2014年2月28日金曜日

祝・RCCM合格

今日はRCCM試験の合格発表だった。
掲示板は例年のように合格を喜ぶ声がアップされているし、答案を提供してくれた人もいる。
ともかく皆さん、おめでとうございました。
そして3日後は技術士の合格発表。また悲喜こもごもの日になりそうだ。

そして今日もまたPM2.5の濃度が高いらしい。ただどうも風景を見ていると単なる曇り空のようにもみえて、何だかよくわからない。

古津から久須夜ヶ岳を望む。第2展望台のあるあたりから向こう、山頂あたりはぜんぜん見えない。空の濃淡があるから、ある程度以上の高さの部分は雲のようにも見える。

そして暖かい。10度以上の気温が続くせいか、雪解けが進んでいるようで、北川は濁ってしまい、渦を巻きながら速く流れている。雪解け水だからってこんなに濁っていたかなあ。

昨夜は久々に木曜会に出た。ちょうど新聞社のメンバーもいたので3月の行事PRもしていたのだが、「こんなにたくさんするんか?」というくらい盛りだくさん。何なんだ今年の3月は。
とりあえず2日に加斗で笹谷絡みのあれこれ、6日にへしこ作り、12日に雪室オープン、13日にへしこ作り第2回、15日に笹谷作業である。23日にはエコエコ自然楽校があるが私はみちのくひとり旅の最中なので出られない。ToT
それらの合間に祭りの話し合いやら大学の地域学習対応やらが入ってくる。
そうそう、明日には北の大地から大きい人が来るんだった。もう来浜4回目ともなると扱いはぞんざいなのだ。^o^

2014年2月27日木曜日

さらばSOTOMO

「SOTOMO」が閉店する。よく昼飯を食べに来ていたのだが、行動様式が変わってからここ2年ほどはご無沙汰していた。マスターも奥さんもお年だからかな。38年店をやっておられたのだという。
先日ここで偶然、M先生と会った。「今週いっぱいで閉めるので通い詰めている」とのこと。そういえば店内はけっこう混んでいて、支払いのときに閉店を残念がる言葉をかけている人もいた。みんないろんな思い出があるのだろう。そういえば私もずーっと以前(もう20年ほど前)は残業中に夕食を食べによく来ていたなあ。

俳優やアーティストの素敵な絵が壁にバーンと飾ってあり、ステージ照明らしきものもあり、いつも70年代~80年代ロックが流れている、だけど店内は落ち着いていて、食事とコーヒーとノマドワークのできる、そんな店だった。



もっと行っとけばよかったなあと思うけれど、自分の行きつけのひとつになっていると閉店のときの寂しさも倍増してしまうしなあとも思う。
ともあれご苦労様でした。

2014年2月26日水曜日

やっと地元で

小浜市内で、北陸技術士懇談会が主導する講習会にて技術士試験講義をさせていただいた。
実はこのようなこおてゃ今回が初めてだ。あちこちで散々受験支援だのセミナーだのやっていながら、地元でやっていなかったのだ。
遠慮もあった。確かSUKIYAKI塾やAPEC-semiのセミナーツアーを始めてすぐのあたりで福井県内での講習会講師の依頼があったのだが、3月になってからの5月の講習会依頼だったので、もう予定が満杯になっていてどうにもならずお断りしたところ、それからお声掛けをいただかなくなった。気にはなっていたのだが、忙しさにかまけて放ってあったのだ。
今回このような機会をもらって本当に感謝している。やっぱり地域作りを担う技術者は地域で育てないと。

今日の講義はどうだったろうか。
皆さんにはどう映ったかはわからないが、実はいっぱいいっぱいだった。

毎年、セミナーツアーの最初はこうなのだが、時間配分がまだうまくいかなかったり、頭の中でまとまってないもので話があちこち飛んでまとまらなくなったりして、終わってからけっこう自己嫌悪に陥る。
同じような内容の講義を繰り返していくうちにこなれてくるのだが、今日は特に慣れている3時間1テーマの講義ではなく、2時間に一次試験と二次試験をまとめて話したこと、そして何より受講生に知った顔がたくさんいて、それも私がお世話になってきた人だったり、まじめモードの自分との付き合いがあまりない人だったり(まあつまり気恥ずかしいのだが)して、どうも調子が出なかった。
次の機会があれば、もっとうまくやりますから、今回はこの程度でご勘弁ください。

終了後、「村さ来」で軽く打ち上げ…って、終わったら日が変わっていたけれど。^^;
セミナーツアーでもそうだが、終わった後にほっとして、しゃべり続けで熱っぽくなった喉に冷たい飲み物をぐぐいと流し、今度はほわーんと酔ってきてからのリラックスした会話が一番の楽しみだ。

ともかく、今日は嬉しかったという話です。

2014年2月25日火曜日

ぼんやりした風景

急に暖かくなった。3月の陽気らしい。そして春っぽくなったなあと思ったとたんに黄砂がやってきた。ただ今回の黄砂は本当に黄砂かどうかわからない。
以前、名古屋あたりで光化学オキシダントという死語か?と思うような現象が頻発した際、黄砂の成分を調べたら細かい砂粒の時もあるが、硫酸エアロゾルの時もあるという話があった。飛来源は中国だろうということで、越境酸性雨のひとつだったわけだ。実際日本海側で雨のpHが低かったりするし。

最近はPM2.5である。まあPM2.5というのは浮遊粒子状物質の粒の細かさだから、別にその成分が砂粒だろうが硫酸エアロゾルだろうが何だろうが関係ないのだけれど、ちょうど同じ日に北京で過去最高の大気汚染が報じられているから、やはりキモチワルイ。

向こうのほうにぼんやり山が見えるでしょう。5kmもないくらいの距離なんだけど、ほとんど見えない。

1kmも離れていない大黒山。「はっきり見えるじゃないか」と言うかもしれないけれど、

同じ風景の1日前の様子。もう空の色からして違うでしょう。とにかく晴れてはいるのだけれど、薄曇り状態で、影もぼんやりしているのだ。
中身が何かはともかくとして、ここ10年ほど明らかに黄砂(というか浮遊粒子状物質)がひどくなっている。これが砂粒であれば砂粒であったで、開発に伴う砂漠化なんてものの表れだからやっぱり憂鬱な話である。

椎名誠氏のエッセイで、ロシアの極北のまちに冬に行ったとき、とにかく寒いので息であれ排気であれ何でも白くなるので、まち全体が濃い霧の中で、その中を歩く人はユーレイのように見えたといったようなことが書かれていたが、黄砂のひどい時の朝なんぞまさにそれに近い世界だ。
待ちわびた春が来れば来たで、またあのぼんやりした風景を見ることになるんだなあと思うと、せっかくの春も嬉しさ半減のような気分になる。

2014年2月24日月曜日

しょんべん橋

先日立ち合いをした「女房の実家が管理を任されている土地」(ああややこしい)は、昨年9月の台風18号で流されてしまった橋の架け替えのための土地確保に伴うものだ。流された橋を全体に高くするのでまわりの土地が必要になるわけですね。
数件が土地を提供したようだが、全部寄付である。私は仕事柄「で、なんぼやねん」と目の色を変える人、買い上げてもらう土地を少しでも多く見積もらせようと「ここもウチの土地!」と強弁する人をいっぱい見てきたので、「へえ、みんな寄付しはるんや」と新鮮だった。まあ地元要望ということもあるのだろうが。

見るも無残に橋の半分が流されてひっくり返って対岸に引っかかっている。
この橋は「飛川橋」というのだが、みんなは「しょんべん橋」と呼んでいあ。「しょんべん程度の出水でも流されてしまう橋」という意味らしいが、まさか本当に流されてしまうとは。

この橋のちょっとだけ上流に河原が広くなったところがあり、対岸には岩場がある。このてっぺんは平らになっていて、夏になるとここからよく子どもが飛び込んで遊ぶ。息子も小学生のころ飛び込んでいた。
昔はここに橋がかかっていて(これに通じる道路の幅からいって、車は絶対に通れない人道橋だったろう)、出水のたびに流されるので、こちら側の岸の大きな木にワイヤーでくくりつけてあって、流されてもそのあたりに引っかかっているようにし、出水が収まったら引いてきてもとに戻していた、そしてそれは区長の仕事だったというトンデモナイ話を立会いの時に地元の人に聞いた。まじか。それこそ「しょんべん橋」やんか。てか、何なんだそのフレキシブルさは。いやそうじゃなくて、区長どんだけ大変やねん。

2010年7月の同じ河原。対岸で高校生くらいの子どもたちが遊んでいる。今回の出水で全体に河原が高くなったように思う。

ここは川が左にカーブしているので、対岸の岩場のほうが攻撃斜面になって、こちら側に土砂が堆積する構造になっているから、出水時にどっさり堆積して河積が狭くなると同時に対岸側に流れが集中して、橋の向こう側の桁を吹っ飛ばしてしまったのかなあと思った。
ともあれ、今度はちょとやそっとでは流されない橋になるだろう。それでもみんなは「しょんべん橋」と言うんだろうか。

2014年2月23日日曜日

落ち着きのないおじさん

屋内にいるのがもったいないようないい天気だが、2月下旬はこういう冬を忘れさせるような陽気がときどきある。
加斗地区で、竹工作イベント。私はメイン講師ではなくお手伝い係。竹とんぼなどを作ったが、ついでに竹水筒もいくつか作った。

空気鉄砲用の篠竹が用意してあったので、久々に篠笛を作ってみた。乾燥していない竹で作るとささくれがいっぱいできていい笛は作れないが、それでもちゃんと鳴った。指孔は「指が覚えている場所」にテキトーに空けたが、そこそこ音程も取れていて我ながら感心。^o^

昼前に終了。ひねもすのたりという感じの小浜湾を横目にのんびり帰宅。昼食後、今度は自転車で外へ。こういう日は少し体を動かさないともったいないからね。

本当にいい天気で、視界もすっきり。自転車で走っては紅茶やコーヒー飲んで休憩がてら添削。

いったん帰宅してあれこれやっていたが、やっぱりいい天気がもったいなくて、もう一度自転車でいつも行く浜へ。日没風景を楽しんで満足して帰宅。…よく考えてみるとこれってただの落ち着きのないおじさんの行動か?

2014年2月22日土曜日

外仕事は楽しいけれど

久々に外作業。加斗地区の補助事業である竹林伐採を手伝った。
以前に購入したミニサイズのチェーンソーで竹を切る担当。ノコギリに比べたら運動量は少ないはずなのにかなり汗をかいてしまった。

竹林の端を中心に20~30本ほど伐採。中が全く見えなかった竹林がけっこうきれいになった。

終了後、Kさんと笹谷にいって、14日に伐採して運んでおいたアブラギリを半分の長さに切る作業(3月にキノコの植菌をする)と、ため池遊歩道の劣化状況把握。板の取り換えはちょっとしんどそうだ。やはり板張りにするかなあ。まあこういうことをあれこれ考えるのは楽しいものだ。

困ったのは、去年の9月から続く上腕の痛みた。もともとは過度の運動(薪割りとか)が原因の腱鞘炎とかテニス肘といった類のもので、とにかく毎日キーボードを打たない日はないので、腱鞘炎の軽い状態になっているようなのだが、今日のようにちょっと力仕事をするとすぐに痛みが出てしまう。まあインドメタシン(この名前もすっかり覚えちゃったなあ)の薬を塗って寝るとしよう。

2014年2月21日金曜日

たまにはじっくり和食

女房の実家が管理を任されている土地の関係で用地立会いに行ってきた。地権者側の立場でこんなの初めてだなあ。^^;
とにかく寒い日で、長靴の下からじんじんと忍び寄ってくる冷気が久々だった。
こういう日は帰宅してから暖まってもまだ不足で、やはり熱燗に限る。

ということで、女房と久々に浜照へ。こういう「和食の飾り」のある店で急がずじっくり日本酒を飲むのはやはりいいものだ。
帰宅後マンガを読みつつ(飲んだ後は活字はちょっときつい)長風呂を楽しみ、風呂上りに冷たい茶をぐびぐびと飲んですっきりし、添削を少し。もう出願書類がほぼ出来上がった人もチラホラ出てきた。今年も「アリとキリギリス」を実感するんだろうなあと思いつつ、今日は早めに寝ることにした。

2014年2月20日木曜日

緊張の夏

連日部活絡みの話になってしまうが、今回のオリンピックは、練習で調子が良くて本番でガタガタになり、すごく期待はずれな結果になってしまったかわいそうな選手が何人かいた。いつもオリンピックではそういう例を目にするが、今回は特にそれが目立ったなあと思う。
またぞろ日本人のメンタル面での弱さなんかが話題になるかもしれない。さらには教育のあり方なんかに話が及んで、順位を付けない運動会とか競争しないエピソードが語られるかもしれない。私の子どもたちが通った小学校ではフツーに順位を競う運動会をやっていたが、みんな並んで走ったりするってホンマかいな。アホちゃうかの極致である。

まあそれはともかく、本番の緊張は、またあれも忘れられないものである。特に試合開始直後の最初の動作。
私はテニスをやっていたわけだが、2年生の夏の大会、最初の試合での最初のサーブの瞬間が記憶に強烈に残っている。サーブというのはボールを手で上げ、これを打ち下ろすわけで、見上げる夏の空に自分の手が伸びて、ボールがポンと上がるわけですよ。夏空の真ん中に。
まあ練習で見慣れた図柄なんだけど、そのときは足が小刻みに震えているのを感じて、「や、やばい!」と思って、もうやみくもにラケットを振り下ろした。
どうも必死のあまり目をつぶっていたか思い切り顔をそらしていたみたいで、「とにかく振ったんだけどボールはどこに行ったのですか」状態になってしまった。
結局サービスエースで、そのあと3本立て続けに決まる好スタートになったんだけど、あの時の「ひえええ」な瞬間は忘れられない。それ以外にもきっと部活で緊張したことはあるんだろうけど、それが記憶にないくらい飛びぬけていた。
体が勝手に動いてくれたんだろうな。練習不足だったらきっと腕が縮んでしまっていただろう。

スポーツ以外では学会発表で一度すっごく緊張した記憶がある。また口頭試験では当然緊張するのだが、これはまあ体を動かして何かやるわけではないから異質の緊張ですね。本番で練習の実力が発揮できないというほどのことは経験していない。

あ、あと楽器の演奏とか歌ってのもあるな。間違うとか声が裏返ってしまうとかいうのはかなりの恐怖だ。

2014年2月19日水曜日

部活の思い出

私の読書はかなり偏っていて、一時期にワンジャンルに集中する。小説からエッセイ、さらにはコミックマンガなど、脈絡がない。
エッセイなどは単発ものだからいいのだが、小説やコミックは全巻そろえないとキモチワルイので、すぐに大人買いをしてしまう。小説はまあせいぜい数冊だからまだいいが、コミックは全巻セットとなると20巻とか30巻とかすぐにいってしまう。まあたいていはヤフオクで買うから安いのだけど。
ちなみに最近(ここ2年ほどかな)に買ったものは、仁、ナニワ金融道、新ナニワ金融道、味いちもんめ、新味いちもんめ、のだめカンタービレ、哲也、キャプテン、プレイボールなど。これもまた脈絡がない。
中には時代を感じさせるものもある。「キャプテン」「プレイボール」はちばあきお(ちばてつやの実弟)だが、確か70年代だ。


コミックの表紙からして高度成長経済期からさほど経過していない時代のニオイがするのだが、主人公の家は板屋根で石が乗っていて丸いちゃぶ台でおひつからご飯をよそって食事している。
高校野球部の部室にやってきたOBも取材に来た記者もタバコをばんばん吸っているし、生徒たちだけで夜9時ごろまで練習しているし、いやあ、そういう時代でしたねえ。
そういえば私は中学のとき軟式テニス部のキャプテンだった(嘘じゃないもんね!!!)のだが、顧問の先生って練習に来たのは1回くらいのような気がする。というか誰だったかもオボロゲだ。
自分たちで勝手に練習メニューを組み立てて(というか先輩から教わったとおりにしていただけだけど)、練習の日時も自分たちで決めて、曜日なんて関係なく、テスト期間と大会の後以外は毎日やっていたように思う。後輩が言うことを聞かないと罰として校庭を10週とか20週とか走らせた。自分もよくやられたしねえ。
早朝練習のときは朝の5時くらいに学校に来て部室を開けて道具を出していたけど、ということは部室の鍵なんてかかっていなかったんだなあ。
練習でランニングのあとダッシュを繰り返したりすると、もう「空気くれ」的状態になって胸がかーっと熱くなったりしたなあ。あの感覚は中高生の時代だけの感覚だった。でもあれがその後の人生の基礎体力を作ったんだと思う。

息子が中学生になったとき、日曜日は練習がないと聞いてびっくり、朝練習も時間制限があると聞いてびっくりした。きっと練習に遅刻したからといって何kmも校庭を走らされたりもしないんだろうな。
ぐちゃぐちゃの中でエネルギッシュに働いたりスポーツしたりしていたころから比べると、今の社会は確かに「整えられた」んだろうな。私のような人間にはちょっとさみしくもあるけれど。

2014年2月18日火曜日

春近し

曇り時々晴れ、雪が少し舞うこともあるといった程度の天気だったので、久々に車でなく自転車で出かけることにした。

灰色の空だが、冬型のときはこんなもんじゃない暗~い重た~い雲が分厚くかかっているので、ずいぶん明るい空という感じだ。たまに日も差す。雪もすっかりなくなった。次の寒波までだろうけどね。
とはいえ、やはり寒い。薄手のスマホ手袋では手が冷たいのでコンビニでフリース地の分厚い手袋を買った。このフリースとかダウンジャケットとかヒートテックとか、本当に冬の衣類はよくなったよなあと思う。

田んぼの畦にフキノトウ発見。まあもう2月の中旬を過ぎたので当然といえば当然か。ずいぶん開いているのもある。
春は着実に近づいているんだなあ。

2014年2月17日月曜日

ローテクな夜

午後、市内の老人会からの依頼でオバマージャンに出向いた。

これで何団体目かな?まだ10回もやってないとは思うが、徐々に「そういうものもあるんだ」と認知してもらえるようになってきたかな?小浜市社協のN君が機会あるたびにPRしてくれてるおかげだな。また今度おごらんといかんな。^^

夜、Skype面談1件。音声通話のみだったが、やはりメールのやりとりだけのコミュニケーションとは全然違って、互いの理解度が違う。受講生のみんなにもっと勧めよう。本当にやって損はないもの。

夜中、次年度補助金申請に絡んでプレゼン動画を作成。パワーポイントって動画出力機能はあるんだけど、スライド切り替えのタイミングが自由が効かなかったりイライラしたので、ええい面倒だと画面に映したプレゼンテーションをビデオカメラで撮影するという荒業というかローテク技で無理やり動画作成し、YouTubeにアップしてURL通知という手で動画を送った。補助金取れますように。

2014年2月16日日曜日

いい劇を見せてもらいました

郷土の偉人、山口嘉七の市民劇があるので行ってきた。山口嘉七は明治大正期の国会議員で、小浜線開通や北川南川改修に尽力した、小浜のインフラの基礎を作ってくれた人である。
冒頭から水害の場面。被災者は去年の台風18号でも被害を受けた国富地区。リアルだなあ。

同級生が2人出ていたり、ボランティアセンターの事務をやってくれている子が出ていたり、まあ小さなまちだからだけど、知り合いがたくさん出演。本当によくできた脚本で演技も素晴らしく、感動しました。ありがとうございました。

帰宅後、この季節に久々のいい天気なので、自転車で浜へ。ちょうど日没が近い時間帯だった。

小浜湾は内海だけれど、さすがに日本海側、浜はこのように波食による1.5mほどの段差ができる。よく見ると向こうの山にも雪が写っていない。ほんの2日前に積もったんだけど、昨日の雨で全部融けちゃったんだろうか。

段差の海側には流木などが大量に打ち上げられる。浜は汀線から引き波エネルギーが強くて表層侵食を受ける砂のゾーンと、流木などが集まる波の先端になるゾーン、その陸側の本当に海が荒れたときにだけ波が打ち寄せる砂利のゾーンにキレイに分かれている。

流木の中に、クルミの実を発見。ちゃんと煎ると食べられる。本気で探すと10個以上取れるはずだが、50過ぎのおっさんがそんなことをしていると怪しいというか、浮浪者扱いになるかもしれないし通報されるかもしれないのでやめておいた。

2014年2月15日土曜日

風呂が恋しい季節です

出願講座もコンスタントに毎日添削がある状態になって、ちょっとした時間も使って、相変わらずあちこちでノマド的に添削をしている。
その中で、まあこんなことフツーの人はしないよなーと思うのがお風呂添削だ。

これがツール一式。右から防水仕様のタブレット(メディアスタブ。7インチ)、タブレットスタンド(4インチクラスのスマホくらいの幅しかないコンパクトで気に入っている。100円ショップで買った)、シャ^プペンシル、耐水ノート(オキナのB6サイズ)である。これと汗拭き用のタオルを持って風呂に入り、フタの上に一式を並べて添削する。
冬でもあり、長風呂は気持ちいい。平均すると45分から1時間近く浴槽に浸かっているだろうか。長いときは1時間を超えることもある。
終わるとちょっとふらっとしている。一式を浴室の外に置いて、それから体を洗ったりもう一度お湯に浸かったりしてから出るので、トータルすると1時間以上入浴している。子どもがいるころにはまずもって無理な時間の使い方だが、今は女房と2人だからのんびりしたものだ。女房もよく本を読んでいるし。

長風呂をしていると体は芯から暖まるのはいいのだが、風呂上りにビールとかそういったものが飲みたくなる。でまあ、プリン体オフビールやホッピーを飲むのだが、こうなると風呂で書いた添削メモをEvernoteに入力するのがすごくおっくうになってしまうこと、酔っぱらうと他の仕事ができなくなってしまって、夜の時間がずいぶん無駄になってしまうことが玉に傷である。
でも長風呂は気持ちいいんだなあ。

2014年2月14日金曜日

今日は木こりだ

ここ数年、いろいろとアブラギリの活用に取り組んでいるのだが、今日はたけしと2人、キノコ栽培のための榾(ホダ)木伐採をした。

雪で真っ白になった田んぼの向こうに山が浮かぶ幻想的な光景…って言ってる場合か。こんな日に何をやっとんじゃという気もするけれど、やると決めたら今日やるんだ!

昨年度の補助金を活用して買った小型のチェーンソーを使って太めのアブラギリを切り倒す。おかちゃん直伝のチェーンソー使いだ!と言いたいところだが、まだまだです。^^;
今回はなかのさんの山で切らせていただいたが、結局なかのさんにずっと付き合っていただいた。ありがとうございます。

長さ1.5mを目安に切り出したアブラギリ。これをさらに半分に切って植菌して榾木にする。全部で60本ほどの榾木ができる予定。
まあとにかくトータル3時間ほどかけての作業。疲れたなあと帰宅し、早目のフロに入りました。

今日は結局午後まで雪が降っていた。夜にはやんだが、うっすらと数cm程度積もったかな。でも雨に変わったのですぐに融けるだろう。

2014年2月13日木曜日

春に向かって

春からのNPO活動の準備を少しずつ始めている。今年は3月にあれこれ忙しくなりそうだ。
去年も春休みに入ってすぐ「エコエコ自然楽校」の第1回イベントをやったのだが、今年は3月23日になった。ああなんてことだ、その前日仙台でセミナーだ。ToT
終わってすぐに飛行機に飛び乗れば帰って来れなくはないかもしれないが、仙台でセミナー後の飲み会を欠席するなんてありえない。
一ノ蔵を飲みながらホヤ(塩辛しかないかもしれないけど)を食べるんだ。いやいやNHさんのことだもの、まぐろの中落ちに勝るとも劣らない肴を用意してくれているに違いないのだ。ずずっ。

まあそれはともかくとして、近年は若い人たちがすごくがんばっているので、私は嬉しくてしかたがないから、彼らがこれからに続くイベントができるようにバックアップして、イベント数日前に静かに小浜を発とうと思っている。仙台の前には東京に行かないといけないし。
東京はセミナー当日は途中退席せざるをえないけど、前泊するし、今度は東京駅に近いところに泊まるから、ぜひ下町のホルモンとホッピーを賞味したいと思っている。ラガーマンさんは必殺下町案内人だから、きっといいところに連れて行ってくれるに違いないのだ。ずずっ。

…どうもすぐに飲み食いのほうに話がそれてしまうなあ。えーと、そうそうNPO活動の話だった。
小浜にはまだまだいいところがあって、今日あこちゃんとコーヒーを飲んだ「森の水PR館」などは里山めぐりの拠点としてすごく期待が持てるところだ。

木材がふんだんに使われ、自然素材の様々な道具や
食べ物・飲み物が売られている。実にいい空間ですよ。

薪ストーブがやさしく暖めてくれている。このまん前の席に
座って背中にほんのり熱を感じて過ごすのは気分がいい。

竹炭デニッシュトースト。竹炭パウダーが練りこまれている。
最初見るとちょっと引くけど、味や食感は普通のデニッシュ。
この施設は森林組合の施設なので、おそらく行政はここをどうしようなどということは考えもしないと思うけれど、NPOはそういうことに関係なく誰とでも組めるので、そのあたりはハードルなく提案ができるのだ。もっとも自分の価値観を押し付けたり、無責任に途中で放り出したりするNPOではダメだけどね。

明日からまた雪になるらしい。気圧配置が冬型の変形で、どうも東よりの風が吹くみたいだから、太平洋側での積雪が懸念されている。テレビを見ると、東京では長靴が飛ぶように売れているらしい。
でもまあこっちでも降るんだろうな。明日はあれこれ外で用事があるから寒いといやだなあ。

2014年2月12日水曜日

今年も交流しよう

9つあるSUKIYAKI塾の会に26年度分の講師派遣用旅費を分配した。
APEC-semiを始めたのが2009年なんだけれど、ネットを使った個人指導とともに、セミナーツアーも始めた。それ以前も三大都市圏ではそういったことをやってはいたんだけれど、むしろ地方部にこそ足を伸ばそうと思ったのだ。

そうしたら、ぼうずさんから北海道には来ないのかと聞かれた。それまで生涯でヒコーキに乗ったことが数えるほどしかなかった私は、航空運賃というものの仕組みを知らず、通常料金で計算して「ものすごくお金がかかるからちょっと無理です」的なことを言ってしまったようだ。鉄ちゃんに対してである。ぼうずさんは早速割り引き料金体系のこととかいっぱい調べてくれた。次から次へとメールが来て、イッタイナンノコトダカヨクワカラナカッタのだけれど、とにかくかなり安く行けるんだということはわかったので、行きますということになった。

そうしたら知床世界遺産さんが「北海道に来るなら知床に来なきゃいかんだろう」と、「大阪に来て通天閣と新世界に行かんと帰ったらあかんでえ」という大阪のおっちゃんと同じようなことを言う。
じゃあというので知床にも行った。経過は忘れたが家族も一緒に行った。娘は学校をサボって行った。「両親の都合で一緒に行かないといけないので」と学校に言っておきながら、遊ぶ気満々の格好で同級生と朝の駅ですれ違うというミスをしでかしつつも、とにかく行った。

そうしたらゆめたくさんが「北海道に行けるなら沖縄も来れるでしょう」と言ってきたので、そうだよなあと思って沖縄にも行くことにした。7月の中旬だったので、青い海と青い空を見ることができた。あれっきりである。あの時行った島と、今しょっちゅう行く島は別の島なのかもしれない。

まあとにかくそんなこんなで日本の両端に行くようなことになったのだが、自然にも文化にも歴史にも人にも食べ物にも、とにかく驚いて、自らの狭い見識を思い知らされた。技術者たるもの、自分の見慣れた住み慣れた食べなれたものばかりじゃいかんと強く思った。

ちょうどその年に筆記試験合格事例を本にして(本当に書籍にして)出版したところだったのだが、その中身は私が考えて文章を紡いだものではないから、この印税やアフェリエイトは何か自分のためじゃないものに使わないとバチが当たると思っていたところだったので、
「おおそうだ、この印税やアフェリエイトを使って講師派遣交流をしよう」
と考えた。自分と同じような体験をみんなにしてもらいたかったのだ。

2009年の印税・アフェリエイトを使って2010年に講師派遣事業を始めた。
最初は沖縄・四国から北海道へ、そして北海道・東京から沖縄へ、日本列島大縦断の派遣だった。とりあえず沖縄へ一緒に行った2人はハマってしまったようで、その年の口頭試験模擬面接は自費で参加し、早くも溶け込んでいた。

オホーツク流氷館で凍ったタオルを手にドヤ顔の面々

首里城はなぜか風雨の中だった
「みんなの見識が広がれば」という以外はあまり深く考えずに始めた事業だけど、その年から本格的に活動を始めたSUKIYAKI塾北海道の様子はみんなにショックを与えたようで、SUKIYAKI塾沖縄がすぐに立ち上がった。

講座の冒頭、ずらりと並んだ講師陣は圧巻だった。
その後2011年の活動を経て、2012年にどかどかとSUKIYAKI塾の会が立ち上がり、交流も広がった。互いの講師の専門分野の穴を埋めるための講師招聘も行われているようだし、東日本大震災の後には仙台に自費で何人もの講師が来てくれた。北海道から沖縄に行ってハンドルネームが変わって帰ったという人もいたりする。
まあとにかく交流が続き、広がっていることは本当にうれしい。
今年も交流を広げましょう。

2014年2月11日火曜日

濱四季バイキング

「濱の四季」で恒例のバイキングをやっているので、昼に両親・女房と一家で食べに行った。

上から時計回りに、白和え(ひじきが入っていてふわりもちっとして美味い)、鯖ぬた(これも実に美味い)、豆腐、その左が何だったかなー、揚げ物なんだけど実に美味い。右下が里芋とイカの煮物で、里芋が柔らかい。その左にぶり大根(大根だけ。味がしみて絶品)、一番下が肉みそ大根でこれもうまうま。そして漬物2品(白っぽいやつ。右がなれずし、左が…何だっけ?その右上、皿の真ん中あたりにあるのがごぼうの炊いたん。ごぼうとこんにゃく。その左に野菜の天ぷら(ピーマン、にんじん、もうひとつは何だっけ)。
写真左上にちらっと写っているのは焼き鯖のなまぐさ汁。焼き鯖をほぐしてちくわや麩、野菜と煮て醤油で味付けした吸い物だが、これも美味い。
ご飯はちらし寿司とそば飯。さらに小アジの南蛮漬けと鯖ぬたのお代わりと天ぷら・大根をもう少し食べて、でっちようかんと豆乳プリンをデザートに、コーヒーを飲んで大満足で御馳走様。
少量ずついろんなものを食べられて、そしてどれもが薄味でいいダシがきいていて、実に美味い。小浜の料理は京料理に近いんだけど、おばんざい的なものも多くて
年のせいかもしれないけど、ご飯のおかずってこういうのが最高にいいなあ。

もうすぐ合格発表

建設コンサルタンツ協会からRCCMメルマガが毎月配信されるのだが、月末のRCCM試験合格発表のHP掲載日時や合格証発送予定が告知されていた。
こういうことを技術士会はできないものなのかなあ。そのあたりが官民の差か。

技術士も合格発表まで3週間ほどとなり、不安な思いが掲示板でも吐露されるようになってきた。

私は一番緊張したのは建設部門土質基礎科目の時だった。いくつか大きな失敗を口頭試験でやらかし(今になって思えば評価ゼロだった答えは一つだけだったのだが)、こりゃあ不合格でも不思議じゃないなと感じていた。
おりしも、1月に「技術士受験を応援するページ」を立ち上げたばかり。それも口頭試験対策のページから作り始めていた。
そんな人間が口頭試験で落ちたら、立ち上げ早々HPは閉鎖だなあと暗澹たる気持ちになった。

午前0時になると同時に何度も何度も技術士会HPをクリックしては合格発表がないか確かめるが、全然更新されていない。
こうなりゃヤケだと酒をあおってベッドに入った。かなりイッキ飲みしたのでずぶずぶと眠ってしまった。
午前3時前くらいだろうか、気持ち悪くなって目が覚めた。
もう寝られない。10分おきにPCを見に行ってはベッドに戻る時間を悶々として過ごしていたら、誰かが玄関のほうに歩いてくる足音がする。カタリと郵便受けに新聞を入れる音。
そうだ、新聞に名前が載るのだ(そのころは大きな試験は実名が地方新聞に載った)と思いだし、急いで新聞を取り込み、立ったままで広げる。
あった。自分の名前があった。
ほっとして新聞をテーブルの上に広げたままでベッドに戻り、今度こそぐっすり眠った。3時間ほどだけど。

あれも含めて合計6回の合格発表を見ているはずなのだが、記憶が鮮明なものはあまりない。
ひどいのになると、朝早く出張に出なければならず、技術士会HPはダウンしたままで、新聞掲載ももうないというときがあった。
今のようにモバイルルーターも持ち歩いておらず、スマホもない。
富士山の横あたりで電車(いや、汽車か?)に乗っていると、くりろうさんから「おめでとさん」と電話があって自分の合格を知った。なんか悔しかった。

今は関わった人たちの合否を知る日になった。これもまたドキドキはするのだが、さすがに自分のときほどではない。
でもやっぱり小躍りして喜んだり、がっくりと椅子に座り込んだり、悲喜こもごもの日であることには違いはない。

2014年2月10日月曜日

菓子で腹いっぱい

雪はもうチラチラ舞う程度になったのだが、とにかく寒い。
いろんな用があってあちこち動く合間に濱の湯に行った。こういうときの昼風呂は格別なのだ。
湯に浸かり、手足の先がじんじんと温められる感覚を楽しみ、体を洗い、再度湯に浸かり、よおし体の真ん中まで暖まったぞと出ようとすると、くらしに水舎のよっしーがぶらぶらと(ぶらぶらさせて?)歩いている。
ちょうど今日の昼、たけしと「水舎の会議日程、まだ決まってないのかねえ」と言っていたところだったので、
「会議の日程いつ決まるの?」
と聞くと、
「えっ、今日っすよ」
ときた。げげげ、そうなの?うーむメール読み落としてたかなあ。すまん、よっしー。

そんなわけで、なんとか夜は会議に参加。菓子を食べる会じゃなく、まじめに今後の活動について話したんですよ。科学実験もしたし。てか、大の大人が何をやってたんだろう。^^;

2014年2月9日日曜日

過ぎたるは及ばざるが如し

首都圏が45年に一度の積雪25cmという「大雪」(^^;)らしい。朝からニュースで繰り返し報道しているけれど、確かに雪への備えは皆無に近い。

どこだったかの区の職員が「除雪車はない。人力のみで除雪。除雪車は財政上難しい」と言っていたが、まったく正しいと思う。
どこかの番組で雪への備えの必要性を説いていたが、ヲイヲイと思った。
45年に1回だけ、それも1日だけかせいぜい2~3日だったら、そんな極稀なもののために備えたりせず、45年に1日だけ、仕事も休んで外出もしなければいいだけの話だろう。そのほうがずっと合理的だ。

小浜だって普通に市街地で暮らしている分には冬タイヤが必要になるのは年に数回。だったらその日は休んじゃうか、タクシー出勤すればいい。ということで冬タイヤを持っていない人も多い。
確かに冬タイヤ4本買うことを考えたら、雪がない路面を走るほうがずっと多い状況でスタッドレスタイヤが何年もつかを考えたら、タイヤ交換の労力もしくは費用を考えたら、そのほうがよほど合理的だ。
ただしそういう人が雪道の日に車で外出すると多大な迷惑を周囲にかけるから、それは絶対しないことが条件だが。

その小浜は節分寒波も過ぎ、いい天気。なんだか週末にまた寒波が来るようだが…

昨日の朝の我が家の前の道。

今日の我が家の前の道。
などと雪のことを書いていたらバイアさんが雪にちなんで「なごり雪」を弾き語りで家族に聞かせた(無理やりか?)とメールを送ってきた。得意げに小鼻を膨らませているバイアさんの顔が浮かんだ。
よおしそれならこっちもと楽器部屋に行って(冬は寒いからあまり行かないのだが)「なごり雪」、猫の「雪」を一人で歌った。調子が出てきたので吉幾三の「雪国」もやるぞぉと思って「好き…」と歌いかけたら戸が開いて女房が「何やっとるん?」と顔を出したので一人の宴は終わった。

2014年2月8日土曜日

節分寒波は今日までか

敦賀市でNPOの地域情報交換会を開催したので、朝から電車で敦賀へ。昨夜は午前様だったので眠いったらありゃしない。

昨日からの雪で10cmほど積もっている。我が家の前もまだ除雪が来ておらず雪道になっている。向こうに見える信号機は雪国仕様の縦長信号機。

敦賀駅に着くと、スプリンクラーが線路の雪を融かしている。冬の当たり前の光景だが、これもこの地方ならではなんだろうな。

敦賀市内はやはり10cm~15cmくらいの積雪。シャーベット状になった雪を踏みながら会場へ。歩道幅員が十分とってない場所は車の跳ね上げたシャーベットが足にかかるので、車が来るのが見えるとわざと車道に一歩踏み出して車を威圧し減速させながら進む。雪の休日は交通量が少ないからこんなこともできる。

悪天候もあって人数は多くはなかったけれど、内容はそれなりだったのではないかと自画自賛の会だった。
本当は駅前の「魚崎」で魚を食って飲みたかったけれど、終了が3時半ではどうにもならぬ。よしきの車に乗せてもらって帰宅。

だいたい節分のころに一度寒波が来て雪が積もり、2月後半の陽気で解けて、雪が少ない年はこのあたりからいさざが遡上を始めて、3月上旬の戻り寒波でもう一度雪が降って、3月中旬にはっきり春になっていく。このあたりは地球温暖化どーのこーのと言われていても変わらない。
そういえば東京は20cmを超える雪が降ったらしい。そりゃー冬タイヤもなければスノーブーツもなければ雪かき用のブレードもないだろうから大変だろうな…と面白がりながらニュースを聞く私でありました。

2014年2月7日金曜日

鹿肉は美味し

小浜市とともに市民活動団体交流会を開催した。

岐阜県郡上市からNPO法人「メタセコイアの森の仲間たち」代表理事の興膳健太氏を招いての講演会である。学ぶところの多い講演だった。興膳氏は31歳。若さのエネルギーを随所に感じる。
「よおし、俺もがんばろう」ではなく、「よおし、小浜でもこういう若手をみんなで育てて託していこう」と思った。最近はいかにして若い人たちに託していけるかを強く考えるようになったのですよ。

終了後、試食会。メニューは3つで、ひとつは興膳氏の「猪鹿庁」プロジェクトで扱っている鹿肉フランクフルト。豚肉と混ぜてあるので脂もあって癖がない。こういうのもありだなあと感心。

若狭高校(というか水産高校)のへしこ博士による究極のへしこ。へしこは好評だったが、昨日作った葉寿司は残念ながら酢飯が硬くなっていた。うーむ反省。

若狭東高校のアブラギリを榾木にしたきのこを使ったきのこ汁。好評。
いずれの高校もこれからの活動が楽しみで、どんどん協働していきたいと思っている。
終了後、キッチンラグーに移動して、昨日渡してあった鹿肉を使った料理を堪能しつつ打ち上げ。

鹿肉のスモーク。最初は赤ワインで攻めていたが、コレハと思ってボウモアを出してもらった。いやあ、最高に合いますなあ。

えーとこれ何だっけ。とにかく美味いからいいや。^o^;
その後、バーボンも出てきてすぶすぶに飲んだ。いやあ、いい夜だった。
美味い鹿肉料理を食べながら