、やはりこういう大規模工事があちこちで進んでいると活気がある。
ホテルの1階にある居酒屋で夕食。本当はUmさんやおつさんなんかを誘って飲もうかな~とも思ったのだが、今回は宿泊決定が直前だったのでやめた。
福井は実は三国らっきょうが特産品で、これがビールにけっこう合う。
ちょっとばかり飲み過ぎたか、久々にその日のうちに寝た。
2019年9月29日日曜日
海風に抱かれた一日でした
地区民(校下民)体育祭であった。木曜日ごろまでは、まずもって雨で中止になるだろうとたかをくくっていたのだが、予想外の好天、それも残暑厳しく開会式だけで汗だくになってしまうような好天であった。
会場は我が母校・雲浜小学校グラウンドで、海のすぐそばにある。護岸の上に登れば、そこは海、気持ちのいい海風と波の音が体を包む。
護岸の上に寝転べば、松並木が木陰を作ってくれて、海風が涼しく心地よい。ついウトウトしてしまった。
終了後、区会館前でBBQ。心ゆくまで飲み食いし、気持ちよく帰宅。
まだ時間が早いので、酔い覚ましをかねて浜まで散歩し、お気に入りのブロックに腰掛けて、漁り火と波の音を楽しみつつ少し口述添削。
今日はいい日だった。
会場は我が母校・雲浜小学校グラウンドで、海のすぐそばにある。護岸の上に登れば、そこは海、気持ちのいい海風と波の音が体を包む。
護岸の上に寝転べば、松並木が木陰を作ってくれて、海風が涼しく心地よい。ついウトウトしてしまった。
終了後、区会館前でBBQ。心ゆくまで飲み食いし、気持ちよく帰宅。
まだ時間が早いので、酔い覚ましをかねて浜まで散歩し、お気に入りのブロックに腰掛けて、漁り火と波の音を楽しみつつ少し口述添削。
今日はいい日だった。
2019年9月28日土曜日
日没の海
雨が降るかと思ったら、曇り空で過ごしやすいいい土曜日になった。
夕方、また徘徊口述添削でもすべえと浜に出てみた。ちょうど日没前であった。
ここから中学校のほうへ300mくらい、逆の西津漁港のほうへ600mくらい、合計1kmくらい波返し護岸の水叩き部分が歩道のようになっている。中学生のころは、部活の練習開始前にここを往復走るのが日課だった。2kmほどあるから、中学生になったばかりのころは途中で歩かずに走り通すだけで精一杯だったけれど、1年ほどで中距離走的な走りができるようになった。この道は、私の体を作ってくれた道だという思いはある。今、年間100日ほどのツアーができるのも、中学生のころ体を作ったからだと信じている。
中学校のあたりまで添削をしながら歩いてきてふと見ると、いつの間にか雲の間から夕日がのぞいていた。
さらに折り返して1km、西津漁港の近くまで来ると、ちょうど日没間近だったので、浜にあるお気に入りのブロックのところに行った。ここに腰掛けて日没を見ながら添削するのである。これって贅沢じゃないかな?
今日はちょうど大島の真ん中に日が落ちた。
私は日没も日の出も好きだが、宵っ張りなので日の出はほとんどみたことがない。もしかすると早起きして見たことより徹夜明けで見たこともほうが多いかもしれないくらいだ。
それはともかく、日の出や日没を見守るって気持ちがいいよね。
上の写真はちょっとズームしているけど、実際の光景はこんな感じ。日没に伴って刻々様子を変えていく海を見ているのである。これも贅沢だと思うよ。
日没を見守り、600mほど歩いて自宅への帰路の手前まで戻ってきた。
これからだんだん夕焼けが夜に飲み込まれていくのだ。そしてその様子が海に写されて、波がいろんな色に変化しながらきらめくのである。この様子をずっと見守るのが好きで、この波返しにずっと座っていることがよくあった。このトシになってくると、回りの住民の皆さんに心配されるような気もするのでそれはしないが、それでも波返しに寄りかかって、10分ほども海を見ていた。
夕方、また徘徊口述添削でもすべえと浜に出てみた。ちょうど日没前であった。
ここから中学校のほうへ300mくらい、逆の西津漁港のほうへ600mくらい、合計1kmくらい波返し護岸の水叩き部分が歩道のようになっている。中学生のころは、部活の練習開始前にここを往復走るのが日課だった。2kmほどあるから、中学生になったばかりのころは途中で歩かずに走り通すだけで精一杯だったけれど、1年ほどで中距離走的な走りができるようになった。この道は、私の体を作ってくれた道だという思いはある。今、年間100日ほどのツアーができるのも、中学生のころ体を作ったからだと信じている。
中学校のあたりまで添削をしながら歩いてきてふと見ると、いつの間にか雲の間から夕日がのぞいていた。
さらに折り返して1km、西津漁港の近くまで来ると、ちょうど日没間近だったので、浜にあるお気に入りのブロックのところに行った。ここに腰掛けて日没を見ながら添削するのである。これって贅沢じゃないかな?
今日はちょうど大島の真ん中に日が落ちた。
私は日没も日の出も好きだが、宵っ張りなので日の出はほとんどみたことがない。もしかすると早起きして見たことより徹夜明けで見たこともほうが多いかもしれないくらいだ。
それはともかく、日の出や日没を見守るって気持ちがいいよね。
上の写真はちょっとズームしているけど、実際の光景はこんな感じ。日没に伴って刻々様子を変えていく海を見ているのである。これも贅沢だと思うよ。
日没を見守り、600mほど歩いて自宅への帰路の手前まで戻ってきた。
これからだんだん夕焼けが夜に飲み込まれていくのだ。そしてその様子が海に写されて、波がいろんな色に変化しながらきらめくのである。この様子をずっと見守るのが好きで、この波返しにずっと座っていることがよくあった。このトシになってくると、回りの住民の皆さんに心配されるような気もするのでそれはしないが、それでも波返しに寄りかかって、10分ほども海を見ていた。
2019年9月27日金曜日
たまには騒ぐ
午後から市役所以来のお役目で、宝くじ補助申請の審査会。
同じ市内のよく見知った人たちを相手に審査をするって、けっこうキツイものがあって、かつては人間関係に発展しそうになったこともあった。まあ、そういうことを気にしないのが私の強みなのかもしれないが。
終了後、なかの君と飲みに。一昨日行ったところだが、楽しいからいいのだ。
久々に駅前の「和さび」に行った。対象が丁寧に焼いてくれた鮎が実に美味かった。
杯を重ねるうちに調子が出てきて、我が家に戻って楽器部屋でわいわいやっていたら、さらに本格的に騒ぎたくなってきたので、コーイチロー君に連絡して、彼がやっているスタジオに乱入(駅前「歌姫」の2階です)。3人でビートルズとフォークソングを中心に、日付が変るまで大騒ぎしました。わはは。
帰宅後、風呂にも入らず寝ましたとさ。^o^;
同じ市内のよく見知った人たちを相手に審査をするって、けっこうキツイものがあって、かつては人間関係に発展しそうになったこともあった。まあ、そういうことを気にしないのが私の強みなのかもしれないが。
終了後、なかの君と飲みに。一昨日行ったところだが、楽しいからいいのだ。
久々に駅前の「和さび」に行った。対象が丁寧に焼いてくれた鮎が実に美味かった。
杯を重ねるうちに調子が出てきて、我が家に戻って楽器部屋でわいわいやっていたら、さらに本格的に騒ぎたくなってきたので、コーイチロー君に連絡して、彼がやっているスタジオに乱入(駅前「歌姫」の2階です)。3人でビートルズとフォークソングを中心に、日付が変るまで大騒ぎしました。わはは。
帰宅後、風呂にも入らず寝ましたとさ。^o^;
2019年9月26日木曜日
徘徊ルート
徘徊口述添削(笑)をするには、あまり人通りの多くない道がいい。
ということで、最近のお気に入りは、多田川沿いの歩道(自転車道らしい)である。
1kmほどの距離だが、車は通れないので安心、すれ違う人はいても1人か2人。道沿いには民家はなく、線形は直線に近いので、心置きなく口述添削ができる。
歩いて往復すると2km程度だが、時々立ち止まって口述入力結果をまとめたりしているので、1時間近くかかったりする。
日陰はないから晴れている日には少々暑いが、川沿いなのでいつも風が吹いていて気持ちがいい。
いずれスマホの代わりに杖を持ってここを歩くようになるのかなあ…などと想像しながら歩くのもまた楽しい。
発掘現場は、発掘が終了したようで埋め戻された。ここは用地取得の問題はないから、これから工事を進めるのかもしれないな。
この西津橋・大手橋架け替え事業は、地元意見のとりまとめを依頼されたりしたのが私が区長をしていたときだからもう10年近く前になる。まだ仮橋すら架かっていない。それどころか用地取得も進んでいない。我が国の地方のインフラ整備って、こんなもんなんだろうな。
ということで、最近のお気に入りは、多田川沿いの歩道(自転車道らしい)である。
1kmほどの距離だが、車は通れないので安心、すれ違う人はいても1人か2人。道沿いには民家はなく、線形は直線に近いので、心置きなく口述添削ができる。
歩いて往復すると2km程度だが、時々立ち止まって口述入力結果をまとめたりしているので、1時間近くかかったりする。
日陰はないから晴れている日には少々暑いが、川沿いなのでいつも風が吹いていて気持ちがいい。
いずれスマホの代わりに杖を持ってここを歩くようになるのかなあ…などと想像しながら歩くのもまた楽しい。
発掘現場は、発掘が終了したようで埋め戻された。ここは用地取得の問題はないから、これから工事を進めるのかもしれないな。
この西津橋・大手橋架け替え事業は、地元意見のとりまとめを依頼されたりしたのが私が区長をしていたときだからもう10年近く前になる。まだ仮橋すら架かっていない。それどころか用地取得も進んでいない。我が国の地方のインフラ整備って、こんなもんなんだろうな。
2019年9月25日水曜日
13年目になります
夜、まちなか夢通りの会議があった。今年でなんと13回目。長く続いたものだ。
フリマや活動紹介その他を参加団体が思い思いに行い、販売をした場合は売り上げの一部を赤い羽根共同募金に寄付していただくという趣旨だ。
共同募金って、街角の「お願いしまーす」ばかりじゃないんだよ。
会議冒頭の共同募金会長さんの挨拶の中に、小浜は目標金額に到達している数少ない地域なのだということがあった。夢通りでの、一風変った募金の仕方が多少とも貢献できているのなら嬉しいことだ。
会議終了後、なんとはなしに飲みに行くことになった。社協次長がノリがいいのである。
なのに、飲んでいる最中に嫁さんから電話が掛かったら、「いや、トリイさんがどうしてもって言うから」と言っていた。ノリがいいんじゃない、ヤツは悪の根源である。
終了後、若干千鳥足で歩いて帰ったが、さすがに酔っていると疲れる。帰宅するころにはうっすらと汗をかいていた。
一緒に飲んだ3人は、全員近所が自宅であった。しまった。うかつだった。
フリマや活動紹介その他を参加団体が思い思いに行い、販売をした場合は売り上げの一部を赤い羽根共同募金に寄付していただくという趣旨だ。
共同募金って、街角の「お願いしまーす」ばかりじゃないんだよ。
会議冒頭の共同募金会長さんの挨拶の中に、小浜は目標金額に到達している数少ない地域なのだということがあった。夢通りでの、一風変った募金の仕方が多少とも貢献できているのなら嬉しいことだ。
会議終了後、なんとはなしに飲みに行くことになった。社協次長がノリがいいのである。
なのに、飲んでいる最中に嫁さんから電話が掛かったら、「いや、トリイさんがどうしてもって言うから」と言っていた。ノリがいいんじゃない、ヤツは悪の根源である。
終了後、若干千鳥足で歩いて帰ったが、さすがに酔っていると疲れる。帰宅するころにはうっすらと汗をかいていた。
一緒に飲んだ3人は、全員近所が自宅であった。しまった。うかつだった。
2019年9月24日火曜日
徘徊しているのではない
涼しくなったこともあって、最近添削がてら徘徊もとい歩いている。
スマホを見ながら歩くと危ないので、ある程度の距離をざくざく歩いて、ちょっとした木陰やベンチなどで休憩がてら立ち止まり、スマホで添削原稿をひとかたまり読む→歩きながらコメントを考え、まとまれば歩きながら口述する→また立ち止まり、口述入力した原稿を整形し、次のひとかたまりを読むということを繰り返している。
アヤシイのは歩きながら口述するところかな。一応まわりを見て、誰もいないことを確認して口述しているけれど、たまに気づかないうちに自転車などで近付いてきていた人などは、うさんくさそうに振り返ったり、あるいは逆にかかわりたくない・私は何も聞いてませんよという顔をして(顔を背けて)走り去る。
面白いもので、慣れてくると歩きながらでないと添削する気になれなくなってきたりする。
まあ、歩いていますといっても、本気でウォーキングをしている人に比べればちょっと散歩という程度なのだけれど、いい季節に外を歩くのは気分がいいね。
スマホを見ながら歩くと危ないので、ある程度の距離をざくざく歩いて、ちょっとした木陰やベンチなどで休憩がてら立ち止まり、スマホで添削原稿をひとかたまり読む→歩きながらコメントを考え、まとまれば歩きながら口述する→また立ち止まり、口述入力した原稿を整形し、次のひとかたまりを読むということを繰り返している。
アヤシイのは歩きながら口述するところかな。一応まわりを見て、誰もいないことを確認して口述しているけれど、たまに気づかないうちに自転車などで近付いてきていた人などは、うさんくさそうに振り返ったり、あるいは逆にかかわりたくない・私は何も聞いてませんよという顔をして(顔を背けて)走り去る。
まあ、歩いていますといっても、本気でウォーキングをしている人に比べればちょっと散歩という程度なのだけれど、いい季節に外を歩くのは気分がいいね。
2019年9月23日月曜日
11月にむけて始動
技術士試験の筆記試験発表は10月末なので、技術士に挑まれている方々は今はいったん試験のことを忘れて仕事に精を出しているころだ。
しかし11月からの口頭試験セミナーに向けて、SUKIYAKI塾の一部ではすでに始動している。
受講生、SUKIYAKI塾講師とも最多のSUKIYAKI塾東京は、今日前記反省会を開催した模様だ。このようにちゃんと会議室を借りて議論をしている。和気藹々なのが写真から伝わってくるね。
会議後は飲み会。この写真は、明らかにいつもの店ですね。^o^
いつもの店先でのワンショットのようです。今日は私は欠席させてもらいましたが、11月にはよろしく!
しかし11月からの口頭試験セミナーに向けて、SUKIYAKI塾の一部ではすでに始動している。
受講生、SUKIYAKI塾講師とも最多のSUKIYAKI塾東京は、今日前記反省会を開催した模様だ。このようにちゃんと会議室を借りて議論をしている。和気藹々なのが写真から伝わってくるね。
会議後は飲み会。この写真は、明らかにいつもの店ですね。^o^
いつもの店先でのワンショットのようです。今日は私は欠席させてもらいましたが、11月にはよろしく!
2019年9月22日日曜日
現在発掘中
我が家から500mほどのところで、今発掘作業が行われている。
何やら石積みがたくさん見えますな。小浜城の石垣の一部かなと思う。
ちなみに現場はここである。我が家はこの地図の右上にある。
北川と南川に挟まれた中州のようなところなのだが、実はこの中州が小浜城として利用されたのである。
昔の地図に今の道路や川の位置を重ね合わせるとこうなる。小浜城は、2本の川と海に囲まれた海岸近くの土地を選び、海と川を天然の堀代わりにして造成された水城なのだ。まあつまり三方をすでに水で囲まれているから、あとは内陸側に北川と南川を結ぶ堀を作るだけで堀に囲まれた状態になるわけですな。
で、現在の国道はかつての本丸の一部を貫通しており、今回はその旧本丸の東端付近を掘っていることになるわけだ。
いずれ発掘成果がまとめられるのだろうが、それを市民にもわかりやすく説明してくれるといいな。
何やら石積みがたくさん見えますな。小浜城の石垣の一部かなと思う。
ちなみに現場はここである。我が家はこの地図の右上にある。
北川と南川に挟まれた中州のようなところなのだが、実はこの中州が小浜城として利用されたのである。
昔の地図に今の道路や川の位置を重ね合わせるとこうなる。小浜城は、2本の川と海に囲まれた海岸近くの土地を選び、海と川を天然の堀代わりにして造成された水城なのだ。まあつまり三方をすでに水で囲まれているから、あとは内陸側に北川と南川を結ぶ堀を作るだけで堀に囲まれた状態になるわけですな。
で、現在の国道はかつての本丸の一部を貫通しており、今回はその旧本丸の東端付近を掘っていることになるわけだ。
いずれ発掘成果がまとめられるのだろうが、それを市民にもわかりやすく説明してくれるといいな。
2019年9月21日土曜日
おぞましい写真
昨日、小学校同窓会の会場下見に行ったので、今日は案内ハガキの準備でともしの店に集まった。(といっても、いつの間にかハガキ担当みたいになった2人とともしの3人だけど)
昭和30年代から40年代初頭の時期なので、1クラスの人数は40人を超えることもあった。1学年2クラスで、結局同窓生は80人いるのだが、そのうち所在がわかったのは56人であった。物故者も2人。残る22人は行方知れずだ。(といっても、我々が知らないだけで、どこかでちゃんと暮らしているのであろうが)
あの人はどこに行った、あの人はどうしているなどとワイワイやりながら名簿を整理していると、面白いものですっかり忘れていた同窓生のことが思い出されてくる。それもアルバムに貼り付いた写真のようにではなく、ちょっとした時の表情であるとか、何かのときの動作であるとか、動画の1シーンのように切り取られて、生きた動作として思い出されてくるのだから面白い。
帰宅して、往復ハガキに宛名印刷をしつつ、ふとHPを作ったら面白いかなと思い立ち、ならば小学校時代のアルバムから写真をスキャンして載せてみようと思った。
さっそく物置のこことおぼしきところを探すが、さすがに出てこない。
その代わりに何が驚いたって、自分の結婚式のアルバムが出てきた。1987年だから30年以上前である。20代の、それもフリル付きの白いスーツなんぞ着ている自分は正視に耐えない。二度と開けるまいと固く誓って本棚の奥に放り込んだ。
幼少期や小学生のころの自分はまだ見るに堪えるのだが、どうして20代の自分は見るに堪えないのか、謎である。^o^;
昭和30年代から40年代初頭の時期なので、1クラスの人数は40人を超えることもあった。1学年2クラスで、結局同窓生は80人いるのだが、そのうち所在がわかったのは56人であった。物故者も2人。残る22人は行方知れずだ。(といっても、我々が知らないだけで、どこかでちゃんと暮らしているのであろうが)
あの人はどこに行った、あの人はどうしているなどとワイワイやりながら名簿を整理していると、面白いものですっかり忘れていた同窓生のことが思い出されてくる。それもアルバムに貼り付いた写真のようにではなく、ちょっとした時の表情であるとか、何かのときの動作であるとか、動画の1シーンのように切り取られて、生きた動作として思い出されてくるのだから面白い。
帰宅して、往復ハガキに宛名印刷をしつつ、ふとHPを作ったら面白いかなと思い立ち、ならば小学校時代のアルバムから写真をスキャンして載せてみようと思った。
さっそく物置のこことおぼしきところを探すが、さすがに出てこない。
その代わりに何が驚いたって、自分の結婚式のアルバムが出てきた。1987年だから30年以上前である。20代の、それもフリル付きの白いスーツなんぞ着ている自分は正視に耐えない。二度と開けるまいと固く誓って本棚の奥に放り込んだ。
幼少期や小学生のころの自分はまだ見るに堪えるのだが、どうして20代の自分は見るに堪えないのか、謎である。^o^;
2019年9月20日金曜日
ふるさとの風景
来年の4月に小学校の同窓会(還暦記念^o^;)を開くのだが、その会場下見に行ってきた。同級生ののぼるちゃん(みんなからは小学校時代のあだ名である「ぼんさん」と呼ばれている)も一緒に来てくれた。
会場の説明を受けた後、テラスに出てみると、いい天気のせいもあって、絶景だった。
池か湖に見えるだろう水面は「青戸の入り江」という海である。リアス式海岸である若狭湾の内海の小浜湾の、そのまた内海で、とにかく波静か。
その向こうに見える三角の山は、若狭富士「青葉山」。手前には岡津製塩遺跡、その右にはマリーナ。見惚れると言ったら私の地元びいきを笑うだろうか。
私は学生時代の6年間小浜を離れていただけで、また戻ってきたからこの景色は散々見ているけれど、ふるさとを離れて生活している同級生は、きっと感動してくれるんじゃないかな。
こんなにいい天気だったのに、小浜に戻ると今にも降り出しそうな天気になっていて、夕方からは本当に降り出した。
夜、会議で市役所に行ったついでに、幸いにも雨があがったので、夜回りをかねて海岸通りを口述添削しながら歩いたが(お前のほうがよほど不審者やろ^^;)、健康ウォーキングやランニングをしている人ばかりであった。何やら心浮き立ち、夜の中を歩いてみたくなる夏は終わったのだなあ。
2019年9月19日木曜日
久々のオバマージャン
今日、とても嬉しいインタビューを受けた。
しがら組などでお世話になっている若狭東高校の放送部がオバマージャンを取り上げてくれて、発案者インタビューみたいなものに応じてきた。
女子部員3人と先生2人、部員のうち1人はいつもお世話になっている先生の娘さんで、小さい頃からときどき会っているのだが、素敵な女の子に成長していた。
なお、Wikipediaによると、オバマージャンを作ったのは2013年らしい(こちら)。作った本人がWikipediaを見て知るというのもおかしな話だが、私自身すっかり忘れていた(というか覚えていない)。
最初の2年くらいは私がサロンに行っていたのだが、市内で流行りだしてからは社協やサポーターさんにおまかせして、私はここ2年以上行っていない。
ちなみに、高齢者サロンで楽しんでいる様子がこちらなのだが、このYouTube動画も実は今日初めて見た。これは一昨年のもののようだ。
自分が始めたものだけれど、今はもう自分の手を離れて、いろんな人が関わって、いろんな人の役に立てている、そういうのって、私の理想です。久々にオバマージャンにも触れて、高校生と一緒にゲームもできて(自分自身はアガれなかったけど^o^;)、本当に嬉しかった。
しがら組などでお世話になっている若狭東高校の放送部がオバマージャンを取り上げてくれて、発案者インタビューみたいなものに応じてきた。
女子部員3人と先生2人、部員のうち1人はいつもお世話になっている先生の娘さんで、小さい頃からときどき会っているのだが、素敵な女の子に成長していた。
なお、Wikipediaによると、オバマージャンを作ったのは2013年らしい(こちら)。作った本人がWikipediaを見て知るというのもおかしな話だが、私自身すっかり忘れていた(というか覚えていない)。
最初の2年くらいは私がサロンに行っていたのだが、市内で流行りだしてからは社協やサポーターさんにおまかせして、私はここ2年以上行っていない。
ちなみに、高齢者サロンで楽しんでいる様子がこちらなのだが、このYouTube動画も実は今日初めて見た。これは一昨年のもののようだ。
自分が始めたものだけれど、今はもう自分の手を離れて、いろんな人が関わって、いろんな人の役に立てている、そういうのって、私の理想です。久々にオバマージャンにも触れて、高校生と一緒にゲームもできて(自分自身はアガれなかったけど^o^;)、本当に嬉しかった。
2019年9月18日水曜日
天高く
沖縄ツアー中に与左衛門の利用者があったので片付けに行ってきたが、すごくきちんとしてあって、ありがたい限りだった。
薄手のポロシャツ1枚で行ったのだが、さすがは上根来、もう秋の風情で、肌寒いくらいだった。
ダンドボロギクが綿毛を盛んに飛ばし始めていた。秋の風物詩になっているのだが、なにせ帰化植物だからどんどん増えていくのはあまり嬉しくない。葉っぱが食べられるという話も聞くけれど、あまりがんばって食べてみようとは思わない。
沖縄土産を配り終え、ちょっと海に出てみた。いい天気だが、丹後半島は見えないから、ちょっと蒸気が多めなのかな。
そのまま散歩がてら、まちの駅に行ってみると、秋らしい高い空と夏雲のようなむくむく雲、そしてコントラストのくっきりした強い日差しの中にあった。
アイスコーヒーを買って、外のテーブルで添削でも…と思ったが、日向は暑くてかなわないので、旭座側の日陰に逃げて、口述添削をしていた。
夕食後に浜に出てみたが、ポロシャツ1枚ではもう寒いくらいだった。
沖縄に行っていたほんの4日ほどの間に、季節がまだ一歩進んだようだ。
薄手のポロシャツ1枚で行ったのだが、さすがは上根来、もう秋の風情で、肌寒いくらいだった。
ダンドボロギクが綿毛を盛んに飛ばし始めていた。秋の風物詩になっているのだが、なにせ帰化植物だからどんどん増えていくのはあまり嬉しくない。葉っぱが食べられるという話も聞くけれど、あまりがんばって食べてみようとは思わない。
沖縄土産を配り終え、ちょっと海に出てみた。いい天気だが、丹後半島は見えないから、ちょっと蒸気が多めなのかな。
そのまま散歩がてら、まちの駅に行ってみると、秋らしい高い空と夏雲のようなむくむく雲、そしてコントラストのくっきりした強い日差しの中にあった。
アイスコーヒーを買って、外のテーブルで添削でも…と思ったが、日向は暑くてかなわないので、旭座側の日陰に逃げて、口述添削をしていた。
夕食後に浜に出てみたが、ポロシャツ1枚ではもう寒いくらいだった。
沖縄に行っていたほんの4日ほどの間に、季節がまだ一歩進んだようだ。
2019年9月17日火曜日
終電で帰宅
今日はもう帰るだけである。石垣島→中部国際空港のANA便は午後3時なので、それまで石垣島周遊をすることにした。
今日はレンタカーを借りることにした。今日の愛車はFITである。
バンナ岳からぼんやりした石西礁湖を見下ろし、みね屋工房でみんさー織りを買って、川平湾へ。ベタベター観光コースである。
川平湾は、滅多に見られない葵海が見えた。空は曇天だったけど。
昼食は伊原間の新垣食堂の牛そば。ここの牛そばはおでんタネが入っていて、また美味い。20分ほど行列待ちしてやっと食べられた。
平久保岬。駐車場には「わ」ナンバーばかりが並んでいた。天気はさらに回復して、沖縄らしい青い海と青い空が広がる。まあだいたい帰る直前にこうなるんだよな。
空港でレンタカーを返して、定刻より5分遅れでANA便で出発。よくみると、座席にUSB電源が付いていた。WiFiも使えるし、だんだん便利になっていくね。
セントレアから名鉄で名古屋駅へ。多摩ちゃんと分かれて、特急しらさぎの出発まで少し時間があるからビックカメラにでも行くかと地下街を歩いていたら、忘れ物市をやっていたので、いそいそとのぞくも、これといった掘り出し物なし。
しらさぎから小浜線に乗り継いで、小浜駅到着は午後11時過ぎ。小浜線終電で帰ってきた。電車から降りたのは2人だけだった。
今日はレンタカーを借りることにした。今日の愛車はFITである。
バンナ岳からぼんやりした石西礁湖を見下ろし、みね屋工房でみんさー織りを買って、川平湾へ。ベタベター観光コースである。
川平湾は、滅多に見られない葵海が見えた。空は曇天だったけど。
昼食は伊原間の新垣食堂の牛そば。ここの牛そばはおでんタネが入っていて、また美味い。20分ほど行列待ちしてやっと食べられた。
平久保岬。駐車場には「わ」ナンバーばかりが並んでいた。天気はさらに回復して、沖縄らしい青い海と青い空が広がる。まあだいたい帰る直前にこうなるんだよな。
空港でレンタカーを返して、定刻より5分遅れでANA便で出発。よくみると、座席にUSB電源が付いていた。WiFiも使えるし、だんだん便利になっていくね。
セントレアから名鉄で名古屋駅へ。多摩ちゃんと分かれて、特急しらさぎの出発まで少し時間があるからビックカメラにでも行くかと地下街を歩いていたら、忘れ物市をやっていたので、いそいそとのぞくも、これといった掘り出し物なし。
しらさぎから小浜線に乗り継いで、小浜駅到着は午後11時過ぎ。小浜線終電で帰ってきた。電車から降りたのは2人だけだった。
2019年9月16日月曜日
石垣は好天だった
今日は11:30の飛行機なので時間がある。みゃーくさんがいろいろと案内してくれた。
多摩ちゃんがまだファームポンドを見たことがないというので、実物を見に行った。
ここで宮古で一番きれいだという与那覇前浜ビーチ。向こうに来間大橋が見える。
私も来間島の展望台からこのビーチを望んだ写真をスマホの壁紙に使っているが、本当にきれいだ。
伊良部大橋へ。相変わらずここは風が強い。最高点で車を降りて写真を撮ろうと思うのだけれど、スマホを飛ばされそうでこわいくらいだ。
橋を渡ると、まもる君が立っている。伊良部島のホテル建設ラッシュに驚き。沖縄は全般に観光やインフラ整備でバブル気味だが、宮古島が一番バブルらしい。
下地島空港のターミナルに行ってみると、関空路線も開業して、賑わっていた。
5月にも思ったが、ここはRC版や鉄骨を木材(B材)でうまく覆って、コストを抑えつつ素敵な空間を作っている。これは実にいい設計だと思う。
外の柱に残った型枠の切れっ端もまた愛嬌である。
柱の側面が波打っているように見えるのも、これはきっとそういう意匠なのである。^^;
佐和田の浜の津波石群。このあたりは何度来てももっと時間がほしいと思うね。
宮古島の水事情の歴史を多摩ちゃんに知ってもらおうと、佐良浜のサバウツガーに行ってみたら斜面崩壊で通行止めになっていた。
そこで近くのイツバンガーへ。まあつまり井戸なんだけど、断崖や縦穴の底に降りていたなければならない他のカーに比べれば、ここはつるべで楽に水が汲めるから重宝したろうなと思う。
次回は多摩ちゃんを地下ダム資料館にお連れしたい。
RACのカーゴコンビで石垣島へ。みゃーくさん、ありがとうございました。
ちなみに天気はすっかり回復していた。
石垣島空港ではaoさんが迎えに来てくれていた。ありがたい。
まずは昼メシ、いつものアンブレラへ直行。
いつもの牛そば。石垣島の味である。満足して今日の会場(いつも使わせていただいている大知企画さんの会議室)へ。今日はRCCM講義と指導のみ。
休憩時間に屋上に登ってみると、ややガスっている向こうに竹富島がくっきりと、小浜島が薄ぼんやりと、として西表島がかすかに見えた。黒島も見えた。こんなこと滅多にない。^^;
終了後、いったんホテルにチェックインして、懇親会場へ。宮古島もそうだが、居酒屋がなかなか確保できないようだ。3連休だから特にだが、どこも観光客が激増しているようだ。
二次会はいつもの「銀」へ。機能に引き続きカラオケで盛り上がる。
多摩ちゃん、2日連続替え歌で「これからも来ます!」と宣誓していました。SUKIYAKI塾名古屋からSUKIYAKI塾北陸に移籍した多摩ちゃんだが、さらにSUKIYAKI塾沖縄にも在籍か。^o^
多摩ちゃんがまだファームポンドを見たことがないというので、実物を見に行った。
ここで宮古で一番きれいだという与那覇前浜ビーチ。向こうに来間大橋が見える。
私も来間島の展望台からこのビーチを望んだ写真をスマホの壁紙に使っているが、本当にきれいだ。
伊良部大橋へ。相変わらずここは風が強い。最高点で車を降りて写真を撮ろうと思うのだけれど、スマホを飛ばされそうでこわいくらいだ。
橋を渡ると、まもる君が立っている。伊良部島のホテル建設ラッシュに驚き。沖縄は全般に観光やインフラ整備でバブル気味だが、宮古島が一番バブルらしい。
下地島空港のターミナルに行ってみると、関空路線も開業して、賑わっていた。
5月にも思ったが、ここはRC版や鉄骨を木材(B材)でうまく覆って、コストを抑えつつ素敵な空間を作っている。これは実にいい設計だと思う。
外の柱に残った型枠の切れっ端もまた愛嬌である。
柱の側面が波打っているように見えるのも、これはきっとそういう意匠なのである。^^;
佐和田の浜の津波石群。このあたりは何度来てももっと時間がほしいと思うね。
宮古島の水事情の歴史を多摩ちゃんに知ってもらおうと、佐良浜のサバウツガーに行ってみたら斜面崩壊で通行止めになっていた。
そこで近くのイツバンガーへ。まあつまり井戸なんだけど、断崖や縦穴の底に降りていたなければならない他のカーに比べれば、ここはつるべで楽に水が汲めるから重宝したろうなと思う。
次回は多摩ちゃんを地下ダム資料館にお連れしたい。
RACのカーゴコンビで石垣島へ。みゃーくさん、ありがとうございました。
ちなみに天気はすっかり回復していた。
石垣島空港ではaoさんが迎えに来てくれていた。ありがたい。
まずは昼メシ、いつものアンブレラへ直行。
いつもの牛そば。石垣島の味である。満足して今日の会場(いつも使わせていただいている大知企画さんの会議室)へ。今日はRCCM講義と指導のみ。
休憩時間に屋上に登ってみると、ややガスっている向こうに竹富島がくっきりと、小浜島が薄ぼんやりと、として西表島がかすかに見えた。黒島も見えた。こんなこと滅多にない。^^;
終了後、いったんホテルにチェックインして、懇親会場へ。宮古島もそうだが、居酒屋がなかなか確保できないようだ。3連休だから特にだが、どこも観光客が激増しているようだ。
二次会はいつもの「銀」へ。機能に引き続きカラオケで盛り上がる。
多摩ちゃん、2日連続替え歌で「これからも来ます!」と宣誓していました。SUKIYAKI塾名古屋からSUKIYAKI塾北陸に移籍した多摩ちゃんだが、さらにSUKIYAKI塾沖縄にも在籍か。^o^