2015年3月31日火曜日

年度末の1日

年度末最終日、NPO決算もしないといけない。
3月末までの収支を処理するから本来は4月に入ってからでいいのだが、なにせ明後日にはもうツアーに出てしまうから、事務局のH先生に引き継いでおかねばならない。
WACおばまの場合、年間予算規模は200万円台くらいで、たまに大きめの助成金が入ると400万くらいになることもあるけれど、まあたいていは300万円に満たない。だから当然だけえど有給職員は雇えない。助成金が年間予算規模300万円未満のNPOを対象にしていることが多いのはそういうこともあるのだろうけれど。

それでもみんなが生活の合間にやっていることだから、領収証がまだ取ってないだの、立て替え分が残っているだの、いろんなことがある。
半日近くかけてわあわあやって、どうにか旅に出てもよさそうな状況になった。
これから後は、私が旅の空にいる間に、H先生とゆうこさんが報告や申告をやってくれる。本当に申し訳なく、またありがたい。

S君とOさん、そしてM課長が小浜的に言う「きれいなべべ」を着て挨拶に来てくれた。
本当にお世話になりました。何度も助けてもらいました。
このご恩は、1回の飲み会で返すようなものではなく、これからもがんばって活動していくことで返させてもらいます。
また一緒に何かやれるといいね。

2015年3月30日月曜日

みそかつバーガーは重い

8:30にホテルを出て、コメダ珈琲店へ。やっぱ名古屋ではよく入る。コーヒーを頼むとモーニングが出てくる…のだが、今朝は気が変わって「みそかつバーガー」を頼む。やっぱ名古屋だぎゃあ。

…でかっ!1切れが普通のハンバーガーサイズ。腹一杯のうえにカツの脂と甘い八丁味噌でちょっと気持ち悪くなってきた。うーむ、朝から失敗した。わたくし、名古屋をなめておりました。申し訳ない。

今日は企業セミナー。皆さん大変熱心。聴講姿勢もそうだが、ワークの取り組みもそう。
今年から小論文ワークを始めていて、これはすでに小論文を書いた場合にも欠点というか不足点が見つかりやすく、まだ書いてない場合はロジック構成が作りやすいのでお勧めのワークなのだが、すでに作ってある人が多いようで、進みが速い。
セミナーにもいろいろあって、SUKIYAKI塾でもAPEC-semiでもやっている、受講生を募集して行うセミナーは、自分で受講料を払ってやってくるので、皆さん前向きに聴いてくれる。
逆なのがCPD目当てで受講するとか企業主催のセミナーで、CPDのためだけに受講するとか、会社から受けろと言われたから受講するという人が混じっていて、中にはセミナーの間座ってりゃいいやというのもいる。学会等主催ならまだしも、企業主催でこういう雰囲気だと、経営者が気の毒になる。
しかし今日はそんな雰囲気皆無、これなら確実に結果が出るだろう。技術士試験の場合、真剣に取り組みだしてから2年か3年で成果が出ることが多いから、いきなりは無理かもしれないけれど、それでも今年はすごく期待できると感じた。こちらも気合いが入る。

終了後、時間延長して小論文の個人面談をやっていたら時間がなくなってきたので、タクシーで駅へ急ぎ、何とか予定の「しらさぎ」に乗れた。疲れたが密度の濃い、こちらとしてもやりがいのある一日セミナーだった。

例によって時々イネムリしつつ添削しながら小浜へ。21時すぎに到着。
疲れているから居酒屋でまったり飲みたい思いは強いが、実は23時からSkype面談が入っている。後ろ髪を引かれつつ帰宅した。いやあ、頭の中が技術士試験漬けです。

2015年3月29日日曜日

イベント、そして電車旅

今年度最後のイベント・エコエコ自然楽校である。今回は私は完全にサポートに回り、たけしやあこちゃんに運営を任せた。若者チャレンジクラブもがんばってくれて、頼もしい限りだ。彼ら若者の活躍をできるだけサポートしていきたい。

「森の水PR館」の中ではクラフトコーナーが。昨年度から始めたが、ずいぶん充実した。

天気はあいにくの雨。本降りの中、テントを張ってがんばる。

恒例のバンブークーヘン。もっともっと太くなりますよ。
私は上根来見学ツアーとパワポでの活動紹介を担当。雪室食材は今回も大好評でありました。
15時すぎに終了し、片付けを途中で抜けさせてもらって帰宅、着替えて小浜駅から19時前の電車に乗った。

敦賀駅で乗り換え。夜8時となると、ホームにはほとんど人はいない。
ここでばったり水産高校のH先生に遭遇。水産高校は閉校になるのだが、なんとH先生は退職して地元に帰ってしまうのだという。あと2日ほどしか小浜にいないのだという。寂しすぎるではないか。
もっとじっくり、せめてあと2分でも3分でも話したかった…そんな思いを引きずりながら特急「しらさぎ」で 名古屋へ。

午後10時前、さすがに疲れて名古屋に到着。車中では例によって添削をしていたけれど、居眠りしていた時間も多かった。

疲れたなあと思いながらホテルまで歩いていると、こんなものがあった。ついフラフラと入っていきそうになるのをぐっとがまんし、今日は飲まずにホテルに入り、最後まで飲まずに就寝した。どうだ、えらいでしょう。

2015年3月28日土曜日

金沢日帰り行

昨夜の酒が残っているなあと思いながら金沢へ。今日は土木学会主催の試験対策講習で講義である。車中、添削をしながら行くが、なかなか調子が出ない。時々ウトウト。疲れているのかな。

金沢駅は北陸新幹線開業で賑わっている。でも在来線の改札は相変わらずの手動式。ちなみに富山も福井も、北陸3県は自動改札なんてありません。

おお、新幹線のりばだ。そのうち乗る機会があるかなあ。
駅から会場までは1.5kmくらいなので、ゆっくり歩いて行くことにした。少し歩いては立ち止まって、何か腰掛けるものがあれば腰掛けて添削。時にはゆっくり歩きながら添削。ああ、またこのシーズンが来たんだなあと実感。

近江町日曜市は賑わっていた。金沢は近年になって観光都市としてすごく発展したような印象がある。街もきれいだし。

13時過ぎから16時過ぎまで講義。聴講生は20人ちょっとかな。でも土木学会が金沢で開催する行事としては例外的に人が多いらしい。
終了後、またゆっくり歩いて金沢駅へ。構内の喫茶店でコーヒーゼリーなんちゅうナツカシイものを飲み、夕方の特急「しらさぎ」で小浜へ向かう。
そう、今日は日帰りなんですよ。本当は金沢で一泊して、一人居酒屋で治部煮なんぞ食べながら天狗舞やら菊姫やらを飲みたいところだけれど、明日も朝からイベントなのだ。
やはり日帰りはこたえる。帰りの車中では何度も落ちていました。敦賀を乗り越さなくてよかった。
小浜着21時すぎ。すぐに帰宅して明日の準備。さらにSkype面談。いやあ、疲れました。

2015年3月27日金曜日

はるのやまはザワザワ

口名田地区の「だるま窯を守る会」と合同でアウトドアイベントの1日である。
見事な快晴で、どうだどうだと鼻高々に口名田公民館へ。
参加児童は26人だったかな?大人も10人以上。地域の大人と地域の子どもが一緒に外で活動するというのはいいものだ。

まずは公民館の前の駐車場でTさんが絵本の読み聞かせ。はるのやまはザワザワ。
そして絵本に出てくるつくしをみんなで採る。あとで炒めて食べるのさ。

リヤカーを引いてみんなで歩いて出発。途中で火起こしの燃料を調達していく。ススキも採った。

田んぼのよこで読み聞かせ第2弾、いなばのしろうさぎ。ここに出てくるガマの穂がちょうどそこに生えている。これも火起こしにはなくてはならないものだ。

しばらく行くと、突然若狭坊が瓦の説明を始めた。まだ酔っているのかと思ったが、ちゃんと日本語をしゃべっていた。^o^
彼も地域にはなくてはならない存在だ。飲み会だけじゃなく。

河原に降りて石を集める。これは地獄汁用。そしてまた読み聞かせ。水と瓶の話。タイトル忘れちゃいました。

だるま窯に到着して、まずは粘土で縄文式土笛を作る。乾きが速い粘土を選んだうえに上天気なので、みるみる乾いていった。

続いて竹を切って食器作り。茶碗、皿、箸を作った。だるま窯の皆さん大活躍。

そして火起こし。我が体力の衰えを実感したが、なんとか成功。
この後のたき火料理が時間がかかり、結局食事は1時を大きく回った時間だった。すまん、みんな。
竹飯ごうや飯ごうのご飯、イノシシ汁、瓦で焼いたハンバーグやウィンナーを楽しんだ。地獄汁も作ったが、お腹がふくれた後だったからか不人気。その代わりマシュマロと焼きバナナは相変わらずの人気。

16時ごろ終了。とりあえず撤収し、公民館でささやかに懇親会…のはずが、そのまま市街地に繰り出し、結局夜中まで飲んだ。うー、飲み過ぎたよぉ。

2015年3月26日木曜日

私は実は字が汚い

玉ちゃん(玉川多摩ちゃんではない)のお見舞いに行ってきた。
想像していたよりずっとずっと元気で、何度か涙が出そうになった。
本当によかった。

嬉しかったので、その後の木曜会でちょっと飲み過ぎた。
でも若狭坊はあれからさらに3時まで飲んでいたらしい。やーいやーいばーかばーか。

帰宅して得意の風呂添削。時間に余裕があるときは読書なのだが、余裕がなくなってくると(余裕がなくなるようなことばかりしているのだが^^;)添削になる。どのみちタブレットを持って入るわけだけど。
タブレットで添削する場合、タブレット上で直接コメントを入力するときと耐水ノートに手書きする場合がある。前者は時間がかかるが、手書きしてからPC入力する手間が省ける。後者は書くのが速い。そちらがいいかはそのときの気分や体調によるようで、いちがいにはいえない。

ただし手書きした耐水ノートは、自分でも感心するくらい字が汚いので、半日以上開けると自分でも読めなくなる。というか風呂上がりにすぐ入力しても「この字は何だ?」と悩むときがある。
そういえば講義の時もいつも汚い字を書いてるなあ。ごめんねみんな。

2015年3月25日水曜日

腰にトシを感じて

月曜日、絵画展の片付けで重労働をしていたとき
「明日、体が痛いですよぉ~」
と言われて、
「いやあ、明日じゃなくてきっと明後日だと思うよ」
と冗談で返していたのだが、実際翌日は特に筋肉痛はなかった。
で、昨日、つまり絵画展片付けの翌日にオイル缶の洗浄をした。ロケットストーブ用に使うためN木に頼んで集めてきてもらったものなのだが、中の残りオイルを洗わないと使えないのだ。
10本ちょっとのオイル缶を、まずはマイナスドライバーでフタを開ける。
次にひっくり返して半日ほど放っておいて、少しでもオイルを出す。
そのあと洗剤を入れた水で洗う。田植えスタイルで1時間作業したら腰にきた。
そして今日、一昨日の絵画展片付けの筋肉痛はないかわりに、昨日の腰が残っている。
湿布を貼るか、ルートビアを塗るかして寝たほうがよかったかな。

そんな体を引きずって、午後から隣の地区でオバマージャン。昨日、小浜市社協に2セット目が納品されたらしい。若狭ハイツさんも1セット作ろうと思っているというし、先日は岐阜県からも作りたいという問い合わせがあった。作って3年目だと思うが、普及してきたなあ。

終了後、上根来へ。まだ集落内にも雪があり、遠くの山はまだまだ雪が残っている。

畜産団地跡の屋根には真新しい雪が。昨日降って積もったようだ。恐るべし上根来。

雪室はほとんど融けていないようだ。ちなみに写真上が今日、下が3月8日。
この調子だとけっこう長く雪山が残ってくれそうで、楽しみである。

帰宅してすぐに風呂を沸かし、添削しながらゆっくり入った。腰に気持ちいいのよ~。湯治にでも行きたくなってきたな。群馬県にはまだ泊まったことがないから行ってみたいな。

そうそう、娘の卒業式だったようで、写真を送ってきていた。
明日からは大阪住人となるようだ。SUKIYAKI塾大阪の飲み会に連れて行くことだけは避けねば。

2015年3月24日火曜日

同級生を悼む

今月半ば、仙台→東京と回って帰ってきたとき、母が「かつみ君が亡くなった」と知らせてくれた。
小学校の同級生で、あれは3年生のころだったろうか、よく遊んだ。中学校のときは麻雀をしたりして悪い遊びもした。進んだ高校が違ったのでその後は疎遠になったが、社会人になってから再会し、街で会えば笑って声を掛ける中だった。奥さんも子どもたちも明るいいい家族だった。
心筋梗塞で、朝になって亡くなっているのがわかったらしい。

ボランティア会議のときに同級生ののぼるにその話をしたら、なんと彼も同じような症状で入院していたらしい。どうも私がセミナーツアーに出ているときだったらしい。
俺たち、そういうトシになったんだなあと話した。

我が身を顧みれば、この春、娘が就職すれば子育てはひとまず終わる。この世に生を受けた、生き物としての最も根源的な役割を終えるわけだ。
かつみは、そのことはやり終えて逝ったのだけれど、それでもやはり早すぎる。もっと生きたかっただろうに、どんなに心残りだったことだろう。

同級生の冥福を祈るというのは悲しいものだ。

2015年3月23日月曜日

絵画展終了

3日間の絵画展も今日で最終日。一番お客さんが多かった日曜日にいなかったのが心残りで、特に私が招待状を渡した人たちにお礼が言えなかったのが申し訳なかった。

月曜日で、一気に寒くなったにもかかわらず大勢の方が来てくれた。

一番町ふれあいサロンの皆さんも「散歩がてら」と言って来てくれた。ありがとうございました。

名残にちょっとだけギャラリー紹介。こちら現代作家コーナー。手頃な値段でそこそこ買ってくれた。

こちら巨匠コーナー。さすがにあまり出なかったようだが、ゆっくり眺められる空間を提供できたことはよかったなあと思う。

やなせたかしコーナーもあります。これはこれで面白い。

小浜では人気の掛け軸コーナー。けっこうよく売れてました。

18時、終了とともにわーっと片付け。こんなに多くのパネルを運んだことはないぞというくらい多くのパネルを運び、その他いろんなものを運び、「明日は体が痛いですよ」と言われた。まあ明日ならよしとしよう。明後日でなければ。
9時前に片付けが一段落したので、おにぎりと簡単なオードブルを出していただき、みんなでほっと一息。
小浜でこういった絵画展を催せたことも嬉しかったし、私のキャラと真逆のこんなイベントに関われたことはいい経験になった。そしてわくわくくらぶの皆さんや芸術がお好きな市民の皆さんと実行委員会を通して仲良くなれたのが一番嬉しかった。これを縁に、これからも仲良くしてやってください。
帰宅後、さすがに添削する余力はほとんどなく、風呂に入ってさっさと寝た。

2015年3月22日日曜日

みんな忙しいのかな

SUKIYAKI塾大阪セミナー。午前中は総監講義、午後は一般講義と個別指導。

昨年はもう少し早い時期に大阪で出願セミナーがあったのだが、今年はずいぶん受講生が少ない。一般部門は半分以下ではなかろうか。

まあその分、密度の高い個別指導ができたと思うし、私の講義の中でも個別質問ができたりしたのだけれど、やっぱり年度末で忙しいのかな。
講師陣もコンサル会社系はとうてい無理な状況のようで、労働力不足などが言われる中、例年以上に多忙な年度末を送っている人が多いようだ。

ともかく終了後は打ち上げと決まっている。昨年度合格してSUKIYAKI塾大阪講師に加わってくれた人たちの合格祝いもかねて楽しいひとときを過ごした元気なおじさん達でした。

19時半にお開きとなり、一足先にお暇して帰路につく。当初は明日の午前中に帰る予定だったのだが、やはり絵画展に朝から出たほうがいいだろうと、強行軍で帰ることにした。
ところが特急サンダーバードの指定席はいっぱい。昨夜聞いたら、午後15時すぎの便から全部満席で、21時過ぎの便のみ空きがあるとのことだった。でも21時過ぎの便では小浜まで帰れない。
しかたがないから新大阪から始発駅の大阪まで逆行して、そこで自由席に乗るというメンドクサイ策に出た。
案の定、新大阪で満席になり、京都駅からは通路に客が溢れた。そういえば今朝も新大阪駅は人が多いと感じた。春の行楽シーズンなのかな。

22:30すぎに敦賀に到着。小浜線の終電は1両だけ。ぽつんとホームに止まっていた。

2015年3月21日土曜日

絵画展1日目

今日から絵画展。朝、大阪へ向かう娘を送り出してから会場へ。

小浜市民がこういったイベントにどれくらい反応するのか不安でもあったのだけれど、けっこう人が来てくれた。

ミラン画伯のサイン会も行われ、絵もそこそこ売れたようだ。この売り上げの一部はわくわくくらぶの遊具などの購入に、さらに一部は東日本大震災で被災した障害者の皆さんの支援に使われるから、嬉しいことだ。
私もささやかながら絵を購入させていただいた。どう考えてもそんなことをするキャラじゃないのだが。^^;
18時、1日目が無事終了。そのまま駅に移動して、大阪へ移動。

例によって車中では添削に精を出した…つもりだったのだが、疲れていたのだろう、幾度がウトウトし、また起きていても添削の効率がなかなか上がらなかった。
でもまあなんとか今日のノルマだけは達成し、ホテルで安心してイッパイ。やっぱり疲れていると飲んじゃうんだよなあ。

2015年3月20日金曜日

絵画展前夜

わくわくくらぶ10周年記念チャリティー企画・現代国際巨匠絵画展の前日、会場設営と来日画伯同行の1日。
朝9時前、ちょうど帰省中の娘を連れて会場のサンホテルやまねへ。大量の絵画とパネルなどを搬入する作業である。4月から工芸会社で働く娘にはいい経験かな?と思って声を掛けたら行くと行ってくれたので連れて行ったのだが、がんばって働いてくれていた。

10時から、今回の絵画展のために来日中のジャン=フランソワ・ミラン画伯とともに、年に2回か3回しか締めないネクタイなんぞというものを身にまとって市長表敬訪問。
フランス語って、とても聞き取れるもんではないわと再確認。^^;

会場に戻り設営の続き、さらに午後はミラン画伯と若狭高校美術部との交流会。

画伯の絵を持ち込んで、考え方やらいろんなテクニックなどを解説。

さらに美術部員が描いた絵をひとつひとつ見ながら交流。先生に聞いたら、絵を褒めてもらって子どもたちはすごく喜んでいたそうだ。市長もこの交流をありがたがっていたが、本当にそうだと思う。

いったん帰宅して、背広なんちゅう、いったい何年ぶりに着るんだろうと思うようなものを身につける。ずーーーーっと着ずに置いておいた間に、上と下がセットの状態を保っている背広がほとんどないというトンデモナイ状態であることがわかった。うーむ…
まあともかく数少ない(もしかしたら唯一の)上下セットの背広を着て、ネクタイなんちゅうもんを締めて、再び会場へ。
入り口には、わくわくくらぶ(子どもの一時預かりNPO)の子どもたちの写真や作品が飾られている。

子どもたちの実に面白い陶芸作品。いっぱい突起のついた「へびのつぼ」なんて好きだな。

隣には若狭高校生のセレクトされた作品が3点。彼らにとってもいい記念だろう。

18時からレセプション。開催当事者(なにをどう間違ったか、私が実行委員長なのである)なので写真なんぞ撮っているヒマはなし。来場者は、小浜ではまず滅多にない質の高い絵画を楽しんでくれていた。

画伯にいただいたサイン。小浜での絵画展の思い出に~友情を込めて…みたいなことが書いてあるらしい。よく覚えてないが。^^;

とにかく今日は慣れないモノを着て、慣れないことをいっぱいしたのでむっちゃ疲れた。
娘も疲れたとみえて、帰宅するや否や風呂を沸かして入り、さっさと寝た。まあ彼女は明日大阪のアパートに行き、あれこれいろんな手続きなんかをしないといけないから、学生時代の帰省時のように夜更かししているわけにはいかないのだけれど。
私はというと、それでも添削は山積みだし、オンライン練習問題なども作らないといけないから、目をショボショボさせながらひとがんばりして、力尽きて寝たというわけであります。

2015年3月19日木曜日

ちょっとタスクが多い

隣家の棟上げ。我が家の裏庭というか空き地だったところは、これで地区内の若いファミリー2世帯にすべて売れ、両親としても存命中に処分してしまいたかった案件が終了したのでほっとしているところだ。
ひこそう全国大会のときに、我が家の裏にはもう車を止められませんからね。^^;
私が家を建てたのは2001年だからもう14年にもなるんだなあ。14年たったにしては比較的きれいだとは思うけれど、家電製品を中心にそれなりに入れ替えたから、やはり月日は経過しているのだ。

午後、「小浜市の歴史を文化を守る市民の会」の総会と重鎮・N先生のご講演。
思えばこの10年ほど、なんやかやと歴史文化関係の活動に関わってきたなあ。私はそういうものと丸っきり縁遠い専門分野の人間のはずなのに。
でもそのことが、自分の視野を広げてくれたとも思っている。おこがましい言い方をすれば。
これからもきっとそれなりに関わっていくのだろうけれど、まちづくりという視点でいつも関われたらと思う。
そんな間にもメールは次々と来るのだが、その中に混じってラガーマンさんから写真が送られてきていた。

小浜二中が修学旅行で東京方面に行っているのだが、そのうち1クラスが浦安でふるさと商品の販売体験をやっている光景だ。おー、やってるなあと嬉しかった。ラガーマンさん、わざわざ行ってくれたのだ。

ラガーマンさんが行ったときには鯖寿司やへしこはすでに完売で、鯖缶と小鯛の笹漬けを買ってくれたようだ。ありがとうございますぅ~。

いったん帰宅してあわただしく事務処理なんぞをしていると、新聞記者のM君が異動のあいさつにわざわざ来てくれた。ありがたいなあ。また会おうね。

あわただしく夕食を食って、夜はボランティアセンター登録団体協議会。
みんなそれぞれにがんばって、また行き詰まったりしているなあと改めて思う。
そういう人たちの力になるのがWACおばまの存在目的のひとつなのだから、何かしたいなあと、こちらももどかしく思ったりする。まあとにかくお互いがんばりましょうとしか言えなかったりする。

帰宅してまた少し事務処理をしてからSkype面談。
さすがにもう何もしたくなくなってきたけれど、それでも諦め悪く少し添削などして、ようやく焼酎など少し飲んでほっとする。

ちょっとこの2日ほど、タスクが多すぎるような気もする。自分が忙しいからか、年度末で身の回りが少しとげとげしくなっているからか、自分の気持ちも少しざらざらしているなと感じる。
いかんいかん。明日は絵画展準備やらあるけれど、タスクとしてはずっと少ないから、心静かに過ごそう。

2015年3月18日水曜日

ビバ!sonnyさん

今年もSUKIYAKI塾無料添削講座が始まった。といってももう一次募集は終わっており、目下コーディネート中なのだが。
事務局は今年もsonnyさん。中にはわけのわからないというか身勝手な受講生もいるから大変なのだが、2年続けて志願していただいた。Mなのかもしれない。ドM委員長といい、どうも広島人はMが多いのかもしれない。
そういえば、sonnyさんからメールが来ると、最後には「sonny@シラフ」か「sonny@酔っパ」かどちらかの署名がある。「sonny@ほろ酔い」とか「sonny@今日はこのくらいで」などはない。
潔いではないか。さすが、大阪から広島まで新幹線でちゃんと帰れるか心配して、じゃぱねっとさんがヘルパーさんとして着いてくるだけのことはある。
まだSUKIYAKI塾がネット上の集まりでしかなかったころ、いち早くセミナーを開催したのもsonnyさんだった。広島はSUKIYAKI塾地域活動の発祥の地でもあるのだ。

ああ、こんなこと書いていたら、また広島でがんす食べながら飲みたくなってきた。
今度行くときは暖かい季節だろうな。桜が咲いているといいな。

2015年3月17日火曜日

春先の雪室

日中の気温が20度にもなる、むっちゃ暖かいいい天気。こんな日は室内にこもっていると「こんなことしてちゃいかん!」と思わず立ち上がり、特に用事もないのに外に行きたくなってしまっていけない。

ということで、上根来に行ってきました。実際は、雪室に入れているお酒の蔵元に明日行くので、そのときに持参する雪室貯蔵酒を取りに行ったのだが、まあとにかくいい天気で、車に乗っていると冷房がほしくなるくらいだ。

今年はこれまでにないほど雪が少ない。このあたりは3月だとまだ道沿いにどっさり雪があって、ようやく通れるくらいに融けたくらいのはずなのだが。

そんなポカポカ陽気だが、我らが雪室は元気いっぱい、あまり融けていない。

これが3月8日に造成し終えたばかりの雪山の同じアングルの写真。前面や横のムキダシの雪はもうなくなったが、天端高や全体フォルムはほとんど変わっていない。うーむ、これは期待が持てるかな。

2月1日に入れた(つまり1ヶ月半経過した)タマネギ、ジャガイモ、ダイコン、ニンジン、レタス。ほとんど変化はない。

同じく1ヶ月半経過したキャベツ。少ししなびているように見えるが、これは一番外の葉っぱだけで、中身はツヤツヤ。
次回は3月末に出してイベントで食べる。楽しみである。

ゲストハウスも陽光の中、春の訪れを喜んでいるようだ。今年はここをもっと活用したい。

雪囲いの前にはまだ雪がどっさりあるが、月末にはなくなるだろう。雪囲いを片付け、ブレーカーを入れ、水道の栓を開いて中を掃除しよう。

山を下りると、南川ではいさざ漁がはじまっていた。川面で高校生のボート部が練習している。小浜の春の風景である。春風の中を自転車で走り回りたくなってきた。