2014年6月30日月曜日

いいでしょう、たまには。

今日はゆっくり過ごした。特にどこかに行ったというのは、会社のデスク用にキーボードを買ったことと、夜に女房・両親とメシを食いにいったことくらい。
もちろん添削などは粛々とやっているが、HPの更新や択一練習問題の作成などは、今日一日だけサボらせてもらった。いいでしょう、たまには。

夜、風呂に入った後に涼みがてら久々にギターやピアノを弾いてみた。なんだかしみじみとしてしまって、いつの間にか時間が過ぎていた。いいでしょう、たまには。

2014年6月29日日曜日

セミナーツアー終了

昨夜は午後11時過ぎに寝てしまった。そのため朝は5時半という、知床さん並みの早起き。朝風呂に入って添削をしてもまだ時間がたっぷり。うーむ、早起きは三文の得というけれど、朝ってけっこう時間があるのね。

金沢発9時過ぎの「サンダーバード」で大阪へ。2時間半ほどで新大阪に到着。クレヨンさんと待ち合わせて昼食。

新大阪なので昼食は当然これ。皇蘭の焼き飯セットである。

午後、セミナー。これが筆記試験セミナー最終講義。通算すると何回やったかなあ。

個別講習。こういうことができるのは、やはりSUKIYAKI塾ならではだ。

終了後、懇親会。大阪の皆さん(それ以外の人も混じってるが)、ありがとうございました。

8時過ぎの「サンダーバード」で敦賀へ。そして小浜線の終電で小浜へ。最後は1両編成です。
これで筆記試験セミナーツアーは終わりだ。出願セミナーツアーとほとんど一続きでやっているから、3月中旬から延々とやったことになる。
ちょっと数えてみたら、64泊していた。また飛行機搭乗は21回だった。あほや。

宿泊地は以下のとおり。
(北海道)札幌、帯広、釧路、留萌
(東北)青森、秋田、仙台、いわき
(関東)東京
(北信越)新潟、金沢
(東海)名古屋
(近畿)大阪
(中国)広島、鳥取、松江
(四国)徳島、高知
(九州)福岡、大分、佐賀
(沖縄)那覇、石垣

空港は以下のとおり。
新千歳、帯広、釧路、青森、秋田、仙台、新潟、小松、中部、伊丹、広島、出雲、高知、福岡、大分、那覇、石垣島
新千歳や那覇は5回利用している。今回は羽田を利用していないのにビックリした。

まあともかくよく動いた。明日からは小浜で社会復帰しよう。^^;

2014年6月28日土曜日

すいません、一言だけ話を!

筆記セミナーの最後となる週末、まずはSUKIYAKI塾北陸の金沢セミナーである。

北陸はやはり私の地元なので、気心の知れた連中とリラックスしてセミナーをしている。…って、他のSUKIYAKI塾でも十分リラックスしてますね。すいません。^o^;

でも、地元だからという「特に旅というようなものでもない」感があるんだろうね、セミナーはもちろん、懇親会の酒肴の写真すらなく、ましてや手羽先の会に迫ろうかという盛り上がりぶりの写真すらなく、唯一あるのが店の入り口に山のように飾られた日本酒のビンに大喜びで記念写真を撮るおバカな集団の写真だけであります。

…ところで、上の写真に、撮られているのにスマホを構えて逆撮影を試みるアヤシゲなおじさんが一人いるのがわかるだろうか。

写真を撮ろうとしても向こうを向いて正体を隠そうとするのである。アヤシイではないか。

横に回り込むと、すかさず傘で顔を隠すのである。ますますアヤシイではないか。

そのアヤシイ人は、「すいません、一言だけ話を。あねごとの関係はどうなっているのですか!」と食い下がる我々取材陣を無視してタクシーに乗り込み、金沢は片町を目指して走り去ったのでありました。
さあて、今日はどんなレジェンドが生まれるのでありましょうか。
ちなみに今夜は伊勢うどん伝説の第2幕はなく、おとなしく赤福ともみじまんじゅうが並んだのでありました。

2014年6月27日金曜日

OK牧場で行こう

正午前の電車で福井へ。本当はもっと遅く出てもいいんだけど、やっぱり「いつもの机以外で仕事をする」ことって魅力的なのですよ。
ところが、原因はよくわからないのだが、わずか2時間半の電車の旅の間にPCのバッテリーがなくなってしまった。なんでだろう。ネットに接続していても5時間は楽に持つし、ちょっと気を付ければ7時間は堅いのに。
ともあれ、福井市で思わぬ電源ジプシーと化し、アヤシゲな喫茶店を含めて数店渡り歩く羽目になった。まったくもって政令指定都市クラスの都市と地方都市の違いを痛感するのが、この電源確保である。

ともあれ、何とか電源問題はしのぎ、夕方から福井下車の目的である飲み会へ。

右:福井県大野市上庄地区の里芋を煮たもの。これが絶品なのです。
左:たくあんを煮たもの。これは福井県でも旧越前国以外では食べられないであろう肴であります。

NPOのことなどについてわあわあと飲み語らった。かえすがえすこういう時間は必要だ。自分の考えを整理してまとめる意味でも、これからのいろんなことに向かうエネルギーをもらうためにも。
最近、NPOの連携なんかについて話すことが多いのだけど、連携できるかどうかって、「OK牧場」のI'm OK,you are OKでいられるかどうかなんだろうなあと思う。
これって人付き合いと同じなんだよね。
I'm OK,and you are OKだと、それは認め合うということだし、許容幅が広いということだから、だんだん広がってくる。
I'm OK,but you are not OKだと、それは「自分だけがOK」なので、プライベートでは友達がいなくなるだろうし、会社などでも人を育てるとか組織を束ねるという役割は回ってこなくなるだろうし、社会の中でも大事な役回りは回ってこなくなる。
特にNPOなんて「生活のために我慢する」という必要がないから、そんなことがはっきり出てしまう。
ほんと、NPOってリーダーの人間を試されているようで、怖いものだなあ…
ぐー…

!!!
危ない所だった。寝過ごすところだった。飲み会の後、福井から金沢まで電車で移動していたのだった。電車が金沢駅のホームに入り減速するところで目が覚めた。やばいやばい。富山まで行ってしまうところだった。

金沢駅の風景も、なんだか、「飽きちゃいました」といいたくなるくらい何度も見ているような気がする。例によってドーミーイン宿泊なので、洗濯しつつ、大浴場でゆっくり時間を過ごそう。

2014年6月26日木曜日

上根来三態

午後、オバマージャン。夜、雪室プロジェクトの協議会、終了後木曜会。
雪室プロジェクトは、福井県の補助をいただけることになったので、市役所と組んで協議会を立ち上げることになった。会長を務めることになったが、まあ成り行き上仕方あるまい。
県立大学の方もアドバイスいただけることになったし、補助金のおかげで昨年度はできなかったこともできそうだ。がんばろう。
で、写真はぜんぜん撮ってない。まあバタバタしてたんだねえ。

何もないのも寂しいから、3つの時代の上根来の空中写真を載せてみようと思う。

昭和20年代、米軍による空中写真。真ん中の灰色っぽいエリアが上根来の棚田で、その上に集落家屋が点々としている。このころはまだ車が通る道もなく、炭焼きを中心に生計をたてていたんだと思う。

昭和40年代。車の通る道ができ、画面左上には上根来小学校の後者が細長く写っている。でも田んぼと森林の境界はあまり変わっていない。棚田も普通に耕作が営まれていたようだ。

直近の空中写真。棚田が広がっていたところは多くが杉林に転用され、あとは放棄水田になった。
こうして林業で生計をたてようとしたのだが、外材輸入に伴う林業衰退で頓挫した。
そこで、写真右下の、ずっと棚田だったところを造成して畜産団地を作り、畜産で生計を立てようとしたのだが、ウルグアイラウンドの牛肉自由化で頓挫した。
かつては炭焼きやアブラギリの桐油も重要な収入源だったが、それも石油製品等の輸入により頓挫した。
人口100人以下の小さな集落が、グローバル経済に翻弄され、今では実質人口ゼロになっている。地場産業がなければ、人里から離れた山間集落は不便なだけだから、引っ越すのは無理もない話だ。

でも、少しでも何かやりたいと思ってずっとやっている。今日の協議会にも地元の百里会から3人が加わってくれた。誠意を持ってずっと一緒にやっていきたい。

2014年6月25日水曜日

ころびの花びらが風に散ったよな

昼前に高校で非行防止チラシ配り(今日はNPOのほうじゃなくて警察協助員の活動。ややこしいのだ^^;)をしていたら正午を過ぎたので、オニギリを買って久々に(本当に久々。3か月ぶりだ)上根来に行ってみた。

雪室はもう跡形もなく雪がとけて、貯蔵庫がブルーシートの下になっていた。そのうち片付けないとな。

ゲストハウスも久々に開けてみた。まずは掃除をして空気を通さないとな、と思って電源ブレーカーを入れたら、外でじゃばじゃばと音がする。室外にある水道管が破裂しているのだ。あちゃー、今年もか。上根来の厳しい冬の寒さで凍結して破裂するのだ。一昨年ひととおり保温材で養生したつもりだったが不十分だったらしい。またこれで仕事が増えた。

アブラギリはすっかり葉を茂らせている。そろそろ葉を集めないとなあと思って見ると、ちょうど花が咲いていた。

花のアップ。小さな可愛い花だ。これが秋には実となり、10月には拾えるようになる。いつか少しでも里山産業の一部になればいいのだが。

夜は来月のNPO交流会についての会議をココスで。若い連中はここをお気に入りのようだ。私もだけど。
「会議」というより「会合」とか「ミーティング」といったほうがいいのかな。交流会の段取り結締を効率的に進めるのではなく、互いにおしゃべりや冗談を楽しみながら、義務感ではなく自発的に関われる程度に無理のないペースでミーティングが進む。
彼らはいつの間にかこういう呼吸というかテンポを身に付け、そういう仲間でゆるゆると歩んでいるんだなあと感動した。これこそ「できる人が、できるときに、できることを」だよなあ。
成果主義ではなく、そこまでのプロセスを楽しんでいるし、そのプロセスこそが成長になってるんだろうなと思う。SUKIYAKI塾もそうあるべきだなと改めて勉強になった。みんな、ありがとね。

2014年6月24日火曜日

地元でゆっくり…してないな

今日から地元生活が始まった。といっても3日だけだけどね。^^;

午前中、多田区でオバマージャン。今回も喜んでもらえた。「あー面白かった」と言ってもらえるのが何よりの喜びだ。

午後、4月からの懸案を消化。会社のデスクトップがXpで、まあセキュリティの問題もあるのだけどCPUやHDDの遅さゆえ、しばらく使わないとバージョンアップやらEvernoteの同期やらで使い物にならないのである。
思い切ってデスクトップは使うのをやめ、持ち歩いているノートPC(レッツノートやバイオ)を使うことにした。デスクトップマシンのモニタだけ置いておいて、これをノートPCにつないで拡張モードで使うことにした。まあとにかく4月5月とほとんど不在で気になっていた問題が解消したのですっきりした。

夜、しこしこと練習問題作りやら添削をやっていると、なにやらアヤシゲなお方からメールが。
おい、たくく、また東京で飲んでるのか?お前ら、うらやましすぎるぞ。
くそおっと冷蔵庫を開けて、プリン体オフビールを引っ張り出して飲む悲しいワタシでありました。

2014年6月23日月曜日

ひょいとひとっ飛び

まだちょっとにんにく臭いかなあと思いつつ起床。

窓を開けると、思わず「うーむ」と言うしかない晴天。帰る日にいつも晴天。うーむ。

ゆっくり朝食を食べて、歩いて高知駅へ。暑いくらいのいい天気である。
駅カフェでのんびりコーヒーを飲みながら添削していたらバスに乗り遅れそうになった。^^;

高知空港まで40分ほど。まあ全国的に見るとこれくらい時間がかかるところに空港があることが多いなあという気がする。高知空港もいい天気だ。

雲はそこそこあれど、順調にフライト。ただし高知~大阪なのでフライトはわずか30分。

高度も低いので下界がよく見える。これは徳島県の出羽島。

徳島県の阿南市のあたり。ここから紀伊水道を渡る。

和歌山市の上。高度がかなり低い。正午前に大阪空港に到着。昼飯を食って、バスまでの待ち時間、カードラウンジで添削。石垣から帰ってきたときも同じことをしていたなあ。

バスの時間が来たので移動。大阪空港もいい天気でありました。ちぇっ。
3時間弱で小浜に到着。バスの中で添削していたらちょっと酔ったみたいだ。駅においてあった自転車で帰宅して、少し昼寝したらしゃきんとしたのでさらに添削。
夜、風呂にゆっくり入って、十勝みやげのチーズをつまみに沖縄みやげの忠孝を飲んだ。ようやくほっとした。

2014年6月22日日曜日

天狗の鼻の酒が効くんだな

高知でSUKIYAKI塾四国セミナー。午前中講義、午後は科目別講習。例によってセミナー中の写真はいっさいありません。(きっぱり)^^

で、例によって終了後の飲み会飲み写真がいっぱいあるわけですね。高知といえばひろめ市場。

左上:アオサ天ぷら、左下:イタドリ、右:チャンバラ貝。高知の味ですねえ。たまりません。

そして何といってもカツオのたたき。これは塩たたき。さらにポン酢たたき、ハランボ、ウツボなどたらふくいただいた。

さらに高知といえばべく杯。春に買ったセットをまた持ってきて御開帳。

天狗が一番量が多いのだが、鼻のところに残った酒が効くんだなこれが。
店の女将も入ってきて、さらには地元のおじさんも入ってきて、菊の花、はし拳もやって、いやはや楽しい酒宴でありました。

いやあ、やっぱり高知最高です。後ろのほうでは何やら東国からやってきた会長様も背後霊のようにお立ちになっておられます。

〆の…何にしようか迷った挙句「にんにくラーメン」。美味かったですよ、もちろん。でもホテルに戻ってちょっとうたた寝して起きたら、口の中が…明日の飛行機で隣になる人に申し訳ないなあ。^^;

並行して新宿では、沖縄からゆめたく会長が上京し、高知に負けじと酒宴を開いていた模様。

バイア-ゆめたくの2人が物陰で怪しげなブツの交換をやっていたというウワサが…^^;
2人とも、急に電話してごめんね。

2014年6月21日土曜日

夜にアンパンマンはこたえる

今日は倉吉でセミナーである。
鳥取県は鳥取・倉吉・米子・境港の4つしか市がないのだが、鳥取市は県の東の方、米子・境港は西の端に、そして倉吉がちょうど真ん中あたりにある。朝8時過ぎの電車ではなくディーゼル列車で向かうことにした。

ホームの上が抜けてるなあと思ったら、架線がないのですね。北海道や四国でも同じような光景が見られるけど。

特急「まつかぜ」に乗車。2両の特急列車であります。1両目が指定席、2両目が自由席。
30分ほどで倉吉に到着。駅舎の中にあるホールで午前中一般部門の講義、ホールの中で鳥取県技術士会のみなさんと弁当を食べて、午後は総監部門の講義。15:30に終了して、そのまま駅から高知に移動。だから今日は倉吉駅から一歩も出ていないのだ。

まずは特急「はくと」で倉吉から上郡まで。「はくと」は山陰線とは思えぬ洒落た車両だ。もちろんディーゼル。混んでるといやだから指定席を取ったのだが…

ラララ無人君ラララ無人君ララララ。うーむ、自由席で十分だったか。

二十世紀ナシチューハイと、もらった焼きあご(トビウオ)でほっと一息つきつつ、上郡まで1時間。ちなみに車内販売はない。

上郡の駅はなんとも静かであった。駅まで無人君か?待ち合わせ時間は30分。店も何もないのでホームでベンチでひたすら添削。

ここからは山陽本線の普通電車(今度は電車なのだ)で岡山まで移動。通勤していると思わしき人たちと一緒に1時間。
岡山駅近くで若い美人OLが2人向かい席に座った。
「そうじゃろう」
「大変じゃけん」
…セリフだけ文字にするとオジイサンの会話だ。
岡山駅でかやくごはん+うどんの西日本らしいセットをかきこんで、今度は特急「南風」(またもディーゼル)で高知に移動である。

ホームに行くと、なんてことだアンパンマン列車である。うーむ、こんな夜に走らせるのか。

ラララ無人君ラララ無人君ララララ。うーむ、この列車も自由席で十分だったか。

今度はチューハイとじゃがりこ。ちなみに車内販売はない。なんだか同じことばかりしてるなあ。

天井にもアンパンマンの絵が。ここはラスコー洞窟か。やがて出発時間になると、アンパンマンマーチが流れ、「みなさん、こんにちは!ぼく、アンパンマンです。今日は乗っていただいてありがとうございます!」とアンパンマンの元気いっぱいの声が響いた。夜8時すぎなのに。こたえるなあ。

3時間近くかけて、夜11時前に高知駅に到着。なぜか雨であった。前回も雨じゃなかったかなあ。
ホテルにたどりつき、ランドリーで洗濯しつつ入浴して力尽きた。
うーむ、今日のブログはまるで鉄のブログみたいになってしまった。

2014年6月20日金曜日

明日はきっと足が痛い

鳥取市内でRCCM、一次試験の講義。終わったら4時過ぎだったので、ホテルの貸し自転車で鳥取砂丘まで行ってみることにした。道路標識を見ると5kmだという。なんだ楽勝じゃないか。

鳥取城跡の案内板を見たのでお堀のところまで行ってみた。ルネッサンス風の洋館が立っていたりして、なかなか興味深い。今日は先を急ぐが、次の機会に行きたいなあ。

袋川の堤防管理道路が自転車歩行者道でもあったのでここをキーコキーコと進む。たま~におじいちゃんおばあちゃんが散歩している。のどかでいいなあ。風が気持ちいいなあ。…なんて、この時はまだノンキに構えていたのだが。
やがて砂丘の手前になったが、国道のトンネルを行くのはやばそうなので、「子どもの国」を迂回する道を進む。うーむ、どんどん登り坂になってきたぞ。

「因幡自転車道」というのをを発見したので進むと、なんだこの九十九折れは。これを登るのですか。まじですか。
しかしここまで来て引き返すのはあまりに惜しい。意を決して坂を登り始めるも、ギヤチェンジもできない20インチの貸し自転車ではいかんともしがたい。汗をかきかき、ぜーはーぜーはー喘ぎながら登り続けた。

「こんにちは!」
いきなり声をかけられてびっくりして前を見ると、小学校低学年くらいの子どもたちが挨拶してくれている。息も絶え絶えだが、ここは「いいおじさん」として余裕をもって挨拶し返さねばなるまい。
「はい、こんにちばっ!!
なんということだ、息が押さえられずにぶはっと吐き出してしまったではないか。子どもたちがびっくりしているではないか。
何とか手を振りにっこりするも、あいさつというより末期の別れみたいな手の振り方になってしまった。
ふと周りを見るとキャンプ場になっている。子どもたちは学校か何かで来ているようだ。ということはもうすぐ終点か?
はたしてほどなく道路に出て、目の前に砂丘につながる砂地が見える。おお、とうとう着いたのだ。

自転車を置き、砂丘を登る。なんてことだ、足が少しふらつくではないか。観光客というより砂漠で遭難したヒゲオヤジみたいになってしまいつつも、ようやく丘の頂上に着いた。

おお、鳥取砂丘だ。もしかすると学生のとき以来か?
感動しつつも、海までいく気力体力すでになく、腰をおろしてボーゼンと砂丘とその向こうの海と、いつのまにか灰色になっていた空をしばらく見ていた。鳥取城のあたりでは晴れてたよなあ?

帰路はふたたび袋川の堤防道路。学校の下校時間になり、少年少女がすいすい抜いていく。まあ風が気持ちいいので、ゆっくり行こう。あー疲れた。
いったんホテルに戻ってから、鳥取県技術士会の皆さんと懇親会。実ににぎやかに楽しい時間を過ごした。

鳥取県といえば、ロシア。元気いっぱいです。彼は沖縄に行きたいらしい。「ゆめたくさんに親しみを込めて」とポーズ。うーむ、只者ではない。