2013年9月30日月曜日

頭がぼんやり

何かバイオリズムのようなものか、素直に疲れがたまっているのか、それともナニカオソロシイ病気にかかってしまったのか、頭がぼんやりして、ぼわーんと重い1日であった。
濱の湯で熱い湯に浸かって、あるいはどこか眺めのいいところにでも行って、すかっとリフレッシュするかあ!という気にもまったくなれず、のそのそと1日を過ごした。
こういう状態だとファイトもわいてこず、NPOにせよSUKIYAKI塾にせよ、前向きにアイデアを出して、さあ即行動だあ!という気にもならない。いかんなあ。
まあそれでもやるべきことは着々とやっているのだけれどね。このへんが年の功ですな。^^;

こういうときはまたぞろ「角瓶に文庫本」の旅に出たい気分になるのだが、悲しいかな今年はそんなことをしている時間はない。NPO事業が目白押しで、災害でさらにタイトになった。11月になったら口頭試験ツアーに出たるぞー!と思っていたのだが、どうも出ずっぱりにしてしまうとまずいようだ。

小浜市からほど近い、京都府舞鶴市のアーケード街で見つけた酒場。こんな近くにこんな酒場が…灯台下暗しだなあ。

「みなさまの中央酒場」っていい響きだねえ。中も私好みのごちゃごちゃ感があって実にいい。今回はマイカーなので立ち寄るわけにはいかないが、いずれここで飲みたいものだ。

2013年9月29日日曜日

新生劇場復活祭

今日は「旨いもんすごろく」というイベントがあった。その一部として旭座での参加者対応のみ担当したので、イベントの全容は知らない。
・・・という言い方をすると「ただのお手伝い」なのだが、実はこのイベントと抱き合わせで「いいとこ小浜」補助事業である「新生劇場復活祭」をやったのである。

旭座は100年前の芝居小屋、福井県で唯一残存する芝居小屋だが、芝居が廃れて以降は映画館として使われていた。その映画館が「新生劇場」で、洋画をやっていたらしい。

そこで今回はチャップリンを上映した。「珍カルメン」という活弁映画である。
白いパネルをスクリーン代わりにして映写機はプロジェクター、音響はミニコンポという簡易版だが、大事なのは旭座の様々な活用を提案することなので、まあ目的は達したのではないかと思う。

「旨いもんすごろく」本来はなかなかの賑わいで、好天に恵まれたこと、先の台風18号の水害を受け、地区民体育大会を中止した地区が多く、そちらから人が流れたことなどが幸いしたかなと思う。
旭座イベントはあと1回、恒例となった「旭座ジャズナイト」が残っている。それはそれでがんばろうと思うのだが、今日のようにいい天気だと、上根来のほうが気になるねえ。

2013年9月28日土曜日

シニアとの遭遇

シルバー人材センターの県大会というのがあって、そこにNPOアピールに乗り込むという、まあある意味突撃的なイベントであった。

こんなふうに会場の外にはテントが立ち並び、そばやらタコヤキやらを売っている。さらにお酒も売っていて、県内から集まったシルバーのみなさんが上機嫌で昼下がりを過ごしていたりする。
福井県には刃物の特産地もあるので刃物も売っており、中古のサビが点々としている山刀を1000円で買った。何をしに来たんだか。

会場内はこんなふうにリサイクル品とか特産のおまんじゅうとか、とにかくフリマ化している。そしてその奥にNPO紹介コーナーがおそるおそるオープンしている。

長机と展示パネルをもらって、まあ就職説明会っぽくアレンジしたのだが、話を聞きにきてくれたシニアの方は多くはなかった。

それでものぞきに来てくれた人に誠意をこめて説明する皆さん。本当にありがとうございました。
NPO同士の交流もできて、それなりによかったかな?

アブラギリの葉を使った寿司を売っていた。永平寺町は先進地で、いろいろと学ぶことがある。

今日集まってこられたのはシルバー人材センターの人だから、「これからセカンドライフをどうしようか」ではないので、NPOの説明会といってもあまり食指が動かなかったのかもしれない。
シニアといえば団塊世代なわけだが、あの世代って、NPOやってる人少ないような…という印象だ。競争の激しかった世代だからNPOのゆっくりズムが合わない人が多いのかもしれないな。

ともあれ、今日は7つもの団体に協力いただいた。1日つぶしておきながら、得るものは少なかったのではないかと本当に申し訳ない。このご恩はどこかで。

2013年9月27日金曜日

ふてぶてしいオヤジ

あこちゃんが先のSATOYAMA国際会議の表彰式の写真をいくつかピックアップして送ってくれた。
知事から表彰状と副賞をもらう若狭東高生徒。
こういう写真を見ると本当に嬉しくなってくるね。

それにくらべて何なんだこの変なおじさんは。
態度でかくないか。「もらっといてやる」的な。

へしこ寿司をころび(アブラギリ)の葉でくるんだ
「へしころび」を使ったお弁当。これも嬉しかった。
私自身はこういった表彰モノはずっと好きではなかったのだけれど、これが今後の活動のエネルギーになって、高校生や若い人たちの励みになるのなら、どこへでもこの馬鹿面を出してやろうと思うようになった。これもまた変な「吹っ切れ」で、マズイのかもしれないなと思うのだけれど。

2013年9月26日木曜日

上根来は無事だった

台風後、はじめて上根来に行ってみた。正確に言うと18日に火起こし道具を取りに登っているのだが、あの時は夜でほとんど周りの状況がわからなかったから、今回が実質的にはじめて様子を見に行ったことになる。

土石流が2棟を飲み込んだ忠野の現場はようやく重機が入り土砂撤去が進みつつあった。

その先にも、大規模な斜面崩壊現場があった。家屋被害はないが、放っておくと拡大しそうだ。

堤防が大きくえぐられた現場。遠敷川流域で復旧しないといけない箇所はかなりあるようだ。

上根来手前のカーブ連続区間は最も被災が激しい。路肩が大きくえぐられ、今も水が勢いよく流れている。この先では路肩が崩壊した箇所もある。

一番きついヘアピンカーブの先は、土砂や流木がどっさり積もっていた。この上の沢で土石流が発生したようだ。朝一番は道路が全部土砂で埋まっていたことだろう。

畜産団地は無傷だったが、林道が通行不可になっていた。遠敷峠付近に展望台を作ろうと考えていたのだが、変更を余儀なくされそうだ。

 畜産団地横の集水ボーリング。いつもはちょろちょろしか水が出ていないが、やはりまだ水位が高いのだろう。けっこう勢いよく水が出ている。

アブラギリ収集ネットは無事だった。葉っぱとともに台風の風で落ちた実がかなりたまっていた。
アブラギリの実はかなり落ちてしまったようだが、まだまだたわわに実をつけた木も見られるので、来週あたりからまた精出してネットを張ろうと思う。

ふと見ると、ヤマナシの実がかなり成っている。今年はある程度収穫できるかな?
私はずっと「サルナシ」だと思っていたが、ちょっと調べてみたらヤマナシのようだ。

少し探すと無傷の実が4個ほど拾えた。10個くらい拾えたらヤマナシ酒を造ってみようかな。
今回上根来に行ったのは、アブラギリの実を収集するためのネットやロープ、杭などを追加で買い込んだため、これをゲストハウスまで運ぶのが目的だった。せっかく補助金をいただいたのだから、しっかり実を集めたいのだ。
上根来は秋の気配がしっかりとしていて、もう少ししたら肌寒いくらいになってくるだろう。透き通った涼しい空気の中で作業をするのが楽しみだ。

2013年9月25日水曜日

Ordinary Days

今日から日常生活に戻った。
災害ボラの資材を越前市に返却運搬する予定だったのだが、私の役目は社協の恐妻家次長殿(^^;)に譲って小浜でゆっくりさせてもらった。ちなみに福井県では、災害ボランティア関係の資材を、県の真ん中あたりに位置する越前市にまとめて置いている。このあたり、ひそかに誇るべきことだと思っている。

夜になってストップしていた各種NPO事業の再始動。
上根来の展望台を作る予定だった林道が通行不能になったりいろいろあるけれど、とにかく「楽しく前向きに」という、まあいまどき小学生に言うような言葉かもしれないけれど、大人だって同じなのだ!という言葉を胸にがんばっていこう!

SUKIYAKI塾も口頭試験セミナーに向けてメールが飛び交っていて、ああまたあの「美味し人々」との交流の時期がやってきたんだなあとワクワクしてくる。
もっとも今年の全国大会は電車でGO! in 大阪になっていて(どうやら大阪にも鉄が潜んでいるようだ。まったく理解できないことである)、その上折り返し地点が「例のおっさん」のアジトであるらしい。ご参集の皆さん、ご愁傷様です。

…といいつつ、今日も腰痛に効くという入浴剤を入れて風呂に入り、寝る前にフェイタスを腕に貼る私なのでありました。ToT

2013年9月24日火曜日

ボランティアというもの

腕と腰の湯治に行った。濱の湯へ。笑。
ゆっくり湯に浸かってぼーっとして

水害ボランティアセンターでの経験を振り返って。

今回は、小浜市民が外部から来た災害ボランティアを受け入れた初めての経験だった。
そのコーディネートをした我々ももちろん初体験で、すごくいい体験だったし勉強になったのだが、ボランティアというものに対する社会の受け取り方ということについてもすごく勉強になった。

今回は、被災規模に対してボランティア活動で対応したものが比較的少なかったという印象で、被災していながら自分たちで対応した地域が多かったようだ。
こう書くと地域の災害対応力が高いようで、それは確かにそうなのだ(土や石の扱い方や重い物の持ち方といった身体スキルが高い人が多い)が、ひっくり返すとなんでも自分でやらなければならくなって、集落の人数が減り高齢化が進んだ現在では、かなり負担が大きくなっているようだ。

被災していない人たちとの会話でわかったこと。
  1. 家族が被災したら、自分も当事者だから、力を振り絞って被災後の片付けをする。
    これはまあ当たり前だね。
  2. 親類縁者が被災したら、身内のことだから、できるだけ力を入れて後片付けをする。
    特に田舎では親類縁者が同じ区内にいたりするから、関係も濃いのだ。
  3. 親類縁者でなくても区内の人が被災したら、都合のつく範囲で手伝う。
    これは「付き合い」で、「手伝わねばならない」ことになっている。これを怠ると「村八分」の方向に進んでしまう。
  4. 親類縁者でもなく区内の人でもなければ、何もしない。
    だって当事者でもないし身内でもないから他人事になるし、区内でもなければ怠っても「村八分」の方向には進まないから、何かする・何かしなければならない理由がないのだ。
たいていの人がこんな順序の思考だ。
だから私がNPO(広義のNPO。つまりまあボランティアといったほうがわかりやすいかな)を始めた時、「なんでそんなことを」とよく言われたのもうなずける。そんなことをやらなければならない理由・動機がないのにやるということは、愚行もしくは下心しか考えられず、つまりどちらも「いいこと」ではないからだ。
  • 家族・身内は「自分のこと」だからやるのは当たり前。
  • 区内、つまり付き合いの範囲内は「やらなければならない」のだからやるのは合理的。
  • それ以外のことをやるのは、アホか「よからぬ企み」以外にありえない。
ということですね。
ちなみに友達は?というと、親交の深さに応じて「家族・身内」(自分のことのように自ら進んで)と「区内」(つきあいで仕方なく)の間にあったわけですね。

ここへもってきて、家族・身内でも友達でも区内でもない人たちが無償で災害片付けの手伝いをする、などということは、理解できないというより、どう捉えたらいいのかわからないことだったろうことは想像に難くない。
「手伝ってもらわなくても大丈夫です」と言われるときの、丁寧にお礼をいわれる裏の戸惑い・困惑、さらには低くない確率での「うさんくさそうにされること」は、ちょっとため息をつきたくなるものだった。

でも、現実問題として誰かの助けが必要なほど大きな、個人にも地区にも手に余る災害に直面することもある。
今回がそうだった地区では、多くのボランティアが入った。
毎日ボランティアが活動しているのを見ていれば、当然ながら理解も進む。頭でではなく、実体験として「こんなものだ」とわかってくる。
そうすると、ニーズが少しずつ掘り起こされていく。それは決して「甘え」ではなく、「困ったときは頼る」という当たり前のことであり、それが社会の中での「寄り添い」だと思う。
少子高齢化が進む社会では、これってすごく大事なものなのかもしれないなと思う。それは「ボランティアを受け入れる力」という、ある種の能力なのかもしれない。

「行動原理」にはゼニカネの関与するものとしないものがある。
前者の代表的例は仕事だ。仕事だから好き嫌いにかかわらずやれ。文句は言うな。仕事なんだから…というやつだ。
そして後者には身内や友達というカテゴリーと、地域という「付き合い」のカテゴリーがある。
この2つしかない人たちにとって、ボランティアというものは理解できない行動だろうから、それは愚行か、下心ある企み以外に解釈できないのだろう。
私はずっとそういった発想・思考を「貧しい」「さみしい」と思っていたけれど、考えてみればそれ以外の行動原理など見たことも聞いたことも経験したこともないのであれば、それは仕方ないことなのだろう。
そしてその点で、若者たちがボランタリーというものを、あれこれ頭で考えることなく、これまでの「育ち」の中で違和感なく無理なく身に着けていることに、今回改めて驚き、また嬉しく頼もしく感じた。

2013年9月23日月曜日

スイッチがオフになってしまって

午前中、災害ボラセンの片づけのため、「最後の出勤」。

最終日のホワイトボード。激戦の跡である。これも昼前にはきれいに消されて、事務所は机と電話機、複合機だけが撤去を待つ状態になっていた。
みんな(といっても5人だけだが)で昼食に焼肉を食いに行って解散。

とたんにどっと疲労が襲ってきた。帰宅するやベッドに倒れこみ、夕方まで4時間近く昼寝。夕方5時過ぎにかなり努力してベッドから出た。本当はこのままずっと寝ていたいくらいだ。
ぼーっとしつつ夕食を食べ、女房と買い物に出かけるも体がぐだーっとしているし、頭が働かない。この一週間のブランクを取り返さないといけないことはたくさんあるのだが、困ったものだ。

私は人一倍のめりこむタイプなのだが、それだけにその仕事のスイッチを切ったときに自分のメインスイッチも切ってしまうときがあるようだ。
わーっと詰めた仕事をしたときによくそういうことがある。技術の実務をやっていたときも時々あったし、最近では筆記や口頭試験のセミナーで時々そういうことになる。(たいてい酒を飲んでぐだーっとすることで復活するが)
今回は特にそれがきつい。災害ボラセンに対する集中がひときわ高かった反動なのか、単に寄る年波のせいなのか。その両方かもしれないけど。^^;

再帰宅後、「子ども一日店長」の学校配布チラシを印刷しつつ、サイトの一次試験のページ更新。ようやく少し頭が働くようになってきたものの、まだ半分くらいぼんやりしている。
腰もまだ調子が戻らないし、明日あたり湯治に出かけてやろうかな。濱の湯へ。笑。

2013年9月22日日曜日

ボラセン最終日

災害ボランティアセンターの活動最終日。当初予定より1日早く終わった。ありがたいことだ。

すでに地元の新聞やニュースで募集終了をアナウンスしているのであまり人が集まらないと思っていたが、結局135人集まってくれた。地元高校生が中心になった。

作業を終えた若狭東高校ラグビー部員達。本当にありがとうね。

夕方、閉所式。17日に立ち上げ、18日から実働、大きな混乱もなくここまでこれた。福井県内の社協を中心に、多様な組織から集まってきた人たちが、しっかり結束して活動できたのは素晴らしいことだと思う。

家の仏壇の観音開きを開けたら小さいおじさんが出てきた。…のではなく、最後の集合写真を撮ろうと廊下の向こうのホール入口でカメラと格闘するボラセン本部長。^o^;
その後、反省会。日ごろの活動などで顔見知りがいっぱいいることが、こういうときにすごくプラスになること、市民の「ボランティアの受け入れ力」がアップしたことなど、みんな同じようなことを思ってたんだなあと、久々に酔いながら感じた。
添削その他があるので一次会で抜け出して帰宅すると、東京方面から何やら犯人逮捕のニュースがメールで届いていた。
刑事に説得され、泣きながら罪を
告白するうちなんちゅ(ゆめたく)。

あやしげな刑事(横すば)に
連行されていくうちなんちゅ。

2013年9月21日土曜日

土煙の稲刈り

今日も1日水害ボラセン。
週末に入り、個人ボランティアが増えるかと思っていたが、HPで「ゴールが見えてきた」と流したせいか、個人ボランティアはむしろ減少。
一方、団体ボランティアは行政職員から学生にシフト。福井県立大学、若狭高頭看護学院、若狭・小浜水産・美方の各高校から学生諸君が参加してくれ、団体ボランティア人数は前日と同じくらいだった。

学校の体操服が新鮮な朝の受付風景。女の子の黄色い声がにぎやかだ。ありがとうね。

現場踏査に出ると、浸水区域からもうもうと土煙が上がっている。
泥に覆われた歩道のブラッシングでもしているのかと近づいてみると、コンバインが稲刈りをしていた。稲が泥に覆われているため土煙になるのだ。辛い稲刈りだろうなあ。

あともう明日1日だけになって、新たな依頼。山から流出した流木や土石が軒先にどっさり堆積している。うーむ、これはなかなか大変だ。

ボランティアコーディネートも残すところ明日1日となった。疲れはたまっているが、「あと1日」と気合を入れる。
でもよく考えてみるとまだこれが実働4日目なのだ。もっともっと大規模な災害で大人数を長期にわたって受け入れる大災害での災害ボラセンを運営された方は本当に大変だったろうと実感。これは実体験しないとわからないだろうなと思う。

帰宅してRCCMの添削をしようとPCを開いたら、Evernoteの画面が朝7時過ぎに途中まで添削したままになっていた。本当に災害ボラセンだけやって1日過ごしていたんだなあと苦笑した。

2013年9月20日金曜日

心がつながってきた

週末を前にして、予想以上に早くゴールが見えてきた。
18日に約100人、19日に約140人、今日は200人強。本当にありがとうございました。

連日の活動の中で、地域の人とボランティアの間の「異邦人」感は薄らぎ、「頼る」ことをしていただけるようになってきたと感じる。
ボランティアは何か力になりたくて来ている。別に身内でも友達でもなく、区内の付き合いがあるわけでもない間柄なのに、自分の心の中から「力になりたい」と思って来てくれる人たちがたくさんいる。そのことは時間とともに地域の人たちに伝わっていく。

加茂区に行っていたたけしから、作業を終えて帰路に着くボランティアを、地区の人たちが横断幕で送ってくれている写真が届いた。
さすがにうるっときましたね。

私は現場で汗を流すわけではなく(そもそも腰の状況がそういうことを許さないけれど)、事務所スタッフなわけだけれど、これまで何の付き合いもなかった人たちと知り合いになれ、一緒に働けたことは本当に幸せだったと思う。
…なんてもう終りみたいな書き方だけど、まだ2日がんばろう!

2013年9月19日木曜日

濃密な時間の日々

朝7時前に家を出て(こんな時間に出たのはどれだけぶりだろうか^^;)活動現場を下見。
「災害現場を踏査してラフスケッチを描き、どんな対応をするかをざくっと計画する」って、土木コンサルタントとしてずっとやってきたことだが、今回はボランティアとして似たようなことをやっている。

この現場はお寺の本堂の床下に入り込んだ土石の除去が対象になる。
人が床下に潜り込んでスコップで土石を掻き出して箕に入れてリレーで外に出し、一輪車で近くに積んでいく。
土木コンサルとして計画していた災害対応とは質的にも量的にも比べ物にならない。
平成16年に福井豪雨の災害ボランティアとして作業をしたときに、ふらふらするくらいの重労働で土砂撤去をしながら「小さなバックホウでも持って来ればあっという間なのに」と思っていたものだが、効率性という点でいえば確かにその通りだ。やはり「土木」の力を借りなければ災害からの復旧などおぼつかない。

ただ、大勢のボランティアが小さな力を結集して汗まみれになりながら作り出すこの成果は、全く質の違う元気を被災地に与えると思う。

朝9時過ぎのボランティアセンター。今日は140人以上のボランティアが集まってくれた。本当にありがたい。

出発前のオリエンテーリング。被災者への気遣いを忘れないこと、安全第一であること。つまりは彼我ともに「人の心と体」を一番大事に考えて、効率は二の次なわけだ。
世の中すべてこれがいいなどということは決してないが、こういうところがまさにボランティア活動なわけだ。

午後、またしても不良副センター長はセンターを抜け出して、市内のふれあいサロンにて「オバマージャン」。

自画自賛ではないけれど、このオバマージャンはどこでも楽しんでもらえて、いつも嬉しくなってくる。
終了後ボランティア活動現場を回り、夕方バタバタとセンターに戻って翌日の段取りやHP更新など。SUKIYAKI塾東北・北陸・広島・沖縄でも使ったJimdoでHPを作ったが、こういうツールは時間がないときほどありがたい。
実働2日目、いくらこれまで何度か研修をしてきたとはいえ、実践は初体験の連続で、皆さんけっこういっぱいいっぱいなのがわかる。
でも怒鳴り声はなく笑い声がある。
ちょっとした言動挙動ひとつひとつに「みんな元気でやり通そう」という意思と気遣いがあって、人的・理念的・自己実現インセンティブがいっぱいある。
でも物質的インセンティブはぜんぜんない^^;。
社会の中ですごく異質な、でも素敵な空間だ。
その証拠に、1日前がずっと前に感じられるほどに、今日が2日目だとはとても思えないほどに時間の密度が濃い。人と人とのコミュニケーションも濃い。

8時過ぎにようやくひととおり終わって、加斗地区の補助金申請や上根来の事業推進といったNPOタイム。
9時過ぎにそれも終わってセンターを後にし、マクドに入って添削。つまり自分の時間。

濃密な時間の中で困ったことには腰痛が悪化している。まあ、一輪車やら岩塊やら「せいっ」と声をかけて力を入れることをしていたらよくなるはずもないわな。
腰痛に効果があるという入浴剤を買って帰って長風呂した。

2013年9月18日水曜日

水害ボラセン始動だが火起こし^^;

小浜市水害ボランティアセンターが実質的に始動した。
朝9時の受付開始からボランティアの皆さんが集まってきて、受付とマッチングのあと現場に出ていく。
その光景を目にすることもなく、今日は小浜小学校の「レッツゴーのちせチャレンジ隊」で「アウトドアクッキング」。ずっと前からの約束なので、午前中だけ許してくれセンターのみんな。

モミギリで火起こしに挑戦。小学生の力ゆえ火が起きるはずもないが、とにかく経験してもらうのだ。
やがて大人も加わり、力を合わせて火起こし成功。ガマの穂からススキの穂、枯葉、柴を経て薪をくべてたき火を作る。

焼きバナナと焼きマシュマロを味わった。「おいし~」と言って目を輝かせてくれるのが楽しみで続けているようなものだ。
終了後、後片付けもそこそこに全部学校におきっぱなしにさせてもらってセンターへ飛んで帰る。
実働初日、センター運営は感動的なくらいにがっしりと進められていた。素晴らしいぞ。

作業を終えて帰着したボランティアを出迎える。受け入れ初日、97人のボランティアが来てくれた。個人41人、団体56人だった。本当にありがとうございました。
HP開設などでセンター(社会福祉協議会)を出たのは9時。小浜小学校へ火起こし装具を取りに行こうと思っていたがかなわず。申し訳ない。

2013年9月17日火曜日

水害ボラセン開所

朝9時、「小浜市水害ボランティアセンター」立ち上げ開始。
1年以上前から研修をしてきたとはいえ、初めての経験なので試行錯誤の連続の中、電話を引いたりIT環境を整えたり、電話が開設されると早速かかりまくる電話に対応し、現場状況把握が錯綜したり、まあいろいろあったが、1日かけて何とか事務所として動き始めた。

初対面の人も少なくない急造事務所だが、とにかくみんな前向きでがんばっています。やっぱり素晴らしい仲間だ。
そんな中、明日の午前中は小浜小学校で「アウトドアクッキング」。火起こし体験ですな。
もう何度やったかわからない私の看板メニューなので、いつもなら2日ほど前から余裕で準備をしておくのだが、今回ばかりは直前ギリギリ。夜の9時過ぎに上根来にマキを取りに走る羽目になった。

台風後、始めて上根来に行くが、その傷跡は生々しい。「これ何だ?」というくらいの土砂がうず高く積もって道路を半分ふさいでいる。とりあえず啓開だけしましたという感じだ。

 道を延々と濁流が流れ下ったのがわかる。オフロードかと思った。

重機で「横にのけた」土砂。でもそれは「左車線から右車線に積んだ」ということなのだ。
11時過ぎ、ようやく明日の準備完了。またマキを補充しないといけないが、それは明日の朝だ。
いやあ疲れた…のだけれど、初日から来てくれたボランティアの方々、いろんな協力をしてくれた企業等の方々を思うと、またがんばろうと思うのですね。本当にインセンティブというやつだなあ。

2013年9月16日月曜日

長い長い1日でした

台風が来るというのにホッピーなんぞ飲んでいた罰が当たったようだ。
午前1時前、直近の一級河川・北川の水位は高水敷にはかかったものの、まだ余裕はあると思って就寝。
午前4時前、警報メールにて目が覚める。テレメーターをチェックするともう氾濫注意水位などとっくに超え、さらに避難判断水位も超えて氾濫危険水位直前ではないか。
あわてて飛び起き、両親を起こして避難の準備をしつつ、区防災委員会の連絡。
そうこうしているうちに市内全域に避難勧告が出された。

いったん公民館に避難したりしていろいろあったものの、結局かねてより避難場所としてご協力いただいている高齢者マンション「オアシス」さんに避難した。なお、オアシスは我が家の正面にあるので、大変ありがたい。
高齢者世帯の中で避難された方を中心に防災委員のスタッフを入れて16名が避難。
その間にも北川水位は氾濫危険水位を超え、雨なお降り続き、いよいよこれはやばいかもしれないという状況になってきたので、様子を見に行った。

手前に歩道橋があって、この桁下はまだ余裕があるのだが、その奥に車道橋があって、この桁下はもうほとんど空間がない。橋はすでに通行止めになっていた。
平成16年23号台風でも同じくらいの水位になったことはあったが、あの時はすでに水位は下がり始めていた。今回はまだ上昇傾向にあり、しかも雨は激しくなるばかり。これはやばい。

やがて朝を迎えた。午前6時前の北川。前夜の写真とほぼ同じ水位。雨もやや収まりつつあり、なんとか越水は免れたようだ。
ほっとしつつも、堤内地側に目をやると、しゃれにならない光景が。

かつて一面の田んぼ耕地であったところ宅地化した水取地区は地盤が低いのですぐ内水氾濫にみまわれる。路上駐車の車が水没し、一体が浸水している。床上浸水の家屋もあるだろう。

水取地区の中心道路は完全に水没し、地区全体が浸水している。


北川はどうどうと流れている。車道橋の桁下は相変わらず余裕がなく、相変わらず通行止めのままだ。いっぱいいっぱいの水位のままでどーっと海に濁水が流れ込む。

ともあれもう越水の心配はないので安心してオアシスに戻った。オアシスでは朝食におにぎりと味噌汁まで用意してくれた。本当にありがたい。
9時過ぎ、避難所閉鎖。オアシスに感謝しつつ帰宅。さすがに眠いので昼まで寝て、災害ボランティアセンター開設にむけての会議が夕方からあるので、午後は浸水区域を見て回った。

国富地区は湖のようになっている。早くも晴れ間が見え、台風一過の天気になっていた。

コンバインが水の中に取り残されていた。これも打撃だろうが、田んぼも大打撃だ。

昔からの集落は、耕地は水没しても集落は冠水しない。耕地は遊水池でもあるのだ。ところが新興住宅地はそんなことを知らないのか知ろうとしないのか、浸水してしまう。この江古川区はいつも大変な目にあっている。

 水取地区の水は引いてきたが、まだ全体が冠水している。そんな中で泳いでいる若者がいた。^^;

夕方の北川。ずいぶん水位が下がってきた。ひとまず「今そこにある危機」は去った。
会議では早急な災害ボランティアセンター立ち上げが決まった。これは、水害の後始末などに来てくれるボランティアを受け入れ、被災地ニーズに合わせて割り当てて道具を渡して派遣するというセンターだが、実は小浜市でを立ち上げるのは初めてだ。
いったん帰宅してバタバタと着替えてたつやのお父さんの通夜に参列し、また帰宅して着替えてボラセンになる社協事務所へ。

やがてボランティア物資(スコップや鋤簾、一輪車などなど)が大量に届けられた。越前市にボランティア物資集積拠点があり、そこからボランティア諸氏が運んでくれたのだ。こういうことの受け入れに不慣れな我々は、ただもうありがとうございますと頭をたれる。
明日はボラセン立ち上げのための諸準備、そして明日の夕方に立ち上げで、明後日から本格的な作業になる。
水取地区も江古川地区も、内水氾濫を経験するたびにうんざりするような掃除を経験してきている。少しでもそれが楽になれば。

長い長い1日だったけれど、SUKIYAKI塾の多くの方に「大丈夫ですか?」とメールをいただいた。
本当にありがとうございました。